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魔剣の品格  作者: 時雨煮
魔剣転生
16/33

拾伍、《魔剣》対《魔剣》

 万年筆に残された、仁谷にたにの記憶を垣間見る。

 恐らくは一週間前の、あの雨の日。保国ほくに先生の車の中。


 保健室へと向かった先生が戻ってくるのを助手席で待っていた仁谷は、足元に落ちたままの白い箱の存在を思い出し、それを拾い上げた。

 放っておいてくれて構わないと先生が言っていたから、大した物では無いのだろう。そんな軽い気持ちで彼女は蓋を持ち上げ、中を覗き込む。


 金色の装飾が入った白い万年筆は、薄暗い中で淡く光っているように見えた。そのとき近くにクロがいたことと、仁谷の意識がその日の経験で変化していたことが、事態を悪い方へと進行させる。

 彼女はテーピングされた左手で万年筆を持ち上げると、装飾に隠された真銘しんめいに気付き、読めない筈のそのルーンを、“狛犬”の力の残滓によって読み上げてしまった。


「“DAINSLEIF(ダーインスレイヴ)”──」


 力ある言葉が発せられ、世界がぼやけていく。仁谷が取り憑かれたのはこの時か。

 《魔剣》が夜ごとに彼女を操り、力を取り戻すために人を襲っていたということなのだろう。


    ○


 両足が草を踏みしめたのを感じて、ゆっくりと目を開くと、周囲は霧に包まれていた。霧の向こうには、昇り始めた朝日があった。

 朝霧は少しずつ晴れていき、周囲の様子が次第にはっきり見えてくる。

 なだらかな平原の左側には丘があり、その頂上辺りに何百人もの人影が見える。右を見れば、海岸に泊められた幾艘もの竜頭船の手前に、同じく数多の人影が立ち並んでいた。


「お前の記憶なかじゃないよな、クロ」

『うむ。油断するでないぞ』


 薄曇りの空を太陽が昇る。立ち並ぶ人々は革の鎧や鎖帷子を身につけ、剣や斧、盾を持って武装していた。

 丘の軍勢と海岸の軍勢、対峙する両者の間に立っている俺の方へと、無数の視線が向けられている。


 霧の晴れた平原に冷たい風だけが流れ、やがて海岸の方からひとりの大柄な男が前へと歩み出てきた。男の左手には、刀身を赤く染めた剣が握られている。

 どこか保国先生と似た雰囲気を持った髭面の男は、足を止めると丘の方を見上げ、左手をこちらへと向けて口を開いた。


「セルクランドの海王よ。そこに居るのは貴殿の配下の者か」

「いいや、違うぞ、デーンの大王。あれはどう見ても道化の装い。戦士には程遠かろうよ」


 男の言葉に相対するように、丘の方から少し若い声が聞こえてくる。どうでもいいけど、声でかいな。丘を見ると、これまたがっしりとした体格の男が、軍勢の先頭で腕を組んで立っていた。

 聞いた限り、それぞれの軍の総大将らしいふたりを交互に見ていると、デーンの王と呼ばれた髭面の男が左手を下ろし、俺の方を見た。


「そこな小娘よ。何故この戦場いくさばに居るのか分からぬが、棒切れ一本で挑もうと言うのなら止めておけ。ただ迷い込んだだけならば、さっさと立ち去るがよい」


 大音声と共に、男は威圧的な鋭い眼差しでまっすぐに俺を見据えてきた。かなり離れているのに、身体が重くなったような感覚に包まれる。

 それでも身体は震え、ついでに黒い木刀も小刻みに震えていた。それは恐怖を感じてのことではなく、


「今、小娘っつったか」

『まさかとは思うが、棒切れとは我のことではあるまいな』


 聞き捨てならない発言に、どう落とし前をつけさせてやろうかと考えていたからだった。


    ○


 ドーナツ屋での拝島はいじま会長の話を思い出す。


「──相手が悪霊単体だった場合の対処法については、これくらいにしておくとして。もう一つの可能性、付喪神つくもがみの類が人に取り憑いて犯行を行っている場合の話をしようか」


 手を挙げた俺に対して、会長はどうぞ、と発言を促した。


「アキが取り憑かれたときは、たいてい頭突きで済ませてるんすけど」

「女の子の顔を何だと思ってるんですか、君は」


 阿倍野先輩が呆れたように首を振る横で、会長は「まあ、それもアリかな」と呟いた。


「クロ君と一緒なら、オリト君に対する呪いは打ち消せるようだし。取り憑かれた人間が万全の状態で動けることは稀だから、隙さえ狙えれば成功するかもしれないか」

「オリコってば石頭だもんね」


 思い出すように額に手を当てて、アキはわずかに顔をしかめた。


「お前だって、俺が取り込まれたとき頭突きしてくるだろ」

「それで助かってるんだから別にいいがー」


 それに関しては言い返せない。ぶっちゃけお互い様だった。阿倍野先輩は黙ったまま、また首を横に振った。


「問題になるのはそっちの方だろうね。君が相手の心象風景こころのなかに捕らわれてしまった場合、どうするか」

「それもクロがいれば、抜け出せるんじゃ?」

「相手が格下なら問題ないだろうけれど、ここ何日かで力をつけている相手みたいだからね。心しておいた方がいい」


 会長の言葉に黙って頷き、言葉の続きを待つ。


「僕にもそれほど経験があるわけじゃないけれど……あれは一種の結界のようなものだから、(ほころ)びを見つけてそこを突くか、力の源、核となる存在を叩くというのが妥当かな」

「綻びに、核っすか」

「どちらにしても、何通りか作戦を立てておいた方がいいね。まずは──」


    ○


 こちらを睨みつける髭面の大男から視線を外して、まずは周囲を見回す。左右に並ぶ戦士たちの姿さえなければ、のどかな風景が広がっている。遠くまばらに木々が立ち並んでいるのを眺めつつ、小声でクロに問いかける。


「“綻び”なんて無いよな」

『うむ。この場より離れても、この世界からは抜け出せぬであろうな』

「あと怪しいのは、あのおっさんの持ってる剣か」


 再び大男に目を向ける。これまで斬ってきた獲物の数を物語るように、赤い刀身が朝日を反射して妖しく輝いた。


『ふん。薄汚れた血まみれの剣であるな。恐らくあれが“ダーインスレイヴ”であろう』

「あいつやっつければ万事解決、だよな。でもどうすっかな」


 いくらなんでも、取り巻きの人数が多すぎる。全員で来られたらさすがに勝ち目が無い。

 どうしたものかと悩んでいると、沈黙に焦れたのか再び大声が聞こえてきた。


「どうした小娘、答えぬか。その口は飾りではあるまい」


 ああもう面倒だ。難しく考えるの止めた。

 海岸の方に一歩踏み出し、木刀を大男の方に向ける。軽く深呼吸。


一対一タイマンだ、おっさん! こいつの切れ味、教えてやる!」


 断られたらすぐ逃げられるように身構える。俺の言葉を聞いた相手は、しばらく固まった後、いきなり笑い始めた。男の背後に立っている連中も、声は聞こえてこないけれど笑いを堪えているように感じられる。


「は、は。面白い冗談だ。我が剣は女の血など求めてはおらぬわ」

「俺は男だっての!」


 半信半疑の視線に対して、もう一歩前に進む。


「ってか、アレか。怖くて戦えませんー、って素直に言えばいいんじゃねえの」

「安い挑発だな。我が斬るべき仇敵は丘の上にいる。小僧の戯言に付き合うとでも思ったか」


 大男の表情は動かない。駄目か。ひとまず退却して、会長の力を借りるしかないか。

 真剣に逃げる算段を始めたとき、思わぬところから救いの声がかけられた。


「いいではないか、ホグニ。どうせ我等は永遠に戦い続ける定め。ほんの一時の余興に割く時間が無いわけではあるまい」


 声の主は、丘の側に立つ海王と呼ばれた男だった。そちらを窺うと、彼は腕を組んだままこちらを見ていた。

 丘の上からの声に対して、髭面の大男、ホグニは苦々しげな表情で言葉を返す。


「ヘジンよ。貴殿の冗談は笑えん」

「冗談では無いぞ。終わりなき戦いに飽いているのは、デーン王とて同じだろう」


 ホグニは首を横に振る。それでも口から出たのは溜息だけで、否定の言葉ではなかった。


「……いいだろう。余興にもならんだろうが、相手をしてやる。誰か、小僧にまともな剣を渡してやれ」

「いらねえよ。自分の剣の心配をしてろ」


 ホグニは肩をすくめ、それ以上何も言わずに俺の方へと近づいてくる。他の連中に動く気配は無い。

 少し離れた位置で立ち止まった彼は、左手の剣をこちらに突き付けてきた。


「では、さっさと終わらせるか」


    ○


 もし現実世界だったなら、まともに受けただけで吹き飛ばされそうな重い一撃。それを数回受け流したところで、相手は疑問を口にする。


「何故だ?」


 木刀が折れないのはクロだからだし、飛ばされないのは無理に対抗せずに受け流しているからだ。そして、何故受け流せるかといえば、その太刀筋を一度見ているから。

 仁谷よりも数段速いけれど、剣の動きはクロが教えてくれている。それに加えて、体格の差が攻撃を避けるのに有利に働いていた。

 真上からの振り下ろしを後ろに下がって避け、さらに距離を開ける。


「得物の違いじゃねえの」

「は!」


 俺の言葉を笑い飛ばし、ホグニは再び剣を振り回し始めた。本気になった動きには、反撃の隙が見当たらない。最初から防戦一方だったのが、さらに押され気味になっている。


『ええい、このような二流の《魔剣》などに手古摺てこずるとは……』


 クロのぼやきは聞き流す。黒い木刀と赤い長剣がぶつかりあう音が幾度となく繰り返された後、剣の動きが変化した。


『来るぞ』


 引かれた左手が攻撃に転じるよりも前に、突きをかわすための一歩を動かす。事前に分かっていても、その一撃は左肩をかすめていく。

 かすかな痛みを無視して前に進み、すれ違いながら相手の胴に木刀を叩きつける。両手に手応えを感じたものの、その直後に衝撃が頭を襲った。


 視界が横にぶれ、回転して──背中が地面に打ち付けられる。


 急いで上体を起こすと、ホグニは身を屈めて赤い《魔剣》を拾い上げるところだった。どうやら、剣を捨てて裏拳を繰り出してきたらしい。

 その一撃でかなり吹っ飛ばされたようで、相手との距離は開いていた。それでも目を離さないようにしながら、近くに落ちていた木刀を拾ってゆっくり立ち上がる。


「きっちり当たったと思ったんだけど?」

「ああ、取って置きの鎧が台無しだ。なかなか面白いモンを見せて貰った」


 こちらを向いた大男の鎖帷子には、確かに真一文字の傷がついている。もう少し踏み込めていれば、拳を避けて斬り抜けることができたかもしれない。

 少しだけ感心したような表情を見せていた相手は、すぐに真顔に戻って威圧的な視線を向けてきた。


「俺の動きを先読みしているようだが、もうその手は食わん。諦めることだな」

「そうかよ」


 唯一狙えた隙を突いてこの結果なんだし、実際そうなんだろう。頭に受けた衝撃はまだ残っていて、この状態で戦い続けるのが難しいことくらいは分かる。

 だから、今回はそろそろ助けを求めよう。構えを解いて、曇り空を見上げて口を開く。


「会長ー、やっぱり無理でした」

『まあ、仕方ないね』


 その声と共に、一瞬で霜が降りたように視界が白く染まる。万物が動きを止めた世界で、拝島会長の声だけが聞こえてくる。


『予定通りプランBで進めるけど、クロ君もそれでいいね』

『うむ、仕方あるまい。主をこれ以上、危険に晒す訳には行かぬ』


 事前に決めておいたこととはいえ、俺の今の実力では勝てなかった、というのが少し悔しい。早いとこ、せめて先輩の力を借りなくても済むようにしたい。


『割り込みを維持するのも大変だから、巻いていくよ』

「うっす」


 白く凍った草原で、黒い木刀を目の前に掲げる。一拍置いて、会長の声がクロへと語りかけ始めた。


    ○



  ──遥けき西方より来たりし剣よ──



 凍った世界に、澄んだ声が反響する。



  ──其は 勝利を呼ぶ軍神のひと指し──



 アナログテレビにノイズが走るように、視界がわずかに歪む。



  ──其は 鋼をも断つ白銀の腕の欠片──



 歪みは徐々に増していき、うねる白い草原に眩暈(めまい)を感じて。



  ──今ここに喚び戻さん 其の真銘は “TYRFING(ティルヴィング)”──



 そして、世界が書き換わる。



    ○


 草原は小さな塚となり、目の前に死者を弔う石碑が現れる。周囲は煉獄の炎に包まれ、心地よい熱風が頬を撫でた。

 修学旅行先で初めてクロに触ったときに見た風景。ここが“ティルヴィング”の根幹を成す場所なのだと、今回は何故か理解できた。


 右手で掲げているのは黒光りする両刃の長剣。クロの記憶で見たのと同じ形で、柄に刻まれたルーン文字が淡く光っている。


「ってか、なんか前と色が違う気がするな」

『我は“スヴァルト”でもあるが故に、な』


 これまで通りの受け答えに、クロが別の何かに変わってしまったわけではないらしいと安心する。

 右手を上げ、素振りをしてみる。違和感は感じない。


「これは、いかなる妖術か」


 背後からの声に振り向くと、地面から立ち上る炎の向こう側で、赤い《魔剣》を持つホグニが茫然と立ち尽くしていた。驚きの表情を浮かべながら、彼は呟きを洩らした。


「その剣が“ティルヴィング”なら、お前はアンガンチュルの娘だとでも言うのか」

「だから俺は男だっての」


 阿倍野先輩なら何か知ってるんだろうな、と思いつつ、困惑している大男の言葉を訂正する。

 黒い《魔剣》を両手で構え直す。指の間から漏れるルーン文字の光が、少し輝きを増したように感じた。


「降参するなら今のうちだけど」

「抜かせ。剣がどれだけ上等でも、使い手が素人では宝の持ち腐れだ」


 正論で返されてしまった。表情を引き締め、ホグニも身構える。


「いくぜ、クロ」

『うむ。一流の魔剣の品格、見せてやろう』


 炎を踏み越えて距離を詰め、大上段に振り上げた黒い剣をまっすぐに振り下ろす。対してホグニは、赤い剣を逆袈裟に斬り上げてくる。

 剣と剣がぶつかり合い、動きが止まった。勢いと体重を乗せた両手の一撃も、片手で受け止められてしまうらしい。力の差が恨めしいな。


 下からの圧力に身体が浮き上がりそうになったとき、ぱきり、と音が鳴った。赤い剣に亀裂が入ったことに気付いた相手が体を引こうとしたところに、さらに一歩踏み出してクロを叩きつける。

 赤い破片が宙を舞う。半ばほどで断ち切られた剣を見て、ホグニは口の端を上げた。


「見事だ。我等を縛る呪いも、これで解かれるか」


 それだけ言い残して、髭面の大男と赤い剣は薄れ、流れ消えていった。

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