拾四、《魔剣》レガシィ
自転車のスタンドを立てて、スポーツバッグから黒い木刀を取り出す。相手から見えないように後ろ手に隠しつつ、数歩だけ近付く。
立ち上がった相手は、車のヘッドライトを眩しそうに遮ってこちらを窺っている。
「保国先生、何やってんすか」
「その声は……縁部か。お前こそ、何でこんなところに」
保国先生は訝しげに俺の方を見ながら、くぐもった声で言葉を続けた。
「人前で木刀振り回すなっつったよな」
「んなことしてませんって」
はっきりした受け答えからは、何かに取り憑かれている様子はない。しかしそれと同時に、その声には覇気が感じられなかった。
どうしようかと迷っていると、保国先生はよろめいて、小さく呻きながら片膝をついた。
(オリトよ。此奴ではない。気配は離れていっておるぞ)
「ってことは、先生も被害者かよ」
急いで近くに駆け寄って、様子を確かめる。両腕や背中に何箇所も斬られたような痕があるものの、それぞれの傷は浅そうな感じだ。かなり消耗しているようだけれど、倒れることはないか。
「まさか、お前も通り魔を調べてるんじゃないだろうな」
「そのまさかっすけど。ってか、救急車呼びますか」
倒れている女の人の方は、容態がはっきりしない。携帯電話を取り出そうとした俺に対して、先生は首を横に振った。
「今呼んだところだ。お前は救急車が来るまで待っててくれるか」
「先生はどうするんすか」
「俺はアイツを追いかけなきゃならん。これ以上被害が広がらんうちにな」
ふらつきながらも再び立ち上がった先生は、車の方に歩き始める。けれど、どう見ても運転できるような状態ではない。
「俺たちが追いかけるんで、先生は待っててくださいよ」
「馬鹿言うな。生徒に危険な真似をさせられるか」
「適材適所っすよ。そんなんじゃ運転は無理だし、大体、通り魔がどこに行ったか分かるんすか」
俺の問いかけに、先生は苦い顔になる。
会長やクロのような探知能力は持っていない、自分の状態も把握できていない。やはり先生は一般人なんだろう。
「自分には分かるって言ってるように聞こえたが、縁部?」
「こいつで探せるんすけどね」
先生に黒い木刀を見せつつ、クロに状況を確認する。
(大丈夫、だよな)
(まだ追えなくはないが、あまり悠長に語らっては居られぬぞ)
(りょーかい)
訝しげな表情で木刀を見ていた先生は、ふと気付いたように顔を上げる。
「俺たち、と言ったな。拝島の奴も動きまわってんのか」
「そりゃまあ。伝奇同好会っすから」
そう言った途端、胡散臭そうな顔で首を横に振られてしまった。頭を押さえながら、先生はこっちを睨んでくる。
「俺は別に、悪霊だとか呪いだとかは信じちゃいないんだが」
「でも、通り魔追いかけてたんなら何か知ってるんすよね」
「……まあ、な。実際に会っちまったし、確かにこれは、お前らの領分かもしれん」
先生はそう呟くと、再び車に向かって歩き始めた。
○
一週間前。奥能登から学校まで俺たちを運んでくれた保国先生は、保健室で用事を済ませた後、仁谷を自宅まで送り届けた。
自宅へと戻った先生が車の中を整理していたとき、前日に届いていた郵便物の中身が見当たらないことに気がついた。
「メンテナンスに出していた万年筆。“レガシィ”ってんだが」
「そういや、ずっと持ってなかったっすね」
それはオーダーメイドの一品で、父親が友人に作ってもらったという形見の品らしい。アキが後部座席に置かれていた荷物を無造作に移動させていたので、俺かアキが間違って持って行ってないかと聞いたのだという。
仁谷にも聞いてはみたものの、「記憶にない」という返答に困っていたところ、今日になってに父親の友人からの手紙が届いたらしい。
「それがこいつだ」
先生が車の中から引っ張り出したエアメールには、折り畳まれた便箋が入っていた。内容を読もうとして、俺はすぐに便箋を突き返した。
「英語じゃないすか」
「ああ、そうか。仕方ねえな」
ちゃんと勉強しろよ、と苦笑しつつ、保国先生は便箋を受け取って両手で広げた。
「とはいえ、訳が合ってるか微妙なんだが……“レガシィ”のメンテナンスは滞りなく完了しました。しかし、魔法剣の封印が不安定になっているようです。暴走の可能性があるので、強い力の近くには置かず、霊感のある者には触らせないように。使用者に合わせた調整が必要なため、近いうちにそちらを尋ねることにします」
「魔法剣っすか」
「知らない慣用句とかじゃなけりゃな。何にせよ、俺はこいつを読んで、念のため調べてみることにしたってわけだ」
つまりどういうことだろう。先生の万年筆が暴走して、それが夜毎に人を襲ってるってことか?
(オリトよ、そろそろ気配が掴めなくなってきたのだが)
「っと、考えるのは後にするか。先生、後は任せて休んでてください」
「待て、縁部。こいつを持って行け。手紙と一緒に入ってた物だ」
自転車に乗ろうとした俺を呼び止めた先生は、右手を差し出してきた。その手には、鎖のついた白い十字架が握られていた。
○
携帯電話から、阿倍野先輩の声が流れてくる。自転車で走りながらは危ないけれど、今は見逃して欲しい。
『保国先生が十字架を見せたら、相手は怯んで逃げ出したと』
「そうみたいっすね」
『その十字架、特に飾りのない普通のモノですか』
エジプト十字とかケルト十字とかじゃあないですよね、と続く言葉は理解できなかった。ひとまず左手にぶら下げている小さな十字架は、教会の屋根の上にくっついていそうな何の変哲もない代物だ。
「普通じゃないかと」
『朝には消える傷、レガシィ、魔法剣、ラテン十字……そういえば、そんな伝承の魔剣もあった気がしますが』
さすがは阿倍野先輩。こういう方面は会長より頼りになる。
(《魔剣》であるか。なれば我も負けてはいられぬな)
「いや、勝ち負けの問題じゃないからな?」
(確かにそうであるな。我ではなく、主に勝利を齎してこその《魔剣》であったわ)
対抗心に火がついたっぽいクロを抑えつつ、携帯電話に向かって質問を投げかける。
「なんか対処法とか、攻略法とかありますかね」
『そうですねえ。確か……縁部クンの家は神道でしたっけ』
「一応はそうっすけど」
こちとら小さい頃から八百万の神霊っぽいモノを見て育ってるわけで、それで他の宗教を否定するわけじゃないけれども。
『となると厳しいですね。十字架は気休め程度に考えてください』
「うっす」
返事をしつつ、自転車を停める。すっかり日も暮れた公園の入り口で、スポーツバッグから木刀を引っ張り出した。
「公園の中にいるのは確かなんだよな」
(うむ。昨日より気配がはっきりしておる)
『こちらももうすぐ着きますから、くれぐれも無理はしないでくださいよ』
駅前辺りで息切れした会長たちは、タクシーを拾ってこちらに向かっているらしい。釘を刺す先輩に答えようとしたとき、クロの声が割り込んできた。
(奴が動き始めた。此方に向かってくるぞ)
「んじゃ、ここで足止めに挑戦してみるんで、急いで来てください」
携帯電話をポケットへと仕舞ったとき、十字架の鎖が小さく音を立てる。
歩みを止めて坂道の先を見上げれば、紅い気配を漂わせる人影がひとつ。薄手の白いパーカーにショートパンツ姿の装いは、その気配さえ無ければ散歩中の通行人だと思ったかもしれない。
「でもこの匂い、勘違いしようがないぜ」
鉄臭い気配が辺りを包み込んでいく。嗅いだことはないけれど、これが血の匂いって奴だろうか。
ゆっくりと近づいてくる相手が、公園の街灯に照らされる。フードを深く被っていて、その表情は窺えない。パーカーのポケットに入れられた両手のどちらかには、件の万年筆が握られているのだろう。
木刀を正面に構えるのと同時に、背後から一陣の南風が通り過ぎていく。
パーカーのフードが風にあおられて、茶色がかった短髪が露わになった。街灯の光を背にしているけれど、相手が誰なのかは先生から聞いている。
これ以上は放っておけない。
「いま助けるから。もうちょい耐えてくれよ、仁谷」
ここで、決着をつけてやる。
○
あと五、六歩近付けば木刀の間合いに入る距離で、ポケットから出された左手には見覚えのある万年筆が握られていた。
俺に向かって大股で一気に接近しつつ、怪我をしているはずの左手が躊躇なく振り上げられる。
「──っざけんな」
(来るぞ!)
瞬きの後、そこに見えたのは血塗られた両刃の長剣。赤の混じった白刃が振り下ろされ、それに対して木刀を横向きに構えて迎え撃つ。
実体の無いはずの刃がぶつかり、聞こえるはずの無い鋼の音が耳に響く。ちゃんと受けられたみたいだけど、これは心臓に悪い。手に持っていたのがただの木刀なら、止められなかったに違いない。
刃を押し返そうとするよりも速く、仁谷は左手を引き戻しながら一歩下がった。上体が左手の方に傾いて、間髪入れずに外側から横薙ぎの一撃がやってくる。
急いで縦に構え直した木刀に、ふたたび金属音が打ち鳴らされた。体勢が整わず圧力に負けた左足が一歩、横にずれる。
くるりと一回転して、反対側から一撃。みたびの剣戟。今度はきっちり受け止める。
動きは大雑把で大して速くもないけれど、無機的な動きは操り人形のようで、どうしても対応が遅れてしまう。
(避けるか、受け流すのだ)
クロの言いたいこともわかるけれど、それはなかなか難しい。中学に剣道の授業は無かったし、もちろん道場に通ったこともない。クロの能力で戦闘力アップということもなく、つまるところ俺はずぶの素人なのである。
とはいえ、このまま受け続けていても先に体力が尽きるのはこっちだろう。なんとか動きを止めないと。
打ち下ろしと薙ぎ払いを何度も受け止めつつ隙を窺う。こっちの左手にぶら下げた白い十字架は、気休め程度にもなっていない気がする。
クロを使った戦い方をきちんと教わった方が良さそうだな、と余計な考えがよぎった瞬間、仁谷の動きが変化した。
半身になりつつ左手を後ろに引き、刃の先端をまっすぐこちらに向ける。
「突き、かよッ」
倒れこむように右に避けようとしたものの、勢いよく突き出された剣を避け切ることはできなかった。
左肩を焼けつくような痛みが貫く。一瞬だけ呼吸が止まり、堪え切れずに声が漏れる。気力を奪われ、力が抜けるような感覚が全身を流れていく。
「か、はッ」
(我を手離すな。上から来るぞ!)
肩の痛みに意識が向いた矢先に、クロの警告が響いた。痛みを堪えて木刀を振り上げると、右手に確かな手応えが届く。
いつの間にか閉じていた目を開いて前を向けば、そこには長剣を弾かれて姿勢を崩した仁谷の姿があった。
この機会を逃したらもう勝ち目は無さそうだ。こうなったら、いつもアキにやってる方法を試してみるか。
萎えかけていた足を一歩踏み出し、クロのおかげか痛みの消えた左手を伸ばす。俺の動きに気付いた相手が後退する前に、パーカーの襟を掴む。仁谷が俺の手を振り解こうともがくのには構わず、仰け反りながら身体を引き寄せる。アキより背が低くて助かった。
近づいてくる彼女の顔に表情はない。歯を食いしばり、首に力を込めて頭を前へ。
額と額がぶつかって、鈍い音と衝撃が直接頭に響いた。痛い。取り憑かれてる奴は基本、頭突きに備えて身構えたりなんてしないから上手くいくとは思ってたのに、これは痛い。仁谷の奴、首鍛えてたのか。そういえば空手部だって言ってたっけ。
もう一発いっとこうかと視線を動かすと、視界の片隅で万年筆が宙を舞っていた。膝をつき、倒れ込む仁谷が頭を打たないように支えつつ、木刀を握り締める。
(オリトよ、行けるか)
「それはこっちの台詞だろ」
仁谷を地面に寝かせてから、少し離れた場所に落ちた万年筆へと速足で歩み寄る。ふと気になって左肩を見れば、傷を負った様子は無かった。やはりクロが呪いを打ち消したんだろう。疲労感と、わずかに違和感が残っているだけだ。
右手を軽く振り上げる。目標が小さいので、大振りだと当たらなさそうだった。保国先生には悪いけど、こいつに一発喰らわせてやらないと気が済まない。《魔剣》なんだったら多分これくらい大丈夫じゃないかな。きっと。
「これで、終わりだ」
黒い木刀を万年筆に叩きつけた瞬間、甲高い音が耳をつんざいた。たまらず耳を押さえようとした左手が動かない。左手だけではなく、全身が金縛りにあったように固まっていることに気付いた直後、辺りが白く染まり始めた。
見回せば、公園の入口の方から拝島会長が走ってくるところだった。会長が来たんなら、そう悪いことにはならないだろう。そう考えながら、俺はひとまず目を閉じた。




