拾弐、夏の夜に兆す
奥能登山中で局所的な地震が発生し、それによる地割れの影響で、建設会社の従業員が軽傷を負った。要約するとそんな内容の記事が、地方新聞の片隅に掲載されている。
「表向きにはこんな感じで、なんとか誤魔化せそうな雰囲気です。工事を再開するまでにはまだいろいろ調査が入るでしょうけれど、ここから先は自分たちとは無関係な話ですかね」
月曜日の昼休みに保国先生からの呼び出しを受けた伝奇同好会のメンバーは、保健室の前で阿倍野先輩が持ってきた新聞を囲んでいた。ドアには“診察中”のプレートがかけられていて、どうやら先客がいるらしかった。
先輩の横から顔を近づけて記事を読んでいたアキが、不満気そうな表情で姿勢を戻す。
「お手柄高校生! とか書いてないなー」
「僕たちは全く関与していないことになっているよ。名前が出ると面倒なことになるからね」
確かに。私有地に勝手に入ったこととか、重機を破壊したこととか、拝島会長が車を運転したこととか、あれもこれも有耶無耶にしておかないと不味そうだ。
「じゃあ、これで調査は終わりってことっすか」
「そうなってくれると有り難いんだが、僕はいろいろ聴取されそうだねえ。まったく、あんな大物がいるのだったら、さっさと本部に──」
会長の話を遮るように、がらりと保健室のドアが開いた。会長は口を閉ざし、先輩は新聞を折り畳む。上級生らしき女子生徒と入れ替わりに、俺たちは部屋に足を踏み入れる。
半分以上をベッドに占領されている保健室の奥、カルテをファイルに収めている保国先生に対して異口同音に挨拶をする。
先生はボールペンを机に置き、丸椅子を軋ませながらこちらを向いた。背筋を伸ばして腕を組み、俺たちを見下ろすように睨んでくる。俺たちの方が目線は上なのに、結構な威圧感だ。
「よし、来たなお前ら。沙汰を言い渡すぞ」
切腹とか市中引き回しの上とか何とか言い出しそうな台詞だ。白衣を脱いだら桜吹雪の刺青が、とか似合ってて洒落にならない気がする。
「お前らの活動とは直接関係無かったとしても、同行していた女子が怪我をしているからな。今週いっぱい、テストが終わるまで伝奇同好会の活動は禁止ってことになった。放課後に集まるのは無し、だな」
「はい、わかりました」
先生の言葉を予想していたのか、会長は間を置かずに答えた。先生は頷き、話を再開する。
「鍵を没収したらどうかって話もあったが、そいつは見送りになった。これまでの活動成果と相殺ってとこだ」
それを聞いて、阿倍野先輩は安心した表情になった。あの物置が使えなくなったら、先輩が大量に持ち込んだ資料の行き場が無くなってしまうしなあ。
「仕方ありませんね。レポートは家で書くことにしますよ」
「同好会に関してはこんなところだが……そうだ、兼塚に縁部。昨日、お前らの荷物の中に俺の私物が混ざってなかったか?」
唐突に振られた話題に、俺とアキは顔を見合わせる。
スポーツバッグの中身はどうしたっけ。確か、着替えだけ出して洗濯機に放り込んだ後、そのまま学校に持ってきているような。
「んー。無かったです。たぶん?」
「俺も見てねっすよ。きっちり確かめたわけじゃないっすけど」
「そうか、違うか……まあ、とにかく今日はまっすぐ帰れよ」
いつもと違って感情の読めない表情で、私物が何なのかはっきりしないまま、話は切り上げられてしまった。
先生は俺たちを追い払うように軽く右手を振ると、机の上のファイルへと向き直った。
○
それからの数日は、何事も無く過ぎていった。梅雨明けはまだ宣言されていないけれど、今週は雨もなく、晴れ間も見えるようになってきている。日本海側でも比較的穏やかな内海沿いの地域にも、少しずつ夏らしさが訪れつつあるようだった。
ここ最近、放課後は毎日のように校舎裏に通っていたので、いざ行けないとなると少しばかり物足りない感じがした。なんとなくテンションが上がらないというか、調子が出ないというか。
隣のクラスの仁谷は元気なようだ。とはいえ彼女とは、病院だとか用事だとかであれからちゃんと話せていない。阿部野先輩の報告書が書き上がったら、忘れずに見せないとな。
そんなこんなで、期末テストも残すところあと一日となった金曜日。いったん家に帰って夕方まで勉強した後、自転車で温泉街のコンビニまで行き、雇われ店長に挨拶をしていつも通りに仕事を始める。
阿倍野先輩から紹介されて、中間テストの後から始めたバイトもようやく慣れてきた。品出しの作業も最初はよく分からなかったな、と思い返しつつカップ麺を補充していく。
それほど広くない店内を見回せば、半分以上が地元の特産品や土産物で占められていて、コンビニというより駅の売店といった雰囲気がある。レジの向こう側には店長の茶髪が見えている。丸椅子に腰かけて、携帯電話を弄っているんだろう。
「店長、補充終わりました」
「はいお疲れさん。八時過ぎたからそろそろ上がってな」
携帯電話の画面を見たままおざなりに左手を上げた店長の後ろを通って、狭い休憩室に入る。外したエプロンをかごに放り込み、スポーツバッグを拾い上げて店内に戻る。
「それじゃあ、失礼しまっす」
「はいまた来週、じゃないか。休むんだっけ?」
「火祭りの手伝いがあるんで。七月中は能登島の実家にいる予定ですけど」
「あぁ、向田の」
携帯電話を操作していた手を止めて、店長は「しゃあない、博の奴に頼むか」と呟いた。ヒロシっていうと、阿倍野先輩のことか。
「で、来月は大丈夫かな。お盆辺り忙しいんだよ」
「たぶん暇なんじゃないかと」
「なら追加で入ってもらうかもしれんから、考えといてな」
「うっす」
しかし、高校生になっても夏休みに何の予定も無い、というのは微妙じゃないか。せっかくだから海とか山とか、とにかく遠出したい気がする。クラスの連中はどうするんだろう。そういえば、先輩たちは火祭り見に来るだろうか。
そんなことを考えながら店長に軽く頭を下げて外に出る。自動ドアが開くと、冷房ですっかり冷えていた身体を生温かい空気が包み込んできた。
○
県道を走って市の中心部に戻り、駅の西側、近所のカレー屋で晩飯を食べ終わったのが九時少し前のことだった。
店を出て自転車に乗ろうとしたときに、ふと気になってスポーツバッグに手を伸ばす。今、この半月ほどですっかり聞き慣れた声がかすかに聞こえたような。
黒い木刀に触れた状態で、自転車の鍵を探しながら小声で話しかける。
「もしかして呼んだりしたか、クロ」
(どうやら届いたようであるな。単純な意志であれば、この距離なら伝わるようで──)
「いや、どういうことだよ」
周囲を見回して、誰もいないことを確かめる。よし、携帯電話は必要ないな。
(力が安定してきたのでな。少し気になることがあった故、試しに呼びかけてみたのである)
「気のせいかと思って無視するところだったぜ。ってか、何が気になるって?」
(うむ。先程から強い気配を感じるのである。もう少し近付かねば、はっきりとせぬが)
それは困った。帰って勉強しようと思ってたけれど、わざわざクロが知らせてきたものを放置するのはまずそうだ。
「どっちから気配がするかはわかるか。山の方とか、駅の方とか」
(大体の方角は分からなくもないが、そもそもこの辺りの地理には疎いのでな)
あー、そっか。移動中は基本的にバッグの中だもんな。自分で歩きまわってたわけでもなし、分かるわけないか。
でもそうなると、とりあえず走り回ってみるしかなさそうだ。
「どうせパワーアップするんなら、空耳と勘違いするような“呼びかけ”なんかじゃなくて、もうちょっとカーナビっぽい感じで頼むぜ」
(それは《魔剣》に求めるものとは違う気がするのだがな)
「“この先五十メートル、左です”とか」
(お主もう適当に言っておるだろう)
まあ、冗談はこれくらいにしとくとして。
「俺の正面に対してどっちの方かってのだけ教えてくれ。できるか?」
(長丁場にならなければ、恐らくは。主も聞き逃すでないぞ)
何にしても、走ってみないとどうにもならない。急いで鍵を外し、自転車を押して飛び乗った。
○
クロの指示に従って、やってきたのは駅の北側にある広い公園だった。俺は黒い木刀を右手に、元は前田家の城が建っていたという小高い丘を登っていく。
まばらな外灯に照らされた夜の公園は静かで、誰かがいるようには思えなかった。南側の石垣の上からは市街地の夜景が見えるので、今日みたいな天気のいい週末には、その辺りに人はいるかもしれないけれど。
「公園の中から気配がしてたのは確かなんだよな?」
(うむ。先程までは、だが)
辺りを一回りして場所を特定し、自転車を止めていざ公園に入ろうとしたとき、気配を感じられなくなってしまったらしい。
ここまで来たからには一応調べておいた方がいいだろうと公園へと足を踏み入れたはいいけれど。
「広いし暗いし、どうしたもんかな」
(怪しい所から調べていくしかなかろうな)
「なんかこう、もーちょっと便利な機能は増えてないのかよ。“十時の方角に複数の生体反応あり”って感じにさ」
(また無茶を言う)
期待して言ったわけじゃないけれど、なんて使えない奴だろう。せめて最初に調べる場所だけでもこいつに決めてもらうか。
(オリトよ。何故、我を地面に突き立てておるのだ)
「こういうときの儀式だよ。すぐ終わるからな」
何か言いたそうなクロを無視して手を離す。支えを失った木刀は、重力に逆らうことなくあっさりと倒れ、進むべき方角を示してくれた。
立ち並ぶ桜の木の向こうには、確か池があるはずだ。頭の中で公園内の地図を思い浮かべつつ、木刀を拾い上げた。
「よし、行くか」
(前から思ってるのだがな。どうもお主には、我が《魔剣》であるという認識が足りていないのではないか)
「認識はしてるぜ。これくらいで傷つくような、やわな奴じゃないってな」
(むむ。それはそうであるが……)
クロと会話しつつ柵を越えて芝生を抜け、池に向かって歩いていく。
しばらく進んだところで、草を踏む音に混じってかすかな呻き声を耳にしたような気がして、足を止めた。
息をひそめて耳を澄ましてみたものの、それらしい声はもう聞こえなかった。
「何か感じるか」
(正面に人の気配があるな。全く動かぬし、随分と弱い気配だが、これは怪我でもしておるのか)
となると、立ち止まってても仕方ないか。
辺りを気をつけながらまっすぐ進んでいくと、小さな池がわずかな光を反射しているのが視界に入ってくる。
目を凝らしてようやく、池の手前の小道に倒れている人影に気がついた。
近づくほどにはっきりしてくる状況に、顔が強張ってしまう。
うつ伏せに倒れているのはランニングウェアに身を包んだ男のようで、着ているシャツや周りの地面は赤黒く染まって見える。
これは何の冗談だろう。すぐそこに見えている事態に思考が追いつかず、身体が動かない。
「なあ、クロ。こういうときって、どうすりゃいいんだっけ?」
(それを我に聞かれてもな。先日の対応に倣うのなら、車に乗せて病院に運ぶのではないか)
「免許も車もねえっての。いや、そうか、救急車か」
ポケットの中から携帯電話を取り出すためにスポーツバッグを地面に置く。
「それならもう、呼んであるよ。オリト君」
「うわッ」
いきなりかけられた声に、慌てて振り返る。暗がりの中から歩み出てきたのは、制服姿の拝島会長だった。
会長の手には携帯電話と呪符の束が握られている。長い黒髪は乱れ、息は荒れており、全力で走った後のようだった。
「一体、何があったんすか。こんな血まみれの……ってか、死んでないっすよね」
「ん? ああ、君にはそう“見える”んだね」
その言葉にもしやと思い、倒れている男の方に向き直った。
少し近付いてよく見てみても、白いはずのシャツは確かに血で染まっているように“見える”。けれど、俺の鼻はそれらしい臭いを一切感じ取っていない。
「……会長、実際はどんな感じっすか」
「散歩中だったと思わしき中年男性が意識を失って倒れている。外傷を負ってはいないが、強い“呪い”を受けて衰弱しているようだ。おそらく、君はその“呪い”を傷として視認しているのだろう」
「背中をばっさり斬られてるように見えるんすけど」
会長は俺の横を通り過ぎて、被害者の側に片膝をついた。呪符を持った右手が、背中の上の、赤の濃い部分をなぞっていく。
「この辺り、かな。爪を持った獣か、妖刀魔剣の類か」
「暗くてはっきりしないっすけど、爪で引き裂いたようには見えないっすね」
「ふむ」
こんなの初めて見るけれど、下手したら命に関わるような“呪い”じゃないだろうか。
クロが感じていた強い気配というのがこの“呪い”の元凶なのだとしたら、そいつは一体どんな奴なんだろう。
「すまないが、詳しい説明は明日でも構わないかな。さすがに今夜はもう安全だろうし、この人を放っておくわけにもいかない。明日なら部室も使えるしね」
会長はそう言うと、呪符を男の背中に貼り付け、その上に両手をかざした。
この状況で俺にできることは、大人しく見守っていることだけだった。




