九、鬼門の守護獣
村落から少しばかり川を下り、山の東側へと続く分かれ道へと入ると、舗装されていた道路はすぐに土がむき出しの状態へと変化した。
左右を見れば、新緑の木々が山の斜面を埋め尽くしている。天気予報通りに雨は上がり、朝霧も晴れてきてはいるものの、冷たく湿った空気と所々ぬかるんだ地面は快適とは言い辛かった。
日曜日。携帯電話のアラームを止めて再び布団に入り込んだところで、阿倍野先輩に蹴り起こされた。簀巻き状態で手が出なかったのだから、まあ仕方ないだろうとは思う。
軽い朝食に加えて昼食用の弁当まで頂いてしまった伝奇同好会の一同は、仁谷の祖母に夕方までには戻ると告げて、薄曇りの中、山間の道を歩き始めていた。
「この先、倒木あり、通行注意、ね」
道路の脇に立てられていた看板を読み上げる会長の声が、後ろの方から聞こえてくる。休憩無しで一時間近く歩いていたためか、会長やアキの歩くペースは落ち始めていた。同行している仁谷の方は余裕があるようで、かなり前の方で立ち止まってこちらを見ている。
「ちょっと休憩しますかー?」
振り返って声をかけてみたものの、会長は首を横に振った。長い髪を邪魔そうに除け、ペットボトルの水を飲んで息を整える。その横を歩いているアキも、黙ってはいてもまだ行けそうだ。
「ひとまず倒木のところまでは行ってみようじゃないか。日曜日だから大丈夫だとは思うけれど、あまり遅くなると人が来るかもしれない」
「確かに、交渉事となると面倒ですね」
地図を見ながら俺の隣を歩いていた阿倍野先輩が言う。
一応、山の社の実地調査という名目はあるものの、高校生だけのグループが信用されるかは微妙なところだろう。
「俺と仁谷で先に行ってましょうか」
「それなら、アベノ君の無線を持って行きたまえ。あまり離れると通じなくなるから気をつけるんだよ」
「うっす」
先輩が肩から下げていた無線機を受け取って、速足で仁谷に接近する。ハンチング帽を取って蒸し暑そうに首筋を仰いでいた彼女は、再び歩き始めながら問いかけてきた。
「縁部君って、体力ある方なんだ?」
「普通だよ。別にスポーツとかはやってないし」
足は速い方じゃないし、武術とか武道とかにも縁は無かった。あえて挙げるとしても、持久走が苦にならない程度の忍耐力があるくらいだろう。
時折言葉を交わしながら、緩やかな上り坂を進んでいくと、とりあえずの目標地点が遠くに見えてきた。
○
道を完全に塞いでいたという倒木は、すでに半分ほどが撤去されていて、小型の車ならなんとか通れそうな状態になっていた。山側に残っている倒木はすぐに片付けられなかったのか、工事用のバリケードで囲まれている。
辺りに人の気配が無いことを会長に報告した後、背負っていたリュックから黒い木刀を引っ張り出した。
(出番、であるか)
「そろそろ、な」
小声でクロに答えていると、道の先の様子を見ていた仁谷が戻ってきて、また話しかけてきた。
「そういえば、その木刀いつも持ってるけど」
「あー。護身用っつーか、杖代わりっつーか。ほら」
すっかり挙動不審である。一般人相手の言い訳を考えるのをすっかり忘れていた。
伝奇同好会に入り浸っているとその辺が疎かになっていけない。
(なんだ。この短髪娘には話せぬ事情があるのか?)
「だってお前《魔剣》ですなんて言えるかよ恥ずかしい」
「まけん?」
言っちゃったじゃねえか。いつもの調子で話しかけてくるから、つい声に出してしまった。
「ま、魔除け、な。こいつで悪霊退散、みたいな?」
「へえ、凄いね」
答えが疑問形になったことは気に掛けず、珍しい物を見るような目つきで木刀を観察する仁谷。
「……“クロちゃん”って名前なんだっけ?」
「何でそれを、って、アキから聞いたのか」
会長や先輩が話すことは無いだろうし、犯人はあの馬鹿しかいない。
仁谷は苦笑しながら、アキの口調と仕草を真似て喋り始めた。
「『クロちゃん持つとなんかオートなのよ。いつもより姿勢が良くなって動きがシュパーって』って、お風呂で。よくわからなかったから、縁部君に聞こうと思ってさ」
なるほど一緒に入ったんですね。アイツめうらやま、じゃねえ、アキが馬鹿で良かった。
「ほら、武器を持つと人格変わっちゃう奴っているじゃんか。アキはそんな感じな」
「ははあ。兼塚さんがねえ」
適当な話に対してそんなもんなのかと納得する仁谷に、少しだけ罪悪感を感じてみる。
昨日の先輩といい、伝奇同好会に対する印象が駄目な方に向かってる気がするけど仕方ない。戦いに犠牲はつきもの、わが身が最優先なのだ。
○
バリケードの手前に立ち、目を閉じて静かに立っていた会長が、何分か経ってようやく口を開いた。
「この先に大きいのがいるな。これはちょっと、放置しておくと危険かもしれない」
「こっちはまだ何も感じてないみたいっすけど」
「まだ少し距離があるからね。あとは、この結界が問題か」
会長が示す先には、バリケードしか見当たらない。地面を調べていた阿倍野先輩が、しゃがんだ姿勢のまま言葉を挟む。
「もしかして、その倒木が結界の象徴、ということですか」
「その通り。自らの縄張りを主張しつつ、恐らくは侵入者を感知する。憑依されたら事だし、まずは予防しておこう」
会長は鞄の中から細長い便箋の束のようなものを取り出すと、そこから何枚かを引き抜いた。小さな声でぶつぶつと呟きながら、その紙をアキと仁谷に手渡していく。呪文のようなものが描かれた紙は、わずかに白く輝いて“見える”。
確か、気配を隠す“隠形符”だったか。中間テスト前の事件では、俺もお世話になったのだが。
「会長? 俺のは?」
俺にも渡されるだろうと思っていた呪符は手元に届かず、思わず口にした問いかけに、会長は困り顔を見せた。
「クロ君の気配は独特でね……こいつではちょっと、抑えられそうにないんだ」
「ってことは、つまり?」
「僕たちが先行するから、合図をしたらオリト君も入ってきたまえ。君が相手の注意を引きつけている間に、僕たちが奥を調べよう」
「なるほど、囮と言うことですね」
先輩の実も蓋も無い要約を聞いて、俺も状況を理解した。いやいや、ちょっと。
「いや、だって、木をこんなにしちゃうような奴っすよ」
怪我人だって出てたはずだ。さすがにひとりで相手をするのは無茶振りすぎる。
「奥までは来なくても大丈夫だし、戦う必要はない。結界から出れば積極的に追ってはこないだろうから、危険だと感じたらすぐに離れたまえ」
「……クロをここに置いていくってのはどうっすか」
(なんと、正気か?)
木刀から抗議の声が聞こえてくる。でも、一応は聞いておきたいからさ。
「そういう手もあるけれど、できれば奥に行くまでに相手の反応を見ておきたい。それに、切り札が誰かの手にあった方が、僕の方も安心して先に進める」
「そっすか」
「そうだよ、オリト君」
真面目な顔でそこまで言われると、男としては断れない、かな。
○
通信機のスピーカーが雑音を発し、すぐに会長の声が聞こえてくる。
『……この辺りが通信できる限界かな。そろそろ準備をしてくれたまえ。どうぞ』
「了解です。どうぞ」
ノイズ交じりの声に答えたのは、俺じゃなくて仁谷だ。木刀と無線機を同時に扱うのは大変だろう、という至極真っ当な提案に、アキ以外は全員賛同したのである。
アキは「じゃ、じゃあそれは私が」とか言っていたけど、無線機の使い方を知らず、“山神さま”が出てきたときに会長と一緒にいた方が安全だろう、ということで却下された。
気配を隠して先に進んでいるのは、拝島会長、阿倍野先輩、アキの三人で、そろそろ木陰に身を隠している頃だろうか。
「縁部君、大丈夫?」
「ああ。悪ぃな、付き合ってもらって」
「いいってことよー。今もまだ半信半疑だけど、“伝奇同好会”に相談して良かったとは思ってるよ」
テスト勉強もできたしね、と笑顔で語る仁谷に、どう答えたものかと悩んでしまう。
「そういうのは、全部終わってから、」
『こちら配置についた。少しだけでいいから、進んでくれたまえ』
無線機からの合図に、俺たちは自然と正面に向き直ってしまう。
「ここで待ってていいぜ」
「このお札があれば気付かれないんでしょ。一緒に行くよ」
無線に応答した仁谷は、さっさとバリケードの向こうへと歩き始めてしまった。慌ててその後を追いかける。
倒木とバリケードの横を通過して、さらに一歩踏み出す。
──辺りに、鈴の鳴る音が響き渡った。
「さっそく気付かれたか」
(であるな)
空気の変化を感じ取ったのか、辺りを見回している仁谷を追い越して、何メートルか進んだところで立ち止まる。
時折聴こえていた鳥の声もぱたりと止んでいて、風も無いために何の音も聞こえない。
しばらくして、通信機から会長の声が流れてくきた。
『狛犬か動いた。そろそろ前を通り過ぎるが、しかしこの音は……これは、ッ』
強くなったノイズに先輩の声がかき消されるのと同時に、遠くから低い音が聞こえてくる。道の先から何か重い物が、唸りを上げ、砂利を踏みしめながらやってくる。
聞き覚えのある音だ。しかし、これは“狛犬”のイメージとは程遠い。
(やはり此方を排除するつもりのようだぞ)
「ああ。仁谷、隠れてろ」
「え、でもこの音って」
彼女にも聞こえているということは、近付いてきているのは“実体のあるモノ”だ。木刀で対抗できるか怪しくなってきた。
(来るぞ!)
その言葉の直後にカーブの向こう側から姿を見せたのは、橙と黒に塗り分けられた、長い腕と無限軌道を持つ重機だった。
進行方向を修正してこちらに迫ってくるショベルカーに重なるように、ライオンのような姿の白い獣の姿が薄く見えている。
何だそれ。でかすぎだろ。
「ちょっと!」
「うわッ」
近づいてくる脅威の前に固まってしまった俺の身体を、仁谷が揺さぶってくる。そうだ、逃げなければ。
道を戻るには遅すぎると判断して、林の中へと走り込む。続けて、仁谷が俺の横に飛び込んでくる。
突進してきたショベルカーは、その勢いをすぐには止められず、倒木へと突っ込んでいく。
バリケードが跳ね飛ばされ、倒木が割れる音が聞こえる中、青ざめて強張った表情の仁谷を見る。俺も似たような感じだろうか。
「わりぃ、助かった」
「あれって、どういうこと?」
彼女はショベルカーの方を見たままだ。つられてそちらに顔を向けると、がたがたと揺れる傾いた車体の運転席で、キャタピラに食い込んだ倒木をどうにかしようとアームを動かす人影が目に入った。
白い“狛犬”は、重機の動きに合わせて暴れている。あれはショベルカーを操ってるんじゃなくて、運転手に取り憑いているのか。
アームの向こう側に見え隠れする運転手の姿が、《黒小人》に取り憑かれたアキと重なった。
「──ッ」
考えるより先に足が動く。再び道路へと飛び出して、右手の木刀を“狛犬”の後ろ足へと叩きつける。
硬い手応えと共に、手首に痛みが走った。“狛犬”にかわされた木刀は、ショベルカーの車体に跳ね返されている。
「いッてェ」
痺れて木刀を取り落としそうになった右手を左手で押さえ、距離をとるために後ろに下がろうとしたとき、クロの声が響いた。
(頭を下げよ!)
言われるままに屈みこむ。車体が旋回する音と、恐らくは頭上をアームが通り過ぎていく気配に、まばらに降り注ぐ木屑。
危険を示す警告音を響かせながら、アームの先のバケットが地面に突き刺さった。
斜めに深く刺さったためか、運転手の操縦に反してアームを震わせるだけになったショベルカーを警戒しながら、立ち上がってクロを構え直す。
「どうすんだこれ!」
(中の人間を、どうにかするしかあるまい)
やっぱりそうかよ。だったら、こいつが動けないうちになんとかしないと。
そう考えながらショベルカーに近付いていくと、横から俺を追い越していく人影があった。
「てやッ」
掛け声とともに車体に飛び乗ったのは、仁谷だった。被っていた帽子は見当たらない。どこかで落としてしまったか。
「おい、仁谷!」
「こいつ、引っ張り出すんでしょ」
そう言いながら、仁谷は運転席のドアを開こうとする。前方に見つけたドアノブに手をかけたとき、空回りしていたキャタピラが倒木の山を崩し、車体が大きく揺れた。
ロックされていなかったのか勢いよく開いたドアにぶつかって、仁谷は足場と手掛かりを失って空中に放り出される。俺が反応する間もなく、彼女は背中を倒木に打ちつけられた。
息を吐き、苦痛にあえぐ仁谷を気にしつつ、傾いた車体の横に回り込む。運転席を見上げると、作業服を着た男が姿勢を立て直そうともがいていた。
車体に肘を乗せてよじ登り、昇降用のバーを掴んで身体を引っ張り上げる。左手に持ち替えたクロを、虚ろな表情の男の腕に向けて振り下ろした。
──そして、視界は暗転する。




