零、(自称)伝奇伝承研究同好会(以降、伝奇同好会とする)部室にて
校舎裏の物置だった場所を勝手に使っているため、伝奇同好会の部室は換気が悪い。それに加えて、梅雨に入ってからの長雨が湿度を高めている。寿命が近い蛍光灯の光は心もとなく、お世辞にも健康的とはいえない雰囲気を醸し出している。
ひっきりなしにトタン屋根を叩く雨音は弱まる気配を見せず、翌日の天気を心配する会話を耳にして、会長たる拝島霙子は読んでいた地方新聞の記事から目を上げる。
「……ああ、そうか。一年生は明日から研修旅行なのだね」
「エーコ先輩のときも京都と奈良でしたー?」
「僕はどうにもタイミングが悪くてね。修学旅行の類には一度も参加できていないんだよ」
「ありゃあ……」
「まあ、いいんだ。京都も奈良も地元みたいなものだから。それより、二年生の夏には東京に行けるらしいから、そちらも楽しみにしておくといい」
会長の背後では、動かなくなってから何年も経っているらしい換気扇を相手に、二年生の阿倍野博が分の悪い戦いを挑んでいる。その手を止めて、戦略的撤退をするべく脚立を慎重に降りながら、彼は会話に参加する。
「将門の首塚に渋谷川も見に行きたいんですけど、どうやら無理みたいですね。行くのはスカイツリーとか、ネズミの国とかのようで」
「そりゃあ、修学旅行で見に行くような場所じゃないしねえ」
狭い部室の中央に置かれた長机を挟んで反対側。メガネを輝かせ、パイプ椅子をがたん、と勢いよく後ろに転がしながら立ち上がったのは、一年生の兼塚亜輝である。
「お、おおー! ランド? シー?」
「アキ、落ち着け。一年以上先の話だぞ。それより明後日の予定だろ」
もうひとりの一年生、縁部織人は長机の中央で、机の上に広げた観光ガイドブックを眺めたまま、顔を上げずに突っ込みを入れる。
「なんだ、オリト君。まだ自由行動の予定が決まってないのかい」
「ええ、まあ。奈良は二日目だから後でいいやと思ってたら、つい。いつの間にか」
「ふむ」
拝島霙子は手に持っていた新聞を畳むと、腕を組んで天井を見上げ、暫し思案する。彼女の前には、切り抜かれた新聞記事が散乱している。
「どちらにしても、君たちは用心しておいた方がいいな」
「あー。結構、いたりしますかね?」
「人が多い所は“想い”が集まりやすいからね。幽霊、精霊、付喪神。大抵は人畜無害だが、神仏や神使を騙るような奴は要注意だ」
手に持っていた工具を片付けて、ステンレス製の棚に寄りかかった阿倍野博は、会長の発言を補足する。
「兼塚クンは特に、感受性が強いですからね。そういうモノに触らないようにしないと、大変でしょうね」
「うえぇ」
先輩の言葉を聞いて、兼塚亜輝の顔から喜色が消え失せる。ゆっくりと膝を折り、机に突っ伏して小声で呟く。
「取り憑かれるのは、ちょっとなあ」
「あのなぁ。お前は覚えてないから『ちょっとなあ』で済むんだよ。毎度毎度、振り回される俺の身にもなってみろ」
「ま、別行動はなるべく止めておくんだね。御守りを貸してあげるから“見える”オリト君が気をつけてあげなさいな」
「んなこと言われても……」
縁部織人は眉根を寄せる。
そう。俺がどんなに気をつけたって、どうにもならない場合が往々にしてあるのだ。