第28話:黒幕
「かんぱーい!!」
ガラスのぶつかる音と共に、数人の声が重なり合い、辺りにこだました。文化祭を無事終えた演劇部を含めた俺たちは、打ち上げと称して学校近くのファミレスに来ていた。
「…とにかくみんなお疲れ様だったわね。素敵だったわ…とても」
帷原部長がこのように部員を労って褒めることは珍しいらしく、部員達の表情はほっこりとしていた。もちろん、茗や楓も例外ではない。
「部長のおかげです!私、結構勢いで演劇部に入っちゃったから、ちゃんと演技できるのかなーって心配だったんですけど、なんか自信ついちゃいました」
「水無月さん。勢いだったんですね」
突然の茗のさらっとしたカミングアウトに、楓は若干ガッカリといった表情を見せたが、それでも今日の事を思い出すかのようにうっとりとした表情で、嬉しそうにしている。
「あなたたちにも…、面倒をかけたわね…」
「いえ、そんな。別にあたしは何もしてないし」
なんだかんだで沙織もすっかり演劇部に馴染んできてしまってはいるが、それでも少し遠慮がちで控えめな態度だ。いつもの沙織からは想像も出来ないほど大人しく、物言いも丁寧である。
「ところで樋口君、結局犯人は誰だったんですか?あれだけの騒ぎを起こしたんですから、ちゃんと謝って罪を償うなどの誠意をみせていただけないと納得出来ませんよ!」
本番前は咄嗟に後で教えるなどと誤魔化したが、今になってみると羽稀は珍しく怒りの表情を浮かべている楓を目の前にしても、軽々しくいろんな人に言いふらす気にはなれなかった。ましてや笹原やすみは羽稀にとってはバスケ部のマネージャーで、後輩として大切にすべき部員である。今回の一件でやすみがバスケ部を辞めてしまう可能性は非常に高かったが、それでも演劇部の部員や少なからず今回の事件の一端を知るものに袋叩きにされるだろう事を思えば、そんなことは到底出来るはずもなかった。
どうしたものかと困っている羽稀に気づいたのか、事の全てを知っている沙織もまた、いかにしてこの場を収集しようか思案していた。しかし、口火を切ったのは以外にも帷原まなみであった。
「楓くん、そんなことはどうでもいい事だわ…。私たちは苦行を強いられ見事それを乗り越えた……。あの演出はあの状況でしか作りえないものだし、演劇は変化していくもの……。それに犯人はもう樋口くんが見つけてくれたのだし……。私達が気にする必要はないわ……」
楓はまだ不服そうな表情を浮かべていたが、茗や他の部員になだめられて自分だけが子供のように駄々をこねているように思えてか、渋々納得したようだ。
羽稀は、何故こんなにも無口で無表情なのに帷原まなみがこんなにも絶大な存在感を誇っているのか、何故みんなから信頼されているのか不思議に思っていたものだったが、今になってなんとなくわかった気がした。口数自体は少ないものの、言葉にはいつも重みがあり必要のない言葉をあえて省いているようにさえ感じた。彼女のどんな些細な言葉も、考え抜いてから発言しているかのようにすら思わせる程だった。
「あんたがけしかけたんでしょ」
打ち上げの帰り道、沙織は楓に話があると言って公園に呼び出した。楓はさも何の話をされるのかわかっていないとような顔だ。いつもの生徒会長としての楓の姿である。
「バレましたか?」
涼しい顔でそう答える楓に、沙織は怒りを覚えた。なんでこの男はこうまでも狡猾なのだろう、と沙織は思った。自分の心を見透かされているような気がしていた。
「あたしの前で聖人ぶるのはやめろ。気色悪い」
「クククッ……、そうだったな。俺もこっちの方が楽でいいしな」
眼鏡をとると、やはりその下の顔は遊園地の時に見た冷徹な顔そのものだった。悪い夢ならどんなにか良かったか。この顔を見るまではいつも沙織はそう願ってしまわずにはいられなかった。
「やっぱりそうだったのか。まぁ、あんたしか居ないと思ってたけど」
「それは光栄だな」
つくづく嫌味なやつだ。沙織は心の中で舌打ちをした。
「で、そろそろ俺と組む気になったのか?」
「馬鹿言うな。何度言われたってあたしはあんたとは手は組まない。あんたみたいな下衆な手は使わない」
「お前、相変わらず口悪りーな。これは水無月茗を手に入れるための作戦にすぎない」
「口の悪さをあんたに指摘されたくないね。今日あたしが言いたかったのはそんな事じゃない」
楓は沙織が何を言い出すのか少し楽しみであるような表情だ。沙織が思い通りにならない事をも楽しんでいるのかもしれない。
「樋口羽稀と水無月茗に手を出すのはやめろ。あたしが言いたいのはそれだけだ」
「へぇ、意外だな。二人が別れる事をお前も望んでいるんだろ?だったら協力はしなくても黙って行方を見守るものだと思っていたが」
「あたしが欲しいのは樋口じゃない。樋口の心だ。何にもない真っさらな気持ちであたしの事を見てくれないと意味がないんだよ」
「はっ、綺麗ごとの理想主義だな。お前だって本当はわかってるんだろう。「あの二人を引き裂くのは無理だ」「自分の入り込む隙間なんてない」「自分の事を見てくれない」。絶望してるだろう?」
あの目だ。私の心を見透かすような目。沙織は遊園地での出来事を思い出した。お化け屋敷で恐怖する沙織の手を振り切り、走って行ってしまった羽稀の背中を。
気づくと楓は沙織のすぐ近くまで迫ってきていた。沙織の闇を捉えるような鋭い眼光で沙織の目を覗き込んでいた。
「手に入りそうか?その背中を諦められるのか?」
「……」
諦めたくはない。でも……。
「まぁ、良い。俺は次の手に出る。いつでもお前を待っているよ。思い通りにいかないのもまた一興だ。でも最後は絶対水無月茗を手に入れる、俺はな」
そう言い残して去っていく楓に、沙織は強気な言葉を掛ける事が出来なかった。去っていく楓に、沙織は羽稀の背中を重ねて見ていた。
沙織は、心が虚ろになっていくのを感じていた。