序章「八咫烏」
多くの作品の中からお選びいただきありがとうございます。この作品はフィクションです。実在する個人名、団体名、企業名、商品名、刀剣とは関わりございません。また、都市伝説界隈で聞く秘密結社ともかかわりないことをご理解の上お楽しみください。
序章「八咫烏」
「はっはっはっ。」
ビルの隅間の細い路地を走る男の荒い息遣いが闇に溶けていく。何度が後ろを気にして振り返るうちに足元の段差と疲れから足がもつれて倒れこんでしまう。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・。」
一度足を止めてしまうと体が言うことを聞かない。膝が笑って力が入らない。自分の呼吸と鼓動だけが聴覚を支配する。
震える膝に反して脳内はやけに冷静だ。恐怖におびえながら耳を澄まし、周囲への注意を払う。自分の呼吸と心臓の音以外は何も聞こえない。いや、近くのビルの壁を蜘蛛の巣のように這ういくつもの配管の一つからひたひたと滴る水滴が地面に落ちて弾ける。
不意に首筋に冷たいものを感じる。一瞬、水滴が首筋に触れたかと思ったがすぐにそれが違うものだと分かると男は緊張のあまり呼吸を止める。その冷たい感覚は変化を生じない。水滴であればすぐに流れ落ち、冷たさが移動し火照った体がすぐに体温を戻すはずだ。しかし、その緊張を纏った冷気はその場を移動せず、鋭い冷たさも変わらない。
足を止めたときに一気に噴き出した熱い汗は一変して冷たいものへと変化する。膝の震えも意味を変えている。男はゴクリと固唾を飲む。恐怖に支配された脳に冷静さを取り戻そうと首筋に触れている銀色の三日月のような冷線の方にゆっくりと視線を移す。
それが触れている部分から熱いものが滴り落ちる後を追って痛みが走る。薄皮一枚切れたようだ。怪しく光を放つ刃が視界に入る。
「鬼ごっこはもうおしまいかい?」
「ちゃ・・・た・・・ん・・・。」
男は気が付くと涙を流していた。
今、こんなにみっともない姿を晒していても八咫烏の構成員。裏社会で生きるものとしての覚悟も実力も培ってきたつもりだった。頭では冷静さを取り戻してこの男と対峙しなければならないと分かっているのに心が着いてこない。生存本能に負けてここまで逃げてきただけでも恥ずかしいのに、今恐怖に負けて体が動かないことが悔しい。
恐怖に埋もれる前の理性が男に涙を流させた。
「僕の顔を見てまだ生きてるだけで、君はすごいよ。だから、その誇りを持って・・・」
男が生への執念を手放し、義を選んだ瞬間だった 。男のその腕は背中へ捻られ、関節を決められ動きを封じられる。あまりの手練れの良さに不意を突かれるとそのまま今度は『ちゃたん』と呼ばれた男の首に刃が向けられている。
「そこまで。」
「フフっ、それはどうかな?」
そう言うと男は空中で横向きに回転し、関節の拘束を解き自由を取り返すとそのまま掴まれた腕を振り払う。即座に距離をとり相手を視界にとらえる。
「その体格からしてまだ子供か女の子かい?君もなかなかやるね。僕も楽しいよ。」
「しゃべりすぎだ。」
瞬間、男は何かに気付き身を翻す。と同時に空を切り地面に金属音が響く。男を狙った弾丸が的を外した音だった。
さらに、先ほどまで倒れ込んでいた男もよろよろと立ち上がる。手には短刀を構え目には完全に消えていた闘志の炎が再び小さな光を灯していた。
しかし、男は謎の笑みを浮かべながら、
「やれやれ、さすがに分が悪・・・。」
ボンッ
ガッシャーーーン
男が言い終わる前に近くのビルの1階が爆発し、裏口の窓と扉を破壊して炎を上げる。小さな人影と先ほどまで倒れていた男はその爆風から身を守ろうと腕で顔を覆う。
ほんの1秒にも満たないその間に男の姿は消えていた。
「くっ!やられた!!!」
小さな影の人物はまるでガムを吐き出すように吐き捨てると闇の中に消えていった。
ご覧いただきありがとうございます。本編以降は全話まとめて掲載する予定です。予定としては2026年夏までには完成させる予定です。気長にお待ちいただければ幸いです。




