幕間① 皇女フィレーネ
古竜を退けてから三日後、俺は皇都アルディアに呼ばれた。
正直、気が進まなかった。
三ヶ月前、この世界に降り立ってから、俺は一箇所に留まることを避けてきた。
人助けの真似事をしては、感謝の言葉が重くなる前に次の村へ向かう。
そうして動き続けていなければ、静寂の中に「あの夜の音」が入り込んでくるからだ。
しかし皇命とあれば無碍には出来ない。
これも守護者としての「業務」だと自分に言い聞かせ、俺は重い足取りで玉座の間へと向かった。
広大な空間。
並び立つ石柱。
赤い絨毯。
両脇に控える廷臣たちの目は、救世主を見る熱と、得体の知れない「力」を忌む冷ややかさが混ざり合っていた。
その中に、先日見かけた金髪の黒騎士の姿もあった。
「守護者、キリシマ・レン。前へ」
俺は無心で絨毯の上を歩いた。
褒賞をもらったら、その足でまた旅に出よう。
そう決めていた。
玉座に座った皇帝陛下が口を開こうとした、その時。
隣に座っていた人物と、目が合った。
俺の足が、止まった。
黒髪。
小柄な体躯。
こちらを見る、柔らかな目元。
胸の奥で、何かが軋んだ。
さくら…何故ここに?
いや、違う。
似ているが顔をよく見れば違う。
目の色も、輪郭も、纏っている空気も。
それなのに、俺の中の何かが誤作動を起こしていた。
「我が娘、皇女フィレーネだ」
皇帝陛下の声で、俺は現実に引き戻された。
皇女は静かに立ち上がり、俺を真っ直ぐに見た。
「古竜から都市を守ってくださったこと、感謝します、守護者様」
声も違う。落ち着いていて、芯がある。
「……いえ。俺の役目ですので」
我ながら素っ気ない返答だと思った。
しかし皇女は気を悪くした様子もなく、むしろ少し口元を緩めた。
笑うと、前歯が少し見えた。
俺は視線を玉座に戻した。
心臓は早鐘のように鳴り響いた。
謁見はその後も続いたが、正直ほとんど頭に入らなかった。
褒賞の内容も、皇帝陛下の言葉も。
退出する際、廊下で皇女と二人になる瞬間があった。
「守護者様」
皇女が静かに呼んだ。
「何でしょう、皇女殿下」
「守護者様は、幽世より参られた戦士であると聞きました。これは本当なのでしょうか?」
「どうやらそのようですね、俺にも詳しい事はよく分かりませんが」
皇女は続けた。
「となれば、いずれはそちらに帰られるのですか?」
帰る場所。
血に染まったコンビニの床。
俺という化け物を見て恐怖に顔を歪めるさくら。
「前科者」の烙印による冷たい世間の風。
「……帰る事はおそらくないでしょう、その手立てもわかりませんし」
「そうなのですか。この後はどこかに行くご予定が?」
「またあてもなく放浪しようと思っています」
皇女はしばらく俺を見ていた。静かな優しい目だった。
「でしたら、是非ここにいてくださいませ。現在、我が国は魔王の軍勢の脅威に晒されております。貴方のような有能な方が我が国の守りの要となって下されば、それはとても心強いことです」
「魔王……ですか」
竜の存在にも驚かされたが、今度は魔王ときた。
そんなものがいるとは、ここはいよいよ別世界なのだと強く感じた。
「彼女に関わるな」
心の中で俺は俺にそう言った。
関わればまた、この顔を曇らせることになるだろう。
皇女フィレーネはさくらではない。
顔が似てるだけの他人だ。
俺は冷静であろうとしたが、ひどく混乱していた。
この顔が再び恐怖に歪む……それだけはどうしても耐えられない。
だが、このさくらとよく似た顔の皇女は、今、俺の力を本気で頼りにしている。
それが社交辞令の類ではないことは彼女の口調や表情から見てとれた。
俺は彼女の笑顔に値しない。
彼女と関わってはいけない。深入りしてはいけない。
でも。
それでも俺は。
俺は。
俺はしばしの逡巡の末、答えた。
「……分かりました。殿下のお望み通り、ここで門番でも何でもいたしましょう」
「まあ!それは嬉しいわ!」
フィレーネ皇女は喜んだ。
俺は頭を下げた。
「それではこれからよろしくお願いします、守護者様」
そう言って、皇女は廊下の奥へ歩いていった。
俺はその背中を見送りながら、胸の奥の軋みがまだ消えていないことに気づいていた。
さくらじゃない。わかっている。
それでも、どこかが痛かった。




