青白い女
背嚢のような大きなリュックを背負い、ラムゼンは異世界駅のホームに立った。
「寂しくなるのお」
彼は赤竜のビンへ別れの挨拶を済ませた。
「もうここへは来ないのか」
「そのうちまた顔を出す。あの改札を潜るつもりは、もうないがのお。バベルはもう飽きた。あそこで学べることは学びつくした、もう用はない。それに、いつまでも気狂いなおじんたちの相手などしておれんしのお」
「そういえば、さっきあの迷子が改札へ上がってったぞ」
「戻ってこぬということは、そういうことじゃ」
「上手くいった」
「儂は魔法を教えただけじゃ、使えとは言うとらん」
「だが結果、あの迷子は魔法を使い、あんたの前にまた電車が止まる」
「まあ、確かに上手くいったのお。しかしあの小童め、親切心で“モイライの鋏”までくれてやった言うんに、突き返してきよって」
「純粋なのだろう」
「阿保いうことじゃ。普通はバベルへ通わんと学べん」
「だがむかしのあんたもそうだったんだろう?」
「だからこそじゃ。自分が恵まれとることに気づいとらん。もっとあの魔法を楽しめばよかろうに……お、電車が来る」
線路の遠くに逆様電車の姿が見えた。
「久々じゃ。これで戻れる」
ラムゼンはびっくりしたように目をひん剥き、輝かせた。そして黄色い線の外側へやや身を乗り出し、電車の先頭部を見ようとした。お尻に衝撃を感じた。体がぐらついて前のめりになり、そのまま背嚢といっしょに彼は線路へ頭から落ちた。
「くそぉ、なんじゃ。誰が蹴った。ビン、おまえか!」
ラムゼンは悪態をついた。線路上で両手をつき、起き上がろうとしながらホームを見上げた。
赤いドレスを着た女が立っていた。ラムゼンの鼓膜から音が消えた。血の気が引いた。
「……ミア?」
濡髪の隙間から血眼が見えた。女の口元が笑った。
警笛が鳴り、ラムゼンは線路の先を見つめた。逆様電車が近づいてくる。
「助けっ──」
電車が通過した。ラムゼンを形成していた血肉が、砕けたスイカのようにホームに飛び散った。
エンヴリヲがどこからか天使の羽をはばたかせてやってきた。彼は赤い女の頭に乗った。
興奮したような大声がきこえた。赤竜のビンだった。
「嘘だろ、ラムゼンの呪いが解けてやがる!」
嬉々とした咆哮を上げ、赤竜は大きな翼を広げた。飛び上がるとき、線路上のラムゼンの残骸を振り返り見て、「ざまあみろ」と吐き捨てた。
〇
赤竜が見えなくなってしばらくあと、異世界駅に逆様電車が到着した。扉が開くと大学生くらいの若い女が下りてきた。
女は俯き気味で、肌が蝋細工のように冷たく、青白かった。
「あなたも誰かに殺されたの?」
ホームに立っていた赤い女が訊ねた。
「……はい」
間があって、肌の青白い女は応えた。
「……という人を探しています」
聞き取りづらい声で、女はある男の名を言った。
「ママ、あの迷子の大学生のことなのだ」
赤い女の頭の上で、エンヴリヲが教えた。すると赤い女は彼女へ歩み寄る。
「あの青年なら、さきほど改札を潜って出て行きました。宮城という女子高生と一緒です」
「そうですか。教えていただきありがとうございます」
彼女の頭がやや傾いて、力なくお辞儀した。
「手持無沙汰ではありませんか? こちらをお使いになられてください」
赤い女は、彼女に鋏を手渡した。
「こちら、一九世紀のフランスでつくられた“モイライの鋏”です。わたしくからの餞別です。きっとお役に立つでしょう」
「ご丁寧にありがとうございます」
青白い女は簪で後ろ髪を上げていた。項が美しかった。清楚な雰囲気だった。背後で逆様電車が出る。
鋏を握りしめると女は改札口へとつづく階段を上がっていった。
女の瞳が、血眼だった。




