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(線文字Aの子孫)線文字Bについて

線文字Bが、いかに解読されたか、その経緯について書きました。

 1.クレタ島の発掘


 1889年に、英国オックスフォード大学・アシュモル博物館の館長、A.エヴァンズのもとに、奇怪な印章が持ち込まれたが、これには「クレタ聖刻文字」と呼ばれる記号が刻まれていた。魅了されたエヴァンズは、1893年、アテネで同様の印章を発見し、このミルク・ストーンズ(乳石)と呼ばれる印章を蒐集するようになった。そして遂に、1899年、出土地のクレタ島で発掘を始めた。オスマン・トルコの支配からクレタ島が離れ、発掘が可能となったのだ。そして彼は、クノッソス宮殿を発掘して蘇らせ、これはシュリーマンのトロイやミケーネの発掘に次ぐ、考古学上の大発見と騒がれた。

 この中で、新たな種類の古代文字の刻まれた粘土板が発見された。何れも、宮殿が火事に見舞われた際、素焼きになって良く保存され、視覚的な印象や年代の違いから、次の通り分類された。


 〇クレタ聖刻文字: 紀元前2000年から前1650年まで。絵文字が中心。クノッソスやマリアで出土。


 〇線文字A: 紀元前1800年から前1450年まで。クノッソスを含め、多数の遺跡から出土。


 〇線文字B: クノッソスが中心。紀元前1450年から(地中海の青銅器文明が同時に崩壊した)前1200年まで。(粘土板に罫線が引かれ、その上に文字が並ぶので「線文字」(Linear)と命名された)


 1909年にエヴァンズは、クレタ島の古代文字を収録し、「スクリプタ・ミノア」(ミノア文字)の第1巻を出版した。これは、クレタ聖刻文字と線文字Aが中心で、線文字Bは、出土した2800枚の粘土板のうち、14枚だけ収録された。その後、彼は、クノッソス発掘の報告書「ミノスの宮殿 第4巻」(1935年)の中で、120枚の線文字Bの粘土板につき公表したが、残りは、未公表のまま放置された。この分野の大権威となった彼は、自ら線文字Bの解読を目指し「線文字Bの背景言語は、ギリシャ語ではない」と主張しつつ、ギリシャ語説を唱える研究者を冷遇した。

 1939年には、ホメロスの「オデュッセイ」で、ネストール王の城とされるギリシャ本土のピュロス(Pylos)で、米国のC.ブレーゲンにより、600枚の線文字Bの粘土板が発見された。これは、クレタ島以外の大規模な発見として注目され、ギリシャ語・非ギリシャ語論争に油を注いだ。

 その後、エヴァンズは、1941年に亡くなり、1952年に、かつての弟子により、「スクリプタ・ミノア」の第2巻が出版され、線文字Bの粘土板の全貌が明らかにされた。


 2.線文字Bの解読


 1870年代に、キプロス音節文字が、ギリシャ語として解読されたが、線文字Bとの間に、LO、NA、PA等、7つの共通記号があり、これが線文字B解読の原点となった。実際に成功したのは、14歳でエヴァンズの講義を聴講し、線文字Bへの情熱を抱き、余暇を解読に注いだ英国の建築家M.ヴェントリス(Michael Ventris)であり、1952年の事だった。

 この解読を助けた古典学者として、米国ブルックリン・カレッジのA.コーバーが挙げられる。彼女は、多くの粘土板には、数字の様な記号が並ぶので、資産目録であり「数字」の横の単語は、名詞と捉えた。そして線文字Bの単語の中で、語幹が共通し、語尾の異なる3個ずつの組み合わせ(triplets)を発見し、名詞の格変化を想起。個々の記号は、子音(C)+母音(V)の開音節(CV)を表す、との仮説を立て、特定の記号が、他の特定記号と、子音(C)や母音(V)を共有する、次の様なパターンに思い至った。


(子音\母音) 母音I    母音II

 子音I     SA     SI

 子音II      TA TI


 彼女は、1950年に43歳で亡くなる直前に、ヴェントリスから照会の手紙を受け取っていた。彼は、同様の発想で、線文字Bの各記号は、開音節(CV)だとの仮説を立て、単語の冒頭に来る母音を表記するため、母音(V)だけ表す記号を探し、冒頭にのみ登場する記号を2つ発見した。やがて、5つの母音(V)と15の子音(C)による格子(線文字Bの「50音表」)を作成した。

 次にヴェントリスは、頻繁に登場する文字列を地名と推定し、ホメロスに登場するクレタ島の港町アムニソス、またクノッソス、ティリッソスをあてはめ、同時に8つの記号の音価を突き止めた。そして1952年に、線文字Bはギリシャ語と示唆する「研究ノート20」を公表。またBBCラジオのインタビューで、これが古体のギリシャ語である旨説明した。

 この番組を聞いた、ケンブリッジ大学のギリシャ語専門家、J.チャドウィックは、紹介を受けてヴェントリスの協力者となり、彼らは、1952年に共同論文「ミキュナイ古文書におけるギリシャ方言の証拠」を発表した。 

 ブレーゲンは、ピュロスの粘土板の一つに、ヴェントリスの音価を当てはめてみた。そこには、いくつかの壺が描かれ、三脚の壺の傍らに、ti-ri-po-de、把手三つの壺に、ti-ri-o-we-e、把手四つの壺に、qe-to-ro-we、把手なしの壺に、a-no-weと読み取れ、古典ギリシャ語のtripode(三脚)、troiwes(三把手)、tetrowes(四把手)、anowes(把手なし)に対応していた。

 こうしてロゼッタ・ストーンの様な、2か国語テキストのないまま、線文字Bは古体のギリシャ語、と説得される研究者が増え、反対論が沈静化した。そして線文字Bは、ミケーネ人の使用したギリシャ語を表す最古の文字と理解された。

 エヴァンズは、古代のクレタ島では、ギリシャ語以外の言語を使う民族が支配し、ギリシャ本土に力を伸ばしていたと信じていたが、逆にギリシャ本土のミケーネ人が、特に紀元前1450年以降、クレタ島を支配。そして、クレタ島で使用された線文字Aに着目し、ギリシャ語を表記するのに借用・調整した文字システムが線文字B、と結論付けられた。


(参考)線文字A


 線文字Aは、合計400種類近く。線文字Bとの間に、60~70の共通記号があるので、解読は、先ず、線文字Bの音価を流用して始めるのが、一般的とされる。欧米の研究者を中心に、ルウィア語(アナトリアのインド・ヨーロッパ語)、フリ語(メソポタミアのミタンニ王国の言葉)、シュメール語などの主張があるが、どれも説得的でなく、未解読とされている。

 線文字Aの原典は、在アテネ・フランス考古学院により整理分類され、通し番号を付した上、ネットに公開されている(通称GORILA)。米国キャンザス大学のJ.ヤンガーは、これら原典の記述をローマ字に転換し、ネットに公開している。読んでみたら、響きが日本語に酷似するので、これが日本語として解読を始めるきっかけとなった。そして、幾つかの粘土板の台帳(資産目録)に加え、献油/酒用の定型碑文6件を含む、15ほどの原典を日本語として解読した。多くが、文語体であり、右から左へ読み始める形で、双方向から読める。

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