第三十四話:希望の光
俺は聖刻陣の中央からずれると、代わりに魂灰の入った硝子の器を丁寧にそこに置き、そっと蓋を開けた。
この間ペンダントを置いていたシフターは外していて、今は器の中に魂灰と純砂が入り混じったまま入っている。
魂灰はその名の通り灰。
風があると吹き飛んだりしやすいんだけど、だからこそ今張っている聖刻陣は都合がいいんだ。
器を置いた俺は、その場から数歩下がると、腰から剣を抜いた。
片手剣の割に、刃の部分は根本から折れている。端から見れば、こんな物は剣として機能しないと思うだろうな。
「……いくか」
独りごちた俺は、静かに魂視を解放する。
目に映る器の中身には、相変わらず暗い濃紺色の光を帯びる魂灰。だけど、その光はより大きさを増している。
……ここまでは予定通り。
魂灰を視ながら、俺はひとり納得した。
物に篭った魂は、あくまで記憶であり意思を持っているわけじゃない。
ただ、魂は想いに関連する場所や人が側にいると、魂はそれに反応し、より膨張する。
リオーネの父親の記憶を見た限り、苦悩の側にあったのはほとんど船の上。死の間際までそこにあったからこそ、海の側にくればこうやって魂が膨張すると踏んだからこそ、思った形になっている。
ちなみに、膨張させたのには勿論理由がある。
膨張すれば、それぞれの魂が分かれやすくなり、苦悩の裏に隠れているかもしれない、別の魂が視える可能性も増えるからだ。
勿論、リオーネが側にいても同じ結果にはなった。
だけど、彼女に魂刻を視せるわけにはいかない。
だからこそ、こうやって海の側で作業をしたかった。これが一人で外に出た理由だ。
後は、俺の覚悟とリオーネの父親の魂に掛かっている。
結果がどう転ぶのかはわからない。だけど……。
「どうか、あなたの魂の中に、僅かでもリオーネへの想いがありますように」
まるでアーセラに祈るかのように、俺はそんな気持ちを口にすると、続けて魂刻の儀式を始めるべく詠唱した。
『魂術師、セルリックの名の下に命ずる。器に在りし砂と魂よ。天に舞いて互いを受け入れるべく、契りを交わせ』
そのまま剣を硝子の器に向けると、釣られるように輝く硝子の器。
すると、そこに入っていた魂灰と純砂が、ふわりと流れるように舞い上がり、硝子の器の上でふわふわと楕円を描くように動き出した。
普通の人が見れば、きっと光の壁の中で漂うそれらはキラキラと輝き、神秘的に映ることだろう。
だけど、魂視を解放した俺には、舞い上がったそれらは魂灰から溢れ出した、雲や煙にも似た濃紺色の大きな闇の塊が、ふわふわと漂っているようにしか視えない。
この段階でも、未だに闇の中に別の輝きが視えてこない。
本当にあるのだろうか。リオーネに視せられる魂が。
……いや。迷うな。
俺はもう決めたんだ。師匠と同じだと信じたからこそ、あの人と同じ魂灯職人としての道を、あの人と違う形で進むんだって。
改めてそう決意した俺は、想い共々手にした剣に魔力を込めた。
直後。折れた剣の刃を覆う金色の光が、本来の剣とは異なる刃を形成した。
一方のみ鋭い刃となっている、僅かに弧を描く刀身。
これはセイルさんの故郷、ジャラスのある東洋の国々で使われている武器のひとつ、打刀を模している。
魔術、武器召喚に近い魂術、魂刻武器で呼び出したこの武器は魂刻に必要不可欠な代物。
魂術師自身が使いやすい武器を呼び出すことができ、これを使い調魂し、純砂へ魂を刻み込んでいくんだ。
例えば師匠の場合、術の触媒となる本を魂刻武器で呼び出し、魔術、無数の短剣で魂刻を進めていく。
初めて見せてもらった時は、その幻想的な雰囲気に目を奪われたもんだ。
ちなみに俺が打刀を選んだのは、セイルさんに見せてもらった刀技に魅入られたから。
元々は片手剣で鍛錬していたものの、あまりしっくりこなかった。
そんな中、フレア達がやってきてセイルさんに打刀を見せてもらった時、これだと閃き、フレアの魂砂を創った時から、ずっとこれで魂刻している。
触媒として未だ折れた片手剣を使っているのは、柄が握り慣れていたから、刃だけ召喚し使っていたりする。
目の前にふわふわと漂う、暗い魂。
ここからが本番。慎重でいい。少しずついけ。
ふっと短く息を吐き気合を入れた俺は、漂う闇に対し、鋭く刀を振るった。
最も外側の闇に触れるか触れないかの距離を鋭く流れた刃が、ほんの少しだけ闇を掠め、ほんの僅か魂を削ぐ。
魂から切り離された小さな闇がそのまま宙で霧散し。直後、一緒に舞っていた魂灰も散り散りになり消え去った。
無事、魂を削げそうだな。
一度動きを止めた俺は、自身が心を強く持てている事にほっと胸を撫で下ろした。
魂灯職人は心が強くなければいけない、もうひとつの理由がこれだ。
|魂刻とは、言ってしまえば魂を使い、魂を刻む行為。
もし心が弱いまま挑めば、魂を削いだり刻み込めないだけじゃなく、最悪の場合魂刻武器が砕け、その破片に篭った魂灯職人の余計な魂まで刻まれてしまう事もある。
自身の心が弱ることで、そんな失敗は犯せない。
だからこそ、リオーネの父親の苦悩を知っても、俺は強い意志を持つ必要があった。
今朝までの決意が鈍っている段階で、ここまでしっかりと心の強さを出せたかといえば怪しい。そういう意味でも、天啓とも思える今朝の気づきには、本当に感謝している。
とはいえ、これで仕事が問題なく為せるかは別。
未だ希望が視えない中、作業を続けないといけないんだ。途中で弱気になって、心が強く持てなったら元も子もない。
……信じろ。別の魂が存在するであろうことを。
……覚悟しろ。もしかしたら、リオーネに何も残せないかのしれない事を。
心を強く持つべく改めて決意を固めた俺は、再び闇に近い魂と向きあうと、無言で打刀を振るい、少しずつ、少しずつ、魂を削いでいった。
……あってくれ。あってくれ。
心の中で、祈るように何度も願いながら。
§ § § § §
──どれだけの時が流れただろうか。
額だけじゃない。体全体が汗ばむ中、俺は休むことなく打刀を振るい続けていた。
どこまでいっても濃紺色しか視えない魂は、削がれて随分と小さくなっている。
削がれた魂と共に、希望も削がれていくその光景を視ているうちに、途中から何も考えることなく、無心で振るうようになっていた。
それでも、忘れなかった。
自身が魂灯職人として細心の注意を払い、慎重に削ぐことだけは。
遠くから聞こえる、波が打ち寄せる音。
刀を振るう度に聞こえる、風切る音。
繰り返される同じ音を聞きながら、何十、何百と打刀を振るう腕が、無意識に止まった。
闇の中。ほんのりと視えた別の光。
決して強くない、だけどフレアのために魂砂を創っていた時にも視た、橙色の光。
……あった。
それが、疲れきっていた俺の心に、小さな火を灯す。
これで魂灯が創れる。
そんな安堵が心に満ち、笑顔が漏れそうになったけれど、俺はそれをぐっと噛み殺した。
まだだ。まだ終わってない。
俺は刀を逆手に持つと、希望の光だけを狙い打ち一閃した。
今までに聞こえなかった、キィンという独特の澄んだ音。同時に今までただまっさらだった純砂が、僅かに橙色に色づいた。
ほんの少し。だけど、それこそがリオーネに視せたかった魂の記憶。
だけど、まだ終わりじゃない。他にも同じような魂が残っているかもしれないんだ。
少しでもいい。できる限り、多くの視せられる魂を見つけ出せ。
俺は疲れた体に鞭を打ち、再び打刀を構えると、また少しずつ、長い時間を掛け、濃紺色の魂を削ぐ事に全力を注いでいった。ひとつでも多く、希望の光を見つけるために。