第二話:魂灯《カンテラ》
「あの、こちらが魂灯職人である、メルゼーネ様の工房で合ってますか?」
「……え?」
彼女は今、師匠を魂灯職人って言ったのか!?
予想外の言葉を聞き、俺は思わず目を瞠った。
§ § § § §
──魂灯。
それは、油と紐の芯を使う安価な炎灯よりも、光砂や光吸珠といった宝珠を使い炎を生み出す、やや高価な魔道具、宝珠灯によく似ているけれど、それとは比較にならないくらい、特殊で希少な魔道具だ。
魂灯の中で燃える炎は、関係ない者が見てもただの宝珠灯の炎と違いなく見える。
だけど、魂灯に灯る炎は『魂の炎』とも言われ、魂に刻まれた想いに絡む人々だけは、篭った想いを表す独特の炎の色と、そこに宿る想いが視える。そんな特異な力を秘めているんだ。
ただ、誰もが魂灯を創り出せるかというと、そんな事はない。
理由は、古より続く魂術師の血縁でなければ、炎の素となる魂砂を生み出せないから。
そのため、実在する魂灯職人は世界でも両手で数えるほどしかいないんだとか。
まあ、この話は半信半疑なんだけど。
とにかく、職人が少ないって事は、世に出回る魂灯の絶対数もまた決して多くない。だけど、希少となっている理由はそれだけじゃない。
さっき説明した通り、魂灯に無関係な人から見れば、そこにあるのはただ宝珠灯にしか見えない。
つまり、魂灯職人か魂の炎に関係する者以外、魂灯かどうか真贋を見極めようがないんだ。
そのせいで魂灯の目撃例は極端に少なく、一説では古の時代、世界を救いし勇者が手にした伝説の武具と並び語られるくらい、希少な代物とまで言われているという。
§ § § § §
ちなみに、これはすべて師匠から聞いた話だ。
俺はこの島から出たこともないし、誰かからこういった噂話を聞く機会もなかったしな。
ただ、目の前の彼女が本当に魂灯を求めここに来たのは、まず間違いないって断言できる。
何故なら、師匠メルゼーネこそ魂術師の血縁の一人であり、稀代の魂灯職人のひとりなんだから。
とはいえ、彼女はどうやってその事実を知ったんだ?
師匠は自ら魂灯職人だと大っぴらに公言しないし、依頼主達にもその事を口外しないよう、依頼者に対し魂術、約束の呪詛による契約を交わしていた。
約束を破れば魂砂は魂の光を失い、本当にただの宝珠灯に成り下がる。
さらに、持ち主の記憶から師匠や魂灯に関する記憶も消え、魂灯の存在自体がなかったことになるんだ。
魂術師だからこそできる、強い呪いの契約。
そこまでの事をしてでも、師匠はできる限り自身の存在をひた隠してきた。だからこそ、あの人が魂灯職人だって知る人間はかなり少ないと、本人から聞いた事がある。
一応、旧友なんかはその事実を知っているって聞いたし、その内の何人かが一度仕事を依頼しにここを訪れた事もあったけど、そっちの関係者だろうか?
だけど、過去に依頼してきた人のほとんどは貴族や王族関係。
それに対し、目の前の少女は質素な身なりからしても間違いなく平民。貴族なんかと接点があるようには思えない。
そう考えると、彼女が魂灯職人である師匠の下に辿り着けるなんて、どう考えてもありえないんだけど……。
「あ、あの。違いましたか?」
おっと。考え込んでいる場合じゃなかった。
おずおずとした声で思考の沼から引きずり戻された俺は、困惑気味の彼女に思わず頭を掻く。
「あ、ああ。すいません。師匠の宝珠灯工房なのは、間違いないですけど」
自分でも、随分歯切れの悪い回答をしたと思ってる。
だけど、いきなり尋ねてきた相手に師匠が魂灯職人だと伝えるわけにはいかない。じゃないと、あの人がここまで隠し通してきた意味がなくなるんだから。
俺の返事を聞いた少女は、ためらいがちにこう言葉を続ける。
「そ、そうですか。ちなみに、やっぱりメルゼーネ様は不在ですか?」
「え? やっぱり?」
は? この人は師匠がいないって知ってて、それでも尋ねてきたのか?
あまりに予想外過ぎる答えに唖然としていると、「は、はい……」と弱気になる彼女。
なんとも掴みどころのない少女との会話に、正直ちょっと困惑していた。
魂灯って言葉を口にしたからには、何か事情があるんだろうとは思ってるけど、それなら師匠がいないと知りながら、こんな時間に押しかけてくるか?
……って。そうだ。今の時間は?
西の空を見ると、もう銀月が山の向こうに沈みかけている。流石にそろそろ店を閉めて、家に戻らないと。
「えっと、工房を閉めないといけないので、ここで少し待っててもらってもいいですか?」
「え? もうそんな時間なんですか?」
「はい。っていうか、そろそろ紅月が昇り始める時間ですけど。気づいてなかったんですか?」
「す、すいません。極夜地域に来たのは初めてで、未だに時間の感覚がよくわからなくって……」
露骨に肩を落とし、がっかりする少女。
まあ、確かに昼間に日が出る地域に住む人にとって、ずっと暗いこの場所で昼夜の感覚が狂うのは仕方ないか。
こんな時間にレトの町に戻るのも危険。
馬で来た様子もないし、このまま追い返すわけにもいかないよな。
「この時間じゃ、町に戻るのも危険です。話は家で聞きますから、今日は一晩泊まって行ってください」
「え? でも、いいんですか?」
「ええ。あまり綺麗じゃないですけど、それでよければ」
「じゃあ、その……お言葉に甘えます。すいません」
申し訳なさそうにペコリと頭を下げる少女。素直な反応から感じるのは人の良さ。
正直、見知らぬ男の誘いに簡単に乗るのはどうかと思うけど、変に警戒されたまま気まずく一晩過ごすよりはましだろう。
「じゃあ、少し待ってて下さい」
俺はそう言い残すと足早に工房に戻り、宝珠灯の灯りを消して急ぎ店仕舞を進めたんだ。
§ § § § §
あれから十分後。
隣の家に場所を移した俺達は、リビングの暖炉の側。テーブルを挟むように置かれた一人掛けソファーに互いに座っていた。
リオーネはやや薄暗い部屋の中、テーブル側に置いてある宝珠灯と暖炉の炎で照らされている。
「どうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
温めたミルクを入れたカップを手にした彼女は、コクリとそれを飲むと、ほっと一息吐く。
しかし、こんな時間に誰かと一緒なのは、師匠が旅に出て以来か。
ここ最近、リセッタが色々世話をしに来るけど、流石にこんな時間になる前に家に帰してるしな。
「ありがとうございます」
「いえ。お腹は空いてませんか?」
「あ、はい。今は大丈夫です」
出会った頃に比べ、少し落ち着きを取り戻した彼女。
ずっと不安げだと流石にきついし、これなら大丈夫だろう。
こっちは少しお腹も空いてるけど、夕食は後にするか。
「わかりました。まずは、お互い自己紹介でもしましょうか」
「あ、そうですね。私はリオーネって言います。オルバレイア王国にある、サラムの村から来ました」
オルバレイア王国って言ったら、師匠が滞在してる国じゃないか。
結構遠いし旅費も馬鹿にならないって聞いたけど、よくここまでやってこれたな。
実は庶民じゃなかったりするんだろうか?
まあ、そこはおいおい確認しよう。
「俺はセルリックって言います。師匠の弟子として、この宝珠灯工房で働いてます」
師匠の弟子。その言葉を聞いた瞬間、リオーネに少し真剣味を帯びる。
さて。そろそろ本題か。
「あの、さっき工房前で質問した件ですが……」
「はい。師匠は数ヶ月前から旅に出ていて不在ですが」
「やっぱり、そうなんですね……」
まただ。
やっぱりって事は、師匠がいないって分かってるってこと。
「えっと、師匠がいないとわかっていて、何でここに来たんですか?」
率直に疑問を口にすると、彼女はうつむき加減になり、膝の上の両手をぎゅっと握り合わせた。
「その、メルゼーネ様がいないって知ったのは、港町レトに着いてからだったんですけど、その時にお弟子さんはいるって伺って。それで……」
そこまで口にした彼女は、顔を上げるとこっちをじっと見る。
「あの……セルリックさんは、その……メルゼーネ様のお弟子さんなんですよね?」
改めて事実を確認する彼女の瞳に見え隠れする、期待と不安。
会話の流れから、この先の展開は大体わかる。
さっき師匠の弟子だって言い切った手前、流石に違うとは言えないが……。
「ええ。まあ」
結局俺は真実を濁す。
でも、心の中にあるすっきりしない感情とは裏腹に、彼女は希望にすがるような目を向け、こう口にしたんだ。
「だったらセルリックさんも、魂灯を創れたりしないですか?」