第十話:大丈夫じゃないもの
作業台の隅にある、燭台に乗った蝋燭を手元に寄せると、再び着火を使い、それに火を灯す。
次に透明なグローブの宝珠灯を手に取ると、硝子越しに蝋燭の火を見ながら、グローブに傷がないかを確認し始めた。
普段から吊るしっぱなしとはいえ、これはれっきとした師匠の作品であり売り物。
俺だって傷をつけたりしないよう、埃を払うのだって細心の注意を払っている。
それでも、気づいたら傷がついたりする事があるのがこういう物。
流石に、傷物の本体で魂灯を創るわけにはいかない。だからこそ、念入りにグローブに傷がないかを確認していく。
「……セルリックさんが宝珠灯をふたつ用意したのは、やっぱり万が一のためですか?」
俺の耳に、元気のないリオーネの声が届く。
……すべてを話す必要はないけれど、選んだ理由については、嘘を吐く必要もないか。
「そうですね。ペンダントにどんな想いが篭っているかわかりません。だから、もしもの時に、想いが伝わるのを和らげた方がいい。そう思って選びました」
彼女を見ることはせず、グローブのチェックを止めずに答える。
……傷は特になしか。じゃあ、次は燃料部を──。
「あの」
次の工程に移ろうとするのを遮る、リオーネの短い声。
動きを止めた俺は、すっと立ち上がった彼女に目を向けた。
リオーネは片手を胸に当て、どこか覚悟を決めた顔をしている。
「セルリックさんに、お願いがあります」
「……何でしょう?」
何となく、言いたいことが予想できる。
少し気後れし迷いながら返事をすると、リオーネは俺なんかよりよっぽどしっかりした強い瞳でこう口にした。
「あの……今回の魂灯は、今整備している方を使ってくれませんか?」
まあ、予想通りか。
そう言ってくるのは、なんとなくわかっていた。
彼女はきっと思っている。自分のせいで父親が苦しみ、非業の死を遂げたんじゃないかって。
「わかりました」
「……え?」
さらりとそう返した事に驚いたリオーネを気にすることなく、俺は魂灯を脇に置くと、作業台の引き出しの中から幾つかの工具と、外した部品を入れておく小さな四角い木箱を取り出す。
次に、流れで机の隣にある大きめの壺の蓋を開けると、姿を見せたのは幾つもの粘土の塊。そのひとつを手に取ると、小さめにふたつ分ちぎって机の端に乗せた。
これは宝珠灯を分解した際に、本体を繋ぐ金具を下の燃料入れを外した状態で置いておく為の物。この工程以外にも、粘土は色々と作業で役に立つ。
さて、いくか。
俺は先に出した工具を手にし、燃料部と金具を繋いでいた留め具を外して燃料入れだけを外す。
そして、取っ手代わりにもなっている細い金具の先端を、置いた粘土に挿し立てた。
「あ、あの。理由は聞かないんですか?」
自分から言い出しておきながら、リオーネは戸惑いながらそんな事を口走る。
今までは大体こっちから理由を尋ねていたから、予想以上にそっけない俺の態度が気になったんだろう。
ほんと。やっぱり彼女は素直だし、色々わかりやすい。
「どんな魂灯が出来たとしても、そこにある父親の想いをしっかり受け止めたい。そんな所じゃないですか?」
「え? あ……は、はい。そうですが……」
薄い円形の燃料入れにある投入口を開きながら、こっちが思っている理由を口にすると、さっき以上に戸惑った声を出すリオーネ。
それがちょっと面白くって、俺はくすっと笑うと改めて彼女を見た。
「まずは座ってください」
「あ、は、はい」
腑に落ちない顔のまま、ゆっくりと椅子に腰を下ろした彼女に、俺は笑みを絶やさず話を続ける。
「すいません。まだ出会って一日も経っていませんが、リオーネさんがあまりに素直で責任感がある方だと感じていたので、きっとそう言うだろうなって思ってました」
「わ、私って、そんなにわかりやすかったですか?」
「ええ。勿論。でも、それは悪いことじゃないですよ」
本人はそう思ってなかったんだろう。俺の言葉を聞いて、顔を真っ赤にし身を小さくする。
「とにかく、リオーネさんがそこまでの覚悟を決めて魂灯に向き合ってくれるなら、俺は別に構いません」
そう口にしながらも、内心複雑な気持ちだった。
もしもの時、落ち込み苦しむリオーネを見る可能性は十分あるし、そんな彼女を見るのは心苦しいから。
だけど、魂にどう向き合うかは俺の問題じゃなく、彼女の問題。であれば、俺もそこに口出しはできない。
「……すいません……」
相変わらず恥ずかしがったまま、リオーネが消え去りそうな小さな声で謝ってきたけど、これも何となく理由はわかる。
俺が良心で選択肢を用意していたのに、それを自分のわがままでふいにした。きっとそう思ってるんだろう。
「いいんですよ。俺が受け入れたんですから」
敢えてそれ以上は口にせず、俺はそのまま仕事に戻る事にした。
燃料入れの中は錆びたりしていない。
これはできる限り工房を乾燥させ、湿度があがらないようにしているのも理由にあるけど、ダリアナの樹木から採れる離油を使い、水気などが付かないよう保護してあるのも理由のひとつ。
ちなみにこの離油。油ではあるけど水気だけじゃなく砂なんかも張り付かなくできるから、宝珠灯内の光砂を入れ替える時にも残さず全部出せて助かるんだ。
まあ、それだけの効果がある物からこそ、かなり値が張るのが欠点。だけど、師匠はこういう所にも妥協はしない。
ちなみに、燃料に触れ光を放つようにする調光珠や、その光を吸収しグローブ側にある光放口側で炎に変換する光吸珠は取り付けられてはいない。
これらの宝珠は、本来の宝珠灯であれば、事前に取り付けておいてもいいんだけど、師匠はちゃんと魂灯への流用も考慮しているから。
だから、魂灯を創る段階でそれぞれの宝珠を用意し、取り付けるようにしているんだ。
次に確認するのは炎の点火、調光するつまみの部分。
点火するためにゆっくりと右回りに、回る最大までひねっていく。
ん? ちょっと動きが硬いな。こっちは後で潤滑油を差しておいたほうがいいな。
つまみを元の位置まで戻し投入口を閉じた後は、さっき同様に蝋燭の灯りで照らしながら、外部に傷がないかを確認していく。
ぱっと見では気づきにくいけど、燃料入れの側面全体に刻まれている草紋は、鋳造時点で入れた物じゃなく、すべて師匠の手彫り。
──「あたしは魂灯職人だからね。宝珠灯だろうが魂灯だろうが、あたしの魂を刻んでるのさ」
以前、模様を彫る所を見せてもらった時、真剣な顔でそう口にしたあの人の言葉は今でも忘れられない。
だから自分で本体を作る時も、同じように手彫りで頑張っている。まあ、出来栄えは師匠に全然及ばないけど。
ここに刻まれている師匠の魂。そこに傷があるのはやっぱり嫌だと思うからこそ、俺はグローブ以上に念入りに目を通す。
……うん。こっちも大丈夫そうだな。良かった。
あと、大丈夫じゃないのは……。
俺は仕事をする振りをしながら、ちらりとリオーネを見た。
恥ずかしさから解放され、気持ちが落ち着いたんだろう。
いつの間にか気落ちしていた彼女は、椅子に座ったまま力なく目を伏せている。
まったく。どこまで責任感が強いんだよ、この子は。
思わずため息を漏らしそうになったのを遮ったのは、リオーネの重いため息。
出そうになったため息を堪えられたのは、正直運が良かった。ここで俺が呆れたら、きっと彼女がより傷つくだろうしな。
とはいえ。普段みたいな雰囲気ならともかく、こうも落ち込んだまま側にいられたんじゃ、流石に仕事に集中できない。
ちらりと部屋の壁掛け時計に目をやると、時間は十時半。
昼まではまだ時間があるけど……仕方ない。
まだ仕事はできるけど、この工程を今終わらせないといけないわけじゃないし、予定を早めよう。
そう思い立った俺は、一度宝珠灯を組み直して作業台の上に置くと、すっと立ち上がった。