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「ではエレン・ベリントンさん、あなたのお部屋は三〇二号室、こちらね。お仕事は遅くなるだろうし特に門限は決まってないけれど、帰りが遅くなる場合は防犯のためにも鍵とカーテンを閉めていってちょうだい。あら、お荷物はこれで全部? やけに少ないのね。追加で運ぶのであれば教えて下さいね、いつでもお手伝いしますから。では何か困ったことがあったら寮長のフリオさんに聞いてちょうだい」

「はい、何から何までありがとうございました」


 年嵩の管理人に部屋を案内されたエレンは、荷物を手にしたまま深々と頭を下げる。


(三〇二号室、ここが私の部屋……)


 エレンは寮暮らしを始めた。

 ここは魔道具研究所の職員寮だ。寮暮らしを希望する職員のために用意された寮は、男子寮・女子寮と分かれ、それぞれ研究所の裏手にあった。

 今までも寮の存在は知っていたけれど、まさか自分がここに住むことになろうとは思わなかった。ベリントン家から研究所までは、通えなくもない距離であったからだ。

 

 けれど、つい先日の品評会でマティアスと母の前を走り去ってから――ベリントン家での日々は一変してしまった。

 異様に優しいのだ、母が。「ベリントン家のために」「父のように、祖母のように」と毎日のように続いていた母の小言が、嘘のようにピタリと止んだ。かわりに「研究はどう?」「無理はしていない?」と、やたら気遣われることがふえた。

 そして時折見せる母の表情は、少し傷付いているようにも見えて。ずっと母の言葉に苦しめられていたのは確かなのに、これではエレンの存在が母を責めているようにも思えてしまって――罪悪感に耐えかねたエレンは、屋敷を出てきてしまったのだった。

 

(お母様からも、特に反対はされなかったけれど……)


 そもそも、「研究所に泊まり込んででも発明を」と急かしていた母なのだ。エレンが屋敷にいようと寮にいようと、どうでもいいのかもしれない。

 そう考えると胸がチクリと痛むけれど、今はとにかく母と距離を置きたかった。母のためにも、それが良いと思う。


「いたいた、ベリントンさん。荷解きくらい手伝おうか? ……って、荷物これだけ!?」


 早口で去っていった管理人と入れ替わるように、寮長のフリオがやって来た。彼は研究所の事務職員、男子寮に住んで五年目の先輩だ。職員間で持ち回りとなる寮長の役目を、今年は彼が担当しているらしい。管理人からは、何かあればフリオに頼れと言われている。


「あまり、家から持ってくるものも無くて」

「とはいっても、あるよね? 服とか、趣味のものとか」

「うーん……特には思いつかなかったんです」


 エレンが持ってきた荷物は、大きな手提げの鞄ひとつだけだった。いざ荷物を詰めてみたら、その鞄ひとつですべて収まってしまったのだ。

 服といっても、いつも白衣を羽織っているためにこだわりは無いし、家具なども備え付けられているため、新たに用意するものも無い。趣味も……余裕のある時に少し読書するくらいだろうか。本は数冊持ってきたけれど、それだけだ。

 同年代の女子であれば、もっと色々と持ち込むものがあるのだろうか……そんなことも分からないエレンは、つくづく自分には魔道具作りしかなかったのだと少し落ち込んだりもしている。


「恋人もできたことだし、もう少し服とか気を遣ってもいいのに」

「恋人?」

「とぼけても無駄だよ。品評会で、あれだけ派手に逃げ出したでしょ」

「あっ……マティアスのことですね……!」


 品評会は、研究所の職員達が一堂に会するイベントだった。そんなところで騒ぎを起こしたとなれば、当然みんなに知れ渡る。

 よって、あれ以来マティアスと公認の仲となってしまっていることは、エレンもうっすらと知っていた。これまでも『ベリントン家の娘』として注目を浴びてはいたけれど、最近は違う意味で目立ってしまっている。

 しかし――


「べつに私達、恋人同士じゃないんです」

「えっ?」

「あれ以来、一度も会っていないですし」


 あの夜、エレンはマティアスに好きだと伝えた。マティアスも頬を染めて笑っていたし、ダニーから魔道具を守ってくれた時は抱きしめてくれたりもした。

 気持ちは……通じあっていると信じたい。けれど、マティアスと『恋人同士』であるかと言われたら、そうでは無い気がした。 


「う、嘘だろう?」

「嘘じゃないです。私もこの状態が何なのか分からないくらいで」

「そんなの、本人に直接聞けばいいよ。きっと今なら寮にいるから」

「そうですね……」

 

(とはいっても――)

 

 最近のマティアスは多忙を極めている。

 品評会で受賞後、彼の魔道具『感知式照明器』にはすぐ声がかかった。その後、実用化に向けて開発チームを立ち上げ、さらなる研究を重ねているらしい。それも人づてに聞いた話だ。マティアスとは一度も会えていないのだから。

 そんな大事な時に、彼の邪魔はしたくない。「私ってマティアスの何なの?」だなんて鬱陶しくも面倒くさいこと、本人に聞けるわけがなかった。


「まあ……また、そのうち聞いてみようと思います」

「えー……いいのかなー……?」 


 エレンはフリオの提案を曖昧にごまかした。そしてなにか言いたげな彼に気付かないふりをして、さっさと荷物の片付けを始めたのだった。

  

 

◇◇◇



 それに、忙しいのはマティアスだけではなかった。エレンの『空気浄化機』にも、品質の向上が課題とされていた。

 実用化させるためには、誰にでも使えるよう動作をさらに安定させ、なるべく丈夫にする必要もある。あの品評会以来、エレンもまた試作を繰り返し続けている。

 

 まだ失敗も多い。しかし、表彰されたことで以前より応援してくれる人も増えた。自分でも、やればできると自信もついた。このように前向きになれたのも、マティアスがいてくれたおかげだ。


 エレンは一息つくと、研究室の窓から向かいの棟を見上げた。中庭を挟んで建つ別棟の二階、そこにマティアスの研究室がある。そのことを知ったのも、ここ最近のことだ。以来、休憩のたびに彼の研究室を見上げるようになってしまった。


(あ……マティアスだわ)


 エレンは、二階の窓際で作業をするマティアスに釘付けとなった。彼の横顔は真剣で、こちらからの視線に気付くことはない。

 けど、こうしてマティアスが見える日はラッキーだ。下手するとまったく姿を見ない日さえある。研究室のある棟が違うだけで、こんなにも会えないものだとは思わなかった。これまで毎夜のように会えていたのは、マティアスがダニーからエレンの魔道具を守ってくれていたからで――


 もしかしたら、これからはこんなふうに遠くから見つめるだけの日々が続くのだろうか。ダニーは捕まったし、マティアスはもうエレンを守る必要も無いのだから。




「エレン」


 マティアスとの関係について、悶々と思い悩む日々が続いていたある日、不意に声をかけられたのは、研究所の食堂でランチをとっていた時だった。

 振り向いてみると、マティアスその人が立っている。パスタのトレーを持ち、席を探しているようだった。


「マ……ティアス」

「ここ、いいか」

「え、ええ」


 マティアスと会うのがあまりにも久しぶりで、とっさに言葉が出てこない。エレンは慌てて席をずらすと、彼を隣に座らせた。

 すぐ隣を見ればマティアスがいる。その距離がやたらと近く感じてしまって、エレンは動揺を隠すための言葉を探した。


「えっと……ひさしぶり。調子はどう?」

「まあまあだな。お前は」

「私もよ。また試作の繰り返しで……」 

「お前、寮暮らしを始めたんだって?」


 唐突に寮暮らしのことを聞かれ、喉が詰まるかと思った。

 なぜマティアスがそのことを知っているのだろう。会って話してもいないのに。


「よ、よく知ってるわね?」

「フリオさんから聞いた。なんでそんな大事なこと、俺に言わないんだよ」

「ええ……? だって、ずっと会わなかったし……」


 マティアスは、どうやら寮長のフリオからエレンの話を聞いたらしい。二人にも接点はあるようだった。それもそうか、同じ研究所で働く職員同士なのだから。

 彼にも折り入ってちゃんと伝えるべきだっただろうか。チラリと隣へ目をやると、マティアスは気まずげにパスタをつついている。


「すまねえ……俺のせいだな」 

「えっ?」

「俺がお前の母親にあんなこと言ったから、家を出ることになったんだろ」


 意外なことに、彼は自分を責めているようだった。品評会で、エレンを助けるためにしたことが原因だと思い込んでいる。

 たしかに、間接的なきっかけはあのことにあるかもしれない。でも家を出たのはエレンの意思だ。やっと母に本当の思いが伝わって、マティアスには感謝しているくらいなのに。

 

「違うわ、これは私の問題! うちの問題だから」

「でもよ……」

「マティアスのせいなんかじゃないわ。だから――」


 責任を感じないで欲しい。エレンがそう伝えようとした時、マティアスの肩へ手が置かれた。


「マティアス! もうそろそろミーティングがはじまるわよ」

「……なんだ、もうそんな時間か」

「恋人とランチもいいけど、リーダーが時間に遅れないでよね」


 声をかけてきたのはとんでもない美女だった。服がはち切れんばかりの豊満な体をもつ金髪美女は、ミーティングの資料をマティアスに手渡し、颯爽と去っていく。

 やけに親しげだった。おそらく、研究チームの一員なのだろう。エレンの胸に、ジワジワとモヤがかかる。

 

「こ……恋人なんかじゃないのにね。ごめんなさいマティアス、私といると変な噂がたつわね」

「は? エレン、俺は」

「リーダーなんだから、遅れないようにしなきゃ駄目よ。じゃあね!」


 マティアスに責任を感じて欲しくないし、こんな顔をさせたいわけじゃない。一緒にいるだけで、彼の重荷になっているだけな気さえしてきた。

 その上、自分のせいでマティアスを遅刻させるわけにはいかない。マティアスが何か言いかけたことも聞かなかったふりをして、エレンはなるべく明るく振る舞いながら席を立った。

 


◇◇◇

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