前
夕闇に染まる国立魔道具研究所の一室で、エレン・ベリントンは魔道具の研究に没頭していた。
箱型の装置を開き、水の魔石と雷の魔石を慎重にセットする。底に取り付けたのは旧式の送風機だが、動き自体は悪くない。清めの魔力が込められた布を敷いたおかげで、排出される風もなかなか爽やかだ。
今回こそ成功か……と期待も膨らむ。けれど、やがて装置からはそこはかとなく焦げくさい臭いが漂い始めた。
まさか。エレンは嫌な予感がして蓋を開いた。すると中では布が焦げはじめているではないか……!
「ダ、ダメ……! また失敗だわ!」
狭苦しい研究室は、みるみるうちに白い煙で包まれる。エレンはあわてて窓を開け、咳き込む口を抑えながら今日一番のため息をついた。
「はあ……魔力付与された布、めちゃくちゃ高かったのに……」
もうこれで何度失敗しただろうか。
研究員に与えられた予算には限りがある。今年度はこの魔道具研究に賭けていて、予算上限まであとわずかのところまで使ってしまった。
あの布はもう使い物にならない。これ以上失敗が続くようであれば、残念ながら自腹だ。
「仕方ない、お昼ご飯はパンだけにして節約するしか……ん?」
落ち込みながら、ふと顔を上げると――窓から見える中庭に一人の男が立っていた。
(確かあれは……)
ゆるく結わえられた黒髪に、仏頂面の白衣姿。
あれは同期の研究員、マティアス・ボルフマイヤーだ。
背の高いマティアスはさらに背伸びをし、中庭の木に何かをくくり付けた。その後も念入りに、くくり付けた何かの角度を調節している。
(……何をしているの?)
彼は優秀な研究員だった。けれど先日、同僚の研究員を一方的に殴るという暴力沙汰を起こした。
あの事件について反省する気も見せない彼は、たしか謹慎処分中であったはずだ。まだかろうじて研究所に籍は残っているものの、解雇も否めないと噂されている。
(もう謹慎は解けたのかしら)
彼の行動が気になってつい見入っていると、不意に振り返ったマティアスと目が合った。
しかし同期とはいえ、彼とは一度も言葉を交わしたことがない。二人の間には微妙によそよそしい空気が流れる。
「こ、こんばんは……」
「……ああ」
「そこで、一体なにをしているの?」
「ちょっとな」
「……」
「……」
ほぼ初対面であるマティアスとの会話は、当たり前のように続かない。二人の間には気まずい空気が流れる。
邪魔をしただろうか。仕方が無いので、エレンは会釈だけするとパタリと窓を閉じ、煙たい研究室へ戻ったのだった。
「まあ焦げくさい。また失敗したのね、エレン」
その日、エレンが屋敷へ帰ったのは夜もふけた頃だった。屋敷で出迎えた母は鼻をつまみ、眉をひそめてこちらを睨みつけた。
(え……臭うかしら……?)
思わず、クンクンと自分を嗅いだ。確かに、髪にも肌にも煙たい臭いが残っている気がする。
布を焦がしたのはあれっきりだし、帰る前に服も着替えてきた。けれどあの時すぐに窓を閉めてしまったせいで、焦げた臭いは取れてくれなかったらしい。
「はい、今日も失敗してしまって……でも、少しずつ形にはなってきたように思います。必ず成功させてみせますね、お母様」
「ええ、それでこそベリントン家の人間よ。エレンもお父様や亡くなられたお祖母様のように、立派な研究員になってちょうだいね」
「はい」
エレンの返事を聞いた母は、にっこりと微笑んでから去っていく。
同じように笑顔を貼り付けたまま母と別れたエレンは、ふらふらと自室のベッドへ倒れ込んだ。とたんに、今日一日の疲れがドッと押し寄せてくる。
(眠い……でも、今日のレポートをまとめなきゃ……)
やらなければ。頑張らなければ。
エレンはベリントン家の人間なのだから。
ベリントン家は、代々優秀な魔道具研究者を輩出してきた一族だ。
亡き祖母は魔道具研究の第一人者、そして父も優秀な魔道具研究者として国から褒賞を受けるような人間である。
エレンも、そんなベリントン家に生まれた人間だった。幼い頃から当たり前のように魔道具の教育を受け、選択の余地もなく魔道具研究所の研究員となった。それが今年の話だ。
実際に研究員となってみて、その毎日は楽なものでは無かった。
しかしああ言えば母は満足してくれる。期待されているのだから応えなければ――エレンは母からの期待を一身に背負い、毎日研究に明け暮れていた。
◇◇◇
(昨日の布が焦げてしまったのは、魔石の配分が悪かったのかもしれない。ついでに送風機の強さも変えてみて――)
エレンは今日も一人で研究室にこもりきり、夜も更けるまで魔道具の試作を繰り返した。
しかし何度やっても昨日ほど良い結果は出ない。
まあ、こんな日もある。というか、新米研究員のエレンにはこんな日ばかりだ。昨日はたまたま良い条件が重なっていたのに、最終的には布が焦げてしまった。結局、なぜ焦げてしまったのかも分からぬままだ。
(ああ……もう私なんかには、この魔道具を完成させるなんて無理なんじゃ無いかしら……)
疲れた身体に引っ張られて、つい挫けてしまいそうになる。このままでは気持ちまで駄目になりそうで、エレンは気分転換に窓を開けた。
開けたとたん、新鮮な夜風が研究室に注ぎ込む。
中庭から見えるほかの研究室は真っ暗で、みんな退勤しているのが分かった。こんな時間まで居残りで研究しているなんて、落ちこぼれのエレンだけだ。
そんな真っ暗な中庭で、真ん中の木だけが何故かほんのりと光っている。
(なに……あれ……?)
昨日、マティアスが触っていた木だ。そこだけが、火を灯したように光っていた。
なんて幻想的な明かりなのだろう。よく見てみれば、その傍らにはマティアスその人が明かりを確認するように立っていた。
「きれいね……これはあなたが?」
エレンは思わず声をかけた。
呼び声に気付いたマティアスは、暗闇の中からこちらを振り返る。
「……ああ、試作品の魔道具だ。暗くなれば光るように光量を調整していたんだが、上手くいったみたいだ」
彼の目線の先――よく見れば、木には光の玉がくくり付けられていた。
ガラス玉の中で炎のようにゆらゆらと揺らめく光は、日が暮れることによって自動的に点くよう作られているらしい。
「すごい! どうやって作ったの!?」
「誰が教えるかよ。結構苦労して作ったんだからな」
「そ、そうよね。ごめんなさい……でもすごいわ、すぐ実用化されそう……!」
暴力沙汰を起こしたマティアスではあるが、優秀な研究員であるというのは本当らしい。こんな便利な道具、みんな喉から手が出るほど欲しいはずだ。
「最近、夜間を狙った窃盗が増えているからな。明かりが抑止力として役に立てばと思ったんだが」
「役立つわ、絶対! それにとても綺麗だし、これを安価で量産出来ればきっと……」
「――お前、急に元気になったな」
「え?」
「昨日は死にそうな顔してたのに」
マティアスは、魔道具に興奮するエレンを見てプッと笑う。初めて見た彼の笑顔は、少しいじわるだった。
「本当に魔道具が好きなんだな」
「え、ええ、好きよ……私にはこの道しかないから」
「……そうかよ」
マティアスの作った魔道具の光は優しい色をしていた。失敗続きで落ち込んでいたエレンの心を癒してくれるような柔らかい光だった。
「ただいま帰りました」
「おかえり。エレン」
その日もベリントン家では、深夜にもかかわらず母がエレンの帰りを待ち構えていた。何があったのか知らないが、なぜか屋敷中の空気が重い。
母は腕を組み、仕事終わりのエレン相手に苛立ちを隠そうともしない。
機嫌の悪い母は苦手だ。なるべくなら顔を合わせたくもない。しかし起きて待っている母を無視することも出来なくて、エレンは仕方なく母の言葉を待った。
「エレン。ウォルフ家のダニーがまた新たな魔道具を発表したらしいわ。あなたも負けないようにしないと……」
ダニー・ウォルフ。彼もまた魔道具の研究者で、ベリントン家と肩を並べる研究者一族の跡継ぎだ。
ベリントン家とウォルフ家は代々続くライバル同士であり、その関係性といえば良いとは言えない。お互いに張り合っては貶し合う、そんな間柄だった。
「エレンの魔道具はまだ完成しないの? 少し遅くないかしら。研究が大変なら、わざわざ家まで帰ってこなくてもいいのよ」
「え……?」
「お祖母様もお父様も、しょっちゅう泊まり込みで研究に打ち込まれていたわ。そして素晴らしい魔道具をいくつも創られたの」
「……はい、お母様」
焦る母に、エレンはそれ以上なにも言えなかった。
ベリントン家に生まれたからには、役立たずのままでは終われない。
決して一族の顔を潰すことがあってはならないのだ。
◇◇◇
家には帰れない。夜通し研究する日が続いている。
けれどいくら試作を繰り返しても、あと少しのところで失敗してしまう。
いつの頃からか、窓の外にはマティアスの光が増えていた。中庭の至るところに玉が取り付けられ、夜になると闇を煌々と照らしている。
「足元に設置した玉は、人の動きに反応して明かりが点くように調整してある」
「すごい……そんなことが出来るなんて」
「手をかざして光を点けるものも作ってみたんだが、これは屋内用に向いているかもしれないな」
エレンがグズグズと失敗を繰り返している間にも、マティアスは光の玉の改良を何度も成功させていた。用途に合わせて工夫された光は、品質も安定していて素晴らしい。
「マティアスって本当にすごいのね。私なんて毎日泊まり込みで研究しているのに、何ひとつ完成できなくて」
「……お前、家には帰らないのか。女が一人きりで、こんな場所に泊まり込みなんて危ないだろ」
「私、出来損ないだから帰れないのよ。もっと頑張らないといけないから……」
エレンは笑顔を作り、明るく振舞ってみせた。自虐的だとしても、こうでもして誤魔化さなければ耐えられそうになかった。
とても惨めだ。自分だけ、結果を出せていないことが。
なのに――
「何言ってんだ」
エレンを見下ろすマティアスは真剣な顔をしていた。
「お前は充分頑張ってるだろ」
こんな自分、馬鹿にしてくれたってかまわないのに、笑ってくれていいのに……なぜそんな優しい声で、なによりも欲しかった言葉をくれるのだろう。
「っ……」
暗闇の中で光が滲んで、エレンはやっと自分が泣いていることに気がついた。
我慢しようとしても、涙は溢れて止まってくれない。こんなみっともない姿は見られたくないのに。
「ご、ごめん、泣いたりしてごめんなさい……!」
「あっ、おい!」
エレンは彼の前から逃げ出した。
これ以上、マティアスの前にいることはできなかった。
こんなに優しくされてしまったら、研究なんて放り出してマティアスに甘えてしまいそうになる。
エレンは研究室へ走り込むと、中庭に繋がる窓を固く閉じた。
◇◇◇