8 like the breaking bad
辻萌は絶望していた。絶望と言うよりかは「諦め」の方が近いかもしれない。
目の前では、恋焦がれていたホストの「Marcey」が犯されている。爪は剥がされ指も何本か欠損していた。美しかった顔面はつぶれ、片目も潰されていた。なのに、口からだらしなくヨダレを垂らし快楽に身を委ねている。針が刺さったままの尿道からは血液に混じって精液が溢れ落ちている。もう数回は射精していた。半日以上、拷問を受け激痛が身体中を駆け巡っているはずなのに、快楽を感じているのは萌が作った合成麻薬『ファイヤークリスタル』の効能だろう。
大学を卒業し、皇グループの製薬会社に研究員として、入社した萌はわずか1年で奨学金を返済し、順風満帆な生活を送っていた。
毎日、研究所と社員寮の往復(週の大半は研究所に寝泊まりしたが)で、判を押したような変わり映えのしない生活ではあったが、それはそれで充実していた。
そんな中、年に1回あるかないかの研究所の飲み会の2次会で、先輩社員からホストクラブに誘われた。今回の飲み会は先輩社員の栄転祝いだったため断ることも出来ず渋々付いて行った。
初めて入ったホストクラブは萌にとって、きらびやかであり、騒がしかった。何となく居心地が悪く理由つけて帰ろうと思っていた矢先、隣に座ったホストがMarcyだった。
Marcyの服装は他のホストと比べると地味でラメすら入っていない黒のスーツを着ていた。一見黒服に見えたが、黒服には似つかわしくない中性的な綺麗な顔立ちをしていた。
「こういう場所苦手なんでしょう?」
Marcyが萌の耳元で囁いた。
「良かったら、静かな場所があるんだけど、そこで二人だけで落ち着いて話しませんか?」
Marcyが右上の空間を見つめながら続けた。 萌は釣られてMarcyの視線の先を追った。そこには中二階にある一際ラグジュアリーなドアがあった。
ドアを見つめて迷っている萌には構わず、Marcyは萌の右手を両手でそっと握り、ドアの前までエスコートした。
個室でしかも初対面の男性と2人きりになることに萌は抵抗があったが、Marcyの所作があまりにも自然で優しかったため、案内されるがままついて来てしまった。
「どうぞ。僕のプリンセス。」
Marcyはドアを開け膝まづき、部屋に招いた。
「あ、ありがとうございます。」
Marcyのエレガントな動作につられ、萌は部屋に入った。
部屋の中は2人で過ごすには広すぎ、軽く10人以上は入れるスペースがあった。
壁に沿って、豪華なソファーが設置され、奥にはバーカウンターもあった。
「何か飲む?」
言いながら、Marcyはバーカウンターに入った。
「お酒はちょっと…ウーロン茶か……水でいいです。」
「そう…もしかして、水はタダだと思ってる?ここの水、フィリコだから30万だよ。」
気がつくとMarcyはタメ口になっていたが、不思議と嫌な気はしなかった。それどころか水が高額であることに驚いたが、価格を開示するMarcyがとても良心的に思えた。
「でも、誰も見てないからノンアルコールのカクテル作ってあげるよ。」
言いながらMarcyは手際良くシェイカーに材料を入れ、リズミカルに振り出した。
「どうぞ、ファイヤークリスタルです。」
差し出されたカクテルグラスの中には、赤みかかったオレンジ色の液体に赤い氷が浮いている。テーブルにある蝋燭の炎に照らされた液体はまさに燃える水晶のようだった。
「何、ボーッとしてるの?状況わかってんの?」
現実逃避からかMarcyと出会った頃のことを思い出している萌にさっきまでMarcyを犯していた男がズボンを履きながら話かけてきた。
「まあ、いいや。穴は掘り終わったようだな。」
「はい。黒木君、もうこいつら殺っちゃいますか?」
ズボンを履き終え、「赤い粉」を鼻からすすっている男に部下らしき者が確認した。
「うん。もう飽きたしね。」
見ると地面に穴が5個ほど掘られ、それぞれの穴の前には全裸の男女が正座させられている。ある者は股間から出血し、ある者は手足の爪が剥がれていた。ほとんど全員の顔に殴られた跡があり、鼻が潰れ眼球がえぐられている者もいた。
みんな昨日まではいつものようにMarcyの部屋でドラッグパーティーに明け暮れるつもりだったのだろう。まさか自分が殺され、埋められる穴を自分で掘るとは夢にも思わなかっただろう。
Marcyとの出会いから萌はホストクラブにどっぷりはまってしまった。最初はMarcyに只々会うことだけが目的だったため、ドリンクを1杯注文して帰るだけだったが、Marcyは1分ほど側にいるだけで、そのうち他のホストも付かなくなった。
萌はMarcyの気を惹くために気がつけば毎日数百万円遣うようになった。皇グループがいくら高給だとはいえ、貯金は底をつき、ついには消費者金融にまで手を出すようになった。
そのうち店にも通えなくなり、萌は店外でMarcyに付きまとうストーカーになった。
萌は仕事も休むようになり、常にMarcyの後をつけた。ストーカーであることがバレたら、Marcyに嫌われると思い、萌は見つからないよう尾行を続けた。
ある日、Marcyは街でモヒカンのパンクファッションの女に声をかけ、一緒に路地裏に入っていった。Marcyが女と歩くのは客と同伴やアフターの時以外は見たことが無かった。二人でホテルに入って行くのを見たこともあったが、好意からではなく太客との枕営業と割り切り、自分の中の激しい嫉妬を抑えこんでいた。
しかし今日は違う。Marcyの太客のようには見えなかったし、何やら女にMarcyが必死に頼みこんでいるように見えた。ついには土下座までして女性足にすがっている。
萌の中で、何かが弾けた。女性に対する嫉妬なのか、恋焦がれた男の情けない姿を見たくなかったのか、気がつくと叫びながら女に飛びかかって行った。
女は叫び声の方向を瞬時に向き、萌を交わそうとしたが、足にしがみついたMarcyが邪魔で身動き出来ず萌から掴みかかられ、仰向けに倒れた。
倒れた拍子に女が持っていたバックが開き、中身が地面にばら撒かれた。
萌は我に返り、Marcyを見た。Marcyは二人のどちらも心配することなく、地面に散らばった小さなビニールのパッケージを掻き集めていた。ビニールのパッケージには黒光りする粉末が入っており、あらかた集め終わると、乱暴にパッケージを破り、黒い粉末を手の甲に乗せ、鼻で啜った。
ドラッグだ…
薬の研究員である萌はそれが「ブラックオニキス」という合成麻薬であることがすぐにわかった。Marcyは既に重度のジャンキーであろう。
「ブラックオニキス」とは最近裏社会で流行している合成麻薬で中毒性は高いが耐性が出来にくいことが特性である。つまり常習者でも初めてと同じようにトリップ出来ることが特徴である。そのうえ尿検査や血液検査では検知出来ないため、取締りが難しく瞬く間に広まった。ちなみに名前の由来は、粉末になる前が黒光りする結晶なのだが、その結晶が宝石のように美しいのことである。
Marcyはひとしきり啜った後、集めたパッケージをポケットに入れ、他に無いかバッグの中と女の体をまさぐった。
その時萌は初めて、女が動かないことに気づいた。女の顔を見ると、白眼をむいて後頭部から出血し、地面にかなり大きな血溜まりが出来ていた。
「Marcyさん!Marcyさん!」
二度呼ばれて、ようやくMarcyは女が死んでいることに気づいた。
「ひぃっ!どうすんだよ!」
Marcyは萌に掴みかかった。
「薬が手に入らないじゃないか!これからどうすんだよ!」
Marcyはパニックを起こし、女の死体を蹴った。この期に及んで薬の心配しかしないMarcyもMarcyだか、萌はこれをチャンスだと思った。
「大丈夫よ。Marcy。私だったらこれ以上気持ち良くなるドラッグを作れるわ。ずっと…」
萌は両手でMarcyの手を握り、語りかけた。初めてMarcyを呼び捨てたが、Marcyも自然に受け入れた。今思えばそれどころじゃなかったのかもしれない。
「本当だろうな!じゃあ今すぐ作れ!」
Marcyはまだパニック状態にあったが、萌は拾い残したブラックオニキスのパッケージを破り、粉末を自分の人差し指につけ、Marcyの口内にそっと入れ口の粘膜に擦りつけると、やっと落ち着いた。その様子は傍から見ると、陰茎を欲する女性を焦らすために、人差し指をしゃぶらせるセクシー男優のようだった。
Marcyはしばらくうっとりしていたが、萌はMarcyの手をひき路地裏から連れ出した。
少し離れた大通りに出るとタクシーを拾い、Marcyを自分のマンションに連れて来た。
以前は整理整頓が行き届いた綺麗な部屋だったが、ホストクラブに通い出し、金目の物はほとんど売り払い、荒んだ生活をしており、台所や床にはコンビニ袋に入れたゴミが散乱していた。
今まで男性を部屋に入れたことはもちろん無く、ましてや恋焦がれたMarcyに散らかった部屋を見られるのは抵抗があったが、Marcyの望みのドラッグを作るためには苦渋の選択であった。
しかし、萌の心配をよそにMarcyのテンションは爆上がりしていた。以前、モヒカン女に連れられて見たドラッグ製造現場はこれ以上に混沌としていたからだ。
「萌ちゃん…もしかしてここでいつもドラッグ作っているの?」
Marcyは子供のようにはしゃぎながら質問した。
質問の答えはもちろん「ノー」でドラッグなど作ったことはないが、お店に通っていた以来に名前を呼ばれたことが嬉しすぎて、只々ニヤニヤすることしか出来なかった。
さて、萌の部屋はリビングはおろか、寝室までゴミが散乱し、いわゆる汚部屋となっていたが、一室だけ清潔かつ整理整頓されている部屋があった。研究室である。
皇グループは社内に立派な研究所があるが、希望者には機材を無償で貸出す制度があった。「家にいても仕事をしろ」というブラックな感じではなく「閃いたらすぐに実験出来るように」が目的である。もちろん自宅で行った仕事にも手当は支給される。萌はこの制度を利用し、自宅に私設の研究室を作ったのであった。
萌はまずMarcyをバスルームに連れて行きシャワーを浴びさせ、さらに自分もシャワーを浴びた。
Marcyはブラックオニキスの効果もあり、バスルームから出て来た萌に襲いかかった。
萌にとっても待ちわびた瞬間であったが、断腸の思いでMarcyを拒絶した。
ドラッグでハイなった男の慰み者になるより、ドラッグの力でMarcyを支配することを選んだのだ。
萌はMarcyに「研究室は清潔な状態いわゆる無菌状態でなければならない」ことを説明し、そのためのシャワーであると諭した。
その後、シャワーキャップを頭にかぶせ、予備の白衣を着させた。研究室に入ると装置や製法について、Marcyに話したが、まったく聞いておらず、ただドラッグの製造を急かすのみだった。
30分もしないうちに、ドラッグは完成した。赤い宝石のような結晶だった。
「色が違う!黒くない!騙したな!」
Marcyは萌に掴みかかった。
「大丈夫よ。安心して。」
掴みかかられたことを無かったように、自分の肩からMarcyの両手を優しく剥がながら諭した。
それからおもむろに赤い結晶を人差し指で撫でまわし、結晶に付着している赤い粉末を拭った。その動作は童貞男子を誘惑するお姉様が焦らしながら陰茎を撫でる動作に似ていた。その光景を想像したかどうかは定かではないが、Marcyはゴクリと唾を呑み込み、息を荒げながら、萌の所作を凝視していた。Marcyの右手は無意識に自身の股間を弄っていた。
萌はMarcyのズボンのファスナーをゆっくりと下げ、左手でそっと陰茎をズボンの外に導いた。さらにMarcyの既にいきり立ったソレの剥き出しになった亀頭を粉末の付着した人差し指で愛撫した。その瞬間Marcyは腰から崩れ落ち射精した。Marcyは仰向けに床に倒れ痙攣していたが、精液は未だ痙攣に合わせるかのように噴出している。口元からはダラシなくよだれを垂らし、笑っていた。
「ブラックオニキスが黒いのは不純物が黒く焦げているからなの。不純物が混入しないように器具や部屋が清潔な状態で精製すれば、このように赤い結晶になるわ。黒い結晶がブラックオニキスと呼ばれてるのなら、この赤い結晶は2人の思い出のカクテルから名を取ってファイヤークリスタルとでも名付けましょうか?」
Marcyにとって萌との思い出など無かった(カモには適当に作ったカクテルを適当に名付けていたため)が、これからはドラッグの心配が無くなることを考えると笑いが止まらず、ただただ萌を抱き締めた。萌は好きな男が喜んでいる姿に今までのことが報われるくらい幸せを感じていた。




