3 山下翠と高峰桃子
サーバールーム火災から一ヶ月後、翠と桃子は山道をSUVで走っていた。閉鎖された研究所を住み込みで警備するという仕事だ。正直クビも覚悟したが、翠にいたっては警備隊長に任命されるという異例の出世だった。桃子においても持ち場を外れるというあり得ないことをしたのだが、実質お咎めなしだった。勤務地が本社ビルから山奥の閉鎖された研究所になるということはある意味島流しかもしれないが、給与は今までどおりだし、遠隔地手当や宿泊手当まで支給されるのだから悪い話ではなかった。ただ研究所の警備だけでなく、周囲の不法投棄の調査も業務に含まれていたので、翠と桃子の2名体制では激務であることが予想された。そのせいもあり、2名では持て余す種類と量の装備が支給され、SUVのトランクには収まりきれず、カーゴを牽引し対処した。装備を積んだカーゴはかなりの重さだが、皇自動車の誇る大型SUV「SANADA」は負荷を感じさせない快適な走りを彼女らに提供した。ちなみに「SANADA」も今回の任務用に装甲を含む改造が行われ、さながら装甲車のようであった。もっともSUVの屋根部分には暴徒鎮圧ようの放水銃や大型テイザーガンを設置する台座もあり、『装甲車そのもの』という表現のほうが妥当であるが。
「山下隊長、ナビではそろそろ研究所に到着するはずであります。」
桃子がふざけて行った。
「先輩やめてくださいってば。普段どおり呼んでくださいよ。」
翠が答えた。
「いえ、自分は下士官であります。」
桃子はさらにふざけた。
「もう!だったらくノ一の正体が先輩だって、バラしますよ。」
翠が意地悪そうな顔で言った。
「いや、だからそれ私じゃないって!」
研究所までの道中、幾度となくこのやり取りがループしていた。
「あっ、あれじゃない?」
助手席の桃子が指差した。指の先には大きな建物が見える。閉鎖した研究所と聞いていたので、廃墟を想像したが、洗練されたオフィス街に建っていても違和感のないスタイリッシュな建物だった。
「あーなかなかおしゃれですねぇ。」
翠が間の抜けた感じで応えると、急に桃子の口調が変わった。
「ちょっとあれ見て!」
桃子の目線の先には全裸の女性が2人、研究所に入ろうとドアを叩いたり何か叫んだりしている。傍らには服を着た女性が倒れている。
「性犯罪?」
翠も桃子も同じことが頭をよぎった。しかし、よくわからない獣の群れが全裸の女性達を襲おうと迫ってきている。
翠は咄嗟にクラクションを鳴らしながら、アクセルをベタ踏みで群れに突っ込んだ。
3頭ほど跳ね飛ばし、全裸の女性達の前で停車した。おそらく跳ね飛ばした3頭は即死だろう。
「とりあえず乗って!」
桃子が後部ドアを開け叫んだ。
全裸の女性2人が意識のない小柄な女性を支えながらSUVに乗り込んだ。乗り込んだのを確認し、桃子はドアを閉める。
「一体どうしたの?」
全裸女性の一人、沙織はまだパニック状態だったが、ミユカは冷静に状況を語った。自分達は今日この研究所に配属された者であること。露天風呂に入浴中に女性が森から出てきたこと。犬のような獣に襲われ逃げて来たこと。IDカードが脱衣場にあり、研究所に入れないこと。研究所には所長がいるはずだが、インターホンの応答がないこと。それらを簡潔に説明した。
翠達もこの研究所に配属された警備員であることを説明し、お互いに簡潔に自己紹介を済ませた。
この間、獣達はSUVに体当たりを繰り返している。装甲上問題ないが車体は激しく揺れ、横転しそうな状態だ。体当たりを繰り返している獣も衝撃で頭蓋骨が変形している。よく見ると陥没して出血している箇所から糸のようなものが蠢いているのが見える。
一同の視線はSUVに体当たりしている獣達に向いていたが、翠が前方の視線に気づいた。
「跳ね飛ばしたワンちゃん達が立ち上がってます。」
即死したはずの獣達があり得ない方向に身体を曲げながら、こっちに向かって来る。骨折した箇所を修復しているのだろう。ついにはSUVは獣達に取り囲まれてしまった。
「翠ちゃん、どうする?」
「とりあえず逃げます?でも麓までこの子らが追って来たら、町の人達も迷惑しちゃいますね。」
「この子らって……」
桃子は一瞬ツッコミそうになったが気を取り直し提案した。
「とりあえず全部跳ね飛ばして、その隙に降りて私が直接攻撃するってのはどう?」
「いいですね。そうしましょう。」
桃子の提案に翠が賛同した。
「でも、直接攻撃って、10頭くらいいますが大丈夫ですか?」
ミユカが心配そうに聞いた。
「大丈夫ですよ。肉弾戦なら桃子先輩に敵うものはいませんから。」
「ええ。それに私にはこれがあるから。」
翠の返答に桃子が付け足しつつ、懐から何やら鉄の棒のような物を取り出した。
「桃子先輩、それ何ですか?新しい武器ですか?」
翠が少女のように目を輝かせながら聞いた。
「謹慎中暇で警棒を2本繋げて、ヌンチャクを作ったの。」
「ヌンチャクってますます『くノ一』じゃないですか?」
「だから、違うって。そもそも忍者はヌンチャクなんて使わないわよ。」
「でも、先輩だけズルい。」
翠が頬膨らませてスネた。
「いや、翠ちゃんの専門は小太刀でしょ。訓練の時、他の武器はボロボロだったじゃない。ヌンチャクについては現役の頃、凶器として使ってたし、自信あるんだ。」
「現役?凶器?」
ミユカが不思議そうに聞いた。
「あっ、私、皇グループに入る前はプロレスラーだったんだ。」
「あーなるほど。」
ミユカも沙織も納得した。
「あのー、そんな格好で湯冷めしませんか?」
翠の急な問いかけに、ミユカも沙織も答えられずにいると、桃子がツッコんだ。
「もう湯冷めしてるわよ。あっ、その辺のスーツケース開けて、適当に着てください。着終わったらさっきの打ち合わせどおり、怪物退治するんで、とりあえず最初に手に取った物を着てください。」
「ありがとうございます。」
ミユカと沙織はお礼を言い、傍らのスーツケースを開けた。車内は薄暗いため良く見えなかったが、ミユカがとりあえずスーツケースの中から2枚取り出し、1枚を沙織に渡した。
2人とも急いで着たのだが、お互いを見て吹き出した。ミユカが着たのは片にプロテクターのような物が付いた派手なガウンで、沙織が着たのは
ピチピチのワンピースの水着だった。
「ごめん。それ私のレスラー時代のコスチュームでした。」
吹き出した2人を見て桃子が舌を出した。
「先輩、何でそんな物持って来たんですか?」
翠がツッコんだ。
「ごめん。ごめん。そのスーツケース巡業時から使っててさあ…コスチュームも取り出すのめんどくさくって、ずっと入れたままにしてたんだ。あっ、ちゃんと洗濯はしてるので、安心して。」
桃子がまた舌を出した。
「それにしても2人とも、よく似合うわ。特に沙織さん…でしたっけ?まるでレースクィーンみたい。」
桃子がコスチュームのことを誤魔化すかのように沙織を誉めた。実際、沙織は桃子と比べると一回りぽっちゃりしていて、抱き心地の良さそうな男好きする体型のため、ワンピースの水着は少し小さく、偶然にも胸の谷間がくっきり見えるハイレグのような水着になっていた。
SUVに乗り込んだ時は動揺していた沙織もこのような会話をしている内に落ち着きを取り戻した様子だった。
「実は私以前はレースクィーンしてたんです。それから…良ければ運転、私にさせてくれない?こう見えて会長の専属ドライバーなの。」
「えーすごーい。是非お願いします。」
沙織からの提案で翠が後部座席に移り、沙織が運転席に座った。車内は広いため移動はスムーズだった。
「じゃあ行くよ。ミユカはその女の子お願い。2人とも準備はいい?」
沙織の問いかけに翠と桃子がうなづく。翠は使い慣れた警棒を桃子は警棒を改造したヌンチャクを構えている。どちらの武器もスタンガン機能とレーザーブレイドを搭載している皇グループ特製の武器である。
2人の合図をきっかけに沙織はアクセルをふかした。タイヤが外れるのではないかと思うほどキュルキュルと悲鳴を上げている。次の瞬間、急発進し前方の3体を跳ね飛ばし、そのままドリフトし方向転換。次々と獣達を跳ね飛ばした。その際、ドリフトを繰り返したためタイヤが焼け、辺りはゴムの焼ける不快な臭いが充満した。
ひととおり獣達を跳ね飛ばし、動きが止まったところで、翠と桃子が飛び出し倒れている獣達を持っている武器で1体ずつ滅多打ちにし、トドメをさしていった。
頭蓋骨などを打砕いたため、獣達は息絶えるはずだった。しかし、獣達は次々と復活していった。砕けた骨はあり得ない方向に曲がりながら傷口から糸のようなものを出し再生し、翠と桃子に襲いかかった。
「ゾンビ犬…」
翠が呟いた。
「でも、ゾンビって、映画じゃ頭砕いたら死ぬじゃん。」
桃子がヌンチャクを的確に獣の頭部にぶち当てながら叫んだ。さらに後方から飛びかかって来る獣にも振り回したヌンチャクで頭部を破壊した。
「先輩、それ映画の話ですもん。本物のゾンビって、こんな感じじゃないですか?」
翠もそうは言いながら、ゾンビ犬の頭を叩き割っている。
「こんな感じって…翠ちゃん!後ろ!」
桃子の声で後ろを振り向うとしたが、ゾンビ犬が警棒に噛みつき放さない。結果、反応が遅れ、ゾンビ犬が翠のうなじに飛びかかった。
が、その瞬間、沙織のSUVがゾンビ犬を跳ね飛ばした。
「沙織さん!ありがとうございます!」
「さっきのお返しよ。離れたゾンビ犬は私が跳ね飛ばすから、近くのゾンビ犬に対応して。」
「了解!ワンちゃん達はしっかりしつけます。」
と、余裕の返答をしたものの、ゾンビ犬はまだ翠の警棒に喰らいついて放さない。
「めっ!お仕置きよ!」
翠はスタンガンの機能をオンにして、一気に放電した。もちろん出力は最大である。
バリバリバリバリバリ
数秒ほど放電すると、ゾンビ犬はしばらく痙攣し、口から警棒を離し、地面に倒れた。ピクリとも動かず、穴という穴から黒い煙を出している。先ほどまで傷口から出ていた糸のようなものも炭化している。
「先輩やりました!電撃が効くみたいです!最大出力でお願いします!」
「了解!」
そう応えると桃子はヌンチャクの鎖を引きちぎり、2本の警棒にして構えた。
「もう少しヌンチャクで遊びたかったけど、残念。」
前方からは2体のゾンビ犬が桃子に飛びかかって来ている。
桃子はスタンガン機能をオンにし、飛びかかって来た2体のゾンビ犬の口にそれぞれ突っ込んだ。
バリバリバリバリバリバリバリバリバリ
翠の時と同様、2体のゾンビ犬は黒い煙を出しその場に倒れ込んだ。
「すごい!これ楽しい!ゾンビ犬ども私が相手よ!Just Bring It!(かかってきな)」
桃子は今やハリウッドスターになったアメリカのレスラーの真似をして、ゾンビ犬達を挑発した。
「桃子先輩!最大出力でのスタンガン機能は1回しか使えませんよ!」
「えっ?そうなの?」
そういえばスタンガン機能のバッテリーを格納している警棒部分がかなり熱を帯びている。いわゆるバッテリー切れだった。
先ほどの挑発のせいか、残りのゾンビ犬が全て桃子の方に向かっている。残りは7体。
翠も桃子の横に駆け寄り構えた。
「さすがにこれはしんどいんじゃない?ここは私に任せて逃げなさい。」
桃子が笑顔で申し出た。
「サーバールームでの借りもありますし、くノ一さんを一人で死なせませんよ。」
「だから、あれは私じゃないって。」
もはやルーティンとなった会話が終わるとゾンビ犬達はすぐ目の前に迫っていた。
その時、クラクションを鳴らしながらSUVが翠達とゾンビ犬達の間に割って入り停車した。
「とりあえず乗って!」
車内からミユカが叫んだ。1時間前と逆の光景だった。
桃子は車内に乗り込もうとしたが、翠が牽引しているカーゴを指して言った。
「あの武器なら倒せるかもしれない。」
「『雷電』ね。でも台座に設置する余裕なんて…あぁ私が持つのね。」
「さすが先輩察しがいいですね。」
言いながら翠と桃子はカーゴに乗った。
「ワンちゃん達に追いつかれても構いませんので、ゆっくり走ってください。」
翠が沙織に指示した。沙織は指示どおりゆっくり車を走らせた。
「このスピードなら振り落とされませんね。先輩、私が援護しますので、『雷電』のセットお願いします。」
「了解。」
2人のやり取りの間もゾンビ犬は飛びかかって来たが、翠が冷静に警棒で対応していた。ゾンビ犬自体はすぐに復活し、再び追いかけてくるためスタミナ勝負となった。
その間、桃子は迅速にカーゴに積まれた幾つかのケースを開け、『雷電』を組み立てた。
「準備出来たわよ。肩貸して。」
翠が振り向くと、丸太のような大きさの『雷電』の銃口を空に向け桃子が仁王立ちしていた。桃子の身長は自分より少し高いくらいだが、『雷電』を構えた桃子は金棒を持った鬼のように大きく見えた。
『雷電』とはいゆる大型のテイザーガンである。
一般的にテイザーガンはワイヤーに繋いた電極を対象に発射し電極が刺さったところで電流を流す仕組みである。離れた対象を鎮圧出来るという長所もあるが、連発が出来ず、複数相手はもとより外してしまえば役に立たないという短所もある。
その欠点を補ったのが、皇グループの開発したテイザーガン『雷電』である。『雷電』の特徴は単発であることは変わりないが、一度に数十本の電極を発射するため、同方向にいる複数を対象にすることが出来る。射程は本家と同様8メートルほどだが、数十本の電極がショットガンのように5メートル四方の弾幕を形成するため、対象を外すリスクも少ない。
翠は襲いかかってくるゾンビ犬を警棒で払い落としてから桃子に背を向け片膝を付いた。
「どうぞ。」
「重いわよ。」
と、同時に翠の肩にゆっくりと銃口は下ろされた。
銃口は確かに重かったが、思ったほどではなかったのは、桃子が銃の大部分の重さを支えているからだろう。翠はあらためて桃子の優しさに感謝するとともに、この重量をほとんど1人で支えることの出来る桃子のパワーに驚嘆した。
「なるだけ引き付けてから撃つよ。」
「はい。」
間もなくして、7体のゾンビ犬が全て復活し、翠に飛びかかってきた。
「先輩、今です!」
「Rest In Peace!(安らかに眠れ)」
バシューン
次の瞬間、数十本の電極が放たれた。
「着弾! 車を止めてください。」
翠が叫んだ。
「放電!」
翠の合図で、桃子が放電トリガーを引き、沙織が急停車した。
バリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリ
数秒の放電の後、ゾンビ犬達は黒煙を上げながらピクリとも動かなくなった。
「やりましたね。先輩!」
2人がハイタッチしていると沙織とミユカが降りてきた。
「沙織さんも凄いテクニックですね。」
翠が沙織を讃えた。
「私なんか車で轢いただけだから。それより2人とも強いわね。」
沙織は謙遜しながら、質問した。
「桃子さんは元レスラーだからとして、翠さんは何かやってたの?」
「スポーツチャンバラを少し…」
翠は小声で答えた。経験上、この後の反応が想像出来るので、どうしても小声になってしまう。
「スポーツチャンバラ?あれって、遊びじゃないの?」
沙織が半笑いで小馬鹿にするように言った。翠にとっては想定内の反応だったが、ミユカがすぐに割って入った。
「沙織さん。スポーツチャンバラは立派なスポーツです。判定はある意味剣道よりシビアで実戦的です。侮るのは失礼ですよ。」
沙織はミユカの発言に驚き、戸惑いの表情をみせた。
「ところでミユカさん、車内の女性の様子はどうです?意識は?」
なんとなく変な空気になったことを察したのか、慌てて桃子が質問した。
「まだ、目を覚ましません。脈は正常なので命に別状はないのですが、ケガをしてるかもしれませんし、先ほどの犬がゾンビだったのなら…」
「噛まれてたら…ゾンビに…」
翠が呟いた。
「いやいや映画だともっと転化するのはもっと早いじゃん。それに遅いバージョンだったら発熱するじゃん。」
桃子がみんなを不安がらせないように言った。
「でもそれ映画だし…」
翠が反論した。
「一応申し上げておきますが、発熱はしてないようです。身体も確認しましたが、擦り傷や切り傷、打撲はありましたが、噛まれた跡はありません。でも、ちゃんとした医療機器での診察が必要です。私は医者ではありませんが、看護師をやっていましたので、機器の操作は可能です。幸いこの研究所は医療設備が充実していますので、大概のことは可能です。」
ミユカの情報共有で一同ひとまず安心したようだった。
「ただ問題はどうやって研究所に入るかですが…」
ミユカがあらためて問題を提起した。
「中に所長がいるんでしょ?開けてもらえばいいじゃん。」
桃子が言った。
「これだけの騒ぎに何の反応もしないのは何かあったのではないでしょうか?」
ミユカが心配そうに言った。
「どうせビビって部屋に籠もってるだけでしょ。昨日まで引きこもりだったんだから。」
「沙織さん!」
沙織の発言をミユカがすぐに諌めた。
「ひたすらスマホで連絡したらいいんじゃないですか?」
またおかしな空気になりそうだったため、翠がすぐに発言した。
「そうそう、あっ、圏外…」
桃子が自分のスマホを見た。
手詰まり感が漂う中、露天風呂の方向から獣の吠える声が聞こえた。
振り向くとかなり大型のゾンビ犬が小太りの中年男性を引きずりながら、もの凄い勢いで向かって来ていた。