1 プロローグ
山下翠は焦った。
苦労してやっとのことで就職した「皇グループ」、会長のワンマン経営やセクハラで離職率こそ高いが、手取りで月給100万円の職は失いたくない。警備員として雇われた初日、しかも絶対に侵入を許してはいけないサーバールームに侵入者を発見したのだ。
翠の実家は自動車修理工場を経営していた。大きな工場ではなかったが、経営は順調だったため高校を卒業するまでは大変裕福だった。そのせいもあって両親は緑が興味のあることは何でもさせてあげた。水泳、英会話、新体操、茶道などジャンルは問わなかった。それぞれあまり長続きせず、才能は開花しなかったが、小学生の時に何気に始めたスポーツチャンバラだけは驚くべき才能を発揮した。ひと通りの得物は使えるのだが、小太刀の部では小中高と世界大会に出場するほどの腕前だった。そのうえ色白でルックスも良かったため「美少女過ぎる剣士」として全国区のTV取材を何度か受けたこともあった。スポーツチャンバラというと、競技人口は他のスポーツに比べると少なくそのネーミングから「子どもの遊び」を連想する人も多いが、攻撃箇所を選ばない点や得物の種類の多さを考えると意外に実戦的なスポーツである。また、翠が育った地域ではスポーツチャンバラが活発だったこともあり、将来的には師範となり、道場を経営するのも悪くないと考えていた。
しかし、高校を卒業する直前、父が病に倒れた。手術には高額の費用が必要だったため、工場を手放すしかなかった。幸い手術は成功し、一命はとりとめたが、完治しなかったため、その後も高額な治療費が必要だった。
翠は進学を諦め、就職し上京した。昼は事務職をしていたが、事務職の給料だけでは父の治療費を支払えなかったため、夜はクラブでアルバイトをした。翠が「美少女過ぎる剣士」だったことは誰も知らなかったが、かつての美少女は美しく過ぎるほどの美女に成長していた。そんな折、皇グループ会長 皇 剛造の目に止まった。皇会長は規格外の女好きで、多忙にもかかわらず、「気になる女性がいれば時間を割いて会いに行き、さらに口説く」ということで知られている。例えば相手が地下アイドルだった場合、自ら握手会に出向くほどである。当然、翠に対しても例外ではなかった。翠のもとに何度も通い、関係を親密にしていった。もっとも剛造は初対面で「愛人になってくださいますか?」と口説いてはいたが。剛造は齢70近くだが、背も高くスーツ姿も様になっている。ダンディで50くらいにしか見えない。会長職という立場上、もう少し横柄でも良さげであるが、慇懃無礼ととられるほど丁寧な口調で話す。そして話し方とは裏腹に気さくだ。そのギャップがなかなかの魅力で、翠も恋愛感情こそないが、会っていくうちに好感は増した。そのうち翠の方から身の上話をするようになり、父の病気のことやスポーツチャンバラで世界大会に出たことなどを話した。その度に、剛造は愛人の話を持ちかけたが、翠は剛造の機嫌を損ねないようかわし続けた。ある日のこと剛造は緑にこう持ちかけた。
「スポーツチャンバラの腕を活かし、弊社で警備の仕事をやってみませんか?ご存知のとおり、私は女性を愛するために生きています。ですので警備員も女性ばかりで構成しています。しかしながらなかなか腕の立つ方が集まらないのですよ。勤務先は『皇美堂』です。『エリクス』も使いたい放題ですが、いかがでしょうか。」
『皇美堂』とは皇グループの化粧品や医療品を扱う会社である。皇グループはそもそも旧財閥で、美容医療品の製造流通だけでなく、自動車製造 電化製品 病院経営 学校経営など、おおよそ思いつく業種すべての経営に携わっている。自衛隊の武器や装備の製造も皇グループが行っいる。
そして、『皇美堂のエリクス』と言えば、近年稀にみるヒット商品で肌の活性化いわゆる若返りを可能にした化粧水である。一瓶3万円と高額ではあるが、毎日塗り続けると一週間で皺が消え、さらに使い続けるとシミや小さな傷跡も消えるという代物だ。「エリクスの原液であれば、欠損した体の部位も生えてくる」という都市伝説もあるくらいである。
さらに剛造は続ける。
「福利厚生も充実していますし、給料は手取りでこれでいかがでしょう?」
剛造はそう言って人差し指を一本立てた。
「10万ですか?福利厚生が充実してても、それでは父の治療費は払えません。」
少しがっかりしたような翠の答えに剛造は笑いながら返す。
「失礼ながら桁が違います。100万円です。それにお父様の治療費全額負担いたしましょう。」
翠は咄嗟に剛造の左手を両手で握りしめ、涙を流し「ありがとうございます。よろしくお願いします。でも‥‥‥」と頭を下げつつも不安な表情を見せた。
剛造は右手で翠の頭を優しくポンポンと叩き、
「大丈夫です。これを理由に愛人になれとは言いません。緑さんがなりたかったらなればいい。これはビジネスの話です。」
確かに剛造はこれまでに百人以上の女性を口説いてきた。お金の話はするが、自身の権力を濫用し弱みにつけ込むことはなかった。そういう点はフェアであったし、結果的に女性の方がほだされることは多々あった。
「もちろん警備の仕事は初めてでしょうから、マニラで訓練を受けていただきます。未経験でも大丈夫ですよ。」剛造は優しく微笑んだ。翠はただただ剛造の胸で泣くことしか出来なかった。
次の週、翠はマニラに飛んだ。
訓練は過酷としか言いようがなかった。
警備の訓練と聞いた時は、護身術や逮捕術、基礎体力向上のための走り込みなどを想像したが、射撃訓練はもとより爆弾解除や目隠しして銃を分解して組立する訓練まであった。走り込みなどの訓練も場所が地雷源であったり、ジャングルを行軍したりと、もはや軍隊の訓練であった。
離職率の高さは会長のワンマン経営によるパワハラやセクハラが原因だと噂されていたが、この過酷な訓練が原因では?と思った。しかしながら、この訓練期間中も給与は振り込まれている。生活費は一切かからないし、洋服や化粧品なども皇グループの製造したものを無料で使用できる。お金は貯まる一方であるし、父の工場も買い戻せるかもしれない。何よりも会長からいただいたチャンスに報いたかった。
マニラに来てから半年が過ぎた。基礎体力や徒手格闘、射撃については他の訓練生に付いていくのがやっとだったが、警棒やナイフを使用した組手では、翠に勝てる者はいなくなった。
そういった実力もあり、無事訓練は終了。帰国し、皇美堂本社ビルの警備の任に就いたのであった。
そもそも翠の巡回時間では無かったのだが、先輩社員の高峰桃子が「サーバールームに忘れ物をしたので取りに行く。」旨、言い残し警備室を出たきり、戻って来ないため、捜索に向かったのであった。もっとも相方の捜索等で持ち場を離れる時は、警備本部のある別のビルに連絡を入れるようになっている。翠はその旨、本部に連絡し、サーバールームに向かった。
サーバールームに着くなり、桃子に呼びかけた。
「桃子先輩。いますか?何かあったんですか?」
返事はない。高峰桃子は組技と空中殺法を得意とする元女子プロレスラーである。決して大柄ではないが、筋肉質で力が強い。Gカップはあろう胸もしっかり筋肉で覆われている。マニラでの訓練期間中、最初の一ヶ月は桃子と寝食を共にした。その後、桃子は訓練期間を終了し、帰国。現在の任に就いた。
「何かあったのでは?」と心配もしたが、厳重なセキュリティの中、サーバールームに侵入することは不可能であるし、仮に侵入者がいたとしても桃子先輩が不覚をとるとは思えない。
しかし、サーバールームの奥に人の気配はする。不用意に近付くのは危険なので、一旦サーバールームを出たふりをした。IDカードをカードリーダーに通し、ドアを開閉し自分はそのままサーバールームに残ったのであった。この場合、自分は記録上サーバールームから退室したことになっているため、再度カードリーダーにIDカードを通してもパスバックエラーで退室出来ない。ただ仮にサーバールーム奥の気配が先輩で無かったらと考えると、相手を油断させるにはこの方法はこれしか思いつかなかった。最悪の場合、本部に連絡を入れているので、30分後に緑が再度連絡しなかった場合、本部から安否確認に来る手はずになっている。
翠は3分ほどその場で待機し、呼吸を整えた後、足音を立てないよう、サーバールームの奥に進んた。奥にはメインサーバーがあり、このサーバーに不正アクセスされウイルスをインストールされたら、皇美堂だけでなく、皇グループ全てのサーバーに影響するかもしれない。サーバールームにはメインサーバーの他、50基以上のサーバーが迷路のように設置されている。通路は1人で通るには充分な広さだが、2人並んで通るには狭い。あたりを警戒しながら慎重に歩き、メインサーバーに辿り着くと、メインサーバーに小型のノートパソコンのような物が繋がれていた。その画面には規則正しく並んだ2桁の数字が忙しなく蠢いており、画面下部には何かしらの進捗率を表示するバーが表示され、既に進捗率は80%を超えていた。さらに「予定完了時間 5分」と表示されている。PCに疎い翠はこれがどういう状況か正確には理解出来なかったが、マニラでの訓練で「PCにウイルス感染の疑いがあればLANケーブルを抜け」と教わった。どのケーブルがLANケーブルか判らなかったが小型のノートパソコンをサーバーから引き剥がそうと手を伸ばした。指先がパソコンに触れようとする瞬間、嫌な気配を真上に感じた。翠は咄嗟にその場から離れようと床を転げ、距離をとった。と同時に腰に装備している警棒を構えつつ、真上を確認した。
「くノ一?」
くノ一は刀を抜き、翠の頭上に振り下ろそうとしていた。翠の動きが一瞬速かったため、刀は宙を切り、床寸前で止まった。
忍者と言っても、時代劇に出てくるような装束でなく、肌の露出が多く、ゲームやアニメのコスプレのような格好であった。プロテクターの様な物で腕や胸等を保護しているが、それ以外の部分はメッシュ時の生地をまとっている。おそらくケプラー繊維で加工された防刃仕様だろうが、肌が透けて見え、胸の谷間もしっかり確認できる。女性目線で見てもかなりセクシーだ。また、すべてが黒色で統一されているのもカッコいい。自分のいかにも警備員のような装備と大違いだ。
などと一瞬雑念がよぎったが、すぐに相手に集中した。刀は刃渡り50cmくらいの忍者刀だった。刃は上を向いていたため、先ほどの攻撃は峰打ちをねらったのだろう。殺意はないように思えるが、当たれば骨折は免れないだろう。
何だかんだでえげつないとも思ったが、お互いさまである。こちらの警棒も当たれば骨折は免れない。しかも緑が標準装備している警棒は皇グループが開発した特別製で二種類の機能が搭載されている。一つはスタンガン機能。対象を無力化するには有効だが、最大出力で使用すると水牛を感電死させる威力がある。2つ目はレーザーブレード機能である。警棒の打撃部分からレーザーが出力される。その性能は厚さ10cmほどの鉄板であれば切断出来る。いずれにせよ警備員が装備するには過剰か機能であるし、対象の殺傷を目的としたものとしか思えなかった。
翠は相手が峰打ちを狙っている以上、2つの機能の使用は控えることとした。
対峙してから数秒が過ぎた。くノ一は仕掛ける気配をみせない。
そもそも何故アニメキャラのようなコスプレをして侵入しているのだろう。ここに来るまでそのコスチュームで来たのだろうか?翠はそのようなことを考えたらおかしくなり、つい口元が緩んだ。
「こんな時に微笑むなんて、余裕ね。それか戦うことが好きで嬉しいのかしら?」
くノ一はいかにも加工された声で話しかけた。口元を覆っている布にボイスチェンジャーが仕込まれているのだろう。
「ごめんなさい。そのコスチュームで電車に乗ってここまで来たのかと思うと、可笑しくて。いえ、あの、馬鹿にしてるわけではないです。私も
制服がそういうのだといいなって思って。でもあなたみたいに胸が無いから似合うかな?」
決して挑発しているわけではなく、翠は天然だった。
「大丈夫よ。あなた綺麗だからきっと似合うわ。でも、その顔を隠すのはもったいないわね。」
意外にもくノ一は会話を続けた。
「ありがとうございます。きっとあなたの素顔も綺麗なんでしょうね‥‥あの、お名前教えていただけますか?」
「やっぱりあなた天然ね。名前教えれるくらいならこんな格好してないわ。」
くノ一は笑いながら答えた。加工された笑い声が翠のツボにハマりまた笑った。
「ですよねぇ‥‥‥‥‥あっ、もしかして時間稼いでます?」
「わかる?」
「そろそろ行きますね。」
言い終わらないうちに翠は仕掛けた。
くノ一との距離は5m。一気に距離を詰め、警棒で対象の右手を一撃。スポーツチャンバラ時代から最も得意とする戦法だった。この動作をほぼノーモーションで行うため、対象が気づいた時には翠が至近距離にいて防御が間に合わない。
翠がくノ一を攻撃圏内に捉えた瞬間、翠の攻撃より速く、忍者刀の切っ先が緑の喉元に突き立てられた。このまま踏み込めば殺られる。急遽、後退した。当然、くノ一は追撃。胸元、腹部など数撃突きを放った。翠は後退しながら全て躱したが、全て正中線をしっかり捉えられ反撃出来ない。ついには壁際まで追い詰められた。
「全部躱すなんて、さすがね。」
くノ一は再び距離を取りながら言った。
「でも、全部寸止めでしたよね。もう、見切っちゃいました。」
翠は返した。
「へぇ~‥‥」
くノ一が言い終わる瞬間、緑は先ほどと同じく一気に距離を詰めた。ただ先ほどより半歩手前で攻撃態勢に入った。
くノ一も先ほど同様、翠の喉元に切っ先を突き立てるつもりだったが、半歩分足りない。
先ほどのくノ一の攻撃は翠よりスピードが勝っていたわけでなく、翠の攻撃圏内を予測し、自ら攻撃圏内の手前まで距離を詰め、翠のタイミングを狂わせたものだった。今回の翠の攻撃はそれを逆手にとったものだった。
翠は警棒で忍者刀の切っ先を払い、くノ一の右手首を打った。
くノ一の右手首のプロテクターは砕け、刀を落とした。くノ一は痛みで膝を付くように見えたが、そのまま真上にジャンプし、両脚で緑の頭を挟んだ。翠はくノ一の重さで前方に倒れそうになったため、後方に身体を反らす。それに合わせてくノ一も翠の頭上で上半身を起こしたかと思うと一気に後方に上半身を後方に反らした。その反動で緑は顔を床にたたきつけられそうになった。いわゆる「フランケンシュタイナー」である。翠は顔面が床にたたきつけらる恐怖から思わず目をつぶったが、くノ一が翠の頭部を挟んでいた膝を緩めたため、翠はくノ一の後方に投げ飛ばされた。
くノ一が翠を顔面から落とさなかったことと、翠が装備しているプロテクターのおかげで翠にほとんどダメージは無かった。翠は起き上がりながら、くノ一を確認した。
くノ一は既に立っていたが、右手のダメージが激しいのか、忍者刀を添え木代わりにと歯と左手で右手に巻き付けていた。忍者刀の切っ先は肘からはみ出ているため、武器としての機能は失われていなかった。むしろ峰打ちが不可能なため、右手に巻き付けてある忍者を使用するのであれば、翠を殺す覚悟だろう。
翠はメインサーバーに繋がっているノートパソコンの画面に目をやった。進捗率は98%、予定完了時間は1分を切り、秒読み段階に入っていた。時間はもうない。
翠は警棒のスタンガン機能のスイッチを入れ、出力を最大にした。
「どうやら本気のようね。」
くノ一は構えた。
「手負いだから手加減出来ないわ‥‥‥来なさい。」
しかし、翠はくノ一から視線を外し、右側にあるサーバーをおもむろに滅多打ちにした。当然、サーバーはショートし火花を散らした。ショートは瞬く間に拡がり、サーバールームのすべてのサーバーから火の手が上がった。メインサーバーもひときわ派手に火花を散らしている。
「ちょっと翠ちゃん!何してくれてんの!」
「えっ?」
くノ一から名前を呼ばれたことで、翠は戸惑った。
「あっ。」
くノ一は自分の失言に気づいたが、気を取り直しメインサーバーに繋げているノートパソコンに目をやった。
「これが狙いだったのね。」
左手で黒焦げになったノートパソコンをつまみ上げた。
翠は満足そうに笑みを浮かべながら頷いた。
ジリリリリリリリリリリリ
けたたましく非常ベルが鳴った。
「火災発生。まもなくガスが放出されます。速やかに退室してください。」
無機質な男性アナウンスが繰り返し流れている。
サーバールームのような機械室には一般的な消火設備である粉末消火器やスプリンクラーは設置されず、CO2消火器やハロゲンガスや窒素ガスにより酸素を無くす消火設備が設置されている。サーバールームにも同様の消火設備が設置されていて、熱と煙により作動したのであった。ガスによる消火は可燃物である酸素を排除するため、非常に有効ではあるが、当然室内にいる生物は窒息死する。
「名残り惜しいけど、お別れね。」
「そうですね。本当だったらあなたを確保すべきでしょうけど、早く出ないと死んじゃいますもんね。」
「じゃあね。ほんとは巻き込みたくなかったけど‥‥‥‥初日からごめんね‥‥」
と、くノ一が話している途中で翠の近くにあるサーバーが派手に爆発し、破片が翠の頭を直撃。さらにサーバーが倒れかかり、下敷きになってしまった。翠はそのまま意識を失った。
「山下さん、山下さん、しっかりして。聞こえる?山下さん。」
目を開けると女性警備員とおぼしき者が呼びかけていた。翠からの連絡がないため、本部から安否確認で来たのだろう。女性警備員と言っても翠が着用しているようなプロテクターではなく、黒尽くめのスーツで、インカムを付けている。救急隊員も近くにいる。どうやらサーバールームの外で気を失っていたようだ。手には警棒を握りしめいてた。
「すみません。侵入者を逃がしてしまいました。」
「えっ?侵入者がいたの?それでこの有り様というわけね。」
「あの…桃子先輩は?」
「あー高峰桃子さんね。私が駆けつけた時、ちょうどトイレから出てきたわ。いま、別の隊員が事情を聴いてる。この騒動のことは気づかなかったみたい。非常ベルを聞いて、慌ててトイレから出て来たみたい。」
「あの…桃子先輩は怪我とかしてませんでしたか?例えば右手とか…」
「いいえ。大丈夫よ。この騒動を気づかなかったことについては、かなり凹んでたけど。それにしても何が起きたの?」
女性警備員は顎でサーバールームの方を指した。中は鎮火しているが、黒焦げのサーバーが散乱している。
「すみません。この方法しか思いつかなくて…あっ、私…サーバーの下敷きになって意識を失ったんでした。あなたが助けてくれたんですか?」
「えっ?自力で脱出したんじゃあないの?私達が来た時にはサーバールームの前で壁に持たれて意識を失ってたわ。中にも真っ二つに切り裂かれたサーバーがあったし、あなたが警棒のレーザーブレード機能を使ったんじゃあないの?」
「多分、違うと思います。」
「そう…てか、あなたがやったの?ただじゃあ済まないわよ。メインサーバーなのよ!皇美堂だけじゃあなくグループ全体の業務に影響するわ!大損害よ!」
女性警備員は声を荒げた。
「すみません。」
翠は項垂れた。が、続けて質問した。
「先ほどから『じゃなくて』て言い方ではなく『じゃあなくて』言い方ですが、ジョジョのファンですか?」
こんな時でも翠は天然だった。
「今、そんな話をしている場合じゃあないでしょう。」
言いながら女性警備員も冷静さを取り戻した。ちなみにジョジョファンであることは図星だった。
「まあいいわ。とりあえず今から病院に搬送するわ。今日のところはひとまず入院ね。落ち着いたら事情を詳しく聴かせてもらうわ。」
女性警備員はインカムで指示を出した。まもなくして救急隊員が担架を担いで現れた。翠は担架に乗せられ身体を固定された。その間、女性警備員はテキパキと指示を出し、現場を仕切っていた。ただの警備員ではないのだろう。周りの反応から察するにかなり上の役職と思われる。そんな事を考えているうちに翠は運び出され病院に搬送された。
皇グループの経営する病院に運び込まれたのだが、病室は個室だった。いや、病室という表現が正しいのかどうか疑問を持つくらい、室内は豪華でホテルのセミスイートルームを彷彿させるくらい洗練されていた。ひと通り精密検査を行い、異常があれば完治するまで入院とのことだったが、不幸中の幸いもしくは幸い中の不幸かもしれないが、検査結果に異常はなく、翌日退院となった。
翠は少しだけ残念に思ったが、事件の聴取のことを考えるとおちおち入院などしていられなかった。そんな翠の気持ちを知ってか知らずか、聴取会は退院日の午後から行われた。
本社ビルに付くなり、大会議室に案内された。室内は広く、机はUの字に配置され、既に役員と思われる方々が着席していた。空席にはモニターが設置され、リモートで参加している役員もいるようだ。
翠は会議室中央の椅子が2脚のみ置かれている席に通された。席の一つには先輩警備員の高峰桃子が既に着席していた。
自分1人ではないことにホッとしたが、桃子がくノ一であるという疑念もあり、どういう聴取会になるか不安も拭えなかった。
目の前には当日、翠を救助に来た女性警備員も座っている。座席的には直接聴取や進行を行う重要な位置なため、ただの警備員ではないのでは?と今さらながら気づいた。
「それでは、先日のサーバールーム火災について、聴取会を始めます。改めまして、警備本部長のサラ ヒナガタです。」
やはりただの警備員ではなく、警備本部長だった。てか、ハーフなの?どおりで綺麗だと思った。
などと考えているうちに、つい緑は思っていることを口走った。
「あの、どちらとどちらのハーフですか?」
サラは場違いな質問に苦笑いしつつ答えた。
「正確にはクォーターです。クォーターなので外人に見られることはほぼありません。」
「日本語も完璧ですもんね。」
隣で桃子は笑いをこらえつつ、会話を止めるよう緑の袖を引っ張っている。
「山下警備員、質問に対する回答以外は発言しないように。」
サラのこの言葉をきっかけに本格的に聴取会が始まった。
聴取会というより裁判だった。しかも弁護人はいない。翠と桃子二人で弁護しあうしかなかった。緑は桃子への疑惑は全く晴れなかったが、先輩社員として桃子は全力で翠をかばった。酸欠寸前のサーバールームから救助してくれたのはくノ一だろうし、侵入者でありながら彼女は翠を傷つけなかった。そういったこともあり翠も桃子をかばった。
出席者は全員役員だったが、侵入を許したことや桃子が持ち場を離れたこと、緊急避難とはいえサーバールームで火災を起こしたこと、それらについて質問というよりは詰問され、時には罵声を浴びせられた。最終的には「何が何故起こったか?」を聴取して原因究明を行う会ではなく、「誰がどう責任をとるか?」の会に議題はすり替わっていた。
罵声を浴びせたり、ヤジを飛ばしたりするのは、役員の50%を占める年配の男性役員だった。確かにサーバールームへの侵入及び火災は由々しき問題ではあるが、それらの再発防止はさておき、各部署のメンツや表面的な損害額について議論がされた。要するに年配の男性役員は自分の部署に責任や復旧のための支出が降り掛かってくることを避けたい一心だったのだろう。
そんな折、男性役員の1人が「今回の件は警備部門が負うべき。」との発言をした。
警備本部長のサラはいた仕方ないことだと考えてはいたが、次の発言にはさすがに呆れてしまった。
「当然、高峰君と山下君も責任をとってもらわないといかん。懲戒免職だな。」と笑いながらいったのだった。
「いいえ。責任の全ては私にあります。懲戒処分を受けるのは私です。しかしながら今は事態の原因究明が優先です。あなたのように誰かに責任を押し付けてご自分の安全圏を確保することは場違いじゃあないですか?」
サラは怒りを隠しながら冷静に発言した。
「しかし君ねぇ、今回の件でいくら損害が出たか知ってるのかね!数億円は下らないよ!どう落とし前をつけるきだね!」
男性役員の反論に対して他の男性役員も同意のヤジを飛ばしている。
サラは常日頃から、国会中継で議員が発言に対し、ヤジを飛ばしているのを見るが、その度に、小学生の会議でも発言の際は挙手して発言する決まりがあるのに、いいオジサン達はそんなマナーも持ち合わせていないのか?
こんな人達が国の行く末を決めているのか?と日本の未来を憂いていた。
そして我社でも同様のことが目の前で起こっている。こんな光景を役員達だけでなく、翠や桃子といった一般社員に見られていると思うと余計に憤りを感じた。我慢の限界を感じ、立ち上がり叫ぼうとした瞬間、サラの席の後ろに設置された大型モニターから声が聞こえた。
「遅れて申し訳ない。話はひと通り秘書から聞いています。」
皇グループ会長、皇剛造だった。
「その前にいきなり発言して申し訳ない。サラ君続けてよろしいですか?」
剛造にサラの想いが通じたのか、会長という立場にありながら、あえて議長的な役割のサラに発言の許可をとった。
「本題に入る前に苦言を。これは何の会ですか?私は聴取会と聞いていましたが…裁判か何かですか?にしては、ヤジばかりで騒がしいですね。国会中継かと思いましたよ。」
続けて年配の男性役員達を指差しながら続けた。
「昔はそんなやり方で良かったかもしれない。それで責任転嫁も出来たでしょう。あなた方役員が守るべきはご自身の利益でなく会社の利益です。つまり社員の利益ですよ。状況の分析すらせず、過去の実績にしがみついて学ばないあなた方は老害です。」
剛造はネクタイを整え、側に置いてあったペットボトルのミネラルウォーターを一口飲んだ。
「少し取り乱したようですね。申し訳ない。」
端から見ると全くの冷静だった。
「話を続けます。あなた方はサーバールーム全焼による物質的被害しか見えていない。もし山下警備員がサーバールームを破壊しなければどうなっていたか?サーバーのデータを可能な限り復旧した結果、こちらのデータ全てを外部の端末に連携するウイルスを感染させようしていたようです。いいですか。全てです。つまり我がグループの開発データや企業情報、顧客情報全てです。」
年配の役員の一人が口をはさんだ。
「そうです。我がグループの開発データが盗まれたら大損害です。だからこそ厳罰に処さなければ。」
「まったくわかっていませんね。本当に守るべきは顧客情報、つまりお客様の情報です。開発データや企業情報が漏れたところで損害を被るのは我がグループです。しかしお客様の情報が漏れた場合、お客様にご迷惑をかけ、その結果、築き上げた信用は失墜します。そんなこともわからないとはまさに老害ですね。」
「私は老害では…」
顔を真っ赤にして怒りを抑えている年配役員を制して、
「まだ私の発言の途中ですよ。ビジネスマナーから学び直してはいかがですか?それはさておき、山下警備員が与えた物理的損害については問責の対象ではありますが、サーバールームを破壊したことにより顧客情報の流出を防いだことは称賛に値します。あなた方の中にあの状況でサーバーを破壊すると判断出来た方が何人いらっしゃるでしょうか?今までの流れから推測すると責任の所在やお金のことがチラついて、このような英断は出来ないでしょうね。よって二人の処分は私が預かります。異論は認めません。これにて聴聞会は終了。各自解散。」
こうして聴聞会は終了した。
聴聞会から一ヶ月後、剛造はサラのマンションの寝室に全裸で横たわっていた。隣にはサラが全裸で横たわっている。隣と言ってもサラは剛造の腕枕に頭を埋め、スラリと伸びた両脚は剛造の右脚をしっかり挟み込んでいる。シーツの乱れ、二人の汗、サラの両脚の真ん中から未だ流れ出る剛造が果てた証跡が先ほど迄続いた情事の激しさを物語っていた。
「随分久しぶりなんで、もう来ないかと思っていましたわ。」
サラの瞳はまだ蕩けている。
「申し訳ない。先日の騒動からいろいろ忙しくて。怪しい痕跡がないかグループの資産全てに調査部を入れたのですが、特に怪しいものは出てきませんでした。」
「いろいろ大変でしたね。でも夜は自宅のメイド達とお愉しみだったんじゃあないですか?」
サラは少しイジワルな目をして、剛造の股間を愛撫し始めた。驚くことに既に硬く成り始めている。
「そんなことはありませんよ。それより自宅からは大量の盗聴器と隠しカメラが見つかりました。」
「えっ?会長宅にも侵入者が?」
サラは一瞬仕事モードに入った。
「いいえ。恥ずかしい話ですが、犯人は息子でした。それから二人でいる時は『会長』と呼ばないでください。」
「剛造さん、ごめんなさい。」
と、言いつつサラは剛造に軽くキスをした。股間への愛撫は続けている。
「ということは、祐介様が黒幕だったんですか?」
「息子にそんな度胸はありませんよ。それに動機は全く別のことでしたし。」
「動機は何でしたの?」
「まあ、それは家庭の事情ということで…」
剛造は言葉を濁した。
「そこでですね。息子を家から出すことにしました。3年前に閉鎖した不老山の研究所の管理を任せることにしたんです。」
「あそこは不法投棄の問題もありますし、暴力団が出入りしていると噂もあります。失礼ながら祐介様で大丈夫ですか?」
「息子もいい歳ですし、巣立ちしないと。もう家に戻すつもりもないので、山ごと生前贈与しました。」
「でも祐介様は引きこもりで…」
「ですから職に就かせたのです。皇グループ資産管理部門とでも言いましょか?部下も数名つけますし、先般の皇美堂騒動の2人、山下君と高峰君も警備担当として送りこみます。実際、研究所のサーバールームも生きていますので、今回の侵入者が狙ってくる可能性もあります。」
「そうですね。彼女達は左遷ですか?」
「いや、山下君の今回の判断はメリットの方が大きい。警備隊長に昇格させました。高峰君については持ち場を離れていたので左遷ですが、山下君の処遇について心配していましたから、副隊長に任命しました。もっとも不老山の警備は2人だけですが…」
「そうですか…でも寛大な処置ありがとうございます。」
「どういたしまして。ところで、先ほどから愛撫された股間が爆発しそうなのですが…」
「実は私も我慢できませんわ。」
そういってサラは剛造のモノに手を添え、そのまま跨がった。
こうして夜はふけていった。