ある王太子殿下のひとり語り
よろしくお願いします!
私の名前はクリストフ。
正式な名前は長ったらしい上に儀式の時以外は使わないので省略する。
ちなみに次期国王で王太子だ。
普段は“王太子殿下”としかまわりに呼ばれない。
たまに、そういえば私の名前はクリストフだったな、なんて思うこともある。王太子になる前は“殿下”と呼ばれていたから。
普通にクリストフとだけ呼ばれたいが、気軽に呼んでくださる父上や母上はお忙しいため、ここ最近はお目にかかっていない。
呼んでもらえそうな相手は、病に倒れ帰らぬ人となった。
幼子のように寂しいのでは無いが、少々、虚しい。
…もう二十三歳なのにな。
そう思っていた。
一年前までは。
「ねえ、やはりあなたは甘党なんでしょう?どうも涼しげな顔をしてクッキーを食べているけれど、顔が綻んでいてよ?ふふふ、可愛い人ね」
妻ができた。
同盟で結ばれた国の王の縁戚にあたる令嬢だ。
まっすぐな銀髪と澄んだ湖のような瞳が美しい清らかな人で、ひと目見て恋に落ちた。
微笑む姿に心が激しく痛み、甘い痺れのようなものさえ感じた。これほど感情を揺さぶられる人に会ったことはない。なんて甘美な気持ちなんだ。初日はそう思った。
だが可憐な姿とは裏腹に、妻はよく可愛いが意地悪なことを言う。
「ちょっ!ルナ様!王太子様の前でやめてくださいよ!」
「え?なぜ?」
「夫婦でしょ?なんで侍女の私が王太子夫妻のお茶のテーブルにいっしょしてるんですか!なんかほら、失礼じゃないですか!」
「私は大丈夫よ。それにそんな狼狽えているあなたはとても可愛いと思っていてよ」
「もぉ…本当になんでそんな方向に素直になってんですか。可愛いとか、言われたら恥ずかしいですよ…」
「まあ。本心から言っているのだから仕方がないと思って。ふふふ」
妻が、自分の侍女とイチャコラしている。
私は何を見せられているのだ。
「ほら!王太子様の眼差しがしゅんってなった子犬になってますから!ルナ様、とにかく王太子様を全力で対応してください!王太子妃でしょ!」
この侍女の名前はなんだったか。
宰相補佐の伯爵の養女で、確か伯爵夫人の実妹らしいが…。
「ヴィオラ、私、ちゃんと王太子妃の務めはしているわ。だから休憩の時はあなたで遊……癒されたいのよ。気安く話せる人なんてそうそういないでしょ?」
「今なんか私で遊ぶとか言いそうでしたよね!どうやって遊ぶっていうんですか!」
だから妻よ、なぜそうやって私の前で侍女を突っつくのだ。つんつん。私はされたことがないというのに。
「ヴィオラと言ったか、君の侍女は嫌がっているようだが…」
「まあ、殿下。この者はヴァイオレットですわ。ヴィオラは愛称。殿下が愛称で侍女を呼ぶといい事がひとつもありません。お控えになって。あとヴィオラは嫌がってませんわよ」
「待ってくださいルナ様。私は嫌がってます。王太子様のおっしゃる通りです。王太子夫妻のテーブルに同席って、胃が痛いですから。光栄なんですけど、ちょっとなんて言うか…あ、これ毎回言ってますよね」
なんだこれは。
あれか。子猫たちがじゃれあっているあれか。
ヴァイオレットとかいう侍女もまんざらでもない様子じゃないか。
妻から聞いた話ではヴァイオレットは元々妻のバイオリン講師だったそうだが、嫁ぐ時に侍女として仕えるようになったとか。
えええぇ、バイオリン辞めてまで?
一緒に隣国に行くために?
この二人は好き合っているの…か?
だが、妻は夜はきちんと愛を語ってくれる。そうだ。愛していると昨夜も言っていた。
ん?じゃあなぜこうも侍女を構いたがるんだ。
まさか!
妻は…私を試しているのか?
私との愛を確かめるために、あえて自分の侍女を構って私に見せつけているのか?
私の、妻への愛なんて変わらないのに…。
「あの、本当に王太子様がひとりでなんか考え込まれてますよ、ルナ様。いいんですか?」
「いいわよ。殿下はすこし息抜きされた方がいいもの。国政を考える時間とそうでない時間の切り替えは大事ってよく言うじゃない」
「いや、そんな例え初めて聞きましたよ。むしろ国政とか一般人は直接関われませんから、例えにならないですよ」
「殿下も何も考えない日があってもいいと言うことよ」
「いえ、王太子様めっちゃ考え込まれていますよ。むしろ帰ってこれないくらい深く考え込まれちゃってますよ!」
「まあ、帰ってこれないなんて…。殿下はいつも私のそばにいてよ?」
「おかしい、ルナ様がおかしな方向に最強になられた」
もしも。もしもだ。
もしも(何回も言おう、仮にだから。本当に万が一の“もしも”だ)、妻に男女問わず恋人ができたら?
私以外のー例えばこの侍女のようなー特別な存在ができたら、私はどうなってしまうのだ?
そういえば妻は私のことをあまり名前で呼んでくれない。
「あのですね、ルナ様。こういう煮詰まるタイプの方は気晴らしが必要なのです。第三者が入るとややこしくなるタイプなんです。信頼している夫婦でよろしくしてくだされば、王太子様は必ずストレス解消して仕事とプライベートの切り替えがうまくいきますから」
「そうなの?」
「そうなんです。そりゃあ一般人と王太子様とでは少々違うところはあるでしょうが、食べて寝て生きてる同じ人間なのですから」
「あなた詳しいのね」
「いくら貴族として生まれたとしても多感な時期を過ごした時の身分は平民でしたし、なにより楽団でも先輩方に揉んでもらいましたから。色々ありました」
「揉んで?もらうの?」
「…ルナ様は王太子妃様になってから本当に天然になりましたね」
「ルナ!私は君のことを愛してる」
「うわっ!びっくりした…。えっと…、私、お花摘んできますね」
「殿下、そのように席を立たれて、どうなさったの?」
私を見上げるルナは、可愛い。
きょとんとした顔、可愛い。
綺麗で可愛い。最高か?
「……私は君が好きなんだ。政略結婚だが、一目惚れで…君のことを愛している。君はもしかしたらさっきの侍女の事を愛しているかもしれない。あ…愛人っなのだろうか?だがお願いだ。どうか私だけを見てほしい。私の隣で、私の名前を呼んでほしい」
思いのままの言葉を口にしたのはいつぶりだろうか。
為政者は自分の感情をコントロールして、本音は絶対に人に悟られてはいけない、考えさせてはいけない。
今の私は小さな子どものようだ。
手に入れた大切な人を手放したくて、心を自分のものだけにしておきたくて。
「クリストフ様」
顔を上げる。
ああ、私はいつの間に俯いていたのだ。
いつでも前を向かなくてはいけないのに、そう習ったのに。
「大丈夫です。私は一途ですのよ?
ルナ・エリザベス・フォンテーヌは、祖国のお祖母様であるエリザベスに誓いますわ。あなただけです。
クリストフ・ルイ・シュバルツ・フォンテーヌ様を愛しております」
確か彼女の祖母エリザベス元王女は、諸国の外交を王女の身でこなしてきたと聞く。いまだに影響力のある“エリザベス”という名前。その名前を受け継いだが、周りの人々は“エリザベス”と容易く言えずにルナという名前をつけたと宰相に聞いた。
「…ルナ、君ももしかして…名前を」
「それで?クリストフ様はなぜそんなに不安になりましたの?」
「えっ!?それは…その、君が侍女と楽しそうだったから、恋人なのかと…」
「まあ、私、最近流行りの“エス”と言いますのかしら。それにはあまり興味はありませんわ。それに夫がいる身で恋人は作りません。まあ、興味はありますのでクリストフ様が私の恋人になってください」
「え?」
夫、だよね。もはや夫の身で恋人になれと?
「恋人でしかできない事、意外とございますのよ」
「た…例えば?」
「ふふふ、聞きたいですか?でしたら、今夜ゆっくりお話しいたしましょうね」
「わかった」
「恋人の夜は短いといいますから、ぜひ、仕事の調整を侍従にお願いしてください。無理は禁物ですわよ」
「わかった。無理はしない」
ふと、会話が落ち着いた頃にすこし離れたところでバイオリンの音が聞こえてきた。
「あら、ヴィオラね。私あの子のバイオリンが大好きですの」
妻は花のように笑った。
私は、なんて見当はずれな考えをしていたのだ。恥ずかしいと思いながらも、それでも、妻を…ルナのことを深く愛していると思った。
「いや、ほんま勘弁してくださいよ。王太子様ってほんま心配性やねんから。コレ、三ヶ月に一回やってますけど、王太子様大丈夫ですか?」
「そうですね、これで心のバランスをとっているのでしょうね。侍従なんてやってますと仕事の都合上、殿下がヤバくなってくるのもわかるので、こうして定期的に庭園でお茶会をご用意するのです」
「で、シメに私のバイオリンって。ああもう、故郷のなんとか劇場みたいでかなんわぁ」
「なんですか、なんとか劇場って」
「大衆劇場ですわ。お笑いの。もっとコテコテですが基本、いつも同じストーリー展開です」
「コテコテ…なかなか興味深いですが、さて、殿下と妃殿下の元に戻りましょうか。殿下も気が済んだでしょうから」
「はーい」
おしまい
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