港町アレス
自分を裏切り他の女性と王都で暮らしているらしい夫ウォレスが探しているという事を知り、トビー医師の勧めでアレスという港町に移ったクララ。
港町と言ってもとても小さな漁村で、人口千人にも満たない村というか集落のような所であった。
トビー医師に渡されたメモを頼りにとある家に向かう。
トビー医師の姉、ナリィという女性薬師の家だ。
強い潮風を受けながらクララはその道のりを歩いて行く。
思えば海辺の町に来るのは初めてだ。
家の造作や植栽など、どこか内陸の町とは違っていてクララはその景色を楽しみながら歩いた。
そしてやがて小さな一軒家に辿り着く。
「ここが……トビー医師のお姉さんの家」
記されていた住所にある家。
それは深いグリーンのスレートの屋根の小さな家だった。
表札には“薬全般 ナリィ=ローズ”と書いてある。
自宅と薬店が一緒なのだろう。
クララは意を決して玄関チャイムを鳴らした。
「はぁい、開いてるよー」
中からくぐもった声の返事が聞こえる。
クララはそっとドアを開けた。
「ごめんください……」
クララがそう訪いを告げると、ドアと対面する形に設置してある重厚なカウンターの向こう側からひょっこりと一人の小柄な壮年の女性が顔を出した。
「あの……」
クララが何か告げようとしたと同時に、カウンター越しからその壮年女性が告げた。
「見ない顔だね。あんた、旅人かい?」
「はい。私はクララ=クレリアと申します。失礼ですがナリィ=ローズさんでいらっしゃいますか?」
クララがそう挨拶すると壮年女性は答えた。
「随分小綺麗な挨拶をする娘さんが来たもんだ。そうだよ私がナリィ=ローズ、この町唯一の薬師さ」
やはりこの壮年女性がナリィその人で間違いなかった。
クララはポシェットからトビー医師に渡された手紙を取り出し、ナリィの居るカウンターの上にすっと差し出した。
「トビー=ロワイドさんから紹介されてこちらに参りました。これはトビーさんからお預かりした手紙です」
クララが口にした名と、その封筒に書かれた名前の筆跡に当然心当たりのあるナリィが黙ってそれを手にして中の手紙に目を通す。
ナリィが手紙を読んでいる間、クララはただ黙ってそれを見守るしかなかった。
───なんだか面接を受けているような気分だわ。
クララがそう思っていると、手紙を読み終えたナリィが顔を上げてクララを見た。
「よくわからないがよくわかったよ。部屋は客間を使っとくれ。医療魔術師なら薬を買い求めに来た客の診察も頼めるね。今日は疲れてるだろうからゆっくり休むとして、明日からさっそく働いて貰うよ。いいかい?」
矢継ぎ早にそう告げられ、クララは面食らった。
「ちょっ、ちょっと待ってください、よくわからないのに私を雇い入れて下さるんですか?」
自分で訪ねておいてなんだが、いとも簡単に受け入れられた事に戸惑いを感じてしまう。
それなのにナリィは何でもない事のように言った。
「弟の手紙を読んでもよくわからないんじゃ仕方ないじゃないか。それでも弟にアンタを頼むと託されたんだ、放り出すわけにもいかないだろ。それとも何かい?ここで働く気は無いのかい?」
「いえっ働きたいです!ここで働かせて下さいっ」
クララが慌てて頭を下げると頭上からふ、と柔らかく微笑む声がした。
「じゃあ決まりだねクララ、食費と光熱費は給金から引かせて貰うけど部屋代はただ。アタシのスマイルもサービスするよ」
海辺の町での、女二人の共同生活が始まった。