虚ろな老人
精神を患った人物が登場します。
地雷の方はご自衛をお願い致します。
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ウォレスが話していた壁画を見ていた最中に、
心疾患による発作を起こした老人の応急処置を施したクララ。
主治医が居ない(解雇の後早々に街を出て行ったらしい)と知り、見捨てるわけにもいかずそのままその教会に留まる事となってしまった。
───まぁ別に目的地があったわけでもないし、ドリトル卿の経過を診てから次へ行けばいいわね。
それに治療の条件として教会側から謝礼が出る上に部屋は無償、おまけに食事付きと提案されたのだ。
仕事と捉えても断る理由はない。
聞けばドリトル卿はとある地方領の領主であったという。
リンデン=ドリトル前伯爵。
かつては宰相の右腕として国政に携わり、影の実力者と呼ばれる人物だったそうだ。
しかし十年前に宰相の指示により不正をしていた事実が明るみに出た事により失脚。
この辺境地の教会へ幽閉の身となったらしい。
失脚の影響かそれにより傍流にドリトル伯爵位を奪われた所為か、数年前から心を病み元々罹患していた心臓の病もどんどん悪化していったとの事だ。
見た目から八十代前半くらいであろうと思っていたが、ドリトル卿の実年齢は70歳であるという。
心の病と体の病、その両方が彼を蝕み、身形を衰えさせたのだろう。
───年老いてから全てを失い、生きる気力を失われたのね。
不正を行っていたという事に関しては裁かれて当然だとは思うが、一個体の人間としては医師から見れば哀れでならない。
クララはそう思いながら昏睡し続けるドリトル卿の部屋を静かに退室した。
そして気になるところが倒れる寸前に卿が口にしていた「バートン」という名の事である。
バートン。
夫ウォレスと同じ姓だ。
今は旧姓のクレリアを名乗ってはいるがクララの姓でもある。
西方大陸ではよくある姓らしいので、ドリトル卿が口にした「バートン」がウォレス=バートンである可能性は低いとは思うのだが、どうしても気になったクララは教会の者に訊ねてみた。
「この地方か、もくしくドリトル卿が以前治めておられた領ではバートンという姓は多いのでしょうか?」
「あぁ、時々ドリトル卿が口にされる名ですよね」
「時々……では何度かその名を仰ってるんですね」
「はい。心を病まれてから何度か。姓なのか名なのかは分かりませんが、隣領に“バートン孤児院”という孤児院がありまして、そこの出身者はバートンの姓を付けられるそうですよ。捨てられた孤児は自分の本当の姓を知らない子がほとんどですから」
「そうなのですね……孤児院の……」
これは、単なる偶然なのだろうか。
ウォレスは孤児院の出だと言っていた。
どこの孤児院かまでは聞いていなかったが、バートン姓である事からそのバートン孤児院出身ではないかと考えてしまう。
壁画に孤児院に、そしてバートンと口にしたドリトル卿。
クララにはそれら全てがウォレスに繋がっているのではないかという気がしてならなかった。
◇◇◇◇◇
それからほどなくしてようやくドリトル卿の意識が戻った。
心臓の状態はとりあえずは安定しているが何時また発作が起こるかはわからない。
魔法医療手術は本人が固辞していると聞くが、どの道この精神状態では手術に耐えられないであろうとも思う。
「ドリトル卿、お加減はいかがですか?私はクララ=クレリアと申します。よろしくお願い致します」
「…………」
しかし意識は戻れどもドリトル卿は虚ろなままで、まるで人形のようであった。
何も見ていない、何も聞こえていない、そして何も感じていない。
ただ息をしてそこに居るだけの存在。
教会の者たちも国から預かっているというだけでなく、人の良心としてドリトル卿には生を全うして欲しいという気持ちで接しているらしいが、その思いは卿には届かない。
クララはドリトル卿の世話役を任されているという若い司祭に訊ねてみた。
「ドリトル卿の心に響くような、そんな何かをご存知ないでしょうか?家族や友人、可愛がっていたペット、かつての恋人でもよいのです。それらのワードを用いて、魔法により卿の深層心理に働きかける事が出来るかもしれません」
「あいにくドリトル卿の詳細は教会側には伝えられておりません……ただ罪人である、という事だけで。卿に関して一切の詮索は不要、従わなければ罪に問うとまで言われました」
「まぁ……そうなのですね……」
「でも、以前ふいに真面になられた時に仰っていたんです。昔、とても可愛がっていた護衛に裏切られたと」
「若い護衛……裏切り……」
一人の人間の精神を壊すほどの裏切りがかつてドリトル卿の身に起こったという事か。
司祭はクララに、これ以上の詮索はしない方が良いとつげた。
そしてドリトル卿にはおそらく監視が付けられているとも。




