プロローグ 遠く離れたこの土地で
よろしくお願いします!
「クレリア医師清潔なタオル、ここに置いておきますね」
「ありがとうございます。お手伝い、助かります」
「なにを言ってらっしゃるんですか、こんな辺境に立ち寄って治療を施して下さって、本当に感謝してるんです。手伝いなんていくらでもしますよ」
「お役に立てたのなら良かったです」
クララは医療魔術師だ。
元は地方都市の診療所に勤めていたが、今は各地を点々としながらそのときに訪れた村や街で治療を行い、収入を得ている。
ふらり立ち寄った辺境の村。
その役場の一室を借りて治療を始めて早やひと月が過ぎた。
そして今日も治療を終えて近くの市場へと買い物に来た時に、ある光景が目に付いた。
若い夫婦か恋人同士か。
二人仲良く買い物をしている光景だ。
買った食材を男性が持ち、女性はあれこれ迷いながら食材を選んでいる。
時折男性と顔を合わせ、二人はどちらからともなく微笑み合う。
その光景がかつての記憶を呼び覚ます。
自分にも確かにあんな幸せな時期があった。
今では遠い過去になってしまったが。
夫と暮らしていた家を飛び出して半年になる。
クララは暮れゆく夕刻の空を眺めた。
ここもそろそろ引き上げなくてはならないか。
それとも彼はもう諦めたのだろうか。
「ウォレスがなぜ私を追っているのかがわからない」
自分など要らない存在であろうに。
だから王都で他の女性とあんな関係に……
癒し手を持つ治癒魔法に特化した魔力保持者を絶やさないために、
国は医療魔術師の婚姻と出産を義務付けている。
その政策により結ばれただけの妻など、自主的に目の前から消えてくれて清々しているはずなのだ。
いや、だからこそ追うのだろうか。
医療魔術師の妻と婚姻を継続出来ていない現状がバレたら困るから?
そう思って離縁はせず戸籍はそのままで姿だけを消したのに。
夫はてっきり、手紙ひとつを残し姿を消した妻など捨ておくものと思っていた。
それなのに夫は自分を探しているという。
なんのために?わからない。
「裏切ったのはあなたなのに」
クララの脳裏にあの日見た衝撃的な光景が浮かび上がる。
赴任先の王都で、夫が自分以外の女性に口づけをしていた光景が。
「っ……!」
思い出すだけで今でもこんなにも胸が苦しくて、辛くて悲しくて堪らないというのに。
もうこれ以上かき乱さないで欲しい。
───私は消えてあげたのだから、もう勝手にすればいい。
クララは辛い記憶を払拭するために勢いよく鮮魚店の店主に言った。
「おじさん!活きのいいお魚を頂戴!」