『コミュ症でもアイドルできますか』
【登場人物】
●叶夢 柊 18歳 男 高校3年生
●V 年齢不詳 男 電脳アイドル
【第一章】ボーイ・ミーツ・シンギュラリティ
1
カレンダーに力強く書かれた「始動」の二文字に目をやる。あぁ、なんて恨めしく見えるんだろう。明るい未来を予感して、デカデカと、赤字で、ちゃんと花丸までつけたのに。
そんなことを考えていると、また溜息が……出そうになるのを何とか堪えて飲み込んだ。
俺、叶夢 柊が「未来からやってきたコンサルタント」を自称するVと出会ってから、早いもので既に3日が経つ。いや、〝出会った〟と言えばだいぶ聞こえが良くなってしまって困るな。何度思い返しても、あんな最悪な気分になったことは今までに無かったと断言できるし、むしろ〝被害に遭った〟という言葉の方がしっくりくる。なのでここは、正確に言い直させて貰いたい。正しくは〝Vが俺のノートパソコンに住み着いてから〟あっという間に3日間を浪費してしまっている。
事の始まりはちょうど一週間前。俺は冴えない高校生活に花を添える為、もとい最後の悪あがきとも言うべきか。心機一転、思い切って大手動画配信サイトでVtuberを始めた。
意気揚々と始めてはみたものの、フォロワー0人、ライブ配信をしても一人も見てくれない。
何か特別なことを始めれば変われる気がしたのに、これが現実というものなのか……相も変わらず、俺は俺のままだった。
そんな時だ。こいつ、Vが現れたのは。
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ―ン♪」
開口一番、愛用ノートパソコンのデスクトップを飛び回りながら〝そいつ〟は間の抜けた挨拶の後に、こう続けた。
「未来の電脳アイドルが未知のノウハウで君をプロデュ~ス!」
俺はこの時、本気で過去一番の後悔をしていた。命の次に大事なパソコンに、未知のウィルスの侵入を許してしまうなんて。18歳ということを差し引いても浅はか極まる。
いくら結果が出ないからといって、胡散臭いランディングページから、胡散臭いサービスに申し込んでしまった自分を心底呪った。
〝未来の大人気電脳アイドルが有名になりたい君をプロデュ~ス!〟
〝2021年には無い未知のノウハウで君の魅力を拡散しよう〟
「あぁ、もうなんでこんな……!」
頭の中ではまだ後悔を繰り返していた。〝君の未来プロジェクト〟と称された怪しげなサービス。そのお申込み完了画面が表示された後、勝手に〝何か〟のダウンロードが開始されたときにおかしいとは思ったのだ。その後、自動でインストールまで始まったことに唖然とするのではなく、すぐに強制シャットダウンを強行しておけば……!
一刻も早くこのウィルスを排除しなければ。急いでセキュリティソフトを立ち上げようとした刹那。
「落ち着きなさいな。シャランらっと♪」
そう言って侵入者が軽く指を振ったかと思うと、次の瞬間、マウスのポインタがまるで手品のように消え失せた。
「はぁ……!?」。
気が動転しまくる俺を気にも留めず、未知のウィルスは軽やかなステップを踏み英国紳士の如くお辞儀する。
「この度は〝君の未来プロジェクト〟にお申込み頂きサンキューベリーマッチ♪一種間の短い付き合いにはなりますが、どうぞよろしくお願いしますのですよ」
その後もVは〝未知のウィルス〟という言葉では説明のつかない芸当を次々と披露した。まず手始めに、その日の出来事を予言したのだ。株価の動きやこれから報道されるニュース、おまけに夕飯の献立まで的中させたのだから驚くしかない。未来のテクノロジーを持ってすれば、叶夢家の夕飯を言い当てるなど朝飯前のようだ。
そう、どうやら未来からやってきたというのは本当らしかった。
こんな馬鹿な……な事実に、少しも心が躍らなかったといえば嘘になる。これまで何も変わらなかった俺が、変われるチャンスなのかもしれない。
こうして、俺とVの未来プロジェクトが始動した。
2
「俺の未来が始まったんじゃなかったのかよぉ、V~」
四畳半の散らかった自室に、情けない声が響く。
まるで未来の猫型ロボットにすがるメガネの小学生みたいになっていようが構うものか。
男には、なりふり構っていられない時があるのだ。コンサル終了まで残り4日。
締め切ったカーテンの隙間から聞こえてくる「たけや~さおだけ~」の声が、今の状況を余計に間抜けに感じさせた。
「うむ、こんなにも結果が出ないとは。なんだか見ていて痛々しくさえありますね」
くそ、他人事みたいに言いやがって。
まぁ他人であることは間違いないのだが、コンサルタントである以上は無責任な物言いはやめて欲しい。
ただ、Vがコンサルに入ってくれてから、フォロワーは2人に増えていた。人数こそ少ないが、ライブ配信をすれば昼夜問わず必ず見に来てくれる有難い方々なのである。
「フォロワーが全く伸びてないワケじゃないし感謝はしてるよ? ただちょっと思ってたのと違ったというかさ!」
「う~む……」
わざとらしいくらい仰々しく、額に指を当てて難しい顔をして唸っている。
技術的特異点を迎えた世界から来たであろうV。〝私に出来ないことはありません〟みたいな顔してるくせに、まるで無理難題を押し付けられたような表情で困り果てている。少しばかりの自覚はあるけど、こんなにあからさまなのは俺に失礼じゃないか?
少しむっとした気持ちを抑えて抗議を再開する。
「いや、コンサル料金は成果報酬制だし文句も言えた義理ではないけどね?」
「柊、それに関して非常に申し上げにくいのですが……」
「……え、何やめてよ!? 後から高額な請求されても絶対払えないからね!?」
ずっと難しい表情で考え込んでいた電脳アイドルは、意を決したように宣言した。
「実は2人のフォロワーのうち、1人の正体は……私なのです!」
「……」
たけや~さおだけ~
「……はぁ」
失意と落胆によって漏れた声は、もはや溜息にすらなっていない。俺は放心状態で天井を仰いだ。あぁ、こんなに惨めな気持ちを味わうくらいなら、心機一転などしなければよかった。
すみません良かれと思って、と未来のアイドルはデスクトップの隅で文字通り小さくなっている。
「ですので、もしこのままフォロワーが1人のまま最終日を迎えた場合、料金は100円ぽっきりで大丈夫でありますよっ」
「あぁ、そうかよ……!」
俺は感情に任せてノートパソコンの電源ボタンを強く押し込む。
「何をしているのですか、柊。いけない、強制シャットダウンはいけませ――」
プツン。ノートパソコンが沈黙した。
ふぅ、と疲労感たっぷりに、ゴロンとベッドに転がる。目線の先には見飽きた天上。
考えてみれば、自分の一人部屋で俺一人だけになれたのは久しぶりだった。ずっとアイツの相手をしていて疲れが溜まっていたようである。
そうだ、少し寝よう。起きたら何かいい企画が思い付いているかもしれな――
〝ビーーーーーーーーーーー!〟
閑静な住宅街に似つかわしくない警報音が、朦朧としていた意識を一瞬で現実に呼び戻す。
「な、なんだ……!?」
飛び起きて音の主を仰視する。その轟音は間違いなく愛用のノートパソコンから鳴り響いていた。くそ、何なんだ。いよいよ本当に壊れてしまったか……!
自分の宝物の危機に、俺は不覚にも、迂闊にも慌てて電源ボタンを押して起動する。
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン♪」
「……おい」
「コミュニケーションを一方的に遮断するのは頂けませんですよ」
今度こそわざとらしく肩を落としてみせた。
一変、Vがニヤニヤと画面一杯に顔を寄せて耳打ちする。
「それと、柊。あなた、イケませんね~」
嫌な予感が頭をよぎる、男の第六感とでも言うべきか。こういうときは概ね、猥談と相場が決まっているからだ。俺にとって非常に残念なことだが、今回もご多分に漏れなかった。
「頻繁に視聴されている〝濡れ濡れスケ太郎♡〟を拝見したのですが――」
「わーーーーーー!」
「未来では所持しているだけで捕まるコンテンツなので削除しておきました、ご安心を」
「ふぁ!? お前ぬぁにやってんだよッッ!!」
少なくとも現代では合法だし、俺はもう18歳だ!
こいつ、お宝を勝手に……!
念のために説明をしておくが、いやどうか弁明させてください。
俺が愛用パソコンを〝宝物〟と称しているのは決して、断じて、コレクションが詰まっているからではない。今やこのノートパソコンだけが、俺という存在を外界に繋ぐ唯一のバイパスなのだ。
「あと、私〝いいアイデア〟を思いつきましたぞ」
先ほどまでの嫌なニヤニヤとは異なる、不敵な笑みを浮かべて言う。
この状況では何を言われても、それは提案ではなく脅迫だ。
「今日から毎日、お粗末な配信をするたびに柊の大事なコレクションを削除しま~す!」
あろうことに、脅迫どころか犯行声明を発表し、アイドルスマイルでにこやかに補足した。
「大丈夫です、未来で処罰の対象となる作品に限らせて頂きますので」
「俺のコレクションはどんだけマニアックなんだよっ!」
「まさに起死回生の名案!これからは命がけで配信していきましょう♪」
冗談ではなく、本当にこいつが未知のウィルスに見えてきた……。
不幸にも俺は、宝物を人質にとられてしまったのである。
3
それからというもの、俺は死に物狂いで配信した。
Vのアドバイスというか、指令というべきか、色々なことに挑戦することになったわけで。
ただ、全力でやってみたらそれはそれで、どんな企画も楽しむことが出来たのだ。これには正直、俺が一番驚いている。
〝何を食べているでしょう? ASMR クイズ!〟
〝【事故】ヤバすぎ物件!? おもしろ間取り図ご紹介〟
〝大人気Vtuberたちの相関図を勝手に想像しよう(妄想)〟
「ふぅ、疲れたぁ~!」
言葉とは裏腹に、疲労ではない歓喜の雄叫びをあげたる。なんだか自分の殻を破れた気もする。この感覚はそう〝達成感〟というやつだ。
すっかり忘れていた感情を噛みしめる。とても清々しい。
「少しずつではありますが〝叶夢シュウ〟が認知されてきてる感がありますね♪」
ここで、ご挨拶が遅くなったことをお詫びしなければいけない。
俺は〝叶夢シュウ〟という名義でVtuber配信をしている。風変りな名前であることを親に感謝するかは別として、自分の名前のことは結構気に入っているのだ。
俺は未来の大人気アイドルの指揮のもと、たった2日の間にフォロワーは50人に増やすことができていた。
その間、Vが口酸っぱく俺にアドバイスしてくれたのは「相手に感謝を伝える」ことだった。
ようやくコンサルタントらしいことを口にしたかと思えば、どこにでも転がっている自己啓発本みたいなことを言う。もっと革新的な未来ノウハウを期待していたのが正直なところだが、つまるところそれが未来永劫変わることがない核心なのだろうと納得しておく。
「柊にはどうも〝謝り癖〟があるように思いますですよ。よいですか? アイドルにしろ、Vtuberにしろ〝ごめん〟ではなく〝ありがとう〟を相手に伝えないといけませんッ」
「……はいはい、分かってますってば」
そう、分かってはいるんだけどなぁ。
Vに指摘されるまで全くの無自覚だった。どうやら俺は〝ごめん〟が口癖のようだ。
例えば、配信中の発言に誤りがあった場合にコメントで訂正してくれることがある。
そんなときは即座に「そっか、教えてくれてありがとう」と返せればいいのだが。
俺ときたら、間違えてしまったことに動揺して謝罪しまくってしまうのだ。そりゃ盛り下がるわな。まったくもってVの言うことはド正論なのだ。
そこで俺はVに頼んで、〝ごめん癖〟が出たときには例のアラート音で知らせてもらうことにした。
先ほどの〝大人気Vtuberたちの相関図を勝手に想像しよう(妄想)〟の配信中も大人気Vtuber様のお名前を間違えてしまい〝ごめんモード〟に……なりかけたのだが。
〝ビーーーーーーーーーーー!〟
この警報音のおかげで悪癖を露呈せずに済んだ。
「あのさV、本当にありがとう。お前が居なかったらきっとフォロワー0のままだったよ」
「何を寝ぼけているのですか、まだまだこれからですよ!」
「あはは、お前って意外とスパルタだよな……」
力なく返す。
唐突に、猛烈な眠気が襲ってきた。ダメだ、配信ぶっ続けは初心者には堪える。
こんな時だけ電脳の身体が羨ましいなんて考えてしまう。
「ごめんだけど、少し休ませてよ。ちょっと寝たらまた頑張るからさ」
「うーむ」
やれやれといった風情で、というよりは観念した様子でVは念押しした。
「柊はそれで後悔しませんね?」
いやに嫌な聞き方をしてくるヤツだな、と回らない頭で思う。
未来人に言われてしまうと、言葉の重みが違ってくるじゃないか。
まさか寝たら地球が滅亡するわけでもあるまいし。
「俺は地球が滅亡しようが寝るぞ、寝ると決めたっ!」
じゃあおやすみ、と布団に潜り込んだ。
スマホで時間を確認する、19時過ぎ。
だんだんと意識が遠くなる。
「ここからですよ、柊」
薄れゆく意識のなかで、独り言のように呟くVの声を聴いた気がした。
4
また、あの夢だ。
しばらくは見ないで済んでいたのに、どうして、また。
いつも俺は、これを夢であることを自覚している。明晰夢というやつだ。
ブレザーの制服を着て、自転車に乗り地元の高校に通っている俺。いつも遅刻ギリギリに投稿して、クラスメイトたちと挨拶を交わし、他愛もない冗談を言う。
俺は午前中のうちに腹が減って、つい早弁をしてしまった。
だから昼休みにはお腹が空く。そこで友達のお弁当から一品拝借。ブーブー文句を言われることもあるが、みんな気のいい奴らだ。
そして、午後イチの授業は決まって眠くなり、いつも先生に怒られる。
「こら! 起きろ、叶夢! 聞いとるのか、叶夢柊!」
俺は知っている。でもこれは――
「柊―! 柊、起きるのです! 叶夢柊!」
この声は……。
ふと夢から覚める感覚、だんだんと現実に引き戻されていくのがわかる。
「柊、大変です! 起きてください!」
聞こえてるよ、と布団から手だけ出して振ってみせた。
〝嫌な夢〟から覚めた俺は、不機嫌な声で応じる。
「……なんだよ、V。え、いま何時……?」
寝ぼけ眼でスマホの画面を見る、23時半を回ったところ。あぁ、ディスプレイの光が目に染みる。
なかなか覚醒しない俺に、同居人は痺れを切らした様子で言い放った。
「今、1Fで大きな物音がしました。とても嫌な予感がするのです!」
「はぁ? 物音がなに……?」
この家は父母と俺の三人暮らしだ。いや、今父親は確か出張中か。
それでもは母親は1階にいるわけで、物音ひとつが何だというのか。
深夜で親が起きていない時間帯であることを考えると、泥棒?
こんな古びた二階建て一軒家に?
「柊、どうか〝お願い〟です。様子を見てきて下さい!」
はぁ。
本当に乗り気がしない。どうしようもなく。
行くかどうかは別として、とりあえずベッドで上半身を起こす。
「一体どうしたんだよ。変だぞ、急に」
だが、Vはそれに対して返事することはなく、真っすぐにこちらを見ている。
俺を、ただ真っすぐに。
「……」
長考。
起き抜けに、長く、長い間、俺は考えていた。
一体、どのくらいの時間が経っただろう。
「……分かったよ」
俺に言うことを聞かせたいなら〝脅迫〟すればいいものを……。
曲がりなりにも一週間近く一緒にやってきたパートナーに〝お願い〟されてしまっては、それを拒否できるほど希薄な人間性は持ち合わせていなかった。
のそりとベッドから抜け出し、四畳半の床に転がっている漫画やらお菓子を足で払いのけながらドアに向かう。
立ち眩みに襲われたのは、きっと寝起きだからだ。言い聞かせてドアノブに手をかけ、恐る恐る階段に続く廊下へと出た。
できるだけ音を立てないようにゆっくりと階段を降りていくと〝ジャー〟という水道水が出しっぱなしになっている音が聞こえてきた。1階に近づく程に音が大きくなってくる。間違いない、キッチンの方からだ。
不審に思いながら、様子を伺うべく1階に降り立ったとき、俺はそれを見た。
「え……」
うるさいくらいに鳴り響く、キッチンシンクに叩きつけられる水の音。
古い換気扇が轟音で回っている。
――そこに、女性が倒れこんでいた。中年をとうに過ぎた、女性。
誰だ――
最初、本当にそう思った。
肩までの黒髪、リネン生地のパジャマシャツのまま、キッチンマットに倒れこんでいる。
このパジャマは俺が誕生日プレゼントに贈った――
「……かあ、さん……?」
こちらに気付いて何か言おうと口を動かしてはいるが、何を伝えようとしているかを汲み取ることは出来ない。
俺はただ、見ていた。
というより、固まって直立不動のまま動くことが出来なかった。
もしも母親がキッチンで倒れているだけだったなら、こんなにも動揺しなかったのかもしれない。でも、あまりにも違ったから。俺が〝記憶している〟母親と。
分からなかった、茶髪から髪を黒く染めていたこと。
知らなかった、2年前にあげたパジャマをずっと着ていたことも。
なんで、こんなに痩せて――
俺が自分の世界に閉じこもっている間に。
現実がよくない方向に動き出している、という事実に身体が固まる。
母親は、一目で健康的なそれではないと分かる程に痩せていた。
次第に、耳から、だんだんと耳から現実が流れ込んでくる。
耳障りな換気扇の音と、けたたましい水の音が、置き去りにしてきた外界こそが現実なのだと訴えて止まなかった。
止まっていた時間が、動き出す。
5
「俺が部屋に引きこもるようになったのは2年以上前からだ」
暗い病室。
夜の病院は玄関とロビーにだけ非常用の赤い灯りがあって、他は眠っている患者達のために暗い。母親が搬送された病院で俺は、俺たちは母親の意識が戻るのを待っていた。
「そうでしたか」
ノートパソコンからの声は、Vのもの。
あの後、気が動転する俺を諫め、今まで一緒に居てくれた。
「お前は、とっくに気付いてたよな」
自嘲気味に笑う。
食事はいつもドア前に置かれたもの部屋を引き入れ、食べ終わったら食器を廊下に出す。
お風呂は決まって、家族が寝静まった深夜に済ませた。連日の昼間からの配信も、とっくの昔に通信制高校に切り替えたからだ。ほぼ2年間、両親の顔をまともに見ていない。
Vはそんな俺に対して、一度も、何も言わなかった。
今も、何も言わずに見守ってくれている。
「……俺、怖いよ」
何か話せば気が紛れるかと思ったのだが、やっぱり不安に押しつぶされそうになる。
医師から聞いた母親の病状は、決していいものではなかったからだ。
俺は何も知らなかった。
少し前に血液の癌が見つかり通院治療をしていたこと。
その間に病状が悪化して、いま救急搬送されたということ。
仮に意識が戻ったとしても、その後には辛い闘病生活が待っていることも。
なんで、こんなことに――
俺は来月で通信制高校は卒業できる。そのときに自分に自信が付いていたら、バイトでも始めようと考えていた。Vと一緒なら、このまま変われると、自分を好きになれるかもしれないと思っていたのに。
「母さん……ごめん」
これまで何度か行政機関のカウンセラーが訪ねてきてくれたこともあったが、俺は部屋のドアを開けなかった。俺が諦めた後でも、母親は諦めないでいてくれたのに。
知っていた。
ドアの外から明るく声をかけてくれていたこと。
知っていたのに。
リビングで声を殺して泣いていたこと。
違うんだ、母さん。自分のせいだなんて思わないで。
これは全部、俺のせいだから。
――俺は全日制の高校に入学したものの、一度も登校することなく閉じこもり続けた。
でも、あんな夢を見てしまったから、何度も何度も。
一度も行けなかった高校生活を、友達たちを、魅せられたから。
最初は何もかも諦めていた、自分のことすべて。
でも、本当は俺だって高校生したかったのかもしれない、なんて思って。
ふとした変化で、全部元通りになるんじゃないかって考えて。
Vtuber始めてみたら未来から電脳アイドルがやってきて。
本当に、あと少しで全部上手く――
祈るように顔をあげて母親を見たとき、俺は――
――母親と、目が合った。
「母さん……!」
「柊、急いでナースコールを!」
すぐに医者と看護師が来てくれた。
駆けつけるや否や〝パソコンなんて病室に持ち込まないで!〟と怒られた。
仕方なくVには廊下のソファーで待っていてもらうようお願いする。
「バイタルサイン正常です」「瞳孔は?」「反応あり」
「叶夢さん? 聞こえますか、叶夢さん?」
意識をこちら側へ留めるべく、看護師の懸命な呼びかけが続く。
ただ見ている俺に、鋭く一言。・
「息子さんも一緒に呼びかけ続けて下さい」
「え、は、はい……」
か、かあ……さん……!
だめだ、上手く呼べない。
かあ、さん……!
「かあ……さん!」
先ほどまで一点を見つめていた母親の瞳がゆっくりと動き、俺の顔を見据えたのがはっきりと分かった。
口元が動いているが、まだ声にならない。
一呼吸の静寂のあと――
「し、柊……」
……!
「意識戻りました」「バイタル変わらず性状です」「瞳孔反応あります」
「母さん……、よかった……」
本当によかった、意識が――
「柊……」
「うん、ここに居るよ」
手を握る。
それは驚く程弱い力だったが、確かに握り返してくるのが分かった。
俺、たくさん言わなきゃいけないことがあるんだ。
これは、伝えるべきことを蔑ろにしてきたツケなのだから。
今さらだけど、ちゃんと自分で向き合わないといけないこと。
「あの……さ」
「母さん、今までごめ――」
〝ビーーーーーーーーーーー!〟
深夜の病棟に、けたたましく鳴り響く。馬鹿みたいに大きい警報音。
突然の爆音に医師や看護師たちが腰を抜かして驚いているなか、その場にいる俺だけが冷静にその音を聞いていた。
〝ビーーーーーーーーーーー!〟
それはいつまでも鳴り止まなかった。俺は、ソファーに置いたパソコンの方を見る。
これって、もしかして――
自然と口角が上がる。腰を抜かしてる大人たちのせいじゃない。
この瞬間、こんな深夜に響き渡る爆音を、心地よく、そして暖かく感じているのは、絶対に俺しかいないと断言できた。
「あのね、母さん」
――聞いて
「今まで、ずっと、ありがとう」
母親は嬉しそうに微笑んで、そしてゆっくりと瞳を閉じた。
6
母親が救急搬送されたあの日から、早いもので一か月。
早かったどうかは人それぞれだろうけど。俺にとっては、激動であっという間だった。
ふと、母親と父親にとってはどうだっただろうと想像する。
まずは母親。
あの後に容体は落ち着いて、そのまま入院することになった。
少しずつ抗がん剤の量を増やしながら、投薬療法を続けている。闘っているのだ、今も。
次に父親、
出張先で母さんの入院を知らされて、すぐに飛んで帰ってきてくれた。
それから、これからのことを色々と話した。俺たち家族のことを。
きっと、それぞれの想いのある一か月だっただろう。
いつか、一緒にあの時のことを振り返れるようになったら、直接聞いてみよう。
そして、俺は――
着慣れないスーツのジャケットを、春一番の風が通り過ぎてバタバタと音を鳴らした。
暦の上では春でも、外はまだ肌寒い。
――4月って、こんなに寒かったっけ?
ずっと閉じこもっていたせいで、季節感覚というやつが壊滅的になっている。
空は嘘みたいに晴れていて、太陽な冗談みたいに眩しい。
〝IT企業合同説明会〟
ぞろぞろと、まるで初詣みたいな人込みに、少し眩暈を覚える。
――深く深呼吸。
大丈夫。俺はもう、大丈夫だ。
それにしても――
「俺なんかが、就職……ねぇ」
まだ、全然、まるっきり想像がつかない。
父親がIT系の会社に勤めていることもあり、エンジニアとしての職を求めて合同説明会へと足を運んでいた。
〝アイツ〟がいる未来じゃどういか知らないが、現代ではまだまだエンジニア不足ということらしい。ひとりでコツコツやるのが好きな俺にとっては適職なのかもしれない。
あの病室での出来事以降、電脳アイドルは俺のパソコンから姿を消した。
お別れの挨拶だったり、コンサル終了の卒業式みたいなものも無く。
ビデオレター、なんてのも期待してパソコンのあらゆるフォルダを漁ったが、Vの痕跡はどこにも無くなっていた。
薄情なのか世話焼きなのか、本当によく分からないアイドルだ。
他人の世界にズカズカと上がり込んできて、悪びれもなく、媚びることもなく。
でも俺は、だから俺は、そんなアイツのことが好きだった。相棒というか、心の拠り所みたいに感じていたのだから。
ああいうアイドルが居てくれて良かったと思う。あんな風になりたいと思った。
ピロン♪
メッセージ着信の通知。病室にいる母親からだ。
病状が落ち着き一般病棟に移ってからはスマホの利用が許可されたそうで、まぁそれは頻繁にメッセージが届く。これまで堰き止めていたものが溢れ出したみたいに。
今日はとりわけ、俺が初めて企業説明会に参加しに来ていることもあり、心配の連絡やら励ましのメッセージが後を絶たない。
「それと、シュウの動画見ました。すごいね、これからも応援してます」
本日5通目のメッセージは、再開した俺のVtuber動画の感想だった。
正直、〝叶夢シュウ〟のことを伝えるべきか悩んだのだが、世界的な感染症の流行でまともに面会も出来ないご時世だ。なかなか近くに居れない分、動画を見て元気になってくれればいいなと思う。母親も、母親以外の人たちも。
とはいえ、家族に見られるってのは、結構来るものがあるな……。
再開と同時にキャラを変えたので、まだ自分で見てても恥ずかしい。
もうちょっと慣れてから教えればよかった。
そう思って自分の動画を見返す。
そこには、かなり照れ臭そうに、しかしやる気に満ちたVtuberが元気に挨拶する姿が映っていた。
まぁ、恥ずかしがることでもないか。
胸を張ればいい。これは、俺が自分で決めたことなのだから。
これから何度も、何度でも、元気に挨拶をしよう。
心の拠り所を求めている人に届くまで。
そして――
あのお節介な警報音の(ビー)主に、精一杯の感謝と敬意を込めて。
「あなたのお隣いいですか? 寄り添い系アイドル目指してます!
叶夢シュウです。みなさん、よろしくお願いしまーす!」
【第一章 完】