第一章 6 石化
「なにかあったんですか?」
旅館での朝食。周防と太一は、会話がはずまないから黙々と食べていた。そんなとき、太一が言葉を発したのだ。
「あった」
無愛想に、周防は答えた。
「いったい、なにが……」
「なあ、溺れた夢とか見なかったか?」
「溺れた夢?」
「大量の水が襲ってくる夢……もしくは、天井が崩れるやつ」
「いえ、まったく。昨夜は、ぐっすり眠れました」
周防は、太一のことを恨めしく睨んだ。
どうやら、あの術は自分にだけかけられたようだ。
あれから結局、一睡もできなかった。
そして、さらにやっかいなのが、もしかしたらいまのこれも幻なのではないか、と思えてしまうことだ。まさしく、それこそがあの術の恐ろしさなのかもしれない。
「あ、そうそう、さっき朝風呂を浴びたときに、いっしょになったお客さんが教えてくれました」
「なにを?」
悠長に朝風呂なんて浴びていたのかとムカつきながらも、会話に応じた。
「ですから、地盤沈下のあった場所です」
「ああ」
そういえば、そのことをすっかり忘れていた。
「あとで行ってみますか?」
そのために来たのだから、行かなければならないだろう。
「そうだな」
「すぐに行きますか?」
「急ぐこともない」
「どうしてですか?」
敵がすでに接触してきた以上、わざわざそこへ出かけていかなくてもいいのかもしれない──そういう思いもある。
「とりあえず、もう一泊する手続をしよう。それから、オレも風呂に入る。行動は、それからだ」
宿を出たのは午後になってからだった。敵からの攻撃もなく、のんびりとしていた。
目的の場所は、島根県南部に位置する琴引山に近い場所だった。観光パンフレットによれば、山頂付近に神社があり、大国主を奉っているそうだ。出雲大社と同じことになるが、この地方ではめずらしくもないことだろう。
「大国主と地盤沈下……それっぽいですね」
「ああ」
あいかわらず会話ははずまなかったが、二人して山道を歩いていた。
「ここですね」
立入禁止のテープが張られていた。
すぐ前方を望めば、巨大な暗黒が広がっている。どれほどの大きさなのだろう。一見しただけでは、はかれない。
近くには、数人の集団がいた。テレビ局のクルーのようだ。穴にカメラを向け、リポーターが様子を報じている。
「どうします? 穴に入ってみますか?」
警察や消防が進入を防ごうとはしていない。テレビクルーと、報道を眼にしてやって来たと思われる観光客が何人かいるだけだ。
「自殺願望があるんなら、そうすればいい」
太一に向け、周防は答えた。
「ただの地盤沈下なんですかね?」
「さあな」
そうは言いながらも、昨日の出雲大社のことといい、夜の幻術といい、ただの自然現象ではないだろう。なにかしらの思惑が、必ず潜んでいる。
「でも周防さんなら、このなかに入ってもどうにかできるんじゃないですか? 地面を操れるじゃないですか」
「それだったら、あんただって重力をコントロールできる。ってことは、空も飛べるってことだ」
「いやぁ、さすがにそれはできないですよ」
謙遜なのか本当に自信がないのか、よくわからなかった。周防も適当に言っただけなので、それ以上、追及するつもりもない。
「ん!?」
するとそのとき、やけに冷たい空気が流れてきた。
「これは……」
周防だけでなく、太一にも異質の空気がわかったようだ。
「これは、あれですよね……」
「ああ、《威気》ってやつだ」
それは、深々と空いた穴からではなく、樹木の生い茂るなかからやって来た。
女性だ。
いや……これを人間として認めてよいのか意見が分かれるところだろう。髪は長いのだが、一本一本が太い。
「まさかとは思うが……かの有名な、あれか?」
「そうだと思います」
その女の髪の毛は、蛇でできていた。
そういう伝説上の存在は、これしかないだろう。
「メドゥーサ……ですかね?」
太一のつぶやきが、やけにのんびりしたものに聞こえた。
頭髪が蛇の女は、ゆっくりと二人のもとをめざして歩いてくる。
「て、敵ですかね?」
「それ以外、なにがある?」
二人は身構えた。
「あ、あの人たち……」
太一の言う方向に眼をやった。
「石になってますよね……!?」
「だろうな」
テレビクルーや数人いた見物客が不自然に動かなくなっていた。みな立ったまま、時が静止したように……。
「どうするんですか?」
「眼を見るな」
「でも、ギリシャ神話ですよね?」
「前回もいただろう?」
太一には、ピンときていないようだった。
「スピンクスを覚えてないのか?」
言ってから、思い出した。スピンクスと対決したときには、まだ太一とは出会っていなかったのだ。
とにかく、今回も他国の神族が介入しているらしい。
「本当に……眼を見なければ大丈夫なんですか?」
「たぶんな。どうした?」
「い、いえ……身体が重くなってきたよ──」
「どうした!?」
太一の言葉は、途中で切れてしまった。
すぐ横にいる太一を見た。
石になっていた。
「……」
そうだった。正確には、眼を見た者が石にされるのではない。メドゥーサに見られた者が石になるのだ。
そう考えたときには、すでに遅かった。
周防は、自らが石になっていくことを自覚した。
* * *
授業中から落ち着かなかった。
また、なにかが動き出そうとしている。その予感があるから、不安と闘志が心の奥からわきあがってくる。
そしてそれだけではなく、遠足の前日のようなワクワク感もあるのだ。
少し不謹慎だと、千鶴自身も思っていた。
放課後の教室にいるのは、千鶴たちいつもの三人組だった。
「ねえ、ホントに行くの?」
「うん」
心配げな洋子に、千鶴はうなずいた。
「大丈夫、先生もいるから」
「……なんか、あの人信用できないんだよね」
洋子が言っているのは、佐倉という男のことだ。
「もしそうだとしても、むこうに行けば、江島さんと玄崎さんもいるから、どうにでもできるわよ」
「周防さまかぁ、いいなぁ……わたしも行きたいなぁ」
洋子は、それまでとは豹変して、夢見心地になっていた。
だが力をもたない──鼓動を受けていない二人には危険すぎる。
「もう出発なんでしょ?」
そう訊いたのは、早苗だった。
「学校が終わったら、むかえにくるって」
すると、教室に織絵が入ってきた。
「来たみたいよ」
織絵の先導で、校門へ急いだ。
そこには、黒塗りの車が到着していた。
「なんだか、偉くなったみたい」
「気をつけてね、千鶴」
「うん、行ってくる」
洋子と早苗に別れを告げて、千鶴は車の後部席に乗り込んだ。織絵も乗ると、車は静かに発進した。
同乗者は、運転手だけしかいない。
なにも告げられないままに、一時間ほどが経った。
まさかこの車で島根にまで行くとは考えていないが、駅や空港に向かっているとは思えなかった。
「あの……」
たまらずに、織絵が運転手に話しかけていた。
「どこに向かってるんですか?」
「もうすぐつきますよ」
運転手の返答は、短くて素っ気ないものだった。
それからも会話がないままに、しばらくの時が経った。
すでに日は暮れて、車窓からの景色もよくわからなくなった。より一層、不安感が増した。
千鶴も織絵も、なにか話をしたかったが、そういう雰囲気にはなれなかった。永遠にドライブが終わらないのではないかと妄想がよぎったころ、目的地に到着したようだ。
なにか厳重なフェンスのようなものがあり、そこが開いて、なかに入った。
車が停まった。
運転手がさきに降りて、ドアを開けてくれた。
「どうぞ」
二人は降りた。
「ここ……どこ?」
なにかの施設のようだが、夜ということもあり、明確にはわからない。
「ようこそ。お待ちしていました」
車は、建物の前に停められたのだが、その建物のなかから佐倉が出てきた。わきには、吉岡もいっしょにいる。佐倉はスーツ姿だが、吉岡は迷彩柄の服を着ていた。
「さあ、出発しましょう」
「ここは、どこ?」
「基地ですよ」
「基地? 警察署?」
千鶴は、混乱した。
「千鶴ちゃん……あの人は、自衛隊員よ」
「自衛隊って、警察じゃないの?」
「ちがうわよ。まあ、軍隊みたいなものね」
いまのいままで、吉岡のことを警察官だと思っていた千鶴は、頬を赤らめた。
「おまわりさんじゃなかったの?」
「いくら中学生でも、恥ずかしいわよ」
「興味ないもん」
織絵に指摘されて、ますます千鶴は頬が赤くなった。
「かわいいお嬢さん、飛行機まで案内しますよ」
佐倉の先導で、ホロつきのトラックに乗った。荷台のほうだ。よく戦争映画で兵士が乗っているのを観たことがある。
十分ほど走っただろうか。巨大な倉庫のようなところだった。トラックのまま、なかに入った。
そこには、飛行機があった。旅客機ではなく、輸送機のような形状だ。
「さあ、あれに乗ってください」
佐倉と吉岡に続き、千鶴と織絵も乗り込んだ。内部はガランとしていて、座席があった。進行方向に向いているのではなくて、電車のように向かい合うような席だ。千鶴の横に織絵が、その正面に佐倉と吉岡が座った。
「シートベルトをしてください」
吉岡にうながされてベルトをすると、すぐに離陸をはじめた。
まさか、こんなもので行くとは思ってもみなかった。普通の飛行機よりも、信頼性があるようには感じない。千鶴は、緊張した。
「到着までは、一時間ほどです」
佐倉の声は、それまで以上に胡散臭く聞こえた。