第一章 4 念写
黒塗りの公用車が、とある学校の前で停車した。中学校だ。後部座席にいる佐倉聡太にとっては、その学校の名前など、どうでもよかった。
「星友中学校……」
助手席に座る男が、校門わきに設置されたプレートの文字を読みこんだ。
「ここに、なにがあるのですか?」
「あの少女が、ここにいる」
佐倉は、無感情に答えた。
助手席の男──吉岡は、ある疑念を感じていた。自衛官の制服から、佐倉のようにスーツに着替えていた。
「どうして、それがわかるのですか……なぜ、自分が会った人たちのことがわかるのでありますか?」
吉岡は、かしこまって質問した。その問いかけが許されることなのか不安に思っているのだ。
「私には、わかるのですよ」
その答え方には、簡単な算数の問題を解くまえのようなおもむきがあった。
時刻は、午後四時を過ぎていた。帰宅する生徒たちが校門から流れるように出てくる。
「あの少女を待つのですか?」
佐倉からの返事はなかった。だが雰囲気でそうなのだと、吉岡は感じた。
まもなくして、三人の女生徒がやって来た。そのうちの一人に見覚えがあった。
「どうするのですか?」
「行きますよ」
佐倉が車外に出た。吉岡も、それに続いた。運転手だけが車内に残った。
三人の女子中学生に近づいていく。
「お嬢さんたち、ちょっといいかな?」
佐倉が、優雅に声をかけた。
「なんですか?」
この年頃にしては長身で髪の長い生徒が、警戒するように一歩前へ出た。
「私は、政府の仕事をしている人間です」
その女子の眼光が、より鋭くなった。まったく佐倉のことを信用していないようだ。
「お嬢さんのお名前は?」
問題の少女に、佐倉は問いかけた。しかし髪の長い女子が、それを許してくれない。
「答えなくていいよ」
「おやおや、私が悪人に見えるかい?」
「見えます!」
キッパリ言い返されていた。
「どうしたの?」
そのとき、声が割って入った。
「先生! この人たちが……」
髪の長い女子が助けを求めるように、その人物にすがった。年齢は、二十代半ばほど。容姿端麗な女教師だった。
吉岡は、その教師にも見覚えがあった。
「管理監!」
「ん?」
「この女性であります」
少女と男性といっしょにいた残りの女性だ。その後に出会った人たちの写真もあったのに、この女性の写真だけ、唯一なかった。
いや、ちがう……吉岡は、そのときになって思い出した。問題の少女と女教師だけではなかった。ほかの二人の女生徒にも会っていた。
「あ……、きみたち全員に会っている」
「あなた……あのときの」
女教師が、吉岡に気づいたようだ。
「え? 先生?」
「ほら、倉本さん覚えてない? 井上さんも。千鶴ちゃんも会ってるわ」
「会いましたっけ?」
倉本、井上、千鶴……三人の名前が出た。
だれがだれなのかわからない。
また思い出した。
「きみが千鶴だ」
問題の少女が、その名前だ。吉岡が吹き飛ばされるまえ、男性からそう呼ばれていた。
「ほら、千鶴ちゃん。あなたがこの人をはね飛ばしちゃって」
「ああ、そういえば……」
千鶴という少女は、そう口にするものの、まだピンときていないようだった。
「もしかして、あのときの自衛隊の人ですか?」
そう思い出したのは、倉本という女子なのか、井上という女子なのか……いまの材料では断定できなかった。髪の長い強気な女生徒のほうだ。
「そうです。あのときの隊員が自分です」
吉岡は、彼女たちにそう告げた。この場のギスギスした雰囲気を少しでもなごやかにしたいがためだった。
「それで……いったい、この子たちにどんな用事が?」
「私は、敵ではない。ここでは人の眼につきすぎます。どこか静かなところへ」
佐倉の提案で、通学路からはずれたところにある小さな公園まで歩いた。
少女たち三人がベンチに座り、そのかたわらに女教師がつき添う形で立っていた。佐倉と吉岡が、それに向かい合うように立つ。
園内には、ほかに小さな子供たちが数人いるだけだ。
「これを」
佐倉は、数枚の写真を千鶴という少女に渡した。両どなりの生徒と教師も覗くように見ていた。
吉岡も見せられた写真だ。あの日に出会った人物が写っている。ただし、女教師と千鶴以外の女生徒──どちらがどちらかわからないが、倉本と井上という少女だけは写真がなかった。
「……」
これが、なんだというんですか──そんな視線を千鶴は佐倉におくっていた。
「あなたたちの写真です。六人いますね? 全員の名前と、どんな人物なのかを知りたいのです」
挑戦的な眼光が、佐倉に返っていった。
「どうして、わたしたちの写真を……」
その問いは、吉岡も知りたいことだった。
「どうやら、ここいるみなさんは事情をお知りのようだ。いいでしょう。種明かしをしましょうか」
佐倉は、スーツのポケットからデジタルカメラを取り出した。
「携帯でもいいんですけどね」
佐倉は、シャッターを押した。ファインダーは、あらぬ方向を向いていた。ここにいるだれかを写したわけではない。
「いま撮ったのは、この男性の現在の居場所です」
そう言って佐倉は、少女と女教師といっしょにいた若い男性の写真をかかげていた。
カメラの液晶画面には、その男性と、もう一人……やはり佐倉に見せられた写真にあった男性が映っていた。あの日にも会っているが、影が薄かったのか、あまり記憶にはない男性だ。小太りで、頭髪も存在同様に薄い。
背景は、どこかの駅のようだ。
「いま、どうやったの?」
千鶴という少女が言った。とても素朴な質問だったが、この場のみんなが知りたいことだった。
「そんな不思議そうな顔をしないでください。原理は簡単です。念写、というやつですよ」
ぜんぜん簡単ではなかった。吉岡は、しかし思ったことをのみこんだ。なぜなら自分以外の全員が、まったく驚いていなかったからだ。
「超能力の?」
そう口にした少女たちは、とても平然としていた。
「あなたも、ヘンテコな能力が使えるのね」
女教師も少女たちよりはうろたえていたが、それほど取り乱してはいなかった。
「どういうこと?」
「それは、私にもよくわかりません。なぜだか、あなたたちのことが頭に浮かぶのです。そしてシャッターをきると、このような写真が撮れる」
吉岡だけが、話に取り残されているようだった。
「この能力を得たのは、あの日です。東京が混乱したあの日から」
「どこまで知ってるんですか?」
「知っている、とは?」
「なぜ、ああなったとか……わたしたちの力とか」
「お嬢さんの能力まではわかりません。ですが、特別な力をもっているのはわかる。そして、あの日……人間と神が戦ったということも」
人間と神の戦い……。
吉岡の感想は、まちがっていなかった。仲間たちは、やはり神によって殺されたのだ。
「私の能力が、なんのためについたのかわかりません。ですが、いまこの国で、なにかがおころうとしていることはわかります。だからこの力を使って、いまの役職を手に入れました」
「どうやって?」
「頭に浮かんだことを念写するだけではありません。他人の頭のなかを写すこともできるみたいなんですよ」
「その力を使ったの?」
千鶴の問いに、佐倉は笑みを浮かべながらうなずいた。
「いまの役職というのは?」
それは、女教師からの質問だった。いまだに彼女の名前だけは、まったくわからない。
千鶴。倉本。井上。髪の長い少女が、たぶん倉本で、短い子が井上なのだろう。これまでの様子から、吉岡はそう判断していた。
「内閣危機管理監です」
そこはぼかすのかと思ったが、佐倉は本当のことを告げた。
「災害がおこったときに、指揮をとる方ですよね?」
「さすがは先生だ。よくご存じで」
佐倉の口調は穏やかだったが、それを皮肉だと感じたのだろうか、女教師の眼つきが途端に鋭くなった。
「じつはね、私も知りたいのですよ。どうしてこんな能力が身についたのか……」
そこで異変がおこった。
少女の──千鶴という少女の右手が光ったではないか。
「こ、これは……」
吉岡は、この期におよんでも、まだ不可思議な現象を信じられない自分を感じていた。念写といっても、なにかのトリックがあるのではないか。あの日、都心でおこったことも、ただの自然現象なのではないか……。
だが、いまのこれは……!
千鶴の手から、光が飛び出した。
「うわ!」
恥ずかしくも、吉岡はそんな声をもらしてしまった。
宙を舞った光が、地に降り立った。
光が形をつくった。
それは、二つの小さなものだった。
「ネコ……」
ヒョウ柄のネコだった。
ベルガルとか、そういう品種なのだろう。
「これは、いったい……」
どんな仕掛けなのだろう!?
すぐに吉岡は、首を横に振った。これは手品ではないのだ。
ここにいる人間は、みな摩訶不思議な力を有している……信じられないことだが。
〈《道》は、すべての洗礼者に通じているニャ〉
ネコがしゃべった。いや、もうそんなことでは驚くまい……。
「え? 《道》って、おばあちゃんじゃないの?」
〈おばあさんが死んだことによって、新たに選ばれたニャ〉
「この人も、《洗礼者》ってこと?」
〈ガウウ!〉
もう一匹のネコが吠えていた。まるで、猛獣のようだ。だが小さくてカワイイから、怖くはない。
〈ソワソワが警戒してるから、仲間じゃないニャ〉
ネコの言葉で、少女たちと女教師が佐倉さから距離をとる。
「まあまあ、お座りください」
立ち上がった少女たちに、佐倉は言った。
「私は敵ではありません。その証拠に、あなたがたに協力したいと考えています」
「協力?」
「はい。いまこのネコが言ったことを考慮すれば、不思議な力をもった人間のことを《洗礼者》というのですね?」
だれからも返事はなかった。
「しかし、どうやら私はそれにはなれていない。《洗礼者》というのが、この写真の人物なのですね? つまり、こちらの先生とお友達二人は一般の人間だ」
これにも、反論もなければ、肯定の返事もない。
「私は《洗礼者》ではありませんが、その私が敵というのであれば、この先生も敵ということになる。ちがいますか?」
ちがうもなにも、佐倉の主張は道理がとおっていない。
返事を待たずに、佐倉は続けた。
「きっと、あなたがたが心を向けているのは、あの出来事ではありませんか?」
と言われても、だれも答えられなかった。
「島根県の山中で巨大な地盤沈下があった件ですよ」
女性たちの顔色が変わった。佐倉の言うとおり、彼女たちもそのことを注目していたようだ。
「私なら、協力できます」
「どんなことを?」
千鶴という少女が、どこか挑戦的に訊いた。
「そうですねえ……たとえば、いますぐにでも現場までお連れしますよ」
なにを言い出すのだろう? 吉岡も、興味を惹かれた。
「私なら、飛行機をチャーターできる。あなたたちがその気なら、すぐに用意します。どうしますか?」
突然そう言われても、みな答えに窮していた。
「それとも、学校があるというのなら、明日の放課後に出発するというのは?」
明日は金曜なので、週末に合わせて行くという提案だった。彼女たちの通う、勤める学校が土曜日に休みなのかは、吉岡にはわからなかったが……。
「どうする、千鶴ちゃん?」
「どうせ行こうと思ってたんだし、送ってもらう?」
女教師が千鶴へ、千鶴はしゃべるネコへ、おうかがいをたてていた。
〈う~ん……〉
しかし、肝心のネコが答えを迷っている。もう一匹のネコが佐倉に対して威嚇しているのを問題視しているようだ。こうしてネコの動向に注目していることが、ひどく不条理に思えた。
「ねえ、行ってみようよ。ただでつれてってくれるんだよ」
どうやら、千鶴のほうは行きたいようだ。お金をとらないものだときめつけているが、佐倉はそのことについてはなにも言っていない。とはいえ、話の流れから料金を請求するとも思えないが……。
「きまりましたね。では明日、むかえをよこします」
結局、ネコは決断をしなかったのに、佐倉はそう締めくくていた。