表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8

第一章 2 予兆

「どう? みんな気づいた?」

 代表して、桐生玲が声をあげた。

 試合が終了し、取材を終えたばかりだった。

 周防にとっては、久しぶりの試合。こんなに身体を動かしたのは、いつ以来だろうか。爽やかでない汗ならば、よくかいていた。犯罪行為に手を染めたこともある。

 A狩り──。

 妹の復讐のために、幾人ものクズをぶちのめしてきた。それをやめることになった一つのきっかけは、いま声を発した桐生玲との出会いだった。そして、妹の面影がある氷上千鶴との邂逅。

 その結果、人知を超えた戦いに巻き込まれていったのだが、それらの汗は、冷や汗だった。生きた心地のしない死闘……。

「ああ。この近くにいるな」

 周防は、桐生玲に答えた。

 ほかにも女性ばかり、数人いた。いずれも死闘のさなかにめぐりあった女性たちだ。

 周防の言葉にうなずいたのは、桐生玲だけではなかった。いつもいっしょにいる久世桜子という女子高生と、氷上千鶴も反応をしめしていた。

 周防もふくめたこの四人は、みな《鼓動》を受けている。大地ガイアより、力を授かった《洗礼者》たちだ。

「でも、襲ってくるつもりはないようだねぇ」

 桐生玲の言うとおりだった。こちらを監視しても、危害をくわえるつもりはないようだ。

「ま、ほっとこう。用があるなら、じき接触してくるだろうさ」

「なんの話?」

《鼓動》を受けていない人間にとっては、意味がわからないだろう。

 疑問を口にしたのは、高橋織絵という中学校教師だ。千鶴の先生で、神との戦いにも巻き込まれた女性だ。彼女の祖母と周防には、いろいろと因縁があるのだった。

「先生は、気にしなくても大丈夫です」

「千鶴ちゃん……」

 織絵と千鶴の関係性も、周防はそれなりに理解している。三人で破壊と殺戮で混乱した都心に入り込んだ経験がある。

 高橋織絵と、千鶴の親友二人──倉本洋子と井上早苗という名前の中学生は、《鼓動》を受けていない。いわば、普通の人間だ。神の発する《威気》を察知することなどできないはずだ。

「ねえ、みなさん!」

 そのとき、声をかけてきた人物がいた。ついさきほどまで周防を取材していた女性記者だ。牧村と名乗っていた。

「写真、撮ってあげますよ。江島選手を中心に、みんなでどうですか?」

 周防は反応に困ったが、一人だけ乗り気な人間がいた。

 倉本洋子だ。彼女は周防のファンらしく、とても熱い視線をつねに向けてくる。

 彼女は一番に、周防のとなりをゲットした。

 あとの女性陣も、ゆっくりと周防の周囲に集まってくる。

「わたくしは、いやですわ」

「そんなこと言わずに」

 いつも嫌悪感を隠そうともしない久世桜子も、桐生玲に説得されて、しぶしぶ並んだ。

「じゃあ、撮りますよー」

 女性記者がシャッターに指をかけたところで、様子がおかしくなったことを周防は悟った。

「撮りますよー、取りますよー、命を獲りますよー」

 記者は、白目をむいていた。

「だれだ?」

「だれでもよい」

 しわがれた声だった。

「いまは挨拶だけじゃ。この地に忘れたものを取りにきただけ」

 周防だけではなく、《洗礼者》はみな身構えていた。

「そう焦るな。おまえたちの命を取るのは、この次じゃ」

「今度は、なにを企んでるんだ?」

「人の知恵では、およびもしないこと……うっ……うう」

 そこでまた、様子がおかしくなった。

「あ、ああ……なに……わたし、どうしたの……?」

 乗っ取られた身体が、もとにもどったようだ。

「しゃ、写真だったわよね」

 シャッターが押されたが、周防をはじめ、みんなの表情は冴えなかった。

 記者と別れてから、全員で会場に隣接する公園に集まった。

「さっきの気配は、あの記者さんにとりついた霊魂だったの?」

 千鶴が口火を切った。

「いや、ちがうと思う」

 周防は否定する。

「べつのだれかだ」

「じゃあ、いまのは?」

「さあね。神だとは思うが、日本の神は八百万もいるんだろ? そのどれかだ」

 周防は、神と人間の戦いを知っている者なら、だれでも答えられるようなことを口にした。

「テニスだけじゃなくて、頭もいいんですよね?」

 千鶴が、あきらかな嫌味を言った。

「こんなこと、わかるやつなんていないだろ? キミのほうこそ、わからないのか?」

「中学生にわかるわけないでしょ?」

 そういうところだけ子供を強調するところが、周防は気に食わない。

「だったら、わかるやつに訊け」

「だれに訊けっていうの!?」

 言い合いをはじめたが、だれも止めようとはしなかった。

「仲がいいねぇ」

 桐生玲の揶揄に、

「よくない!」

 二人そろって声をあげていた。

「……わかるやつがいるだろう? そいつを呼び出せ」

 それでようやく、千鶴にもわかったようだ。

 彼女は右手の小指を立てた。周囲に人はいない。ここにいる人間は全員、事情をよく知っているから、隠す必要はないのだ。

「ムクムク」

 小指から光が飛び出すと、宙を舞ったのちに地上へ降り立った。光は、小さな二つのものに変じていた。

 二匹の動物。

〈どうしたニャ?〉

 そのうちの一匹は、人語が話せる。語尾に「ニャ」をつけているが、ネコではない。ヒョウの子供だ。知恵の象徴であり、千鶴の相談役でもあるムクムクだ。

 彼と対をなす妹のソワソワは、無知の象徴で、危険を察知する能力にたける。いまは公園に生えている木で爪とぎをしているので、危険はないだようだ。

「おいで」

 井上早苗が呼んだら、ムクムクはその胸に飛び込んだ。

「いまのは、なんなの? 今度は、なにを企んでるの?」

 千鶴が、そんなムクムクに問いかけた。

〈神族のなかでも、中枢にいる存在だニャ。参謀的な。たぶん、あれがオモイカネだと思うニャ〉

「知恵の神だな」

 周防は言った。

「で、そのオモイカネは、なにをしようとしてるんだ?」

〈そこまでは、わからないニャ〉

「さっきの気配も、オモイなんとかなの?」

〈わがはいは、感じなかったニャ。ソワソワが感じていたのなら、危険なものだニャ〉

 ムクムクは、千鶴にそう答えた。

 ソワソワの様子はかわらない。洋子が、おいで、と呼びかけるも無視をして爪とぎを楽しんでいた。

〈とりあえずは、気にする必要はないようだニャ〉

 謎の気配については、この子ヒョウの言うとおりなのだろう。

「でも、なにかをしようとしているのは事実なんだよね?」

 周防も思ったことを、千鶴が質問した。

〈そうニャ。あれがオモイカネなら、またよからぬことを考えてるはずニャ。まあ、それは人間から見ればだけど……〉

 最後のほうの皮肉は、どうでもいいと感じた。

〈最近のニュースで、かわったものはなかったかニャ?〉

「ニュース? わたしは観ないし」

 千鶴は言った。だから、ムクムクも最近のニュースを知らないのだろう。

「ヨーロッパのほうで爆弾テロがあったよ、昨日」

 言ったのは、洋子だった。だが、ムクムクの反応は薄い。

「アイドルの楠木ゆうが交際発覚」

 早苗の言葉には、ネコパンチを放っていた。

「いたーい」

 早苗の胸から飛び降りると、久世桜子に向かっていった。

「あら、かわいい」

 今度は桜子の胸に抱かれた。

「こんなのは、どう?」

 自身なさげだったが、織絵が発言した。

「島根だったか、鳥取だったかで、大規模な地盤沈下があったって……」

〈それっぽいニャ〉

「ただの地盤沈下だろ?」

 周防は言葉を挟んだ。

〈地をつかさどるスサノオだとは思えないニャ。地の下は、冥界ニャ〉

「冥界?」

〈根の国。黄泉。言い方はいろいろニャ。つまり、死者の国ニャ〉

「その地盤沈下が、冥界への入口だっていうのか?」

〈かもしれないニャ。しかも島根は、出雲の国〉

「もしかして、現場へ行けって言ってる?」

〈それは、わがはいからはなんとも……〉

「わたし、学校あるし……」

 最初にそう言ったのは、千鶴だった。

「わたしだってそうよ」

 高橋織絵も続いた。

「わたくしも、そうですわ」

 久世桜子も。

「学生は、簡単に遠出できないだろうねぇ」

「教師もよ」

 桐生玲に、織絵がつけたした。

「しょうがないねえ」

 玲はそうつぶやいて、周防のことを見た。

「自由がきく人間で行くしかないってことさ」

「おれか?」

「だって、あんたは無職なんだろ?」

 痛いところをつかれた。

「ま、不良狩りをしてるよりは健全なんだし」

 みんなの視線が集まっていた。行かなくてはならない空気が出来上がっていた。

「あたしも、つきあうからさ」

「ダメですわ! レイ姉さまがいっしょだなんて」

 桜子の猛抗議がはじまった。

「どうしたもんかねぇ……」

 周防一人で行くことに決まりそうだった。

「本当にむこうでなにかがあるんなら、あたしらも休日には行ってみるよ」

 話し合いが終わりかけたところで、玲が思い出しように声をあげた。

「あ、ひまそうなのが、もう一人いるよ」


     * * *


 都内某所──ハローワーク。

 パソコンの画面を食い入るように眺めている男が一人。すでに終業の時間が近づいている。ほかの利用者は帰り支度をはじめているというのに、この男はジッと動かない。

 絶望が表情に浮き上がっていた。

 仕事が決まらない。いままでに面接を受けること数十回。とてもではないが、正確に数える気にはなれなかった。

「もう終わりですよ」

 そう声をかけられたことで、ようやく男は立ち上がった。

 そのときだった!

「ふざけんなーっ! なんで、金がねえんだよ!」

 叫び声をあげながら、四十歳前後の男性が侵入してきた。

 その表情を見るかぎり、正気を失っている。

 ポケットから、なにかを取り出した。

 折り畳み式のナイフだった。

「け、警察を!」

 職員のだれかが大声で叫んだ。侵入者に気づいた利用者の女性が悲鳴をあげる。

「落ち着いてください」

 立ち上がっていた男が、侵入者の前に立った。

「よるなーっ!」

 ナイフを振って、侵入者は男のことを威嚇する。

 男は、困った顔はするものの、恐怖を感じているようではなかった。

 三十をいくつか過ぎた年齢だ。髪は薄く、小太りの、お世辞にも褒められた容姿ではない。

「やめましょう。こんなことをしても、なんにもなりませんよ」

「仕事が……ないんじゃあ! 金がないんじゃあ!」

 侵入者は口の端から泡を噴いて、わめきちらしている。ナイフを振り回しているが、だれかを狙っているわけではない。刃渡りも短いし、危害をくわえるつもりではないのだろう。

「自暴自棄になってはダメです。ぼくも、仕事はみつかりません。おさき真っ暗です。それでも、なんとか生きているんです」

「な、なんだとぉ!?」

「ほら、ぼくを見てください。あなたも苦しいかもしれませんが、ぼくも苦しいんです。そして苦しい境遇の人は、まだまだいっぱいいます」

 冴えない男は、一歩前に出た。

「く、来るな!」

「さあ、そんなものは置いて」

「う、うるせぇ!」

 ナイフを振り上げて、侵入者は男に襲いかかった。

「置いてください」

 しかし小太りの男は、平然として言葉を繰り返した。

 どうしたことだろう。暴漢は、動きを止めていた。振り下ろそうとしたナイフも、男の身体寸前で制止していた。

「置きますよね?」

 小太りの男がそう念を押したとき、ナイフを持つ暴漢の腕に異変がおこった。

「な、なんだ……お、おも……」

 まるで、金の延べ棒を手にしているかのように、ずっしりとナイフを床に置いた。いや、重さに耐えきれず、そうしてしまったような……。

「罪をつぐなって、やりなおしてください」

「な、なんだ……からだまで……」

 暴漢は、立っていられなくなった。

 それからすぐに、警察官が駆けつけた。

 身柄を確保された侵入者は、そのときにようやく、身体の自由を取り戻した。

 冴えない正義の味方の姿は、すでになかった。



「本当に、ここだった」

 ハローワークを出たところで、知っている顔に会った。

「あ、江島さん……」

「どうも」

 そっけない挨拶をしたのは、江島周防だった。冴えない男──玄崎太一は、何事がおきたのかと心配した。

 自分に会いに来るなど、不測の事態がおこったとしか思えない。

「あの……いったい……」

「いっしょに来てもらいたい」

「え?」

「島根県だ。ヒマだよな?」

 そう訊かれた。暇といわれれば、暇だった。

「で、でも……職をさがさなきゃ」

 あの戦いのあと、太一は仕事をやめてしまった。ヤギと呼ばれバカにされていた会社に未練はないし、能力を手に入れたことによって自信もついた。

 が、職探しは、想像よりも大変だった。ついさっき会った犯人の気持ちもよくわかる。ある程度の年齢を過ぎた人間に、世間の風は冷たい。

「こっちの用事がすんだら、好きなだけさがせばいい」

「江島くんは、若いからそんな悠長なことが言えるんだよ」

 太一の知るかぎり、彼も無職のはずだ。しかし、自分よりも若く顔も整っている。太一の憧れの人である高橋織絵さんとも、いい感じなのを知っている。

 最初から、もっているものがちがいすぎるんだ。

〈ごちゃごちゃ言っとらんで、言う通りにせい!〉

 突然、声が聞こえた、耳ではなく、心に。

 見れば、江島周防の手に櫛がのっていた。どうやら、それが関係しているらしい。

「おばあさんですか?」

 織絵の祖母で、早乙女イネという。《道》の洗礼者で、あの戦いでは世話になっていた。寿命がつきて死亡したはずだが……。

「ここにあんたがいるって教えてくれたのも、ばあさんだ」

 周防が言った。

「その櫛にいるんですか?」

〈細かいことは、あとで話してやる。とっととついてこい〉

 こうして太一は急遽、周防とともに島根へ行くことになった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ