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序章

 遠雷が聞こえる。

 ざわめくように、呼びかけるように……。

 狭依さよりはベッドの上で、それを耳に入れていた。ここが静かな病室だということに、しばらくして気がついた。

 いったい、なにがあったのか……。

 頭をめぐらせてみても、要領をえない。

 そうだ。結界を守っていたのだ。

 そこまで思い出したところで、走馬灯のように記憶がよみがえってきた。

 お父様!

 瞬時に起き上がろうとしたが、身体がいうことをきいてくれなかった。

 重傷を負ったのだ。

 ツクヨミ……あの神が、結界を破った。

 父は、狭依の眼の前で……果てた。

 凄絶な最期だった。

 狭依自身、殺されていても不思議ではなかった。いや、死んでいたはずだった。あの僧侶に助けられたのか……

 あれから、この国は……この世界は、どうなったのだ?

 それを確かめようにも、病室にはだれもいない。夜だ。かろうじて顔は動かせるので、自分の状態を見定めようと、眼を向けた。

 身体のいたるところが、チューブでつながれていた。五体は満足のようだが、はたして自力で起き上がれるほどなのか……。こうして意識はもどったわけだから、もう死ぬことはないのだろう──狭依は、そんなことを考えながら孤独な時間をすごした。手は、動くだろうか? ナースコールのボタンを押そうと試みた。

 そのときだった。

 ドーン、ドーン、と低い地鳴りのような音がした。連続で轟いている。最初は、それほど大きくはなかったが、次第に大きく……。

 そして、とてつもない爆音が世界を満たした。

 ド──ン!

 地響きもした。

 なにがおこったのか……。

 ここから、そう遠く離れていない場所で、尋常でないことがおこった。そうとしか思えない。

 だが、ここから立ち上がれない狭依では、その異常の正体を知ることはできない。

 と──。

 そこで、不可思議な神秘を感じた。

 どうしてだろう。身体が浮き上がるようなイメージが、脳内を支配した。

 動く……。

 腕が上がった。足にも力が入る。

 狭依は、身体にまとわりついたチューブを剥ぎ取った。

 起き上がる。

 ベッドから床に足を下ろし、立ち上がった。

 なにかに誘われている……狭依は思った。

 歩き出した。いまのいままで、寝たきりだったのが信じられないほど、身体が軽かった。どうしてしまったというのだろう?

 病院の廊下は暗く、ほかに人の姿はない。まるで、自分一人しか存在していない世界に迷い込んでしまったかのようだ。

 病院の外へ出た。自分は、どこへ向かっているのだろう……。

 自然に足が動いている。

 町中から、農村部へ。そして、木々がいくつも立ち並ぶ場所へ。

 それは、どれほどの時間が経ったころだろうか?

 深い森のなか。

 これは現実?

 狭依は、自問した。答えは出ない。それでも歩きつづけていた。

 その足が、ふいに止まった。

 自分の意志だろうか? わからない。

 狭依は、ゾッとした。もし足を止めていなければ、奈落の底に落ちていただろう。

 爪先のすぐむこうには、闇よりも濃い深淵が口を空けていた。

 これはいったい……?

 穴は、直径何メートルになるだろうか。夜目のきく狭依でも、すべてを見通すことはできない。数メートルの大きさでないことだけはたしかた。

 得体の知れない畏怖を感じた。

 そのとき、穴のなかから手が飛び出した。

 皮膚は破れ、朽ち果てているかのような腕だ。

 狭依は、咄嗟に後方へ跳ねた。

 何者かの腕が、それまで狭依の足があった空間をつかむ。

 そこでようやく、狭依は己の意志がもどったことを自覚した。

 やはりこれまでは、なにかの力に導かれていたのだ。自由を取り戻したことで、嗅覚、触覚がとくに鋭くなった。

 肌にふれる風の冷たさ。樹木や草の匂い。

 それだけではなかった。ピリピリとした危機を知らせる緊張感。なにかの腐臭。

 腕だけだったものが、地上に這い出てきた。

 人間ではない。かつては人間だったのかもしれない……。

 冥界の住人であり、蛆がたかる腐敗した亡者。

 一体だけではなかった。

 何体も穴から這い出てくる。

「雷にやどる神霊よ!」

 狭依は、八つの雷撃を飛ばした。

 大雷、火雷、黒雷、拆雷、若雷、土雷、鳴雷、伏雷。

 神話において、伊邪那美命イザナミの身体にまとわりついていたという雷神だ。イザナミは、朽ち果てたその姿で、夫であるイザナギを冥界で追いかけたという。

 八つの雷撃は、次々に亡者を倒していく。

 しかし、穴からは途切れることなく亡者たちが出現する。

 雷撃を連続していくが、あまりにも数が多い。

 それに、体力も回復していない。危機的状況にあるから、なんとか戦っていられるのだ。

 八つの雷神が、七つに減った。

 倒せば倒すほど、体力が奪われ、雷撃の数が少なくなっていく。

 六つ、五つ、四つ。

 三つになり、二つになり、残り一つとなった。

 亡者の数は、いっこうに減らない。倒しても、それ以上が這い上がってくる。

 雷撃が逃した亡者が、狭依の足にしがみついた。一匹にまとわりつかれると、二匹、三匹と、瞬く間に身体をつかまれた。

 三匹が五匹になり、八にも、十にも。

 身動きができなくなった。雷撃も放てない。

 万事休す。ここで、果てるのみ……。

 狭依は、覚悟を決めた。いや、あの夜──ツクヨミとの戦いで、すでに自分は死んだも同然だったのだ。それを無様に生き残った。

 ならば、死を恐れる必要などないではないか。

 最後の力をしぼり出す。

 全身が帯電し、雷神の力が体内に溜まっているのがわかる。

「この身体を神の通り道とする!」

 髪が逆立ち、血流が激しくなっていく。

「わが血、幾千の神がやどり、わが肉、幾万の神がやどる!」

 父の最後の技……そして、狭依の最後の技だ。

五十猛神撃いたけるのかんげき』──。

 まとわりついていた亡者たちが、一斉に吹き飛ばされた。

 神の力をやどした狭依は、すべての霊力を穴のなかへ向けて放とうとした。それはつまり、狭依の絶命を意味していた。

「退屈しのぎに、ここへ来てみれば……どうやら、おもしろい女に出会えたようだな」

 なんの気配も感じさせないまま、何者かがこの場にいた。

 長い髪を一本に束ねている。

 たくましい身体つき。

 時代錯誤な着流し姿。

 江戸時代のきままな浪人を連想させる。

「おまえは!」

 狭依には、わかった。

 抑え込んでいるようでも、男の肉体からにじみ出す《威気》──。

 男は、人間ではない。

 神だ。

「まてまて」

 狭依は、男に向かって身構えていた。

「敵は、俺ではない」

「なにを言う! おまえもツクヨミの仲間だろう!?」

「月読は、もういない。《洗礼者》たちによって、根の国へと旅立った」

 男が、狭依めがけて腕を振った。

 攻撃されるのかと思った。ちがった。狭依の背後から襲いかかろうとした亡者に向けられたものだ。

 雷撃が、亡者たちを散り散りに破壊する。

「おまえも、雷神か?」

「俺のは、ちんけな八雷とわけがちがうぞ」

 そのときだった。穴から這い出してきた亡者の一匹が、人間にもわかる言葉で話しはじめた。

「ケケケ、ちせん、できた……どんどん、でる」

 どうやら、この亡者だけには少しの知性があるようだ。

 すると、その亡者に、ほかの亡者がくっつきだしたではないか。何匹も、何匹も。

 吸収されるように、合体していく。

 最初にくらべると、身体が十倍ほども大きくなった。

「ケケケ、しぬ、おまえたち」

「死ぬ? きさまらごときが、俺の敵になると思っているのか?」

「にんげんが、なにをほざいて」

「ふ、人間と神のちがいもわからぬとは」

 着流し姿の男は、一本の剣をたずさえていた。

『フツミタマノツルギ』

 鞘から、刀身を抜いた。

 それだけで、亡者の集合体は震え上がった。

「し、しいてるぞ……、それ、もつのは」

「ほう。きさまら下等な存在にも知られているとは、光栄だな」

 男は、豪快な皮肉を放った。

「ならば、土産はできたろう。おとなしく冥府へもどれ!」

 宝刀を一振り。

 合体した身体が、瞬時に砕け散った。

「おまえは……まさか」

 狭依にも、男の正体がわかった。

「タケミカヅチ!」

 男は──雷神、建御雷之男神。

「ぐぐ……」

 亡者の一体が、苦しげにうめき声をあげていた。

 タケミカヅチに迷いはなかった。

 宝刀を、死に切れなかった亡者めがけて振り下ろした。

 が──、

 すんでのところで、刀身は止まっていた。

 狭依にも見えた。その剣を守るように、霊魂がまとわりついている。

「よけいなことを」

 タケミカヅチは、吐き捨てるように言った。

「こんな亡者にまで情けをかけるか」

 雷神は、刀を鞘にもどした。

「わかった。おまえの願いをかなえてやろう」

 そこでやっと、タケミカヅチが宝刀に憑く霊魂と会話をしていることに気がついた。

「女、こいつとはいろいろあってな。俺の同居人だ」

 不思議そうな顔をしていたからか、猛き雷神は、狭依にそう説明した。それが、ある少女の霊魂だとは、もちろん狭依にはわからない。

 一旦は途切れていた穴から這い出る亡者たちは、再び数を増した。

「面倒だ。一気にかたをつけてやる」

 とどめを見逃した亡者をつかむと、穴に向かって投げ捨てた。

「冥府にもどれ!」

 それだけではない。念をこめて、それを穴の中心に叩きつけた。

 這い出ようとしていた亡者も巻き込んで、雷撃と化した思念の塊が、竜のように空を翔け、穴のなかへ襲いかかっていった。

 穴の奥から、まばゆい輝きが飛び出した。

 なかで爆発をおこしたようだ。

「これで、しばらくはもつだろう」

 雷神は言った。

「これは……この穴は?」

「地閃だ」

「地閃?」

「天閃と対をなすもの」

 しかし、これまで意識不明で病院にいた狭依は、天閃のことも知らない。

「天閃が、高天原たかまのはらと中つ国を結ぶもの。地閃は、黄泉とここを結ぶもの」

 では、この穴は、あの世へと通じているということになる。

「いまので、しばしの時間稼ぎにはなるだろう。そのあいだに《洗礼者》たちをさがすのだ」

《洗礼者》のことは知っている。母なる大地から鼓動を受けた人間のこと……。

 あの結界が破られた夜に出会った浄明という僧侶がそうだった。

 狭依はちがう。伊邪那美命の奉られた──実際には伊邪那美の奉られた神社によりつく伊邪那岐イザナギを封じこめるための巫女としての力しかない。

「どうする、女?」

 ふいに訊かれた。

「もしおまえが望むのなら、力をやろう。神の力だ。《洗礼者》に匹敵する能力が手に入るのだ」

 危険な誘いなのはわかっていた。

「……わたしをどうするというの?」

 この荒ぶる神が、ただ親切心で言っているのでないことは本能でわかる。

「簡単な契約だ。おまえは、処女だな? ならば、この俺のものになれ。そうすれば、この雷神の力をくれてやる」

「……本当にくれるのか?」

「二言はない。だが、一生を俺に捧げるのだ。ほかの男と交わることは許さない」

 ほかの男?

 狭依は、笑みをみせた。

「なにがおかしい?」

「わたしに、普通の幸せはおとずれない。巫女となったときに、運命は決まっていた」

「人間らしい言いぐさだ。だが、その運命と戦わねば、神は倒せぬぞ」

「ならば、力を──」

「いいのだな?」

 狭依は、うなずいた。

「契約は、成立だ。これよりおまえは、俺のもの」

 タケミカヅチは、たずさえた宝刀を狭依に差し出した。

「受け取れ」

 フツミタマノツルギは、狭依の手へ。

 雷神は、人とともに。


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