領土返還、北方領土と竹島問題
1953年12月24日、「奄美群島の復帰協定」が日米間で調印され、翌25日、復帰が実現しました。
1968年6月26日、「南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」が発効し、小笠原諸島が日本に復帰。
その4年後の1972年には、沖縄が「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」に基づき、日本に復帰します。
奄美群島、小笠原諸島、沖縄諸島は共に市民の念願を果たすことになりました。
この事件は日本国民にとって大きな喜びを持って迎えられたのですが、一部の周辺諸国にとっては、必ずしも有難い話ではありませんでした。
というのも、これらの協定が、それまでの日本の領土線を画定させていた法的根拠、連合国最高司令官指令677号(SCAPIN-677)と矛盾する形となり、国境を示す法的根拠が、揺らぐ事になってしまったからです。
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琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定
第1条
1. アメリカ合衆国は,2に定義する琉球諸島及び大東諸島に関し,1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第3条の規定に基づくすべての権利及び利益を,この協定の効力発生の日から日本国のために放棄する。
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サンフランシスコ平和条約第3条では、現状、当該領土をアメリカ統治し、アメリカがUNに対し信託統治を提案した場合、アメリカの信託統治領となる予定でした。
遂にその提案がなされることはありませんでしたが、仮になされていた場合は、アメリカ合衆国沖縄準州なるものが、日本の南西に浮かんでいた可能性があります。
この領土返還を1つの実績とした日本国は、現在、ロシア連邦に対し、北方4島の返還を求めています。
しかし、この返還が実現してしまうと、前回に記したサンフランシスコ平和条約の第2条(c)項に反する形となり、一部の周辺諸国は、これを懸念しています。
平和条約の2条と3条では、文言が全く違います。
3条は、アメリカの采配次第ではまだどうにでも出来る程の規定の幅がありました。
しかし、2条はそうではなく、明確に領土の放棄を規定されています。
第2条(c)項では、はっきりと千島列島の放棄が明文化されています。
「北方4島は千島列島に含まれない」
とする理論は、あくまで日本の主張であり、周辺諸国はそう考えてはいません。
北方4島が返還されれば、日本の領土を規定する法的根拠は、一切なくなってしまう。
そうなれば、日本は、再び帝国主義に戻ってしまう恐れがある。
周辺諸国はその様に考えています。
何故ならば、日本は、かつて台湾島、そして朝鮮半島を領有していた実績があるからです。
竹島を実効支配している韓国の言い分に耳を傾けてみましょう。
この話でよく取り沙汰される話でこんなものがあります。
「日本による独島(竹島)の侵略を許せば、ひいては韓国本土も日本に侵略される可能性がある」
日本人からしてみれば、「そんなバカな事はある筈がない。どういうロジックを使えばそういう話になるんだ」と思う事でしょう。
では、果たしてこれは、本当に彼らの妄言なのでしょうか。
韓国側が竹島領有の根拠とするSCAPIN-677は、小笠原、沖縄が返還された時点で既に法的拘束力を失い、韓国の独立、並びに領土を規定する文言はサンフランシスコ平和条約第2条(a)項だけになっています。
日本のロシアに対する北方領土の返還要求は、彼らから見て、サンフランシスコ平和条約第2条(c)項に反する要求とみなされています。つまり、日本は同条約第2条を軽視しているとみなすことができます。
加えて韓国は現在、朝鮮民主主義人民共和国を称する未承認国と戦争中であり、朝鮮半島全体が完全に独立を果たしているとは言えず、日本のメディアなどは未だに、未承認国の存在する朝鮮半島の北半分をかつて支配していた地域の名である「朝鮮」の北という意味の「北朝鮮」と呼称しています。
この言葉は、韓国側からすれば、暗に日本が朝鮮半島の北半分の領有を主張する向きがあるのでがないか、とも取れるものなのです。
つまり彼らに言わせれば、これらの根拠から、これ以上日本の要求を通せば、日本がサンフランシスコ平和条約第2条に反して、朝鮮半島の領有を主張する可能性があり、それは許すことができないという考えがあるのです。
日本人の我々からすれば、
「竹島はサンフランシスコ平和条約第2条にはそもそもその記載がなく、韓国領有のそもそもの根拠にはならない。日本の朝鮮半島の領有の主張は絶対に無い」
と、断言できますが、彼らはその日本人に、生殺与奪を握られているという恐怖があり、彼らが100%朝鮮半島の日本の侵略は無いと納得し、竹島を開け渡すことには無理があるのではないかと思われます。