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昨日、彼女に会ってから

作者: 杉谷馬場生

 今朝起きてからどうも体調が変だ。

もっと正確に言うと昨日彼女を駅まで送ってから少し体調がおかしかったのだ。

具合が悪いとかそんな事ではない。食欲はあるし、熱が出ているわけでもない。

ただ今朝、念のため熱を測っていたら34度とむしろ低かった。いくらなんでもこれは体温計が壊れているのだろう。

ただ少し頭がぼうっとして動くのが怠い。今朝顔を洗おうと鏡を見るとびっくりした。顔色が悪いのを通り越して青なのか紫なのか妙な顔色をしていた。

でも吐き気がするとか寒気がするとかそんな事はないのだけれど。なんだか不思議な感覚だ。体調がおかしいとしか表現できない。

それにしてもなんでこんなに体調が変なのだろう。思い当たる事を考えると昨日の彼女のせいと言う事しか考えられない。

しかしそうやって他人のせいにするのは責任を押し付けているようでいけない気がする。それに一番信頼しなくてはいけない彼女を自分の体調不良の原因にするなど付き合っている上で彼女に対して失礼だと思う。

しかし昨日の彼女の行動を考えると彼女も変だったのだ。

彼女とは会社での先輩後輩の間柄だった。僕が先輩で指導係として彼女についたのが出会いのきっかけだった。

彼女はとても内気な性格で僕の指示には応えるのだけど返事が明瞭ではなくてまずは仕事内容より挨拶をしっかりできるように指導した覚えがある。挨拶はその人の第一印象といってもいい。いくら仕事ができようと第一印象が悪いと仕事もやってこないと考えたんだ。

そのおかげか彼女は入社して数ヶ月で明るく挨拶をして元気な声で返事ができるようになった。そして僕に信頼を置くようになったんだ。

プロポーズして来たのは彼女の方だった。僕の指導のおかげでいつもはハキハキと喋るようになった彼女もその時はモジモジして言葉を選びながら僕に告白してくれた事を覚えている。

僕らはすぐに承諾して付き合う事になった。彼女はとびきりの笑顔で少し泣いていた。

告白してくれた事は僕にとっても嬉しかった。今まで僕は数人と付き合った経験があるのだけど、告白された事は初めてだったからだ。

今まで付き合った女性には僕から告白していた。女性たちに共通しているのはとても自立した性格で僕はその逆の性格で内気だったんだ。

最初は僕の事を初々しく見てたのかリードして付き合ってもらえるのだけど、その内僕の性格に彼女たちは一様に見切りをつけていった。

「肝心な時に何も気がきかない」とか「もっとしっかりしてよ」とか言われて別れたんだ。

だから僕は彼女の指導係になった時、自分を鼓舞してしっかりしようと心に誓ったんだ。

そう。告白してくれた彼女と僕は同じだった。だからかもしれない。告白してくれたのは彼女の方だけど初めて会った時から僕も彼女の事を意識していたんだ。

根本が同じような性格のためか僕と彼女は気があった。そもそも二人とも根本は内気なので二人で出かける時も人前で腕を組むなんて出来ないし、手を繋ぐことさえなかった。

移動中は2人とも黙って歩いてカフェとか入った時にゆっくりとお互いの事を話すのが楽しかった。

それが昨日はおかしかったんだ。彼女は待ち合わせの場所に15分ほど遅刻した。遅刻そのものに僕は怒らないしなんとも思わないのだけど待ち合わせの場所に来た彼女は顔色は青いような紫のような色で悪いし髪は整ってないしで正直ひどい有様だった。

服もよく見たらボタンがズレていたり、余程遅刻しそうで急いだのかもしれないが乱れていた。僕は彼女を一目見てすぐに手をとって木陰に移動させると人の目を気にしながら服装を整えて手櫛で髪を溶かしてあげた。近くで顔を見ると化粧をしていない。明らかにいつもの彼女ではなかったから僕は今日のデートはやめにしようと彼女に言った。

でも彼女は両腕を僕に向けてくる。何か言いたいのなら喋ればいいのにその日の彼女は動きで僕と別れたくないような動きだった。

普段は人前で手さえ繋がないのにここまで積極的な彼女は初めて見た。顔色は悪いけど。

「ねえ、ほんとに大丈夫なの?帰って寝なくていいの?」と僕はまた彼女に問いかけた。彼女は頷くでもなく「うあー、うあー」と肯定とも否定とも取れる曖昧な言葉をかけてきた。

「わからないよ。どうしたいの?」

そう言うと彼女は僕の腕を掴んだ。とても力強い。そして彼女は僕に顔を近づけて来た。まさかこんな人前でキスなんていつもの彼女じゃないと思った。キスしたいと思ってくれるのは嬉しいけどこんな場所で理性もない様なキスは僕は望んでいない。そもそもキスにしては口の形が違いすぎる。唇を当てようとしているようには見えない。まるで僕を食べようかという様に大きく開けている。

僕は彼女の口が僕の顔に当たる直前で掴まれていない方の腕で彼女の頭を掴んだ。しかし彼女の歯がすこし僕の頬に当たった様だった。少し痛みがあったけどそれよりも彼女だ。

僕は彼女にキッパリと「今日のデートは終わり!もう家に帰ろう」と言った。けれど彼女は僕の掴んだ腕を離さない。

しまいには彼女はその掴んでいる腕を噛もうとしてきた。なんだか犬か何かとじゃれているような気分だ。

なんでこんな行動するんだろう。僕は彼女のその行動をなんとか阻止した。少し甘噛みされたけど。「どうしたの。なんでこんな事するの。今日はなんか変だよ」と言っても彼女は「うあー、うあー」しか言わない。熱でもあるのだろうかとおでこに手を当ててみたけど熱はいつもより低いかもと思えるほどだ。その時にも彼女はおでこに当てている手を爪を立てて掴んで痛かった。

その日のデートの前に僕は何か彼女の気に触る行動でもしたかなと彼女との電話やLINEの内容を思い出してみたけど思い当たる節がない。でも彼女はいつもと明らかに違う。機嫌が悪いどころではないし、体調もおかしい。

僕が何か言っても彼女はまともな受け答えをしないし僕は強引に彼女の手を握って駅まで連れて行った。彼女の家はまだ招待してもらった事はなかったけれど最寄りの駅は聞いていたのでそこまでの切符を買って彼女を帰らせる事にした。

切符を渡しても彼女はそれを持ったまま動こうとしない。僕と別れたくないのか、もっと遊びたいのかその気持ちは嬉しいけれど、彼女を帰らせる事が今日は一番だ。僕は自分の分の入場券を買ってホームまで連れて行き、電車が来たところで彼女を無理矢理押し込んだ。その時彼女は僕に対して「うあー、うあー」と離れたくない様な動きを見せたけど僕は「また会えるから」と笑って電車の発車を見届けた。

電車が去った後にドッと疲れが来た様な感じがした。思えばあれから体調がおかしい気がする。

今朝自分の顔色を見てびっくりしたと書いたけどびっくりしたのはそれだけじゃない。彼女に噛まれた頬や強く掴まれた腕の傷がまだ塞がってなかったんだ。僕は明瞭かうつろか判然としない頭でその傷にバンドエイドを貼るとテレビをつけた。

テレビでは昨日電車内で女性が次々と乗客に噛みついて全員ゾンビになったと報じていた。その電車は彼女を乗せた電車と同じだった。

僕は彼女が心配になって慌てて出かける準備をし始めた。しかしどうも動くのがだるい。それに何かを矢鱈と食べたい。パンとかではない。肉だ。肉が食べたい。

でも彼女が被害に遭っているかもしれない。食べ物の事はどうでもいい。どうでもいいけれどどうしようもなく何か食べたい。どうも変だ。なんだろう。彼女の事を心配しているせいかひどく喉が渇く。さっき起きて水を飲んだばかりなのに。もっと濃いのが飲みたい。

それでも彼女が心配で僕は外に出た。彼女に対する心配さと何かを口に入れたい衝動で足がおぼつかない。フラフラと歩く。

ああ、あまりにも急ぎすぎたから靴を履き忘れた。服もボタンがズレている。

それでも彼女の元に行かないと。いや、その前に電話するべきだろう。なんでもっと早くその考えに至らなかったんだ。

僕は彼女に電話した。待機音はすぐに止まり、彼女が電話に出る。

僕は彼女が心配でどう話しかけていいかわからない。口から出た言葉は「うあー、うあー」とよくわからない言葉だった。

電話の向こうで彼女が「うあー、うあー」と返事をした。

僕は以前付き合った女性からの「肝心なところで何も気がきかない」という言葉を唐突に思い出した。でも今の僕はそれが何を意味しているのか判然としない。


 


 

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