写真家 アキラ①
ここは薬草の町モガミ。普段は多くの医を志す者が滞在するこの街だが、今日はずいぶんと静かだ。
霧がかかる朝。一人の男が荷車に乗って町に入る。フード付きのマントに身を包むこの男は旅をしているようだ。一度立ち止まり、町人に話しかけた。
「すまない。この町で一番高く、見晴らしの良い場所はどこだろうか」
尋ねられた町人は、うつろな目で男を見つめる。数秒たって、ゆっくりと指を上げた。町人は後ろの山を指した。山の八合目辺りに、木々が少ない箇所がある。木柵も見えるし、あそこが高台になっているのだろう。
「情報感謝する」
旅人が礼を言うと町人は何も言わず立ち去った。不気味なやつだ。旅人はそう思った。
旅人が高台に到着する頃、日は一番高いところまで昇っていた。
「先客かな」
そこには山の斜面に寝ころんでいる少年が一人。旅人は少年に話しかけた。
「ここで何をしているんだい」
「おじさん、誰?」
「おじ….まだ二十代なんだけどな…。まぁいい。俺の名前はアキラ。写真家だ。世界の写真を撮って周っている」
「ふーん…。じゃあ早くこの町から離れた方がいいですよ」
少年は立ち上がり、遠く海の方角を指さした。そこには移動する黒い塔があった。塔は六本の長い足を出し、山を越え、崖を跨ぎ、湖を越えた。こうして会話している今も一歩また一歩と塔は町へ向かって歩く。
「塔が近づいてきている。もうこの町はおしまいです」
そう話す少年の目は暗く濁っていた。
「塔の事を…知っているんだね」
「………旅の人から聞きました。『六本足の巨大な黒い塔が黒いローブを纏った鳥仮面の使者を出し、人間を繭に閉じ込める』一人目は笑われて、二人目は馬鹿にされた。三人目で疑い始めて、四人目で確信した。でもその頃には塔が見え始めてました。遅かったんです」
少年は町を見下ろす。アキラも同じ方向に目を向ける。そこには、数十人の男性が集まっていた。手に持っているのは農具だ。
「今町の人は三つに分かれてます。僕のように変わらない日常を送る者、武力を集めて塔に挑もうとする者。そして……。アキラさんは写真家でしたね」
少年の話が急に変わった。三つめが何か気になるところだったが、聞き出せなかった。
「どうしても撮って貰いたい写真があるんです。報酬はお支払いします。撮って頂けませんか」
「ああ、もちろんいいよ。ただ、ここからの景色を撮影してからでもいいかな」
少年は頷き、アキラが風景を撮り終わるまで待った。その間にも塔は近づいてくる。少年は現実から逃げるように、塔を一度も目に入れなかった。
「さぁ行こうか。人に頼まれて写真を撮るなんて久しぶりだから腕が鳴るなぁ」
「撮って頂きたいのは僕と兄の写真なんです」
慣れた調子で下山する少年。
「他のご家族は一緒に撮らなくていいのかい?」
「家族は兄だけです。父と母ともう一人兄がいたのですが、戦争で死にました」
「……。それはすまない。せっかく戦争が終わったのに、あんな塔が来るなんてな」
二人の会話は一度ここで幕を降ろした。無言のまま、町の中へと入っていく。
「着きました。遠いところまですみません。座っていてください。今飲み物を用意して、えーと、兄も連れてきます」
「ありがとう」
一時間ほど経った頃。
アキラは帰りの遅い少年に違和感を覚えた。兄を連れてくるのに迷ったりはしないだろう。もしや強盗か何かに襲われたのではないか。そう思ったアキラは玄関へ走り出した。するとアキラがドアを開ける前に勝手に開いた。
「うわっ!どうしたんですかアキラさん」
「君の方こそ随分と遅かったじゃないか」
少年は兄を肩で支えている。兄は力なく弟に寄りかかる。よく見れば、高台の場所を教えてくれた町人だった。
「もう会ってましたか。僕の兄です。兄のような人が三つ目のタイプ」
「薬草の過剰摂取…か」
「はい。恐怖から逃れるために、痛み止めや幻覚作用のある薬草を酒に混ぜて飲む。薬草を採ることに困らないこの町では、多くの人がこれに溺れています」
少年は兄を椅子に座らせる。兄は頭を掻きむしり、うわごとを言っている。
「どうやら今はダウンの様ですね。追加で摂取させるか、薬が抜けるのを待てば、写真が撮れる状態になると思います。薬が抜けるのなんていつになるかわかりませんし、追加で飲ませますか」
「いや、待とう」
「………ありがとうございます。そうだ、食事を用意しますよ」
少年は兄から離れ、台所へ向かう。
「そういえば名前を聞いていなかったな」
アキラは少年を呼び止め、そう聞いた。
「タタラです。兄はスケといいます」
「そうか。いい名前だな。しかし、他の町でもそうだが、この町の人も遠くへ逃げ出さないんだね」
「逃げる人はもうとっくに逃げてますよ。知り合いも何人かいなくなりました。逃げるには金が必要です。町に残っているのは、僕ら兄弟のように金のない人間か、町に深い愛情を抱いている人間です。それに…」
「それに?」
タタラは窓の外に見える塔を見上げる。その目は深く暗かった。
「あの塔は、世界を全て巡る。そんな気がするんです。塔がここに来るにはナイアシン渓谷を越えなければならない。小さな橋がいくつも架かっているので人は簡単に渡れます。しかし塔が渡れるような橋ではない」
「でも現実として塔はナイアシンを越えてきた」
「そうです。塔はどこでも移動できるように設計されているんじゃないかなって…。そう思っている人は僕以外にもいると思います。だからきっと…逃げても無駄なんです。苦しんだ末に繭人間になるんです。絶望なんです」
食事を並べながらそう告げるタタラ。その口調はまるで他人事の様だった。
「どんな世界にも必ず希望がある。世界が求めれば必ず救世主が現れる。絶望にのまれてはいけない」
タタラは何も返さず、食事は進んでいった。
「あ…ああ。ここは」
タタラの兄、スケが正気を取り戻した。食事中ではあったが、タタラはアキラに写真を撮る準備を始めるように声をかけた。兄弟は並んで座り、写真箱の準備を待っている。兄は状況をよく理解していないようだが、ボヤけた意識の中で弟を見つめている。
「写真箱の準備は歴史と共に簡単になっていった。昔は分厚い長方形の箱だったが、最新のものは正方形になり、だいぶコンパクトになった。箱の中心にガラス板を入れ、薬品を垂らす。被写体に三方向からの光を当てれば準備完了。昔はこのまま長時間同じ体勢をしていなければならなかったが、今は数秒で済む」
アキラはタタラにポーズを撮るように促す。
「兄さん。笑ってくれないか」
スケはうつろな表情をしている。
「兄さん。ほら思い出して。二人で川で遊んだり、山菜を採りに行ったりしたよね。兄さんはいっつも僕を引っ張ってくれたよね」
タタラの言葉も虚しく、スケの表情は変わらない。タタラは拳を兄の胸に当て、涙をこぼした。
「兄さん…」
スケの手の甲が濡れる。スケは弟を見つめ、指で涙を拭った。スケの頬こけた顔に柔らかい笑顔が浮かぶ。
「タタ…ラ……」
「兄さん…」
目が合った兄弟。アキラは箱にかけた布を外し、写真を撮った。
アキラは撮れた写真をタタラに渡す。
「横顔になってしまって申し訳ない。でもこれがベストショットだ」
「アキラさんありがとうございます。満足な最期です。これで悔いなくいけます」
タタラは写真を両手で握りしめ、感謝の意を示した。
「………。昨晩の食事中にも言ったが、世界が求めれば救世主は現れる。襲われた町はここで四つ目。繭から人間を解放する手段が見つかるかもしれない。まだ絶望するには早いんじゃないかな」
「そうかも…しれませんね」
「俺はこれから塔の写真を撮るための旅を続ける。もしまたどこかで見かけたら声をかけてくれ。」
「ただいまより、スクラピが出動いたします。順番に参りますので、皆さまその場でお待ちください」
塔からアナウンスが流れる。また一つ、町が消える。
「ここにいるのも限界だ。じゃあ…またな」
「はい、さようなら。アキラさん。本当にありがとうございました」
町を去るアキラを見ず。塔を見つめるタタラ。その目にはわずかな光が灯っていた。






