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カミの迷宮  作者: ディアス
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MAP No.07 回想──苛立つ兵士




 フェイリル・マリアティッティは、シールルィン大陸ではディヴェドと並ぶ強国モルガンヌの兵士である。

 所属は国王直轄の近衛兵団で、なかでもエリートとされる親衛隊の一員であった。

 この『近衛親衛隊』と呼ばれる部隊はモルガンヌ中枢施設内部の警備や重要人物の警護を主な任務としている。


 ただ、近衛親衛隊には臨時に特殊部隊が組織されることがあり、その都度必要な人数が集められて難度の高い特別任務に就いていた。

 その特別任務には手練れの兵士でなければ声がかかることはなく、『ハイランディア』というやはり臨時の役職が与えられた。


 フェイリルはそのハイランディア経験者で、これまでに一度だけ特別任務に参加したことがあった。


 ある日、彼は近衛親衛隊の上官である部隊長に呼び出されて、彼の執務室まで出頭した。

 執務室の中には、くすんだ赤毛をいじって枝毛を探す若者の姿があった。エリート部隊には似つかわしくない非常にだらけた雰囲気を漂わせている。


 この男は二年前にモルガンヌ最強の武将ティフィアス・ディルンヌンが憎き敵国ディヴェドからわざわざ引き抜いてきた者で、一年の間にめきめきと頭角を現し、君主直轄の親衛隊で部隊長を務めるまでになったという話だ。


 彼は部下に対して任務に応じて他では見られない変わったアイテムを支給しており、それのお陰で命拾いをした者も多数いるそうだ。


 軍の上層部──きわめて一部だが──では相当な評価がされており、彼はハイランディア発動権限を与えられている。

 戦争もなく武功を上げる機会のないこの一年で、余所者がどんな頭角を表せるものか、多くの者が裏を探ったが誰一人納得できる情報は得られなかった。


 ただ噂によると、彼は故郷では地方貴族の跡取りだったが、国許を出奔したことで二度と戻れない身の上らしい。


 ディヴェド出身の上官など部下から慕われるわけがなく、その話でさえフェイリルを始めみんなの陰口のネタにしかならなかった。


 フェイリルは部屋に入ると、敬礼して報告した。


「フェイリル・マリアティッティ、参りました」


 椅子に座る部隊長は手を止めずに言った。


「あ、ちょっと待って。もう少しなんだ……」


 対して明らかにわかるように憮然とし、直立不動を維持する。


 しばらくして満足のいく手入れのできた部隊長は卓上鏡の向きを直して、呼び出した部下の顔を見た。

 彼は笑顔で挨拶をした。


「やあ、フェイリル、ご機嫌いかが?」


 いったいどこの国の軍隊に部下に『ご機嫌いかが?』などと尋ねる上官がいるのか。


 フェイリルは仏頂面のまま返答した。


「上々です」


「それは重畳」


 と微笑む部隊長。


 同じ空気を吸っているだけでもイライラが募るフェイリルは早く用事を終わらせようと訊いた。


「何かご用と伺いましたが」


 雑談を好む部隊長はあからさまに表情を曇らせる。


「ああ、そうだね。用事を一件頼まれてくれないかな。ハイランディアなんだけど……」


 何故かいつもお願いベースで命令を口にすることが、フェイリルには理解できない。

 自分に近い年齢かもしれないが、部下としては自信に満ちた上官でなければ戦場では命をかける意義を見失ってしまう。


 ましてやハイランディアはエリートの中でさらに実力を認められた証である。どうして、このような気の抜けた言い方をされなければならないのか。これでは栄えある任務も地に落ちる。


 腑抜けた空気を打ち払おうとフェイリルは勢いよく即答した。


「ハッ、何なりと」


 部隊長は大袈裟に驚く。


「ええっ!?」


「な、何ですか?」


「まだ、何にも言ってないけど、受けてもらえるの?」


 フェイリルは呻き声を喉の奥に押し込めた。

 このもやもやするやり取りがイヤでこの部隊長が苦手なのだ。


「むろんです。私はあなたの部下ですから」


 部隊長が腐った卵を割ってしまったかのように顔をしかめた。


「堅いな。堅いよ、フェイリル。もっと気楽にいこうよ」


「私は兵士です」


「いや、でもね……すみません。もういいです……」


 ましてや部下に謝るなどもってのほかだ。ここは軍隊であって、友達の輪を広げる場所ではない。


 フェイリルが冷たく音無しの構えを堅持していると、部隊長の口が悲しそうに本題を話し始めた。


「実はね、キミに行ってもらいたいところがある」


「どこでしょうか?」


「セルテスス・グリンの地下遺跡」


 フェイリルはつまらなさそうに復唱する。


「セルテス・ルーの迷宮ですか」


 セルテス・ルーの迷宮とは、モルガンヌ東部イルクィットゥ州にあるセルテスス峡谷の最奥にある地下都市の遺跡である。


 モルガンヌが弱小国家だったころに築かれたと郷土史家の研究で明らかになっているが、財宝や秘密の謎が隠されているなどという噂もなく、大昔に打ち捨てられた廃墟にすぎない。

 ただ、時折、人が迷い込んでは行方知れずになっているという。


 フェイリルの頭はこの迷宮の政治的な存在価値を洗い出してみたが、思いつけるものは何ひとつなかった。

疑問をそのまま口にした。


「私はそこで何をすればよいのでしょうか?」


 信じられないと言わんばかりに部隊長はかぶりを振る。


「そこで質問するなら、お土産は何がいいですかとか、うまい飯屋はありますかだよ」


 しかし、軽蔑の視線に耐えきれず、部隊長は口ごもった。

 諦めて用件の中身に話題を戻した。


「そこで三人の貴婦人を助けて、あと剣を一振り持ち帰ってほしい」


「救出任務ですか」


 ふむふむとフェイリルは頷いた。隠密と強襲がキーワードとして脳裏に浮かぶ。


「まあ、そういうこと。その三人の貴婦人は悪人に捕まり、現在、迷宮に連れ去られて窮地に陥っている。三人を助け出した上で、剣を取ってくるんだ」


「その三人の貴婦人はどちらの方々ですか?」


 部隊長の顔がわずかに歪み、気の重い話を予感させた。

 確認の問い返しが先にきた。


「それは、どこの誰か、という意味かい?」


「はい」


「いいだろう。一人は『ライオンの皮をまとった少女』、もう一人は『泣きやまない姫』、最後の一人は『黒いベールに顔を隠した娘』……以上、三人」


 赤毛の上官は言葉を切ると、立ち上がって部下の正面に陣取った。

 もちろん、フェイリルはさらなる説明に備えて頭を柔軟にして待ち構えた。


 部下として我慢強く待ったが、続きはいっこうに話されなかった。あの世迷い言には何の説明も含まれない。

 ついに、フェイリルはしびれを切らして自分から訊いた。


「それで、その方々はどなたなのでしょうか。何を目印に捜せばよいのでしょうか」


「いや、情報としては、それだけ」


「それだけ……ですか? ご婦人方を拐った悪人とは何者ですか?」


「悪人とは悪人だよ。それすなわち悪い人だ」


 あまりにも乏しい情報にフェイリルの口から意見が迸る。


「部隊長殿はそれで三人の貴婦人を捜し出せるとお考えなのでしょうか」


「うん、もちろん──」


 と自信たっぷりにウィンクを返してきた。


「──行けばわかるし、見ればわかるし、逢えばわかるさ」


 開いた口がふさがらない、とはこのことだ。


 これまでにあったどんな任務でも、このように曖昧な任務伝達など前代未聞であった。

 もし、危険な任務であるなら、この時点で棺桶に片足を突っ込んだも同然だ。


 フェイリルは思い切って、しかし、表情は変えずに申し出た。


「前言を撤回します。残念ながら、私ではこの任務は果たせません」


「大丈夫だよ。君にしかできないんだ」


 部隊長の手が信頼してると言わんばかりにフェイリルの肩をつかんだ。そして部隊長の顔はのんきな笑みに包まれている。


 フェイリルは兵士の性を呪いながら、複雑な気持ちを押し隠して言った。


「質問があります」


「何だい?」


「本作戦について、何故、私一人しか呼ばれていないのでしょうか」


 赤毛の上官は腕組みをして首を傾げた。


「う~ん……適正を考えて、何となく?」


 こういった回答にとてももやもやさせられるのだ。

 さすがに強い口調で申し入れた。


「意味がわかりません!」


「意味はないよ。この任務を任せられるほどの人材は君しかいない。ただ、それだけ」


「私より優秀な人は──おります」


 フェイリルが床に視線を落として悔しげにそう言うと、部隊長はとんでもないことを口走った。


「いやあ、おっ()ぬのにみすみす行かせられないでしょ」


 猛禽類に似た顔が目を剥いて驚いた。


「それは、私に死ねとおっしゃってるのですか!?」


 反射的に問い返すと、部隊長は狼狽した。


「ち、違うよ──えーと……君が一人で行ったほうが成功する、と判断したからにすぎない」


 そして、取り繕うように咳払いをする。


 ついカッとなったフェイリルは怒鳴りつけてやろうと口を開いたが、間の悪いことに扉が開いて一人の女性が入ってきた。


 その女性は灰色がかった長い金髪の持ち主で、桜色の花びらをあしらった白い襟シャツを着ていた。

 部隊長を見つけるや彼女は彼の首に腕を回して強引に引き寄せて誘った。


「やはりここか。剣の稽古をするから、少々付き合え」


 と腰の剣を叩く。


 部隊長は血相を変えて我が身をもぎはなそうとした。


「姐さん、だめ! 今、最重要任務の申し渡し中!」


「気にするな。詳しいことはあとで紙で渡せばいいだろう」


 女性の腕は鋼のようにがっちりと締まり、豊かな胸のふくらみに部隊長の頬を密着させていた。恥ずかしげもなくというより、むしろ楽しんでいる顔つきだ。

 その左目にはスズランを刺繍した煌びやかな眼帯があり、鋭い眼光と怜悧な美貌の持ち主だった。


 その女性はフェイリルにすべてを見通すような一瞥をくれると、声をかけた。


「おまえについての報告は受けている。アイヴスの眼鏡に適うとは、なかなかの逸材らしいな。フェイリル・マリアティッティ、ハイランディアとしてしっかり励めよ。この任務については、私も非常に期待している──では、おまえの上官は借りていく」


 そして、部隊長は子供のおもちゃが引きずられるようにして連れていかれてしまった。


 呆気にとられていたフェイリルだったが、遅まきながら慌てて跪いた。


 女性の姿はすでに消えている。


 彼女はティフィアス・ディルンヌン。モルガンヌ最強と謳われる女騎士であり、全軍の将兵から畏敬を集める人物でもあった。

 もちろんフェイリルにとっては常に心の底からの最敬礼対象である。


 あの間抜けを絵に描いたような部隊長と親しげにしている理由は不明だが、彼のポジションはかねてより近衛親衛隊でも羨望の的となっていた。


 もし、自分があの女らしさと強靭さを同居させた腕に引き寄せられて、豊満な双丘に頬を押し付けられたら、たとえ我が命と引き換えになっても悔いはない。


 もちろん個人として声をかけもらうほどの栄誉に浴したのは今回が初めてだ。それだけでもあの間抜けが上官であることに意義が見いだせた。


 フェイリルは憧れの人が自分の名前を覚えていたことに喜びを噛み締める。

 やがて誰もいない部屋で歓喜に紅潮した顔を上げると、少しやってみるかと拳に力を込めて立ち上がった。




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