MAP No.06 冥き泉の街:MGNguild──ギルドの長
坂を下って峡谷に入ると、すぐに街の喧噪に沈み込んだ。
様々な様式の建物が並び、話す言葉もマヴィオリ帝国領の公用語以外にも地方言語が溢れてごちゃまぜになっている。
時間帯が夜というのは解せなかったが、見上げてみると断崖絶壁の隙間から星の散りばめられた夜空が覗ける。
これをして夜といわしめざるはなし。
フェイリルの口から欠伸が洩れ出た。体内時計では実働がすでに連続四十八時間を超えようとしている。もうそろそろ休んでもいい頃合いだ。
窓や灯が放つ光のなか、フェイリルはオーヴェルヌに教わった高い建物を目印にして進んだ。
夜にもかかわらず、老若男女を問わない人出の多さだった。ただ、よくある街とは異なり、屋台の売り子ですら武器を身に帯びていて、殺伐とした雰囲気を醸し出していた。
じきに灰色がかった頭髪の男たちが玄関先にたむろする姿が見えた。
そこは立派な建物の前で、彼らは守衛といったところだろう。目つきが鋭く、道行く人々にさり気なく目を配っている。
普通に歩いていってもいいが、ここは窮鳥に扮して懐に飛び込むことにしよう。
警戒の衣を一枚ずつ剥ぐ作業はもう飽きた。相手が女性ならいざ知らず。
フェイリルはそばまで行く前に息も絶え絶えといった様子で話しかけた。
「ここは……モルガンヌ・ギルドか?」
「そうだが」
と手前にいる男が不審そうな顔で答えた。
「よかった──」
足元をもつれさせて、フェイリルは座り込む。
モルガンヌ人らしい三人が声をかけて駆け寄ってきた。
「大丈夫か!?」
「な、なんとか……俺は──」
そして、顔を上げる。
「──フェイリル・マリアティッティ。モルガンヌの者だ。最近、ここに迷い込んだ。運良くこの街に辿りついたんだ」
男たちはいたわりの言葉とともに助け起こす。
礼を言って立ち上がると、今度は口々に質問を浴びせかけてきた。
フェイリルは辛そうな表情を作った。
「一息つきたいんだが、どうすればいい」
「おお、すまん。こっちに来るといい」
最初の男に連れられてフェイリルは建物の中に入った。
そこは広いホールで、並ぶテーブルや椅子は多くのモルガンヌ人が利用しており、左手にあるカウンターの内側では数人が忙しく立ち働く。
また、カウンターで談笑する人はみな武装していた。
男はあいてる席にフェイリルを休ませると、カウンターに行って若い女に話しかけ、フェイリルを親指で差してさらに何事かを喋った。
戻ってくると、迷宮での労苦をねぎらうように肩を叩いた。
「今、案内の者が来る。よく頑張ったな」
それから、仕事があると表へ帰っていった。
元気のないふりをして俯き加減に周りを観察していると、一人の娘がパンとお茶を運んできてくれた。
腹ペコのフェイリルは目の色を変えてパンを口に運んだ。
その娘は革の鎧を身にまとい、細剣を腰に吊っていた。
真向かいに腰を下ろすと、新参者が食べ終わるまで辛抱強く待つ。
見たところフェイリルと年はそう変わらないようだが、この街で苦労したのか厳しい眼差しの持ち主だ。
短い前髪の下から冷めた目で見つめられてパンの喉の通りが悪くなった。ちなみに彼女のチャームポイントは右の目尻の泣きボクロ。
フェイリルはお茶を飲み干してからとっておきの笑顔を向ける。
「ふう……生き返ったよ」
「名前は?」
結局これか、と思いつつも笑顔は崩さない。
「フェイリル・マリアティッティ。好きなものは、地獄で出逢えた女神」
「あたしは、ミェルニル。嫌いなものは、初対面で口説き始める男」
「奇遇だな。俺も男は嫌いだ」
「次に嫌いなのは、察しの悪い男」
「俺が悪かった」
フェイリルは無念の表情で万歳する。
ミェルニルと名乗った娘は嫌悪感を露わにした。
「ティライルの旦那の話とは全然違う様子ね。疲れてなんかいないじゃない」
「俺は男と女で接し方を変える主義でね。特技は、好意を持った女性の前では虚勢を張れることだ。ちなみに君の美貌には男を元気にする効果がある」
一瞬ミェルニルの頬に朱が差して見えたが、すぐに不愉快そうに歪んで消え去ってしまった。
それから噛みつくように言い返してきた。
「あたしはあんたみたいに軽薄な野郎を見るとムカつくんだよ」
「不思議なことに俺と話す妙齢の女性はみんなそう言うよ。おや、体力も回復してきたみたいだ。効果覿面、薬草以上だ」
彼女はあきれた様子で肩をすくめた。
「負けたよ。だけど、そんな言葉に釣られるほど、あたしも小娘じゃない──」
と真面目な顔をして、見つめてくる。
「──さて、本題だ」
「いいだろう。何でも訊いてくれ」
と冷静な兵士の顔に戻るフェイリル。
ミェルニルは頭の中で質問リストをおさらいするように視線を一点に集中させ、戻した。
「あんたはどうしてここに来たのか?」
「どういう意味だ?」
「この迷宮に来た目的、もしくは単に迷い込んだだけなのか」
と長くしなやかな指がテーブルの天板を通り越して地面を差す。
ふむ、とフェイリルは背筋を伸ばした。詳しく言うわけにはいかないが、観光とするには無理がある。
おかしくない程度に使命めかした理由を答えた。
「人命救助だ」
ミェルニルは表情を曇らせてから、深く納得したように頷いた。
「最近迷い込んだ人なら、自警団に訊くといいわ。あそこは街の出入りを管理しているから」
「ありがとう」
フェイリルの瞳が彼女の強い眼差しを正面から受け止めた。
「道しるべをくれた君は、やはり女神と呼ぶにふさわしい」
「歯の浮くセリフはやめろ。気持ち悪い」
「この程度は朝夕の挨拶ぐらい当たり前のものだ。恥ずかしくはないぞ」
「あんたの歯を本当に浮かせてやろうか?」
テーブルの上でうずうずした白い右手が握り込まれた。憎まれ口でも受け答えするところに脈が感じられる。
フェイリルは親しげな笑顔で褒めた。
「さすがミェルニル、俺ともだんだん会話が弾んできた」
頬にしわが寄って本気で苛立った表情を見せたが、瞳に宿った危険な光はすぐに消えた。
「チッ……。なれなれしいんだよ、あんた……あたしは行くよ」
と疲れた様子で食器を持ち、立ち上がるミェルニル。
「いずこへ?」
「あんたのいないところへ」
「お帰りはいつ?」
「あんたがいなくなったとき」
「すまん。俺、やっぱり君みたいに冷たい女性とは付き合えない」
言い切った直後に視界の端に黒い影が見えた。
咄嗟にテーブルに伏せると、後頭部を擦るようにして裏拳が通りすぎていった。
頭を上げたとき、ミェルニルは怒りに顔を真っ赤にしてカウンターへ戻っていくところだった。ドスドスと床を踏み鳴らし、当たり散らしている。
驚きつつも優しく見送るフェイリルの両目は、後ろ姿の細いウェストからヒップの丸みにかけてのラインに惹きつけられた。
引き締まってなお左右に揺れる肉置きは、戦場なら真っ先に護衛対象に指定したい魅力を有していた。
この不毛な任務にちょっとしたやりがいを見いだしたフェイリルであった。
こうやって、おもしろくない仕事をおもしろくするのが、デキる男の秘訣だ。
そんなことを考えていられたのも束の間、今度はずっと年上の男が怖い顔でやってきて座った。
モルガンヌ人の特徴である灰色がかった髪もほとんど白髪だが、彫りの深い造作は渋くダンディーな感じだ。
白髪の男は重々しく注意した。
「あんまりミェルニルをからかってもらっては困る。あれで真面目なタチだ」
「すまなかった。あんなかわいいコを見たのが久しぶりで、つい、な。以後気をつけるから、謝ってたと伝えてくれ」
と神妙な顔で短髪をかくフェイリル。
「自分で言ってくれ。もっとも口も利いてもらえんと思うが」
「そこを何とかするのが楽しいのさ」
「根っからの女好きだな」
そう言う男の言葉に蔑みはなく、むしろ共感の響きを帯びていた。
「男好きな男がいたら教えてくれ。悲鳴を上げて逃げるから」
「だが、今彼女はからかうな。他の者ならともかく」
男の両目がギラリと光った。これは本気の意思表示だ。
フェイリルは表情を消して首を縦に振った。
「自重する」
「それなら、よい。なにぶん常に警戒してピリピリしている者もいる。つまらないことで刃傷沙汰になっては困る。わしの言葉を守れないなら、モルガンヌ・ギルドはおまえさんを受け入れられないからな。わしはペリドリィン・グウァルニール。当ギルドの長だ」
名前を聞いた途端、フェイリルの眼差しに凶暴な光りが宿り、唇が大きく裂けるような笑いを浮かべた。
「ほう……なら、あんたがこの地でのモルガンヌ代表か。だが、そのファミリーネームはフィルンウェン・クソ・ディヴェドの系統だな」
吐き捨てるような口調にグウァルニールは苦みばしった顔をさらに苦くした。
だが、この手の糾弾には慣れているのか、それ以上の変化はなく、むしろ淡々とした返事だった。
「父はディヴェド貴族でね。最終的にモルガンヌ貴族の母に引き取られて育ったんだ。母は父を愛していた。だから、母方の姓を名乗らせてはくれなかった。今となってはどうでもいいことだが」
「ディヴェドのクソッタレ貴族の血が流れているのか。さぞかし苦労してきたんだろうな」
「おいおい、非難してるのか、同情してるのか、どっちだ」
「どっちもだ」
「何でそんなにディヴェドを嫌う?」
「そりゃあ、『百日戦争』で我らが麗しの『殲滅騎士』──ティフィアス様の片眼を潰してくれやがったからさ」
フェイリルが鼻息を荒くするとグウァルニールが鬱陶しそうに顔を背けた。
「典型的な軍人気質だな。ここでは、その暑苦しいイデオロギーは財布にでもしまって後生大事にとっておけ」
同じモルガンヌ人としてノリの悪い対応に、フェイリルは気を殺がれておとなしくなった。
「どういうことだ?」
「それだけここは過酷な環境で、たとえ不倶戴天の宿敵相手でも握手しなけりゃならん、ということだ。特にこの街の有力ギルドの一つであるディヴェド・ギルドとは友好的な関係にある。わしのおかげでな」
グウァルニールの自慢げな話しっぷりにフェイリルの眉がかすかに動いた。どうも外の世界とは異なるパワーバランスがあるらしい。
深呼吸のあと掌を見せて従順な態度に徹することにした。
「わかった。この迷宮にいるうちは遺恨は忘れる。たとえ相手が小鬼でも協力することにする」
「いいぞ。その調子だ」
「わかってる。ここでのボスはあんただ」
グウァルニールは重々しく頷くと、事務的な口調に変わった。
「さて、フェイリル、君はモルガンヌ・ギルドに入りたいということでいいんだな。我々の一員としてやっていくのであれば、それなりの役割を担う必要がある」
「異存はない」
「雰囲気は兵士のようだが」
フェイリルは澄まし顔で答える。
「軍人だ。街の入口で履歴書を提出してきた」
「それは、あとで自警団ギルドから取り寄せる。君が兵士なら任せたいことがある」
「ふむ、何かな?」
フェイリルはテーブルの上で指を組んで心の準備をした。
『兵士』とは人を殺す生き物である。任せたいことなど、人殺し以外にあろうはずがない。
グウァルニールは値踏みをするような目つきで眺め回したあと、口を開いた。
「物資調達隊の護衛」
フェイリルの首が縦に動く。妥当な役割だ。
「未踏破地域の探索」
任務達成のためにも必要だ。
「他階層からの侵入者の排除」
これは仕方がない。
「他ギルドとの抗争」
ここはツッコミどころだ。フェイリルは天板をノックすると、嬉々として指摘した。
「おいおい、昨日の敵は今日の友じゃなかったのか?」
グウァルニールの瞳に冷酷さがまじり、彼の口はシニカルなセリフを並べ立てた。
「今日の友は明日の裏切り者にもなりうる。どんな世界にも敵対勢力はいるものだ。神に対する悪魔のようにな」
「そんな心の天秤上での勢力争いに興味はないが、身近な喧嘩相手は知っておきたい。兵士ってのは現実的なんだ」
フェイリルは首を傾けて視線を投げかけた。おためごかしはいらないよ、と。
ギルド長の微笑みは自信と力に満ちて、まさに権力者のそれだった。
彼は咳払いをしてから言った。
「この街には大小あわせて三十近いギルドがあるが、この街のルールは古参の有力ギルドが話し合いで決めている。取引基礎価格とかな」
「一部の団体が全体の掟をつくってるのか。そりゃ揉めるな」
「揉めるというより、取って代わりたくなる」
「その過程で抗争が生まれる」
とフェイリルの両手の人差し指が胸の前で華麗に斬り結び始める。
グウァルニールは深く頷いた。
「ここは外敵が多くて力にものを言わせる風土が強い。だから、武力衝突に発展することがある」
「お得意の政治力で何とかしないのか?」
「たいていは封じ込めてるから、武力衝突は滅多にないがね」
不意にグウァルニールの目がカウンターを見て小さく頷いた。
フェイリルに向かって言った。
「たまたま手が空いていたのだが、そろそろ時間だ」
フェイリルは白髪の濃いギルド長と話すことに飽きている自分に気がついた。途端に眠気が襲ってくる。
欠伸を何とか噛み殺して言った。
「わかった。あと覚えておいたほうがいいギルドを教えておいてくれ」
グウァルニールは右手で三本の指を立てたあと、左手でも同じことをして合計六本の指を立てた。
「『自警団』、『互助会』、『迷宮探索』の三団体が三大ギルドと呼ばれている。街の主導権を握る有力ギルドは、この三大ギルドにモルガンヌ、カゥライエンとおまえの大嫌いなディヴェドを加えた六つだ」
「そうか。時間をとらせてすまなかった。あとはおいおい勉強していく──と、最後に一つだけ」
とフェイリルは眠い頭を振る。うっかり大事なことを聞きそびれるところだった。
「何だ?」
「この迷宮から脱出できないというのは本当なのか?」
「少なくとも脱出できた者の話は聞いたことはない。それに外から助けが来たこともない」
その答えにフェイリルの表情は苦味を帯びるが、口調は変えずに言った。
「そうか。ま、今後ともよろしく」
「うむ。よろしく頼む。現役兵士の力、あてにしている」
二人は握手で締めくくった。
おっさんの生温かい手を握り返しながら、フェイリルは深く後悔した。怒らせなかったら、話し相手は若い女性のままだったはずだ。
手を握るなら、断然、そちらを選ぶ。
「そうそう──」
一度背を向けたギルドの長が振り向いた。
「──言い忘れていたが、迷宮は複雑で妖怪なんぞが跋扈してるから、単独で動くのは大変危険だ。そのため大抵はギルドメンバーでチームを組んで活動している。無駄に命を落としたくなかったら、どこかのチームに入れてもらえるよう早いうちにお願いして回ることだ」
それだけ言ってからさっさとその場からいなくなった。
そういう大事なことは段取りしてくれよ、とのセリフを呑み込んで見送った。やはり軍隊とは組織力に雲泥の差がある。
互いに助け合うためのコミュニティーのはずだが、迷宮での生死については個人責任ということだ。
フェイリルはカウンターで宿の手配をすませると、モルガンヌ・ギルドを出た。
出際にミェルニルにウィンクを投げたが、反応すらしてもらえなかった。
建物の外にいる人の数は減り、ギルドの守衛も人物が変わっていた。
見上げると、断崖絶壁の隙間が空の裂け目のように見える。とても部屋の中の光景とは思えない。
雲が流れて月が覗くと、今度は無感動に見下ろす冷たい瞳に見えた。
その瞳はフェイリルを送り出したときの部隊長の瞳にそっくりだった。
やる気を失ったフェイリルはため息をつき、今後の活動計画は宿でゆっくり考えることにした。
ギルド長の最後に見せた様子を思い出す。逃げられないと聞いたフェイリルの表情に彼の顔は残酷な喜びに彩られていた。
お山の大将がお似合いだな、とフェイリルは誰にともなく呟く。
そして、思った。
どうやら、どこに行っても上司には恵まれない星の巡り合わせらしい。