MAP No.05 冥き泉の街:entrance──隻腕の男
壮年の警備兵の言葉通りに進むと、はたせるかな、二人の警備兵が守る大きな鉄の扉に出くわすことができた。
剣に手を添えた若そうな警備兵に誰何されたが、ザラテスに教えられて来たことを告げると、すぐに警戒はとかれた。
「初めてここを訪れたってのに、すまないな」
三十代に見える警備兵が声をかけてくる。
フェイリルは肩をすくめて、いいさ、と応じた。
「こちらは新参者だ。警戒されて当たり前。それよりも俺は街に入れてもらえるのかい?」
警備兵は相棒に頷くと、皮肉まじりにフェイリルに言った。
「街に入ってゆっくりするといい。どうせ誰も出られやしないのだから」
もう一人の若い警備兵は頷き返し、鉄の扉を開けて案内をする。
「この通路の先に気難しいおっさんがいるから、あとはそのおっさんの指示に従ってくれ」
鉄の扉の先へと踏み込むと、二頭立ての馬車が二台並べるほど広い通路があり、短い通路の先にはまた別の扉が見えた。
扉の少し手前に机と椅子がおかれていて、男が右手で頬杖をついて退屈そうに座っている。ザラテスと同じような年格好だが、髪の色は真っ白だった。
フェイリルはゆっくりと男へ近づいていった。
近くにきてわかったのだが、男は左腕がなく、シャツの左袖が平たく垂れ下がっていた。また、右の袖は小指側の側面だけ布がほつれてやけに薄い。
真一文字に引き結んだ口元からは頑固さが見て取れた。
そして、見覚えのない人物を目に留めた男は無愛想に睨みつけてきた。
フェイリルはひるまずに言った。
「街に入れてもらえるかな」
男は右手でペンを取り、短く訊いた。
「名前は?」
「フェイリル・マリアティッティ」
男は机に広げてある台帳に書き留めていく。
「国はどこだ?」
「モルガンヌ」
「職業」
「近衛親衛隊の兵士」
えっへんという咳払いとともに胸を張り、少し偉そうにしてみたが無視された。
何事もなかったかのように身元確認が続けられていく。
「年齢」
「二十三。もうじき二十四になる」
「年齢は──満二十三歳、と。この街には何のようだ」
「この迷宮に来たばかりの迷える子羊だから、体と心を休めるところがほしくて」
「目的は──休息」
ここでは右も左もわからない若造としていくらかでも情報を引き出したいところだが、まったくとりつく島がない。
男はインク壷にペン先を浸すと、質問を続けた。
「持ち物」
「そんなことまで言わなきゃならんのか」
辟易したフェイリルが愚痴ると、落ちくぼんだ目でじろりと睨まれて同じ質問が繰り返された。
「持ち物」
「マント、荷物袋、剣を二振り」
「中身」
「は?」
間の抜けた問い返しに、苛立たしげだが言葉が少しだけ詳しくなった。
「袋の中身」
フェイリルは苦々しく思いながらも薬草や着替えなど入れてある日用品をわざと細かく列挙してやった。
そんなことは意に介さずに隻腕の男はまめまめしく書き記していく。
思わずフェイリルは唸り声を発した。
三たび睨まれた。
「文句か?」
吐いた唾は飲み込めない。フェイリルは一計を案じ、ほめ言葉を口にのぼらせた。
「いや、そうじゃない。俺は軍人だが、軍でもここまで任務に忠実な人は見たことがない」
男は上体を起こしてあきれたように言った。
「ろくな人材がおらんようだな」
「いやいや──」
と首を振るフェイリル。
「──あなたの仕事ぶりは賞賛に値する」
男は無言で顔を強張らせたが、毒を喰らわば皿まで、だ。
フェイリルはかまわずに言葉を続けた。
「軍は組織として命令を忠実にこなすことが大事だが、同じ任務を続けていると、慣れからどうしても手を抜けるポイントがわかってしまう。手抜きポイントがわかると、人間はどうしても手を抜きたくなる。なぜなら、そこでは手を抜いても全体に影響がないからだ。だが、あなたは長らくこの仕事をやってるだろうに少しも手を抜かない。これは大したものだ」
硬い岩のような男の顔がわずかにほころんだ。
「なぜ長くやってるとわかる」
「勘と右袖のほつれだ。長く書き物をして机と仲良くなった証拠だ」
今度は隻腕の男から唸りが洩れた。
だが、その表情は和らいでいた。
「当てずっぽうかよ。だが、まんざら馬鹿でもなさそうだな」
「あなたのことを隊長と呼んでもいいと思ってる」
男が笑顔に変じた。
「そいつは御免こうむる。わしはオーヴェルヌ。ようこそ、ソルジャー・フェイリル・マリアティッティ」
「フェイリルと呼んでくれ」
「わしのことはオーヴェルヌでいい」
フェイリルはニヤリと笑った。
「ありがとう、オーヴェルヌ。ところで警備兵がちょこちょこいたりして随分と警戒してるようだが、何故だい?」
隻腕の男は鼻を鳴らした。
「ここには怪しい生き物がたくさんおる。この階層はまだ少ないが、いつ来るかもわからんからだ」
「なるほど」
とフェイリルは腕組みをして、自律式骸骨を連想する。この階層、という言葉が引っかかった。
「この階層というからには、他の階があるのか?」
「ここより下にはいくつかの階層がある──」
オーヴェルヌはペン立てにペンを戻して何かを思い出すように目を閉じた。その顔が苦渋に染まる。
やや間が空いたあと、話は再開した。
「──下に行けば行くほど、化け物が増えていく。そして、ずうっと下の階層──何日もかかるところだが──には街もある。ただし、そこまで地獄に近いと住人たちも怪しさを増して、化け物と大差なくなるのさ。だから、我々は下層階からやってくるすべての来訪者を警戒している」
「剣呑なところだな」
「ああ。……さて、フェイリル、街に入っていいぞ」
「質問責めは終わりか?」
「おまえが怪しい奴じゃないとわかったからな」
「助かる、隊長」
オーヴェルヌもニヤリと笑い返すと立ち上がり、街を隔てる最後の扉へ近づいた。扉の上には銅のプレートが掲げられて文字が彫ってあった。
『この扉をくぐる者は一切の望みを捨てよ。ただこの扉を出てゆく者には希望を託すべし』
隻腕の男は鉄の大扉を軽々と開いて言った。
「『冥き泉の街』へようこそ、フェイリル」
「望外の歓迎いたみ入る」
「それは嫌味かね」
「もちろん嫌味さ、隊長」
二人は顔を見合わせて笑った。
扉の向こうには実に不思議な大峡谷が広がっていた。
周囲には険峻な断崖絶壁がそびえ立ち、それが遥か天高く夜空まで続く。
今いる入口を起点にして左右の絶壁が開いていくと、それは遠くですぼまるように狭くなり、その挟まれた間に街の灯が輝いていた。
地下迷宮の一室に屋外と見紛う光景がある不自然さにフェイリルは面喰らったが、驚きの声は呑み込んだ。行けばわかると言ったザラテスは正しかった。
フェイリルを送り出すときにオーヴェルヌは思い出したように言った。
「モルガンヌ・ギルドを訪ねるといい。同郷のほうが早く受け入れてもらえるだろう」
「それはどこにあるんだい?」
振り向いて訊くと、隊長は街中右寄りの高い建物を指差した。
フェイリルは礼を言って、街中に入っていった。