MAP No.04 道標の部屋──疲れた警備兵
泉の部屋を出るとさらに下り坂があったが、すぐに上り坂に変じた。
五分ほど歩くと道は平坦になり、空気にまざる水気は薄れて再び光球の群れは勢いを取り戻した。
フェイリルは盗み聞きした騎士団の言葉から『冥き泉の街』が東の方角──つまり、ここから右手にあることが推測できていた。
問題は右に進むための通路がないことだ。
フェイリルの足は止まらず、右へ曲がる道を探して行ったり来たりを繰り返した。十字路を右へ折れると、行き止まりだったり、真っ直ぐ行くと通路が崩れて先に進めないといった具合だ。
しかし、何度も引き返しながらすべての道を試しているうちに光球とは違う光を目にすることができた。
視線の先には通路へ洩れる炎の灯りが揺らめいている。
フェイリルは意気揚々と近づいていった。
通路の右手の壁に開け放たれた扉があり、薪のはぜる音が聞こえた。
通路から部屋の中を窺うと鎖帷子を着た柔和な顔の男が一人で椅子に座っていた。
ぱっと見て年の頃は壮年あたりだろうか。口髭をたくわえ、疲れた様子で焚き火に向かい、串に刺した肉らしきものを焼いていた。
こいつ一人なら問題なしと、フェイリルは部屋に入っていった。
「やあ、ご同輩」
馴れ馴れしい挨拶に男はギョッとする。口髭がもぞもぞと動いた。
「驚かしてくれるなよ。いったい何のご同輩かね」
「道を見失ったことについての」
口髭の男は乾いた笑い声を立てた。
「それなら間違いなくご同輩だ。火にあたるといい。ここの冷気は体の芯を冷やす」
フェイリルは遠慮なく焚き火のそばに陣取ると、さっそく脱いだマントを火に当て始めた。
口髭の男がもの問いたげな顔をした。
フェイリルは如才なく愛想笑いを浮かべて名乗った。
「俺はフェイリル・マリアティッティ。ここには最近来たばかりだ」
「どこから来たのかね」
「モルガンヌだ」
と灰色がかった自分の黒髪を指差す。
口髭の男は頷いた。
「私はラールーンスの出だ。名前はザラテス。五年前にここに迷い込んだ」
ラールーンスはマヴィオリ帝国三十六州でも西の二州を所領とする小国だ。だが、捨て置けない言葉は他にあった。
フェイリルは素っ頓狂な声を上げる。
「五年前だって?」
「そうだ。五年前に誤って入り込んでしまって以来、抜け出せずにいる」
経験豊かな大人が五年もかけて抜け出せないとは、まさに不朽の迷作以外の何物でもない。
渋く歪む顔を見て、ザラテスと名乗った男はため息まじりに言った。
「最初の二年は脱出に明け暮れたが、今じゃ諦めて街の警備を仕事にしている」
「街があるのか?」
「『冥き泉の街』がある」
「そこの警備係をしていると」
「そうだ」
とんでもない話だとフェイリルは頭を振った後、騒ぐ心を静めて思考に意識を割いた。
上官から受けた命令は『セルテス・ルーの迷宮』から三人の女性を助け出し、さらに一振りの剣を持ち帰ることだった。大昔に造られた遺跡で捜し物をして、目的のモノがあるにしろないにしろ、さっさと帰ってくるだけのはずだった。
所詮は前時代的な建造物に過ぎず、現代の技術、魔術をもってすれば簡単に脱出できる算段なのだ。
フェイリルはヒビを梁と柱で補強してある天井を上目遣いに睨んだ。
そこには自分の所属する近衛親衛隊の部隊長の顔がある。赤毛で気合いのない、のほほ~んとした間抜け面だ。
ザラテスは渋い表情を見て、まるで他人事のように同情に耐えないと慰めを口にした。
「この『アーバーンの迷宮』に入って出た者はいない」
「何だって?」
フェイリルは驚き声を上げてから訂正した。
「ここは『セルテス・ルーの迷宮』だろ」
壮年の男に意味ありげな笑みが浮かぶ。
「迷い込んだ奴らはみな口々に違う名前を言うよ。少し前にここを通ったカゥライエンの騎士たちは『カゥライルの迷宮』と呼んでる」
フェイリルの鋭い鷹の目が説明を求めて険しくなる。
ザラテスは新人を教育する指導者のように指を立てて解説した。
「先住者──つまり、もっと前からここにとっつかまった人たちの話によると、この遺跡は『欠けたる月の鉄鎖宮』というそうだ。とある貴人の墳墓として造られたという話だ」
「『欠けたる月』や『鉄鎖宮』ってのは何なんだ?」
「さあな。それについては街の知恵者や迷宮探索ギルドの連中に聞くといい」
「組合があるのか」
「ここは一人で生き抜くには辛いところだ。同郷人や同じ考え方の人間が身を寄せ合って生活しているよ」
フェイリルはマントの乾き具合を確かめ、まだ湿っているところを焚き火に近づける。
ザラテスはおもむろに手を伸ばして串をとり、香ばしい匂いのする肉にかぶりついた。
それを見たフェイリルの口中に生唾がわく。空腹を忘れようと疑問をぶつけてみた。
「その街には何人ぐらいいるんだ?」
ザラテスの口がうまそうに咀嚼を繰り返し、答えが返ってきたのは肉を呑み込んでからだった。
「街だけで三千人はいるらしいぞ」
「そんなにいるのか?」
「毎年何人かは迷い込んでくるし、大昔から住みついている者もいる」
「こんな閉鎖空間でどうやって三千人分もの食糧を調達してるのか、はなはだ疑問だ」
警備兵の口髭が揺れてくすりと笑ったのがわかった。
「街に行くとよくわかるんだが、この迷宮の中には不思議な部屋がたくさんあって、森や草原もある。それらの部屋から必要な物資は調達できるんだ」
さすがにフェイリルの顔が不愉快そうに歪み、あからさまな舌打ちをした。
ザラテスはさらに笑った。
「疑ってかかるのも無理はない。だが、街へ行けば納得するはずだ」
「そうかね。じゃあ、『冥き泉の街』へと行ってみるとするか」
マントが充分乾いたことを確認して、フェイリルは立ち上がった。
荷物を担いで、礼を言う。
「ザラテス、助かったよ」
「なんのなんの、そのためにここにいるんだから」
「変わった仕事だな」
「不慣れな土地の水先案内係さ。そうだ、もし、街の自警団ギルドに行くことがあったら、伝えてくれないか」
「何だ?」
「この肉はまずい」
さっきのしっかり味わうような表情は何だったのかと思いつつ、フェイリルは右手を上げて別れを告げた。
口髭の警備兵も同じ仕草で応えた。
フェイリルは入ったときと違う扉から警備部屋を出た。
だが、しばらく歩いてから、急いで警備部屋へ戻った。
まだ肉を食べていたザラテスが驚いた顔を上げる。
「どうした、若者よ?」
フェイリルははにかんだ顔で尋ねた。
「街への道順を教えてくれないか」