MAP No.03 冥き泉の部屋──愚考する女
結局、その先にあったのは行き止まりだけで、フェイリルは何度か人骨が散乱する部屋を通ることになった。通過するたびに髑髏が騒いで煩わしかったので、壊れた木箱に全パーツを入れてぽっかり空いた壁の穴に押し込んでやった。
老人の部屋を出て最初の四つ辻は左も先がなく、最終的に右に行くしかないことがわかった。
その通路は他の通路と同じ作りだったが、進めば進むほど下り坂となり、左に緩くカーブをしていた。壁面がやけに湿ってきて浮かぶ光球も光り方が鈍くなっている。
じきに苔が目につくようになった。
濡れて照り返す床石がつるつるして滑りやすくなってきたので、フェイリルはゆっくりとした足取りに変えた。
奥に進むにつれて明滅を繰り返す光球が現れ、通路の薄暗さが増す。光球自体の数も減っているようだ。
先ほどのスケルトンを思い出し、何が出てきてもいいように若干腰を落として警戒しながら前進していった。
幸い何事もなく新たな部屋に到着できた。
口からため息が洩れる。万事この調子では時間がかかる上に疲れて仕方がない。
部屋には扉はなかったが、スケルトンの例もあるため、入る前に入口付近を調べて罠がないことを確認した。室内からはちょろちょろと水音がしていて、目を向けると広くない部屋に泉があることがわかった。
フェイリルはマントの内の水筒を振って軽い音しかしないことを確認した。ちょうど補給どきだ。
泉の中央には両手を胸元におく娘の石像があり、その両目から涙のように水が流れ、衣服のひだからか細い水の線が滴っていた。
水は彫刻のある縁に囲まれた中に溜まる仕組みだ。
娘の立つ石の台は石碑であり、碑文が刻んであった。
『姫の慈愛は深く、悲嘆の涙すら万人を癒す』
なみなみとある水は溢れて床に流れ出していて、近づくフェイリルの長靴がピチャピチャと音を立てた。
泣きすぎだと毒づきながらもフェイリルは水をすくって味見をすると、満足そうに頷いた。適度にカルシウムとマグネシウムが含まれていてうまい水だった。
雑嚢を濡らしたくないので、担いだまま器用に皮水筒の蓋を開けて、水を入れ替えた。これでもう少し探索の足を延ばすことができる。
そのとき話し声とともにガチャガチャと金属音が鳴り響いた。
顔を上げると、反対側の入口のすぐ向こうに複数の人影が見えた。隠れるところを探したが、この部屋には泉以外に何もない。
フェイリルはマントに身をくるむと迷わず溜め池の陰に横たわって隠れた。怪しげな迷宮で見知らぬ完全武装の連中に囲まれたくはない。
足音と話し声で数えて七人の集団とわかった。
咄嗟に隠れはしたが、これだけの人数がいれば、すぐに見つかってしまうだろう。
しかし、今さら動けば見つかってしまう。フェイリルはこのまま隠れ続けることにした。
その眉がピクリと動いた。
──ん?
話し声の中に女がいる。
フェイリルは聞き耳を立てたが、捜し出すよう命じられた相手ではないことが、すぐにわかった。
野太い男の声がした。
「止まれ」
鎧の耳障りな金属音が響いて、足音がしなくなった。その野太い声が命令する。
「ギャラディンとカーズウェルは歩哨、あとの者は休憩してよし。各人水の補給だ。長居はしないぞ」
ハキハキとした返事があった。受け答えと規律のある行動から組織だった集団と推測できた。
「ダークロット隊長、提案いたします。歩哨には私が立ちます」
若い女の甲高い声だ。
野太い声が応えた。
「ミスティオル殿、休めるときには休むものです」
「いえ、私は他の方ほど荷を持っておりません。私が真っ先に立番をすべきと愚考します」
「ギャラディンとカーズウェルは体力に優れていて、まだ若く、最初の歩哨は彼らの役割と決めてあるのです」
「ギャラディン卿もカーズウェル卿も高貴な身分ながら、いつも率先して雑務をしています。見習うべき騎士の手本です。それに若さでいえば、私が一番若いです」
周囲から好意的な苦笑のさざ波が打ち寄せた。
ダークロットと呼ばれた男の声が咳払いをすると、さざ波は打ち消された。
「お父上との約束でそのようなことはさせないと誓っているのです」
「デースティン公はここにはおりません。だから、露見しないものと愚考します」
あからさまな笑い声がわき起こり、今度は怒鳴り声がその場を静まらせた。
野太い声が厳しい声音に変わった。
「ミスティオル殿、それは私に騎士の誓いを破れとそそのかしているのかね?」
「い、いえ、決してそのようなわけでは……」
と娘の声は狼狽している。
泉の陰で、マントに染み込む冷たさも忘れてフェイリルは必死に笑いを噛み殺した。どうやら他国の騎士様御一行のようだが、どこにでも跳ねっ返りの女はいるものだ。
フェイリルも自国の心当たりを思い浮かべる。
剣と魔法の両刀遣い『銀の腕』リィリン。
モルガンヌ最強の猛将『一撃万殺』のティフィアス・ディルンヌン。
渋い顔で思い直した。跳ねっ返りと揶揄するには遥かに格上の人物たちだ。
野太い声は怒りを隠さなかった。
「そうか、ならば結構。公平に歩哨当番には入れておくが、その反抗的な愚考は頭の中にしまっておけ!」
「はい……」
しゅんとなった声の主が足音を立てて移動すると、何人かの慰めの声がかけられた。
一度歩哨が交代して、今度は今後の行動予定が洩れ聞こえてきた。
フェイリルは耳をそばだてる。
どうやら彼らは例の『冥き泉の街』とやらから来たらしい。街を拠点にして、この迷宮を探索している。
この泉は飲み水補給のための重要地点であり、街を出て西に向かう途中に立ち寄ったのだ。
ダークロットなる人物の野太い声が言う。
「このあとは予定通り西ブロックの探索をおこない、一階層下まで足を伸ばしてから街に戻る。本格的な探索に入る前の腕試しだが、気を抜かずに充分注意するように。これまでの調査経験から、遅くとも二日後には街に帰れるだろう。では、出発だ」
元気のよい返事があった。
荷物を担ぎ直す音が聞こえて、フェイリルは身を堅くした。他になかったとはいえ、バカなところに身を隠したものだ。
戦利品の大剣を強く握る。
しかし、心配は杞憂に終わり、騎士の一団は入ってきた入口から泉の部屋を立ち去った。
フェイリルは物陰から身を起こすと、びしょ濡れのマントを絞りながら悪態をつく。見つからなかったのは、まさに僥倖という他はない。
騎士たちがいたところを調べようと一歩踏み出してギョッとした。
爪先のすぐ前に引き裂かれたような穴があって、細いが黒々とした裂け目が横たわっていた。床に溜まった泉の水がゆるゆると流れ込んでいくのがわかった。
裂け目は大変深くて物を落としたら、二度と拾えないだろう。
フェイリルは泉の反対側を廻って裂け目を避けた。
ニアミス相手は幸いなことに無頼の徒ではなかったので、もし見つかっても最悪の事態にはならなかっただろうが、身を隠したのは正しい判断である。
彼らも何か使命を帯びているようだ。国命と想定すれば、利害がぶつかるかもしれない。注意が必要だ。
それにデースティン公という名に聞き覚えはあったが、思い出せない。
フェイリルは泉の部屋を出るときに、あの娘はこの先歩哨に立てるのだろうかと、思いを巡らせた。