MAP No.02 木箱の部屋──嘆く骨
老人のいた部屋を抜けてしばらく歩くと、また四つ辻に出た。
分かれ道があると知っていたら道順を聞いておけたのだが、こうなっては後の祭りだ。
フェイリルは当然のごとく直進を選んだ。
万が一に引き返さざるをえなかった場合、真っ直ぐであれば道に迷うこともない。今この瞬間に、どこかへ戻るとすれば、起点となったあの老人のいる部屋だ。
五分も進んだであろうか、彫像のあった広間によく似た部屋に出た。
扉こそないが、部屋の作りは同じシンプルな直方体だ。違う点は彫像がなく、代わりに高さが五十センチ程度の細長く真新しい木箱が部屋の中央におかれていることだった。
あからさまに怪しい白木の箱。何故こんなものがあるのか、理由が説明できない。
薄ぼんやりとした光の中、フェイリルは矯めつ眇めつ眺めていたが、問題なしと見定めて木箱に腰を下ろした。
しばらく歩きづめだったので、疲れていた。食糧や日用品の入った雑嚢も傍らにおくと、膝に肘をついて重そうにこうべを垂れる。
あの老人の口ぶりだと、そんなに遠くないところに街はあるはずだ。街があるなら、さっさと行ってゆっくり休みたい。
フェイリルは十分ほど休憩した後、よっこらしょと腰を上げた。拍子に踵が当たって、木箱からガチャリと音がする。
振り返ってよく見ると木箱には錠前がついており、大事なものをしまってあるかのように蓋を閉ざしていた。
フェイリルは心の中で皮肉に満ちた笑い声を発した。扉のない部屋にある粗末な木箱に何が隠されているというのか。
鋲を打った長靴がおもむろに木箱を蹴飛ばす。中に何かが入っているようで悲鳴のような金属音を響かせて木箱は転がった。それにまじってカチリと意地悪な音がした。
途端にやかましい音を立てて黒塗りの鉄格子が部屋の入り口をふさぐ。
慌てて首を向けると、反対側の出口も同様だった。
──閉じ込められたか。
己の迂闊さを責めながらもフェイリルは油断なく腰を落として柄を握る。この探索に送り出されるにあたって、罠や怪しい生物の危険があることは念押しされていた。
出口に近い右手の壁が崩れて大人が一人通れるぐらいの穴があいた。
得物を抜き放ち、足を滑らせるようにして穴へと近づいていった。
恐る恐る穴を覗き込む。
白刃がニュッと突き出てきて、フェイリルはすばやく跳びすさった。残念なことに、念押しのなかに生命のない敵への言及はなかった。
壁の内側から現れたのは、実に剣を握った人骨だった。
完全に白骨化した死体は肉も皮もなく、軍学校の解剖学講座で見た標本のような完品で、身につけているのは右手の大きな剣だけだ。
筋肉や腱のない体でどうやって動いているのか見当もつかない。ただ、武器を持って動き廻る人骨と同じ部屋に閉じ込められた事実は危険以外の何物でもない。
フェイリルは誘いの口笛を吹いて剣を中段青眼に構えた。
骸骨は静寂を破った侵入者へ顔を向けると、カタカタと音を立てて笑った。正確には頭蓋骨の下顎を開閉したのであって、笑ったのかはわからない。
フェイリルは表情を崩さなかったが、とんでもないことになったと内心毒づく。
近衛兵団の親衛隊は君主および権限委譲を受けた王族直轄のいわゆるエリート部隊だ。
一兵卒であろうと、礼儀作法から軍学、魔法学に至るまでありとあらゆる勉学を義務づけられている。
だが、どの分野にも白骨状態の敵について解説してくれた講座などなかった。当然のことだが、白骨は墓に納められるぐらいでしかお目にかからないものなのだ。
手をこまねいて様子を見ていると、骸骨が剣を振り上げて迫ってきた。その動きは意外にすばやい。
刃を払って、フェイリルはバックステップで斜めにさがる。気分的にあまり近くにはいたくない。
骸骨怪人は直線的な妙な動きで体を起こすと、再びフェイリルへ向き直った。再び上段に構えて急加速の移動で間合いを詰める。
この時点で彼の心に余裕が生まれた。
予備動作なく体が動くため初見の攻撃には驚いたが、動きが真っ直ぐなので回避は造作もない。
体を開くと、身幅の広い大剣が眼前を通り過ぎていく。フェイリルが少し我慢して体をぶつけるなり、骸骨は軽々と吹っ飛ばされてバラバラに床に転がった。
同時に鉄格子も引きあがっていった。
「ふう……」
フェイリルは息を吐いて敵の剣を拾い上げた。見廻すが骸骨は四散して動く気配はない。
自分の剣を鞘に納めて、敵の武器を持ち上げる。
長さはそれほどでもないが、錆一つない大剣で重ねも厚く、なかなかの業物だ。二度三度振ってみたがバランスもよく、使い勝手のよさそうな剣だった。
えもいわれぬ魅力を感じたフェイリルは呟く。
「持っていくか」
そのとき床の髑髏が恨みがましくカタカタと音を立て、フェイリルは飛び上がるほど驚いた。
髑髏に目を向けると、泣きそうな顔に見えた。
フェイリルは蹴り砕いてやろうかと近づいたが、バラバラになった哀れな様子に思いとどまった。
よく見ると骸骨も得物と同じく磨かれたように白くきれいな状態で、白骨のくせに身綺麗にしているのかと思うと、涙ぐましい努力を想像して怒りは萎えてしまった。
代わりに木箱に近づいて奪った大剣で打ち砕く。バリバリと手で引き剥がすと、なかから剣帯付きの鞘と幾つかのアクセサリーが出てきた。
鞘はどうやらこの大剣のものらしい。アクセサリーは銀とは異なる白い金属製のネックレスとブレスレットにイヤリングの三つであった。
また、どれもデザインは細い棒状の鎖や飾りが多用され、アメジストらしい小ぶりな花があしらわれた精緻な意匠のものだった。
小さく歓声を上げると、鞘に剣を納めて剣帯を肩に担ぎ、鍵束とアクセサリーはポーチにしまった。
背後ではしつこく髑髏が叫ぶように音を立てている。
フェイリルは諦めの悪い髑髏に捨てゼリフを残した。
「悪いな。こいつは戦利品だ」
そして、部屋を後にした。