MAP No.01 石像の部屋──怒れる彫刻家
足を踏み入れた先では気温が大きく下がり、男はマントを引き寄せた。
そこにはやはり石を積んでできた通路が延びていた。大人三人が手を広げたぐらいの大きな通路で、天井も二階以上の高さにある。
入る前に想像したような干からびた人骨などは落ちておらず、蜘蛛の巣も見当たらない。もちろん生き物の気配はなく、薄気味悪いことこの上ない。
マントの男は不安の滲む背中を揺らしてあたりを照らす光源を探した。
壁沿いに明るい光の玉が浮遊している。ふわふわと上下するそれは自然発生したものだろうか。原理もわからず、誰が灯したものかもわからず、怪しい白い光を放つ。
しかし、遠くまで光の玉は並んでおり、これまで人知れずあったものなら、すぐに消えてなくなることはないだろう。
男は芯が燃えかかっている松明を消して、大事そうに腰のベルトに挟み込んだ。
少し進むと十字路に出た。
どちらに進むべきかのしるべはなく、勘に頼る他はない。
男は左の通路から自分の歳の数だけ順番に指差し、二十三回目に当たったのは真ん中だった。
男は躊躇なく真っ直ぐに進んでいった。
その後も三度十字路に出くわしたが、常に直進した。単調な自分の息遣いに飽きた頃、再び扉が現れた。
内側からカツンカツンと硬いものを叩く軽い音が響いてくる。男は用心しながら扉の取っ手を廻す。鍵はかかっておらず、すんなりと開いた。
そこは広間となっており、壁際にずらりと石像が並んでいた。石像は人型に限らず、竜やおとぎ話に出てくる不思議な動物までもが様々なポーズで部屋の中心を向いている。
男は広間の中心に白髪の老人がノミを揮う姿を認めた。
ひと気のない地下迷宮になんで彫刻家がいるのか不思議だったが、この暗黒の地下で初めて見つけた人間である。
男は場違いな安堵感を覚えたが、用心して近づいた。
木槌で一心不乱に打ちつける様は怒りに満ちており、男の接近にまったく気づこうとしない。
男は口元に手を寄せ、わざとらしく咳払いをした。
老人の手が止まり、じろりと険を含んだ視線を向けてきた。ピリピリとした雰囲気が伝わってくる。
立ち上がると革の前掛けが揺れて、石屑がパラパラと落ちた。
「なんだ、おまえは?」
ぶっきらぼうな言葉だったが、久しぶりに会話ができる喜びに男の顔つきは和んだ。
「ご挨拶だな、ご老人。俺は旅人だよ」
「つくなら、もっとましな嘘をつけ。ここは旅の行く先に選びたくなるところではない」
「俺は選んだ」
「ここは、送り込まれるか、引きずり込まれる以外に来る術はない。つまり、おまえは旅人ではない」
と吐き捨ててノミを突きつけてきた。平たく尖った先端が鈍く光る。
男はなだめるように掌を向ける。
「怪しい者じゃない。俺はフェイリル・マリアティッティ。モルガンヌの兵士だ」
「モルガンヌなど聞いたこともないわ」
「それはまた田舎だな。もしかして、ここはマヴィオリ帝国領内じゃないのか?」
「わけのわからん地名を出すな。わしに喧嘩を売っとるのか」
とノミがゆらゆらと危険な揺れ方をする。
自称兵士は手をおろして、マントの内に戻した。念のために剣の柄を握り、そっと剣の鯉口を切る。
ただの偏屈な爺さんなら過剰防衛もいいところだが、不慣れな土地の不慣れな地下迷宮で石像を作っている怪しい老人である。
これを用心というのだ。
フェイリルは慎重に訊いてみた。
「じゃ、ここはいったいどこなんだ?」
逆に探る目つきで返された。
「ここは『冥き泉の街』の近くだ」
「街?」
「この部屋ではない。おまえさんが入ってきた扉の反対側にも扉があって、その先を進むと街がある」
フェイリルは騙されないぞと穴があくほど皺深い顔を見つめ返す。
「地下迷宮に街?」
「ここは地下迷宮なんぞではない」
「じゃあ、何だ?」
質問が多いな、とぶつぶつ言いながらも老人は回答してくれた。
「『欠けたる月の鉄鎖宮』だ」
今度はフェイリルが口の中で文句を呟く。
「……そんな地名、こっちが知らんぞ」
「用がないなら、わしは作業に戻る!」
気難しい老人は強い口調で言い捨てるや、イライラした様子で作りかけの彫像に戻っていった。
フェイリルは黙って肩をすくめると、これ以上の交流は諦めて部屋を出ることにした。
静かに老人のそばを通り過ぎ、壁際のおどろおどろしい石像を鑑賞しながら、反対側の扉を目指す。
半獣半人で頭にねじくれた角を生やした男が棍棒を振り上げている像を過ぎると、水瓶を肩に担いだ娘が水の精よろしく瓶の口からこぼれる水をその身にまとって踊っていた。
奇っ怪な光球は淡い光を上下させ、伸縮した影が彫像にな演出を施した。それらは生き生きと今にも動き出しそうに見える。
扉の近くには翼を広げた竜が小鬼をくわえて牙をむき出しに虚空を睨んでいて、フェイリルの足取りは自然に早まった。
フェイリルは奇怪な生物の群を尻目に部屋を出た。後ろ手に扉を閉めて、ホッとひと息つく。
次の瞬間、大きな音を立てて扉が開いた。
フェイリルは荷物を手放しざま、一瞬で振り向いて剣を抜く。ひるがえったマントが翼のように広がった。
「おお、まだおったな」
と年老いた彫刻家が一枚の紙を手に現れた。
彼は紙をフェイリルの襟にねじ込むと有無を言わせぬ口調で命令した。
「そのメモに書いてある品を街で調達してくるんだ。わしは忙しいから、代わりにちょっと行ってこい。待っとるからな」
言うだけ言って、老人はさっさと戻っていった。
フェイリルは憮然として襟からメモを引き抜いて握りつぶした。投げ捨てようとしたが、思い直して腰のポーチにしまい込んだ。
右も左もわからない土地で知り合いを作るには多少の忍耐は必要だ。たとえ、それが偏屈な老人であったとしても。
口からため息が洩れる。
自分に不可解な任務を押しつけた上官の顔を思い浮かべてやりきれない怒りを抱いた。
通路の壁の下のほうにその間の抜けた面を据えて蹴りつけてやった。
それから、雑嚢を拾い上げると、気を取り直して街があると教えられた方角へと足を向けた。