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カミの迷宮  作者: ディアス
17/26

MAP No.14 滝上の部屋──妖しい精




 泉の部屋を出て五時間以上が経過して、ようやく薬草採りの一行は第二階層へと到着した。


 寒々とした石造りの道には謎の光球が列をなすように点在して暗い空間を明るく照らす。ひと気のない通路はひっそりとして、ギルドメンバーとすれ違ったり、出くわすことはない。

 

 少し歩くとヘッドレス・ライダーを撃破した地点を通過したが、石畳には戦闘を想起させるものは何も残っていなかった。


 フェイリルは柄に手をおいて肩の力を抜いた様子で後尾から質問する。


「誰か掃除してる奴でもいるのか?」


「何のこと?」


 とミェルニルは言葉を返す。


 フェイリルは臭いでも残ってないかと鼻をクンクンいわせた。


「最近のことなのに死体もその装備も残ってないだろう」


「あ~ら、あたくし、そのことについては、残念ながら正答を持ち合わせておりませんの」


 やけにすました答え方にフェイリルは首をかしげる。


「頭は大丈夫か?」


「随分とレベルの低い受け答えだ」


「やっぱり、機嫌が悪い?」


「どうせあたしは冷たい女です」


「何だよ、まだ、そのネタで引っ張るのか」


 それまで床石を数えながら無心に歩いていたミスティオルがびっくりしたように顔を上げた。


「!?──だ、大丈夫だッ……私は荷物を引きずってない」


 どうやら単純作業で頭脳の半分ほどを眠らせたまま歩いていたらしい。お嬢様の割になかなかの強者だ。


 ミェルニルが振り返って優しい言葉をかけた。


「無理はしなくていいから。疲れたのなら、ちゃんと申告するように。体調管理をしっかりしておかないと、いざという時に動けなくなるから」


「ありがとう──」


 出発時とは異なる扱いにミスティオルは目尻に涙を滲ませた。


「──疲れたから休みたい」


 早速の要望にミェルニルは苦笑すると、励ますように提案した。


「もう少し歩くと、休息ができる部屋があるから、そこまで行って今日は休みましょう。もうそろそろ日暮れのはずだから」


 フェイリルは買ったばかりの簡易地図を思い出してから念押しの確認をした。


「この、飲み水マークのふられてる、あと一時間ほどかかるところだな?」


「そう。第四階層に新しい大規模中継地点ができてから、中途半端な距離の部屋は使われることがなくなったのよ。でも、嘆き姫のご加護のある、数少ない要所だから化け物もうろついてないし、第三階層へ下りる道も近いから安心して休める」


 このやりとりのあと、目に見えてミスティオルの足取りが重くなった。ここから一時間歩くのは身に応えるらしい。

 だが、道程として安全な宿泊場所を梯子しながらでないと、期間を要する探索は難しい。


 うるさくなりそうなので、あまり口にしたくはなかったが、フェイリルは彼女の興味を惹きそうな話題を持ち出した。


「ミスティオル、これぐらいでへこたれるな。我が生涯の畏敬ティフィアス・ディルンヌンは無尽蔵のスタミナを持っていて、先の戦いでも三日三晩フィルンウェン・カス・ディヴェドと一騎打ちで戦ったというぞ」


 ミスティオルの背筋がピンと伸び、力のこもった怒りのご面相で振り向いた。


「へこたれてなどおらん! それにフィルンウェン様も遠くにカゥライエンの血が入っていて、正真正銘の国人だぞ。そのような汚い形容をするな。この二人が揃ってカゥライエンの陣頭に立てば、およそ敗北のほうがよけて通るのだ」


 あまりに独善的な論理展開についていけなかったフェイリルは一瞬立ち止まる。

 すぐに歩みを再開して、神妙に言った。


「……その発想はなかったな。絶対に実現不可能なタッグだが、確かにマヴィオリ帝国列強の中でもこの二人がその兵力を率いて同じ側に立てば、まず対抗できる勢力はないぞ」


「その通りだ!」


 ミスティオルは最後尾まで下がって力強く断言した。


「つまり、カゥライエンがシールルィン大陸を制覇することなぞ造作もない」


「すまん。俺の出来の悪い頭では、そこに至るまでの戦略が立てられない」


 フェイリルは話を打ち切ろうと、残念そうにかぶりを振ってみせた。


 とはいえ、案の定火のついたミスティオルの情熱がそう易々と鎮火するはずもなく、壮大な策略が滔々と述べられて、意見を求められるたびにフェイリルは、あー、うー、と相槌を打つ羽目に陥ってしまった。


 そして、話を続けることによって宿営地となる部屋まで──幸いなことに──余計なお荷物を背負わずにたどり着くことができた。


 ミェルニルがからかいの笑みを浮かべて、フェイリルの肩を叩く。


「お疲れ様」


 肩をすくめてそれに応えてやった。


 その部屋はまた不思議な部屋で入ると林があり、夜空にもかかわらずうっすらと仄白い光が帷となって一帯を覆っていた。決して明るくはないが、移動するだけなら松明を準備するまでもない。

 また、空気はすがすがしく、これっぽっちもこもった感じはないため、完全に戸外の空間としか思えなかった。

 迷宮内ではあるのだが。


 少し歩くと小川にでたが、水辺はぬかるんで泥と化し、とても飲めた代物ではない。

 ミェルニルが先導して小川を上流へ遡ると、すぐに低い滝に行き当たり、水しぶきが泡を伴ってはぜていた。


 彼女は脇の階段岩をよじ登って滝の上にでると、二人を手招きした。

 フェイリルは苦心して何とかミスティオルを上まで押し上げ、そのあと自分も軽々と駆け上がった。


 するとそこには掘っ建て小屋があり、小川の水も澄んだものであった。


 ミェルニルが荷物を肩からおろして言った。


「さ、今晩の宿はここだ。石畳の廊下よりよっぽどリラックスして眠れる」


 各人は役割分担に従って動き出した。


 ミェルニルは掘っ建て小屋の中を確認して寝る場所を整えたり、水の確保や(かまど)の準備をする。

 フェイリルは枯れ枝を拾い集めながら周辺に不審な痕跡がないかを調べ始めた。

 そして、ミスティオルはしんどそうに岩に腰を下ろした。


 ミェルニルが睨むと、彼女は慌ててフェイリルの雑嚢から今晩の食糧を吟味しながら取り出し始めた。


 ミェルニルは廊下よりリラックスできると豪語したが、林の中を歩くフェイリルは緊張感を抜かず、警戒を怠らなかった。


 この林の土地は肥沃で草木が繁茂しており、それだけにここが迷宮の中だと思えば思うほど理由のわからない不自然さに馴染めなかった。


 フェイリルは魔法の感覚を総動員して怪しい気配の有無を探るが、意に反してあたり一帯はまったく静かなもので、確かにこの部屋──というより土地──には安らぐものがあった。

 むしろ敵対的な存在を排除する空気さえ感じた。


 ただし、空間として広くないことは五分も歩いて岩壁にぶつかったことで判明した。その壁は障壁のように左右に広がってそれ以上の進入を許さなかったのだ。

 少し足を伸ばしてみたが特に怪しいものはなく、ぼちぼち薪を集めるかとフェイリルは周囲を見回した。


 よく乾燥した枯れ枝を求めて壁沿いに移動する。一抱えの束が集まったあたりでの出来事だった。


 怪しい人影が見える。見覚えのある背格好だ。ミスティオルである。


「おー……」


 フェイリルは声をかけようとしてやめた。なぜなら、彼女が足音を忍ばせるようにして林のなかを進んできたからだった。

 その横顔は初めて見る真剣なもので、普段の彼女の物腰からは想像できない雰囲気があった。

 そのため、フェイリルは木立の陰からそっと覗き込んだ。


ミスティオルは部屋の端である岩壁まで行き着くと周囲に誰もいないことを確かめ、腰のポーチから紐で綴じた薄い紙束を取り出した。

 何枚かめくってはブツブツ呟いていたが、お目当ての箇所を見つけたのか、独り満足そうに頷いた。


 彼女はおもむろに掌を岩肌に押し当てて呪文を唱え始めた。


 フェイリルの身に激しい悪寒が走る。


 唱え終わるやミスティオルの手にあるページが赤く燃え落ち、同時に部屋全体が揺り動かされてフェイリルはよろめいた。

 唱えた本人もこらえるように小さく悲鳴を上げてしゃがみこむ。


 震動はまもなく収まり、頭を押さえていたミスティオルは心配そうに頭上を見上げてもう大丈夫とわかってから立ち上がった。

 そして、そそくさとその場を立ち去っていった。


 普段の言動からは想像できないミスティオルの行動に、フェイリルは岩壁まで小走りに近づいた。彼女が手のひらを当てていたところには見慣れない紋様が焼き付けられていた。

 フェイリルはミスティオルの走り去ったキャンプのある方向へ顔を向け、細めた目でじっと見つめた。


 その後、フェイリルは地震のせいで地面に転がった薪を拾い上げ、片腕いっぱいになると、キャンプ地へ向けて歩き出した。


 道のりの半分ぐらいを戻った辺りで、魂の消えゆくような悲鳴が聞こえた。

 薪を抱えたまま駆け出すフェイリル。キャンプ到着前に投げ捨てて腰の剣に手を添えた。


 まばらに立つ灌木の合間から覗くと、掘っ建て小屋の近くでミェルニルがミスティオルの頭にたかる何かを追い払おうと躍起になっていた。

 金髪のボブカットの周りに妙な光がキラキラと煌めく。


 フェイリルは眉をひそめてよく観察するが、明かりが弱い上にまだ遠くて何だかよくわからない。ただ大きさは人の掌ほどに見えた。


 鋲のある長靴で下草を踏んで静かに近づくと、その怪しい浮遊物体は美しい女性の姿をしていることがわかった。

 絵に描いたような、いわゆる妖精だ。


 フェイリルは警戒を解いて、おもしろそうに話しかける。


「何をやってるんだ?」


「この翅虫を追い払っているの!」


 イライラ気味のミェルニルがそう言うや否や、翅虫と呼ばれた妖精は華麗にミェルニルの額に蹴りを喰らわせて方向転換する。

 それは猛禽類によく似た顔面への直撃コースだった。


 何気なく右手を振り、いとも簡単に捕まえるフェイリル。見下したように二人を揶揄する。


「この程度でおたつき過ぎだな、ご両人」


 ムッとした顔の二人を鼻で笑って手の中の捕虜を見る。これはミーン・シーに総称される『小さい人』の一種だ。


 すばやい手の動きに巻き込まれたため、気を失ってぐったりしている。

 裾の長い藍色のドレスをまとった妙齢の女性の姿で、亜麻色の長髪をもち、人間離れした美しさだ。

 目を閉じて白い喉を人目に晒している様はあだっぽく、色気については鎧姿の二人に勝る。


 フェイリルは迷信深い村の長老というわけではないが、背中から伸びる翅に不吉なものを感じて、目を覚ます前に滝壷に投げ捨てようと振りかぶった。


「待て、国人(くにびと)フェイリル」


 それをミスティオルが手を挙げて制止した。


 フェイリルは手をおろして向き直る。厄介な言動を予想した顔はそこはかとなく渋い。


「なんだ、お嬢様ミスティオル」


「早まるな、そいつはかわいいぞ」


「それがどうした」


「なんたる無味乾燥。私が飼う」


 フェイリルはひとしきり笑ってから忠告した。


「やめておけ。あれだけ悲鳴を上げて逃げまどっていたのは誰だ」


 そのとき妖精が息を吹き返した。


 虜囚の身を悟り、もぞもぞと動くがフェイリルの指が肩と股下でがっちりとつかんでいるため、抜け出すことは容易ではなく、おとなしくなった。

 諦めというよりは、衣にしわが寄るのを嫌がった風に見えた。


 妖精は自分を捕らえている男にサークレットをつけた顔を向け、妖艶な微笑みとともに人間にも通じる言葉で語りかけた。

 少し甲高い声だがそよ風のように耳に心地よい。


「あなた……素敵な殿方ね。淑女には淑女の扱いがあることをご存知?」


 フェイリルは妖精を顔の高さまで持ち上げ、皮肉に満ちた眼差しでじっくりと見つめた。


「真の貴婦人は空を飛ばない」


「あら、どうしてですの?」


「スカートの中がまる見えになるからだ」


 妖精は顔を赤らめた。


 ミェルニルとミスティオルが失笑で顔を崩す。

 妖精はツンと澄ました顔で無理に身をよじるようにして背後の二人へ振り向いた。


 途端に女子二人は顔面蒼白になって怯え、ミスティオルに至っては飛び込むようにしてミェルニルの背中に隠れてしまった。


「あ、あれ、コワい~……」


 魔法で何か恐ろしい仮装でも施して驚かせたのだろう。

 澄まし顔を戻した妖精にフェイリルは釘を刺した。


「目くらましの術で脅かすような真似はなしにしてくれるなら、滝壷の刑もなしにする」


「ウフフ……。わかりました」


 煙に巻くような妖しい笑いだった。


 それから、妖精は苦しそうに顔を歪めてフェイリルに訴えかけた。


「ねえ、胸が苦しいの、せめて上半身は押さえつけないでほしいわ」


 小さな妖精をつかみ慣れているとはいえないフェイリルは、人差し指と親指を緩めて、指の股にほっそりとしたウェストが収まるように位置をずらした。


 上半身を解放された妖精は大きく伸びをするとともに畳まれた翅を広げた。左右で五本の筋のごとき骨が高く展開し、虹色の淡い光が風をはらんだ帆のように張った。


 それから上腕部から肘までの長く垂れた袖の弛みを直し、ぴったりした前腕の袖のしわを伸ばしてきれいに服装を整える。

 よく見るとドレスは非常に凝った造りで、人間なら相当に富裕で高貴な家柄でないと着られない代物だ。上腕の垂れたデザインの裾には葉の紋様が細かく織り込まれ、長いスカートにも大きく枝葉の刺繍を施してあった。


 フェイリルは一瞬、身代金が取れるのでは、と邪心に身を委ねそうになったが、心の裏を見透かすような妖精の視線に思いとどまる。

 少々ばつの悪い顔で捕虜尋問を始めた。


「おまえは何者だ。何のためにあの二人を襲った」


 妖精はすぐには答えず、翅を開いたり閉じたりして具合を確かめたあと、毅然とした態度でたしなめる。


「失礼ね。ここは正式に『嘆き姫』から賜った私の領土です。領地を侵犯したあなたたちにそんな言われ方をする覚えはありません。それに尋問も礼に適った対応ではありません。領主に対する相応の処遇を要求します」


 呆気にとられたミェルニルが肩を怒らせて近づいてくる。


「先に手を出してきたくせに何て言い種!」


 それをフェイリルは目で制した。

 それから吟味するように妖精を見ていたが、小さな捕虜は真っ直ぐに見つめ返してくる。体の大きさをものともしない勇気に唇を引き締めて考え直した。


 手を開いてやると、妖精のまなざしは不審そうなものに変わった。

 フェイリルは小さな彼女が慎重に立ち上がるのを待ってから謝った。


「無礼の段はひらに許してくれ。俺はフェイリル・マリアティッティ。モルガンヌという国から派遣された兵士だ。奥方には失礼をした」


 一見粗野そうな男が従順な態度に変化したため、妖精も最初は信じていなかったが、じきにころころと玉を転がすような笑い声を発した。


「いいでしょう。私はアーリィ=アーリィアン=グラヴィル。この『滝上』の地以外に六つの領土を持つ領主であり、『欠けたる月の鉄鎖宮』の三十六君主の一人です。その名をもって、あなたを許します」


「かたじけない。我々は仲間の傷を癒すための薬草を採りに第五階層へ向かっている最中であり、今日はこの『滝上』の地に宿を求めた。寛大な心で一晩の休息を許してほしい」


 アーリィ=アーリィアン=グラヴィルは高慢な眼差しでミェルニルとミスティオルを見て言った。


「フェイリル殿には休息を許します。ですが、あちらの二人はまだ、謝罪をしていません」


 そのセリフに鼻白むミェルニル。

 フェイリルが厳しい顔つきで首を振るのを見て、無念そうに謝った。


「悪かったわよ。いきなり出てきたからびっくりしただけだ。……あたしはミェルニル」


 仕方ないという風情が漂うがアーリィは受け入れ、次にボブカットの女騎士のほうを向いた。


 ミスティオルはすかさず跪く。


「貴女の美しさに戸惑い、失礼をいたした。ご無礼の段、平にご容赦願いたい。私はカゥライエン国のデースティン公が一人娘、ミスティオル=ストーマ=デースティンだ。以後、お見知りおきを」


「こちらこそ、ミスティオル姫。それでは旅人三人の滞在を許すこととしましょう」


 アーリィの顔に慈しむような笑顔が浮かんだ。

 そして翅を開いて飛び去っていった。


 フェイリルが姿が見えなくなるまで見送っていると、納得できない様子のミェルニルが大地を踏み鳴らしながら迫ってきた。


「今の対応は何なの? あれは妖精よ!?」


「敵ではなさそうだった」


「あたしは、あいつらが人畜無害を装って近づいてきては罠にはめるのを何度も見てるんだ! さっきの地震だって、きっとあいつがあたしたちを脅かそうとして起こしたものに違いない!」


 すると、その後ろでミスティオルが真剣に首を振って言った。


「いや、気品に満ち溢れた様子は間違いなく領主のものだ。しかるべき作法をもって歓待できなかったのが悔やまれる」


 変わり身の早いミスティオルの素直さにフェイリルは舌を巻いた。

 そして、手の中の感触を確かめながら言った。


「だが、ようやく飯の支度ができるな」


 ミェルニルは釈然としないようだったが夕食の誘惑には勝てず、竃の補修作業に戻っていった。

 話を取り合ってもらえなかったミスティオルはブツブツ文句を口にしていたが、ミェルニルに命じられて川へ水を汲みにいった。


 フェイリルは投げ捨てた薪を拾いにキャンプ地を再度離れた。

 左腕に乾いた枝の束を抱えるくらいに集めたあと、二人の姿が木陰に隠れる場所へ移動して薄明かるい夜空を眺める。


「何だい? レディ・アーリィ」


 フェイリルの見上げるクヌギの枝に別れたばかりの妖精君主アーリィが腰をかけていた。

 滑り落ちるようにして飛び降り、広い肩に着地する。

 サークレットを締めた彼女の額には雫型のサファイアが下がっており、確かに平民にはできない高価な装いである。


 アーリィはフェイリルの肩に腰を下ろして誘った。


「少しお話をしましょう」


「いいとも」


 先ほどより幾分か警戒を緩めた様子で彼女は話しかけてきた。


「ねえ、あなたが犯人なのでしょう?」


「何の話だ?」


「この部屋の〈慈愛の守護〉を崩して、得体の知れない魔法則で上書きしたのは」


 さっき目にした光景を正直に話してやる必要までは感じなかった。


「さあな。俺かもしれんし、そうじゃないかもしれん」


 妖精は探りを入れたそうな目をしていた。


「でも、さっきは本当にびっくりしたわ。姫様の敷いた外敵排除の環境法則が突然瓦解してなくなったと思ったら、別の強力な魔法則にすげ替わったから」


「俺自身に心当たりはないんだがな……」


「あら、そう? この地の〈慈愛の守護〉もかなり弱まっていて、ここもしばらくしたら、荒れてなくなってしまうところだったの。むしろ、新しく結界を建て直した感じで感謝しているのだけれど──」


 肩をすくめるのを見てアーリィは言葉を続けた。


「──あれはあなたの魔法かしら?」


 いいや、とフェイリルは首を横に振った。


「知らんな。不都合がなければ、忘れてしまうことをオススメするよ」


「ふ~ん……。だけど、一つ明言しておくと、あの魔法を使った者はまともな人間ではなさそうね」


もの問いたげな顔で妖精君主を見返すと、彼女は言葉を選んで言った。


「あれは悪魔がよく好んで使いたがる『生の力』よ」


 返事はもう一度肩をすくめるに留めておいた。

 深く追求したがらない空気を見て取り、アーリィは口を閉ざした。


「ところで──」


 フェイリルは人差し指を立て、話題を変える。


「──レディ・アーリィ、あなたはこの領地で何をしていたんだ?」


「自分の領地を巡回するのが、そんなにおかしいこと?」


「いや、家臣も連れずにお忍びかね」


「家臣はいないわ……」


「そうは見えな──!?」


 アーリィに左耳を痛いぐらいに強くつかまれた。


「あら、ごめんなさい。少しバランスを崩してしまいましたわ」


 顔をしかめても怒りは見せずに言葉を返す。


「いいさ。美女には寛大に接する主義だ」


「ま、人の子のクセに厚かましい」


「遠慮してたら、競争社会で生き残れないからな。……そういえば、先日ヘッドレス・ライダーをこの階層で退治したが、それと関係があるのか?」


 アーリィは驚いて口に手を当てた。


「あれはあなたの仕業だったの!?」


「むッ、まさかヘッドレス・ライダーが家臣だったのか?」


 しくじったかと横目で見たが、彼女の顔はむしろ嫌悪感に彩られていた。

 小さな口が盛大にこき下ろす。


「見当違いも甚だしい。あの裏切り者にはもっとふさわしい極刑をもって臨むべきでしたね。一寸刻みでは足らないくらいです。たとえ許しを乞うても許せません」


 フェイリルは感慨深げに言った。


「裏切り者ってことは、少なくとも味方だったわけだ。以前は」


「それは大昔のお話。しかし、あれを退けるとは大したものね。何か切り札でもあるのかしら」


「期待に添えなくてすまないが、剣でオーソドックスに退治しただけだ。俺はそんなに深みのある男じゃない──ああ、でも、俺がここに来るにあたって上官から渡された餞別の中には本当に魔法の『札』もあったな。切り札といえるかはわからんが」


「あら、魔法のカード? どんなものか興味がありますわ。見せていただけるかしら」


 と耳を引っ張る妖精君主。


 フェイリルは空いてる右手で腰のポーチをまさぐり、一枚の絵札を取り出した。


「──そら、これだ」


 お上品に澄ました鼻先に絵柄をつけるなり、彼女の顔は青ざめ、ひきつった。

 全身がわなわなと震えるのが肩から伝わり、フェイリルの耳元に荒い呼吸が聞こえてきた。


「わ、私を殺す気ですか!?」


 悲鳴のように言い捨てて飛び上がると、彼女は風に乗ってあっと言う間に空へと消えていった。


 そして、二度と戻ってくることはなかった。




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