MAP No.13 冥き泉の部屋──随伴者
『冥き泉の部屋』にやってきたとき、すでにミェルニルが人待ち顔で入口に立っていた。
フェイリルは幻なら消えるかもとゆっくり瞬きしてみたが、灰色がかった黒髪の女剣士が消えることはなかった。
一週間分の荷物は旅慣れて小さく背嚢にまとめられ、軽く背負われている。襟に白いファーのついた上着を、前回同様に革鎧の上から着込んで、腰には細剣を提げる。
革のグローブをはめた両手が手持ち無沙汰にブラブラと動いていた。
同行の気配がぷんぷんする先輩をどうやって追い返そうかと頭をひねった上で、泣きボクロのあるしたり顔に素朴な疑問をぶつけてやった。
「どうして、わざわざ自らやっかいごとに手を出そうとする?」
「なぜなら~、楽しそうだから~」
「何が?」
「道にぃ迷ったぁあなたが~、涙にぃまみれ~、あたしにぃすがりついて~、助けをぉ懇願する~様が~」
ミェルニルの愉悦に満ちた声音が脳裏にその状況を連想させた。あのほど良く引き締まったウェストに抱きつけるなら悪くないな、と考えを改めた。
渋々を装うも両手を広げて歓迎する。
「いいだろう。頼りにしてる」
途端に彼女はくしゃみをした。
「へっくち……。何? 寒気がする。もっと着てくれば良かった?」
と我が身を抱きしめた。
──それは身の危険と言うのだよ。
フェイリルは顔を背けて品下がった己の笑いを隠した。
その後、約束の時間を過ぎてもミスティオルは現れなかった。
待ち時間を利用して目的地が第五階層の『林のある平地の部屋』であることとそこに生えている瘴気祓いの薬草を採りにいくことを先輩に説明したが、それを終えてもまだ姿を見せなかった。
する事がなく、のんびり気分にもあきたミェルニルがうろうろと部屋の中を歩き回り始める。
十周もしたあたりで険を含んだ声がフェイリルに投げつけられた。
「待ちくたびれた。何とかしてよ」
「先輩だけ帰るという選択肢がある」
「ええっと……あたしが邪魔だと仰せなわけで?」
鋭い目つきで睨みつけられ、即時撤回を余儀なくされるフェイリル。
「いいや、むしろ先輩はこの探索には欠かせない存在だ。まさに汲めども尽きぬ『智』と『美』と『愛』の泉だ──だから、暇つぶしに俺とイイコトしようか?」
「あんたと、という時点ですべての選択肢にイイ要素は皆無だな」
「わかった。一人寂しく様子を見てくる」
フェイリルは荷物を任せて部屋を出た。
足を動かすたびに床に広がる水のピチャピチャと跳ね返る音がする。
街へ通じる道を歩きながら、今回の探索に関してオーヴェルヌからもらえた情報を思い出した。
少なくとも第五階層まで潜るには、たったの二人では戦力不足── 。
最低限、下る階層数の二倍の数が必要──。
きわめて稀だが、あまりにも人数が少ないと迷宮内で出くわした別のパーティーに襲われることがある──。
ハッケルバレントには気をつけろ──。
化け物の徘徊する迷宮では、人間は広い意味で仲間のはずである。
それを襲って略奪するとは、考えるだけで虫酸の走る話だ。
ただ、幸いなことに、現在街をあげての大規模遠征が実行されているため、私的なものも含めて他に探索に出掛けているチームはいない、とのこと。
まあ、いいさ、とフェイリルは嫌な考えを振り切って急いで道を引き返した。
ただ、ハッケルバレントについては、探索受託の報告をしたときにティライルに尋ねたのだが、鼻で笑われてしまった。
オーヴェルヌには悪いが、ハッケルバレントについては記憶の片隅に押しやることにした。
などと無駄な思考を巡らせつつ到着した『冥き泉の街』へ戻る道の最初の交差点。
ああ、なんということでしょう。
全身鎧姿のミスティオルが荷袋を引きずりながらやってくるところに出くわした。
息が上がり、全力を尽くして無理矢理前進する様は、これから迷宮探索に出ようという人物には到底見えない。
フェイリルは突っ込むべきか相当に悩んだが、流すことにした。
ピカピカの鎧姿にひと声かけたが、運搬に必死で返事もできないようだ。
仕方なく黙って荷物を持ってやった。
泉の部屋に着き、フェイリルがやれやれと荷物を下ろすと、全身鎧の女騎士は疲労困憊の有り様で座り込んでしまった。
ミェルニルが意地の悪い顔つきで近づいてくる。
「あらぁ……何かなぁ、この大荷物は?」
フェイリルの足下の大きな袋をつかみ上げると、袋の口を開けて検分し始めた。
籠手をはめた手を弱々しく伸ばしかけたミスティオルだったが、その手は虚しく宙をかいて床に落ちた。
ミェルニルの右手が過剰な旅の友を情け容赦なく床石の上に積み上げていく。
「タオル、入れすぎ──食糧、この量は腐るよ──化粧品……探索に必要なし──礼装一式!? ……いりません──えっ、本まであるの?」
問いかけの視線にミスティオルは不機嫌な声で答える。
「愛読書の詩集だ。それを読むと心が落ち着く」
「いらない」
「なんたる無知蒙昧……」
緑色の詩集が山の上に載せられるのを見て、がっくりとうなだれるミスティオル。
続いて枕が出てくると、さすがのフェイリルも呆れ顔にならざるを得なかった。
だが、枕が放り投げられそうになるや否やミスティオルの両手が蛇のようにすばやく動き、奪い取って大事そうに抱きしめた。
鏡面のごとく磨き上げられた装甲をまとった騎士が白く大きな枕を抱えている姿は、大層シュールな光景だ。
持ち物検査係はそれを挑戦と受け取り、袋を手放して見る者を恐怖へ誘う笑みを浮かべる。
怯えながらもミスティオルが断固阻止と右手を突き出すと、そのまま二人はもみ合いに突入した。
フェイリルはしばらく見ているばかりだったが、いつまでも終わらないため、上背を生かして二人の首根っこを押さえつけた。
そして、強引に引き離す。
「おまえたちはいったい何をしたいんだ?」
二人はジタバタしたが、すぐにおとなしくなった。
フェイリルはミェルニルを連れて部屋の隅へいき、ひそひそと話した。
「気持ちはわかるが、彼女は右も左もわからない初心者だ。少し大目に見てやろう。それに時間が惜しい。手早く荷物をまとめてくれ」
「ふーん……わかった。でも甘やかさないでよ」
「これは彼女自身の探索だ。バカなことはさせない」
「女の子相手の話だからね。話半分に聞いておきましょう」
ミェルニルは気のない返事をして、荷物を必要最低限にまとめなおした。
五分の一の大きさに減った袋をいじけた顔のミスティオルに渡してやった。
「はい、これね。ちゃんと自分で持っていきなさいよ」
「……」
悲しそうに受け取る様子をいつもながらの厳しい目で眺めていたが、ひと言付け足した。
「詩集はおまけで入れといた」
「……あ、ありがとう」
その後、全身鎧は脱がせて鎖帷子と籠手などの具足だけの比較的に身軽な恰好に変身させてやった。
ひと仕事終えて、フェイリルに声をかける。
「さあ、できたぞ──って、あんたはなに乙女の荷物を物色してるのよ!」
フェイリルは残してある荷物の山から空の水筒三つと食糧袋を取り上げた。
「いや、もったいないなあ、と思ってね」
「だからって、勝手にさわるなよ。デリカシーの欠片もない」
そう言って、フェイリルの手首を押さえる。
それから防寒用の上着を着終わったミスティオルに尋ねた。
「どうなの、あなたは?」
「あ、ああ……もし、旅に必要な物があれば、持っていったほうがよい、と私は愚考する」
「あら、フェイリル、よかったね。あなたの愚行をお許しになる愚考をしてもらって」
フェイリルは漫然とした顔で訊く。
「何かトゲトゲしくないか?」
「さっさと出発したかったのに、面倒な旅支度を押しつけられた挙げ句、まだ『冥き泉の部屋』を出ていない自分に腹が立ってるの!」
フェイリルは慌てて水筒三つに水を汲み、食糧袋は自分の雑嚢にしまい込んだ。
「それじゃあ──というか、ようやく出発ね。あたしが先頭に立つから、ミスティオル、フェイリルの順についてきて」
先輩が鼻を鳴らして指示を出す。
無言のミスティオルはおずおずと枕を差し出した。
どうやら枕が変わると眠れない、という主張らしい。
鬼隊長の指がフェイリルを指し示す。
黙ったままミスティオルは突き出した腕を同じ標的にスライドさせた。
フェイリルは言い訳せずに自分の雑嚢に詰め込んだ。泣く子と領主には勝てないと、昔から言う。
かくして、三人はようやく出立する事ができたのであった。
毎度のことながら、少々の不満ならスタイルのよい女性の後ろ姿を眺めることで簡単に解消できる。
ミェルニルのスタイルの良さは折り紙付きだが、ミスティオルもなかなか悪くない。
鎖帷子のせいで体型ははっきりしないが、手足がすらりと長く、小さな頭と整った顔立ちに血統のよいお姫様然とした雰囲気がある。
妙に個性的なのはいただけないのところだが。
そのとき、三人目の人影が見えたような気がした。その人影は緑衣をまとい、背の高い女のようだったが、瞬きをすると、そこにはミスティオルしかいなかった。
彼女はお国のシンボルカラーである深緑色の上着をはおっている。
ストレスによるかすみ目かもしれない。
それにしても、とフェイリルは首をひねった。
なぜ、員数外のミェルニルに仕切られているのか。解せぬ。