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カミの迷宮  作者: ディアス
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MAP No.12 冥き泉の街:MGNguild──カゥライエンの騎士




 そのとき、絹を引き裂くような悲鳴とともにすっころぶ音が聞こえてきた。


 フェイリルが釈然としない顔をそちらに向けると、騎士装束の若い娘が腰を抜かして地面に尻を着き、剣を空に突き上げていた。


「で、で、で、出たな──よ、妖怪変化! 我が刃の錆にしてくれる!」


 言ってることは勇ましいが、体勢が非常に残念な状態だ。

 うなじが見えるぐらい短いボブカットの金髪で細身ながら背が高い娘だった。深い緑色の長ベストをはおり、胸に紋章らしい縫い取りもある。


 ブリグィッドが口元を手で隠して囁いた。


「例のおもしろい人よ」


「へえ~……」


 フェイリルの顔が同情と憐れみの入り交じった表情を浮かべ、興味は『おもしろい人』へと移った。


 若い娘は泣き出しそうな形相で剣を振り回しており、みんな遠巻きにしてそれを楽しんでいる。

 衆人環視の中でジタバタする様は滑稽なことこの上ないが、女性がしかるべき扱いを受けていないことについては納得がいきかねた。

 その上、いささか身につまされる情景でもあった。


 フェイリルはギルドの守衛が出張って恥が拡大する前に動くことにした。


「剣を納めてください、ミスティオル殿」


 名を呼ばれてハッとする女騎士。

 落ち着き払って声をかけられ、逆にこの一大事にバカじゃあるまいかとフェイリルを見返す。


 しかし、周囲の奇異の視線に気がついた。

 若干の間の後、そそくさと立ち上がると、きまり悪そうに咳払いをして鞘に刃を納めた。


 フンと鼻息を飛ばしてから、彼女は質問した。


「あの大巨人は何なのかね?」


「あれは『天から覗く顔』といって、ここではよくある光景です」


 フェイリルがいかにもよく知っているかのように説明すると、隣でブリグィッドがくすくすと笑った。

 ミスティオルの疑り深い目が少女を見てから戻る。


「本当に大丈夫なんだな?」


「もちろん。所詮は雲みたいなものです」


 今度は守衛たちが笑った。


 ミスティオルは腑に落ちない様子だったが、誰も騒いでいないため、それ以上の追求はやめた。

 眼前の不審人物を無遠慮な視線で眺め回してから尋ねる。


「それで貴公は何者だ? 朝露の輝くバラの花びらのごとき我が名を知っているようだが」


「私はフェイリル・マリアティッティ。モルガンヌ・ギルド所属の者です」


「その名は、先日、救援に来てくれた御仁か!?」


「ええ、そうです」


 フェイリルは女性向けの優雅な微笑を浮かべた。


 すると、ミスティオルはおもむろにすぐ前まで近づいてきた。上目遣いに笑顔を見据え、つり目を細めて言う。


「なんたる無礼千万。調子に乗るなよ。今度、余計な手出しをしたら、斬首刑にしてくれるわ」


 それから見せつけるように鼻を鳴らし、モルガンヌ・ギルドの玄関へすたすたと歩いていってしまった。


 呆気にとられていたブリグィッドが吹き出した。


「な、何なの、アレ──い、いきなり斬首よ、斬首ゥ……」


「ブリグィッド、笑っちゃいかん。所属する騎士団の名誉のために、彼女はあれでも精一杯凄んで睨みを利かせていったんだ」


 とフェイリルは入口をくぐってギルドへ消える女騎士の背を見送った。

 腰を抜かした今の出来事だけではなく、どうやらヘッドレス・ライダーの一件についても彼女のプライドは傷ついているらしい。


 ブリグィッドは目尻に滲んだ涙を拭う。


「いきさつは知らないけど、やっぱりおもしろいわ」


「そのくらいにしておかないと、彼女がまた地図を買いに来たときに顔を見ただけで爆笑してしまうぞ」


「大丈夫、あなたが来ても大爆笑よ。一緒に来てくれれば、どっちに笑ったかなんてわかりゃしないわ」


「よほど切羽詰まらん限り、そんな機会はないさ。残念だったな」


「やめてよね。交互に来られたら、笑いが止まらなくなる」


 そのとき、ギルドの扉が開いて苦み走った顔の男が現れた。周囲を見回し、お目当ての人物を見つけてさらに渋みを増す。

 ティライル・ファフヌスは新入りに向けて手招きした。


 フェイリルは黙って頷くと、ブリグィッドに目を向ける。


「さてと、送ってもらって助かったよ」


「それはよかった。長居しちゃったから、そろそろあたしも帰ろうかな」


 と彼女は口に手を当てた。それから思い出したように言った。


「何か地理情報でいいものがあったら、うちの探索カウンターへ提供よろしくね、大型ルーキー君」


「わかったよ、ちっちゃなエース……あ痛ッ!?」


 最後に口を滑らしたフェイリルの脛はしたたかに蹴り上げられた。


 舌を出してあっかんべーをしてから、ブリグィッドは走り去っていった。


 玄関扉までやってくると、ティライルに冷やかされた。


「かなり若めの女の子にもモテモテだな」


 所詮、中年のウィットなどこの程度だ。


 フェイリルは脛の痛みをこらえてつらそうに首を振る。


「よしてくれ。十年も待つくらいなら、俺は待たなくていい女を選ぶ」


「同感だ。で、待たなくていい女性がおまえを待ってるぞ。しかもすこぶるつきの上流階級だ」


 フェイリルの喉が生唾を呑み込んだ。


「なんか、イヤ~な予感がする」


 ティライルに連れられて中に入ると、あるテーブル席に案内された。

 案の定、そこでは『おもしろい人』が仏頂面でお茶を飲んでいた。


 猛禽類に似た相貌が視界に入るなり、彼女は慣れた手つきで払うように左手を振る。

 花柄のカップを皿に戻して文句を言った。


「チェンジだ。この者は(しょう)の根が曲がっている」


 フェイリルはわけがわからず、隣の男を見やる。

 傷痕の残る左頬が我慢強い笑みを見せて、女騎士に言葉を返した。


「残念だが、この男しか手の空いている者はいない」


 ミスティオルの表情は変わらず、反対意見を繰り返した。


「たとえ私が譲歩したとしても、我が矜持がその歪んだ男を千々に引き裂くだろう」


「引き裂いたら代わりはいない」


「そなたが来ればよい」


「私は仕事があって行けない」


「それこそ歪んだ男にやらせればよかろう」


 とフェイリルを指差す。


 ティライルはバカを言うなと、かぶりを振った。


「それこそできない相談だ」


 そして、踵を返してフェイリルの肩に手をおく。


「あとはうまく相談にのってやってくれ」


 そう言い残し、話が深まる前に立ち去っっていった。


 フェイリルは黙って表情の歪みをそのままに背けると、ミスティオルの鼻が盛大に鳴った。


「ハン、モルガンヌにはろくな人物がおらんな」



──カゥライエンもな。



 フェイリルは心の声はしまって笑顔を向けた。


「そう悲観することもない。少なくとも俺は結果を出している。君らのいるところで」


 細い手が優雅にティーカップを運び、彼女は飲みながらフェイリルをしげしげと眺める。

 唇が皮肉っぽく開いた。


「私は見ていない。あの首なし妖怪はダークロット殿が倒したもの、と愚考する」


「さっすがダークロット隊長、ステキ!」


 フェイリルがからかうと、ミスティオルは乱暴にカップを戻し、表情をこわばらせて怒鳴った。


「貴様、カゥライエンの騎士を侮辱するなら、我が剣がその素っ首を打ち落としてくれるぞ」


「落とせるのか?」


 ニヤリと笑うフェイリル。


 その見下すような対応にカゥライエンの女騎士はいきり立ち、下からはったと睨みつけてくる。


「モルガンヌという国には心正しき人物が一人もおらんな!」


 現役兵士の目に危険な光が灯った。


「ほう……モルガンヌ人は全員ボンクラと。その言葉、撤回するつもりはないか?」


「ない! 貴様のような者がおるモルガンヌは下衆の集まりだ!」


 相手がうら若き女性であることから、フェイリルは満潮に近づく怒りをこらえて、なんとか歩み寄れる点を探した。


「念のために聞くが、まさか『天地不敗』と名高いティフィアス・ディルンヌンを含めてないだろうな」


「バカなことを言うな!」


 モルガンヌ最高の騎士の名が出た途端にミスティオルは眉を逆立てて勢いよく立ち上がった。


「そんなわけなかろう。私が敬愛してやまない超戦略級騎士だ。そもそも、あの方は遠く祖先を辿ると、カゥライエン出身だ。つまり、カゥライエンの国人(くにびと)だ」


 手のひらを返した贔屓っぷりにフェイリルは苦笑する。

 ついでに便乗することにした。


「俺は六代前の爺さんがカゥライエンからの移民だ。つまり、カゥライエンの国人だ」


 ミスティオルは欺瞞を見抜こうと首を突き出し、猛禽類に似た顔を穴があくほど見つめた。


「なんと、カゥライエンの血が入ってる割にはろくでもない風体(ふうてい)だ。よもや、羨望から嘘をついたわけではあるまいな」


「この話をすると、みんなによく羨ましがられるから、あまり人には話さないんだ」


 さもありなんとカゥライエンの女騎士は首肯し、うって変わって表情が柔らかくなった。

 椅子に座り直して、手振りで座るよう促した。


「国人が相手と思うと安心するな。話しづらいから、早く腰を下ろすがよい」


 どうやら本気でモルガンヌ最強の将までも自国民扱いしているらしい。


 椅子に腰を落ち着けて改めて女騎士の姿を観察する。

 切り整えられた前髪の下に優美な眉と神経質そうなつり目があり、細い鼻筋はその下に位置するおちょぼ口までまっすぐ通っていた。


 よく見るとちょっと緊張気味の面持ちだ。視線の向く先も落ち着かなくさまよっている。


 フェイリルは心のなかで苦笑すると、テーブルに両手をおいてにこやかに口を開く。


「さて、これで相談にのるぐらいは許されるかな?」


「縁のない者と比べれば」


 ミスティオルは残念な様子で肯った。

 周囲を見回して聞き耳を立てている狼藉者がいないことを確認すると、身を乗り出して顔を寄せてきた。

 国家の一大事を口にするかのようにひそひそと言った。


「実は──こら、もっと顔を寄せよ。声を抑えておるのがわからんか──」


 言われるがままにフェイリルは寄せて耳を傾けた。


「──実はな、先日の首なしの一件でダークロット隊長以下みな床に伏せっている。ギルドの臣民の話によると、首なしの瘴気にあたったらしい。カゥライエンの誇る深緑林の騎士がたかが瘴気にあたったなどと、口が裂けても言えん」


 ミスティオルの歯が悔しそうに噛み締められる。


 今喋っているのは口以外の何が裂けたせいなのか訊きたいところだったが、やめておいた。

 代わりに、小遣い稼ぎ程度の情報だな、と心中舌打ちしながら嫌みなお悔やみを口にした。


「残念だ。いい人たちだったのに」


「うむ。私たちで何とかせねばならん」


「突っ込んでくれないなら、俺も突っ込まない」


「何を言ってる。貴様は国人として、すでに首を突っ込んでいるではないか」


 と彼女は不思議そうに小首を傾げた。


 フェイリルの口から低い唸り声が洩れる。


 そも『私たち』とは何ぞや。


 自分に都合の悪い内容はすべてとばして必要な情報だけをつなぎ合わせる恐るべきスキル。これに対抗できる武器は、残念ながら持っていなかった。


 諦めて先を促すことにした。


「ティフィアス様を敬愛する国人同士、協力はやぶさかではない。それで俺は何をすればいい?」


「うむ。『輝きの水』は効かないが、五階層目のとある一室に生えている薬草なら瘴気が祓えると聞いた。それを入手せねばならん、と私は愚考する」


 室内に草が自生する、というフレーズに奇異なものを感じながらも真剣な眼差しのミスティオルを見返した。


「その薬草を手元に保管している薬屋やギルドはないのか?」


「最近大量に消費されてきらしているそうだ」


「追加の入荷予定は?」


「今回の大遠征で採ってくるらしい。だが、帰るまでにあと二週間はかかるそうだ。医者からはそんなに待つのは危険だと言われた」


「第五階層にあるその薬草の部屋の場所はわかってるんだな?」


 フェイリルが念を押すと、自慢そうに彼女は答えた。


「むろんだ。地図がある。『林のある平地の部屋』だ」


 それを聞いてフェイリルは片手をテーブルにつき、涼しげな顔で立ち上がった。


「なら、自分たちで採ってくるしかないな──」


 それから、座ったままの騎士を訝しげに見た。


「──おい、のん気に座ってるんじゃない。行くんだろ?」


 ミスティオルは驚いたように、そして反射的に立ち上がる。嬉しさを仏頂面に滲ませて強く同意した。


「当然だ!」


 フェイリルがホールを見廻すと、細剣(レイピア)を腰に提げたウェイトレスがこちらを気にしてさり気なく見ているのがわかった。


 手を挙げて呼ぶとミェルニルは軽快な足取りでやってくる。


「何? どうかした?」


「ティライルに伝えておいてくれ。奴に頼まれて彼女──ミスティオルの相談にのるように言われてな。ちょっと潜ってくる」


「ああ、カゥライエンの人ね」


 とチラリと横目で見る。


「それで、どれくらい?」


「第五階層。何やかんやで三日ぐらいはかかるか」


ミェルニル先輩が薄ら笑いを浮かべて訂正を入れた。


「道を迷わずに行って帰ると──不眠不休でね──それぐらいかな。現地滞在時間は約十分。行ったこともないくせにその皮算用はおのぼりさん並」


痛烈な皮肉に顔をしかめて問い返す。


「あらら、ミェルニル先輩の計算だとどれぐらいかかる?」


「そうだな──」


と再度ミスティオルに一瞥を投げる。


「──『荷物』が多そうだから、ざっと七日コースかしら。現地滞在期間は約一日」


「ミスティオル、それで間に合うか?」


女騎士は厳しい顔で首を横に振り、答えた。


「医者は一週間と言っていた」


「往復を何とか四日で、薬草探しには1日。乾燥なんかの処理は道々やれる範囲でやればいいだろう」


ミェルニルは腰に手を当てて不思議そうに訊いた。


「いったい何しに行くのよ?」


「ああ、ちょっと──」


 見やるとミスティオルの両目が半眼になり、ブスッとした顔に変じている。

 フェイリルは咄嗟に下手な言い訳をした。


「──お花を摘みに? 薬になる的な?」


「あ~、ハイハイ、内緒なのね。わかったわ。さっさと行ってらっしゃい」


 と冷ややかな顔つきでひらひらと手を振る。


 フェイリルは肩をすくめたあと、少し考えてから口を開いた。


「ティライルには適当に言っておいてくれ。ただ非公式扱いで、俺個人がミスティオルに頼まれて行くと。俺に任せたと言った以上、そこは譲れん、とな」


「いやよ。自分で言いなさい」


 にべもなく断られてムッとするフェイリル。


「なんで?」


「当たり前だろ。理由も教えてもらえないで、説明なんてできないだろうがよ、おい」


「わかったよ。後で自分で言っておく」


 さすがに正論相手では歯が立たない。


 ミスティオルが深く頷き、感想を述べる。


「至極もっともだ」


 このカゥライエンの女騎士の首を締め上げる様を想像したフェイリルは自分の右腕の筋肉がピクピクと動くのかわかった。

 世間知らずの小娘だから仕方がないと自分に言い聞かせ、心を落ち着かせてから彼女に言った。


「食糧なんかの生活必需品は各自必要な分を持ち寄ること。二時間後に『冥き泉の部屋』で待ち合わせだ。いいな?」


 その挙動を不思議そうに見ていたミスティオルは無言で頷いた。


 そして、フェイリルは追い立てるようにして女騎士とともにギルドを出た。


 その背後では慌てた様子のミェルニルがお盆に載せた食器をガチャガチャいわせて右往左往する。


「あ~、忙しい、忙しい……とおぉっっても忙しくなってきた!」




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