MAP No.10 冥き泉の街:DSguild──預言者
カゥライエン騎士七名の救出任務は無事に完了した。
街に帰ったその翌朝、フェイリル・マリアティッティは迷宮探索ギルドに初めて足を踏み入れた。
素早く目を走らせて薄暗い屋内をさぐる。男たちが五人ほどいて、カウンター越しに迷宮探索ギルドの職員と話をしている。漆喰で塗り固めた壁は黄ばみが目立ち、長らく塗り替えられていないことが見てとれた。
ギルドホールを入って右手のカウンターは大きく、探索者らしい男たちが集まっていることから、探索した情報のやり取りをする探索カウンターと思われた。
左手にあるのはその半分ほどの短いカウンターで、迷宮の地図を売買しているようだった。
フェイリルは左のマップカウンターへ向かうと、探索ギルドにある最新の地図がひと通りほしいことを伝えた。
すると、まだ十二、三歳ぐらいにしか見えない娘が小生意気な薄ら笑いを見せて質問してきた。
「だから、どの地図がほしいのよ?」
その問いかけにフェイリルは同じセリフを繰り返した。
「全部」
「全部って──」
わかってないなあ、とうら若き娘はそばかすの浮いた鼻で笑う。
見た目も荒々しい軍人相手に栗色のおかっぱ頭を勇ましく反らせた。まだほっそりとした半人前の体型だが、性格は一・五人前で合計すれば体も心も一人前という計算なのだろう。
カチンときたフェイリルだが、いろんな意味で射程圏外のため言い返すのはやめておいた。
その代わりに責任者にひと言モノ申してやることにした。
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら言ってやる。
「店長を呼んでくれ」
娘は険しい顔に変じつつも、振り向いてマップカウンターの奥へ声をかける。
「班長、お客さんです」
奥にある作業部屋から三十代前半とおぼしき男が姿を現した。シャツのボタンを三つ目まで外し、精悍な顔に無精髭を生やして両手は墨に汚れている。
「何だよ、忙しいのに。地図の売り子ぐらいできないのか」
文句を言われた娘は不機嫌そうな顔でフェイリルを睨む。
ようやく気づいた男が声をかけた。
「ん? あんたか? いちいち俺を呼びやがったのは」
「ああ、その通り」
フェイリルは人懐っこい笑みを浮かべて用件を述べた。
「ここにある最新の地図を売ってくれ……全部」
「はあ~!?」
班長が素っ頓狂な声を上げると、すかさず娘が口を挟んだ。
「こんな無茶を言うんですよ」
「確かに無茶言いやがる。が、おまえは黙っとけ、ブリグィッド」
「そうだぞ。黙っておけ、ブリグィッド」
フェイリルの茶々に班長は鋭く注意した。
「あんたも余計な言葉を付け加えないでくれ」
「オーケー。自重しよう」
降参とばかりに両の掌を広げてみせた。
班長の男はL字カウンターの角に背を向けてもたれかかり、体重を預けた。骨ばった横顔が見える。彼はギョロっとした目の持ち主で、無精髭を剃ればもう少し若く見えるに違いない。
少し観察するように横目でフェイリルを眺めていたが、腑に落ちたように言った。
「あんた、見ない顔だな。最近来たのか?」
「まだ五日目だ」
「そうか。つまらんところへ来ちまったな」
「いや、そうでもない──」
フェイリルはこれまでの出来事を思い返し、指折り数え始めた。
「──初日になかなかの美女と知り合えたし、二日目は物資配達員をやったし、四日目にして救助活動もやった。近いうちにやることを全部済ませて、こことはおさらばするつもりだ」
班長は嫌なことを思い出したかのように苦々しい顔つきになったが、それでも口からは賞賛の言葉をひねり出した。
「そりゃ凄い。やる気があるってのはいいこった。だが、現実に打ちのめされたときは、ムキにならずに一度立ち止まって立ち位置を確認してみるのもいいもんだ。そして、そんなときに役立つのが、うちの地図だ」
フェイリルの太い親指が鼻の頭をかいた。
「商売上手だねえ。だけど、俺はもともと地図がほしいんだがな」
「そりゃ、わかってるさ──」
班長の体がカウンターから身を離し、フェイリルから顔の正面見える向きに変わった。
不意に彼の瞳がキラキラと輝いたように見えた。
それはきれいな碧色で星をちりばめたように美しく、先ほどの苦々しかった顔までが嘘のように晴れ晴れとしたものに変わった。
「まあ、聞けよ。この迷宮がちょこっとずつ形が変わっていくのは知ってるか?」
「知ってる。昨日聞いたばかりだが」
「地図は何人もの探索者が測量して、しかも同じ情報が集まって初めて完成させることができるものだ。なのに、そんな手間のかかるものがころころ変わっていったら、何度も描き換えないといけなくなる」
「それはそうだな」
と退屈そうなフェイリル。
「だから、うちの地図は一部の差し替えができるようにパーツに分けて売っているのさ。この『冥き泉の街』の階層の地図だけでも百八十七枚に分割されている」
「悪い。何が言いたいのかわからんが、俺が悪いような気がしてきたから、許してくれ」
「なんだよ。最後まで言わせろよ。だから、たくさんの階層のその地図を『全部くれ』と言われたら、ちょっとびっくりするだろ」
かぶりを振り、冷たい眼差しで班長を見た。
「この街は初めて地図を買うには向かない街だな」
しかし、班長はフェイリルの飽き飽きした様子を無視して説明を続けた。
「だから、簡略地図もある。ざっくりだが、主な部屋のおおよその配置がわかるんだ。とは言っても分割修正ができないから、気がついたらどこかで迷子になっている可能性もある」
「無責任な地図屋だ」
と不機嫌そうに唸った。
班長は心外だと表情を曇らせるふりをしたあと、我慢できなくなり、くすくすと笑った。
「地図屋は地図を作るのと売るのが仕事で、迷子を防止することが仕事じゃない。それは各ギルドの実動部隊がやればいい」
もっともな話だが、何かすがるように無駄話を続ける男にフェイリルは苛立ちを覚えた。
早く用事を済ませようと確認もせずに注文する。
「わかった。簡易版を全階層分くれ」
班長は皮肉っぽく笑って肩をすくめた。
「悪いな。売れる簡略地図は五階層までしかない。そこより深いところは現在大改訂ために絶賛製作中で、詳細版からコツコツと変更点の全容を明らかにしている最中だ」
「……五階層まででいい」
班長はうなずくとブリグィッドに五階層までの簡略地図を持ってくるように伝えた。
それからカウンターに身を乗り出して、まわりに聞こえないぐらい小さな声で囁いた。その顔は期待に満ちて、興奮していた。
「おまえは『解き放つ者』か?」
「むしろ『五里霧中を徘徊する者』だ」
「いや、おまえは解放者だよ」
フェイリルは首を傾げた。
「謎解きは苦手だな。『解き放つ者』とは何のことだ?」
その問いに答えは返らず、ブリグィッドが描画した面に紙を挟んで筒状に巻いた地図を持ってきた。
班長はそれをフェイリルに渡して名乗った。
「俺の名はパージナス、この迷宮探索ギルドのマップメーカーの一人だ」
「ふむ。俺はフェイリル・マリアティッティ、人助けは人間がなし得る罪悪の中でも最悪の部類に入る所業じゃないかとその日の生き様に迷える軍人だ」
パージナスは歯を見せて笑った。
「おもしろい奴だな。何か困ったことがあったら、遠慮なく言ってくれ。気が向いたら、助けてやる」
「気が向いたら? ま、そう言わず、早速一つ──モルガンヌ・ギルドまで帰る道を教えてくれ」
パージナスは、サービスしてやる、と言ったあと、ブリグィッドにフェイリルを送り届けるよう命じた。
貨幣の価値は外界と大差なかっため、フェイリルは手持ちで支払いを済ませ、頬をふくらませたブリグィッドに先導される恰好で帰路につくこととなった。