第1章 6話 ホラーはもうたくさんです
※残酷な描写を含みます
差し込む陽の光で目が覚めた。
脇ではギャレットがベッドに突っ伏して寝ている。朝まで見張るって意気込んでたくせに、結局眠気に勝てなかったみたいだ。
大人っぽく見えるけど、まだ十一歳。前世の年齢を考えると、私の方がお姉さんなんだよな。
なんとなく梳いてみた髪は、細くて柔らくて、少しひんやりしていた。
「ん……」
目が覚めたようだ。
「おはようございます、兄様」
まだ意識がはっきりしないようで、半目でぼんやりこちらを見ている。
「兄様?」
はっとしたように目を見開き、身体を起こした。しまった、という顔をする。別に気にしなくて良いんだよ。私はこの通り何ともないよ、ぴんぴんしてるよ。
元気アピールをして励ましておいた。
その日は予定通り浜へ降りた。
冴え渡る空。降り注ぐ陽射し。一面の紺碧を飾る、レースのような白波。
う……
「海だーーーーーーー!!!!」
堪えきれずに叫んだ。
靴を脱ぎ捨ててスカートの裾を摘むと、一直線に駆け出した。慌てて引き止めようとする声を無視して、波打ち際に立つ。
冷たっ。でも気持ちいい。
砂粒だとか海藻だとかが、透き通った水と共に寄せて来て足首に当たる。ちょっとかゆい。
波が引くときの引き摺られるような感覚が、少し気持ち悪くて楽しい。
「危ないからおやめ、エブリン」
兄が追いついて来た。
だが断る。
「気持ちいいので、兄様もぜひ入ってみて下さい」
なんてオススメしてみる。
「いや、いい。それより、怪我をするといけないから早く靴をお履き」
「足を拭くものがないから履かない」
黙ってハンカチを渡された。
そのあとは一緒に砂浜を散歩した。
綺麗な貝殻を拾ったり、小さな蟹を観察したり。
しばらく歩いていると、少し先に何かが落ちているのに気づいた。ビニールのような、風船のような……
「兄様!そろそろ戻りませんか!?」
「えっ、急にどうしたの?」
「ちょっとお腹がすいてしまったんです!帰りましょう!!」
鮮やかな瑠璃色。ギョウザっぽいフォルム。間違いねえ、かの恐ろしき電気クラゲ様だ。
兄がうっかり触ってしまうようなことがあってはいけない。エブリンもギャレットもそんなものを知ってる訳ないし、誤魔化して早く離れるが吉だ。お腹も本当に空いてきたし、このまま帰ろう。
彼は、訝しげな顔をしつつも頷いてくれた。
帰ってみると、屋敷は騒然としていた。なんと、おじさんがお亡くなりになったらしい。うそん。
死体は酷い有様だそうで、子供は見ちゃダメだと言われた。そんなこと言われたら逆に気になるじゃないか。不謹慎だけどそう思ってしまう。でも結局見ることはできなかった。
使用人さんたちと話を盗み聞いた所、本当にやばい死体な様だった。
全身は赤や紫になって腫れ上がり、目玉は飛びてて垂れ下がって、首や頭蓋、手足の骨は、バキバキに折れて有り得ない方向に曲がっていたそうだ。そしてその表情は、それだけ崩れていてもわかるくらいにありったけの恐怖に満ちていたとか。どんなんだよ。でもやっぱ見なくて良かったわ。
話していた人たちは、可哀想にすっかり震え上がってしまっていた。
犯人探しが始まったが、みんなアリバイがあり、結局犯人はわからなかった。恐らく呪術の類いによるものだろうという話になった。調査はまた後日、とのことだ。
それから予定よりも早く帰らされることになった。私たちの身に何かあってはいけないから、ということだそう。
帰る準備をして玄関で待っていたのだが、事案が発生した。兄が来ない。部屋から出てこない。何をやっているんだろう。
え、まさか彼も……いや、そんな怖いことは考えないでおこう。気が気じゃなくて部屋の前まで行って呼んでみると、やっと出てきた。
「兄様、遅いですよ!」
「ごめん、ちょっとね」
もう。心配させやがって。
帰りの馬車は静かだった。楽しくおしゃべり、なんて空気じゃなかった。
もうやだ。早くおうちに着いてくれ。
──
嫌だ、嫌だ、嫌だ、何故だ。
部屋の壁にもたれかかり、うつむいていた。
あの男が死んだ。胡散臭い笑みを貼り付けた、この屋敷の主。
妹を操ったのはあの男だ。魔力をたどれば容易に判明した。
あんな小物一匹自分の手で始末できないなんて、あんな下らない呪術ひとつ予防できないなんて。
まともな魔法が使えなくたって、やっておけることはあったはず。
ああして家族を危険にさらしてしまうなんて、あってはいけないことなのに。
ああ、いらいらする。
無意識に、自分の腕をきつく握りしめていた。袖をまくってみると、くっきりと爪の跡がついてしまっている。ゆっくり息を吐き出すと、つい皺のよってしまった眉間を指でほぐし、表情を繕った。
妹も呼んでいることだし、そろそろ行こう。こんな場所とはさっさとおさらばだ。
袖を下ろし、うす汚い部屋を後にした。
かの恐ろしき電気クラゲ……カツオノエボシ。死骸でも人を殺せてしまう猛毒の生物兵器。よく砂浜に打ち上げられる。
登場させたことに特に意味は無い。