第1章 5話 海辺の屋敷
ガタッ、と馬車が跳ね上がる。ガタガタ、カタカタ……。
酔いそう。
道が舗装されてないせいか馬車がめちゃくちゃ揺れる、早く着いて欲しい。一緒に乗っている兄は平気そうな顔をしている。解せぬ。使用人さんたちは別の馬車に乗っているので、今は彼と二人きりである。これから行く海に思いを馳せながら他愛ないお喋りをしていた。
外を見ると、少し遠くにごちゃごちゃした町が見えた。また、不格好な木々に囲まれた陰鬱な墓場の前を通り過ぎた。
風が潮の香りと波の音を運んで来る。海はもうすぐだ。
丘を超えると目的地が見えた。海に面した崖の上にぽつんとある、歴史を感じさせる風貌の三階建ての屋敷───私たちが泊まる予定の屋敷である。
屋敷の前に馬車を止めれば、血縁のおじさんが迎え出てくれた。優しそうな人だ。
中へ入るとすぐ三階の寝室に案内された。一人一部屋用意してくれていて、使用人さん用の部屋もある。荷物を置いたら今度はテラスに案内される。そこで夕食を取るらしい。海に面した広々としたテラスで、中央に置かれたテーブルの上には既にたくさんの料理が並べられていた。こんがりふわふわのパン、ミートパイ、鳥肉(多分キジ肉)、白身魚(タラかな?)、チーズ、プディング、ワインなどなど……。折角海辺なんだから魚介メインにすればいいのにね。
澄み切った夕空の下での食事は、何となく楽しくて美味しく感じられた。料理そのものの味はウチの方が上だと思うけど!
食事が終われば、あとは身体を洗って寝るだけだった。明日は浜に降りる予定なので、今日は早く寝ることにしよう。布団に入り、寄せては返す波の音を子守唄に、ゆっくりと眠りに落ちていった。
───
目が覚めた。
部屋の中は真っ暗で、しんと静まり返っている。
何の気なしにベットの脇から外を覗くと、屋敷を出て行く人影が見えた。
「おじさん……?」
顔は隠れていて見えなかったが、何故だか彼だという確信が持てた。そして、今すぐ彼を追いかけなければいけないような気がして、靴も履かずに屋敷を飛び出してしまった。
ふらふらと覚束無い足取りの影を追って、丘を越え、曲がりくねった道を行くと、やがて墓場に到着した。来る途中の馬車で通りかかった墓場だ。少し離れた木陰から様子を伺うことにした。
彼は墓石の一つの前にしゃがむと、両手で土を引っ掻き始めた。穴を掘っているようだ。暫くすると手を止め、マンホールほどのサイズの蓋の様なものを持ち上げた。蓋を乱雑に投げ捨てると、そのまま穴の中へ消えてしまった。少し間を置いてから、そっと近寄って覗き込んでみた。底が見えないほどに深い。壁面に梯子が掛かっているので、それを伝って降りたのだろう。私は躊躇うことなくそれに足をかけた。
変な使命感が湧いてきて、不思議と恐怖だとかは無くて。
梯子の下には地下道があった。静けさの中で、奇妙な水音だけが響いていた。
この先に彼がいる。
湿っぽい通路を手探りで進んでゆくと、遠くに光が見えた。太陽や月のものとは違う、緑がかった光。
早く。早く。
そんな囁きが聞こえる。
いつの間にか、光のすぐ近くまで来ていた。厳密には、隙間から光の漏れる小さな扉だった。
扉を押し開けて、向こうへ踏み出そうとした。
「え?」
何かに腕を引っ張られて、バランスを崩す。
後ろへ倒れて、真っ逆さまに落ちてゆく感覚がした。
「エブリン!」
目を開くと、憔悴した兄の顔があった。
「兄様……?」
「何をしているんだ!!」
怒っているというより、困惑しているような声色だった。私も混乱し切っていて、目をぱちくりさせる。
身体を起こして前方を見て見れば、開け放たれた窓があった。冷たい潮風が頬を撫でる。
───
兄によれば、私は窓から飛び降りようとしていたらしい。窓の下は崖だった。ギャレットが腕を引いて止めてくれたらしい。
もし、彼が止めてくれていなかったら。あと一歩遅かったら。冷たいものが背筋を走る。
私が一部始終を話すと、兄は苦い顔をした。思い当たる節があるようなので説明を求めたけれど、有耶無耶な返事で流された。
私が飛び降りようとしていたのは、一階の廊下の突き当たりの窓だった。
彼は私の足音に気付いて追いかけて来たそうだ。私、はだしだったよね?地獄耳か?
それにしても、何だったんだろう。夢遊病的なものだろうか。
ギャレットが立ち上がった。
「部屋に戻ろう。朝まで僕が傍で見張っていてあげるから、安心して眠って」
と、手を差し出される。
ちょっと待った。
窓から見える月の位置からして、多分二時にもなってない。朝までだいぶ時間あるよ?
「兄様に見張りをさせておいて私だけ寝るというのは……」
と遠慮しても、
「どうせ気が気でなくて寝れないから。大丈夫」
と言って聞いてくれなかった。
大人っぽいとは言えギャレットってまだ11歳なんだよな…ということを意識しつつ書いているつもりです