4.
ああ……気持ちいいなぁ。
なんだかフワフワする。
目が覚める時に感じる浮遊感にも似た感覚で、私は自分が覚醒前である事に気がつく。
まだもう少しこのまま寝ていたいのに……。
頬を撫でる温かい感触に、自分から頬を擦りよせた。
「リズ?」
目を覚ましたくない私を誰かが呼ぶ。
私は重たい瞼をゆっくりと開けた。
「目が覚めた?大丈夫?」
大丈夫って何が?
ぼやける視界に私を覗き込む人物が映る。
サラサラの前髪の間から、少し切れ長の紫色の瞳が私を見ていた。
ああ……昔、似たイラストを見たことがあるなぁ。
ぼんやりと未だ霞みがかった頭で考える。
確か乙女ゲーム発売予約特典の画集に載ってた……ユアン様。
ゲームをプレイする前からユアン様が《私》の一番お気に入りだった。
無意識にユアン様の顔に手を伸ばす。
そっと頬に触れた手を、その上から握られる。
……触れられる!?
私はぎょっとして起き上がった。
「ふげっ!!」
「っ!!」
急に起き上がったせいで私の額で相手の顎を強打してしまう。
私はおでこを押さえ縮こまる。
おおおお……でこが割れる。
「リ、リズ、大丈夫?」
私の頭突きがクリティカルヒットした相手の方が、立ち直りが早かった。
気遣いながらそっと背中に触れられる。
はっ!!
頭突きで痛がってる場合じゃなかった。
私はばっと振り返る。
「ユ、ユアン」
そこには幼馴染の成長した姿であり、何度もプレイした一押しキャラの姿である、ユアンがいた。
少し少年ぽさが残る姿に私は狂喜した。
リ、リアルユアンきた━━━━!!
し、しかも少年から青年へと成長する狭間のユアン!!
クラウディア様もアルバート様も感動したけれど、それ以上に感激!!
あの何度も何度も攻略したユアンが目の前に……。
ここだけの話、アニ○イトで抱き枕を購入し、毎日抱きしめて眠っていたあのユアンが目の前に!!
転生ばんざい。
幼いころに死ななかった私、グッジョブ。
「リズ?おでこが痛い?それとも気分が悪い?」
脳内で沢山の私と《私》が入り乱れ、喜びのマイムマイムを踊り始めていたところ、ユアンに声をかけられはっと我に返った。
おっと。
脳内以外はフリーズしていたようだわ。
「い、いえ、大丈夫よ。気分も悪くないわ」
「そう、よかった……急に倒れたから」
言われて気がつく。
そういえば意識が遠くなったんだっけ。
私はさっきまで寝かせられていた場所を見る。
芝生の上に紫色の布が敷かれていた。
きっとユアンが敷いて寝かせてくれたんだろう。
「私、倒れたのね。迷惑掛けてごめんなさい」
「いや、俺のせいだと思う。空間転移のせいで貧血が起きたんだろう。ごめん」
「空間……転移」
色々な情報が頭の中に浮かぶ。
そうだ。
舞踏会でアルバート様からダンスに誘われた。
そこで突然後ろから抱きしめられ、気がついたらお城の庭園にいた。
そこでユアンを見た後、意識が遠くなったんだ。
「久しぶりだね、リズ」
ユアンは紫の瞳を細め、優しく笑った。
その笑顔に私は顔に熱が集まるのを感じる。
か、かっこよすぎて直視できん!
顔の赤みを隠すように、頬を手で扇ぎながら私も口を開く。
「お、お久しぶり。ええっと……立派になって」
何だ立派になってって。
親戚のおばちゃんじゃあるまいし。
私は自分のセリフにツッコミを入れた。
ユアンは特に気にすることなく続ける。
「リズは綺麗になったね。会えなかった期間が惜しいぐらいだ」
「……なんですって?」
「すごく綺麗になった」
首をかしげ微笑むユアンに、私はあんぐりと口を開けてしまった。
何言ってるんだ、この子は。
自慢じゃないが、ついさっき舞踏会で美人じゃないと陰口を叩かれたばかりですけど。
私はハハ……と乾いた笑いを漏らす。
「ユアンたら目が悪くなったのかしら?メガネがないとぼやけて良く見えないとか?」
「いや?視力はいいと思うけど」
「へ、へぇ……」
じゃあ美的感覚の問題か。
数年後、主人公に出会うはずだけど……大丈夫かしら?
「と、ところでユアンは何故ここに?なんで突然現れたの?」
美的感覚について議論しても仕方がないので、私は疑問だった事を尋ねることにした。
ユアンを拝めたことで色々飛んじゃってたけど、今の状況は疑問だらけなのだ。
するとユアンは立ち上がるとこちらに手を差し出した。
「地べたに座ったままじゃせっかくのドレスが汚れるよ。向こうにベンチがあるから、座って話そうか」
「え、ええ」
スマートなエスコートに戸惑いながら、出された手に自分の手を重ねる。
ぐいっと軽く引かれただけで立ち上がれた。
細身の割に力持ちなんて……さすが乙女ゲームの攻略対象。
どうでもいいことに感心した私だったが、繋がれた手が解かれることなく歩き始めたのでぎょっとする。
何故に手を繋いだまま歩いて行く。
まるで舞踏会中に逢い引きしているみたいじゃないか。
私は繋がれた手と、ユアンの背中を交互に見た。
解き忘れたのかしら?と思い、もぞもぞ手を動かすも離される事はなく。
逆に顔だけこちらに向き、微笑みを返されてしまった。
―――何これ。何かのイベント発生中!?
ドキドキ煩い心臓に、私は空いた手で胸の服を握りしめる。
そんな私に構うことなく、ユアンはベンチまでいくと私を先に座らせてくれる。
そしてやっと手を離し、隣に座った。
私は心の中でふぅと一息つく。
「10年ぶりの再会がこんな感じになるとは、俺も思わなかった」
ユアンは背もたれに寄りかかりながら言った。
「なんで俺がここにいるのかって話だけど、今日の舞踏会に俺も出席するよう言われていたんだ」
「言われたって……おじ様に?先日お会いした時、ユアンは連絡が取れないとおっしゃっていたけれど」
私はメイスフィールド伯爵を思い出した。
メイスフィールドのおじ様、ユアンのお父様から言われたのかと思ったが、ユアンは首を振る。
「いや。国王陛下から」
「こっ、国王陛下から!?」
想定外の返答に、思わず私は仰け反った。
「今回の舞踏会が開かれた理由は知ってる?」
「え?ええ。アルバート殿下の留学からの帰還祝いよね」
何年前からか他国へ留学してたのよね。
ユアンは頷いてこちらを向く。
「アルバートの留学先に、俺も行ってた」
「ええ!?」
「護衛兼内偵の任務で」
「えええ!?」
護衛に内偵!?
驚いている私に、ユアンは手元にあった布を差し出した。
これって……さっき地面に敷いてあったもの?
私は訳も分からず受け取った。
困惑していると、ユアンから広げてみるように言われる。
私は言われたとおりに布を広げ、そして固まった。
「これ……!!」
それは色は深い紫。
手触りのよい高級であろうシルクで出来ている。
縁には金糸で刺繍が施された、フードつきのローブだった。
これと似たものを、私は過去にも見たことがある。
私は見開いた目のままユアンを見た。
「上位魔術師のローブ!?」
「そう」
ユアンは頷くと固まる私の手からローブを取り、羽織って見せる。
黒髪のユアンに、そのローブはとても似合っていた。
「俺、上位魔術師になったんだ」
ふっと不敵に笑うユアンに、私は不覚にもドキッとしてしまった。
ゲームでは見る事のなかったユアンの表情や仕草に、私の心臓は何度もドキドキさせられる。
私は切にカメラが欲しいと思った。
そうしたらMYユアン写真集を作るのに。
「上位の称号をその歳で貰えるなんて、ユアンは本当にすごい魔術師になったのね」
「リズと約束したからね」
確かにゲームでも国一番の魔法使いっていう設定だったけど、現実として目の前にすると、やはりすごいとしか言いようがない。
ユアンは再びローブを脱ぎ、今度は私にかける。
「ちょ、ちょっと!」
「少し冷えるからかけてて」
めったに見ることもない、上位魔術師のローブを肩掛けに使うなんてと気が引けたけど、私は素直に「ありがとう」と言って借りることにした。
肩が出るドレスなので、ユアンの言うとおり少し寒かったから。
ユアンは優しく笑ってから話を続ける。
「アルバートとは、魔術学園入学当初から寮の部屋が同じで。何となく一緒に過ごす機会が多かった。10年来の腐れ縁てやつかな。留学が決まった時、俺はすでに上位の称号を得ていたし、護衛と内偵にはちょうどいいって事で一緒に行かされる羽目になった。他国での内偵も兼ねていたから、リズや家族とも連絡を取れなかったんだ」
「そうだったの。まさか他国にいるとは思いもよらなかったわ。国の魔術機関に入るとは聞いていたから、私の手紙が届かないのは当然かなと思っていたし」
「まさか内偵が手紙のやり取りをするわけにいかないからね。……手紙くれてたんだ。ごめん」
「全然!!立派なお仕事をしてたんだもの。謝ることなんてないわ」
……一回しか送ってない事は言わないでおこう。
まさかユアンがそこまですごいとは。
ゲームでの情報はあっても全てが詳細に語られる訳じゃないし、現実として起こると驚いてしまう。
「今回俺もアルバートと一緒に帰ってきたんだ。国王陛下は労いを込めて、俺に舞踏会へ参加するようおっしゃった」
なるほど。
ユアンは影の功労者だったのか。
でも……。
「舞踏会の会場にユアンはいなかった気が……」
私は会場を柱の陰から観察していたのだ。
会場にユアンはいなかった。
「興味なかったから参加するつもりはなかった」
「え?そうなの?でも舞踏会に突然現れたけど……」
疑問を口にした私から視線を逸らし、ユアンは眉間にしわを寄せる。
「舞踏会の会場近くを通りかかった時、たまたまアルバートに会って……」
「会って?」
「今日の舞踏会にリズが参加してる事を聞いた」
「……んん?私?」
何でここで私が出てくるのか。
私は首をかしげた。
ユアンは不機嫌そうな声で続ける。
「入場を促されたアルバートが去り際に言ったんだ。“マンデルソン伯爵令嬢をダンスに誘う”と」
「……へぇ」
だから何だというのかしら?
話の流れが見えない。
何でアルバート殿下がそんな事を言うのかも理解できないし、ユアンが何を言いたいのかも分からない。
私は間抜けな返事しか返せなかった。
ユアンは憎々しげに言った。
「会場を見に行ったら、あの馬鹿、本当にリズをダンスに誘いやがった」
殿下に馬鹿は拙いんじゃなかろうか?
いくら仲がいいとはいえ、相手はこの国の王子様なのに。
話の見えない私はそこが気になった。
そんな事をぼけっと考えて聞いていると、ユアンの眉間のしわが深くなる。
「だから俺はリズのところに転移したんだ」
「…………」
………………あれ!?
終わり!?
私は?が沢山頭についたまま更に首をかしげる。
「えーっと……あはは…………なんで?」
全く分からなかったんだけど。
なんで殿下がダンスに誘ったからって、ユアンが現れる必要があったの?
まぁ、そのお陰でアルバート殿下とダンスを踊り、ものすごく目立った挙句周りから叩かれまくる、という最悪の事態は避けられたんだけど。
ユアンは不機嫌そうに言う。
「リズがアルバートと踊るのが嫌だったから」
「どうして嫌なの?……はっ!ま、まさか、あなた」
そんな……。
確かにどんなイケメンに育ってもいいと思ったけど。
まさか……まさか……。
私は頬を両手で覆った。
「アルバート殿下が好きなの!?」
「……どうしてそうなった?」
「あれ?違った?」
なんだぁ。
まさかのBLかと思って焦ったのに。
ユアンは深い溜息をついてうなだれる。
「どこをどう聞いたら、俺がアルバートを好きだと思うんだ……」
脱力したように言ったユアンに、なんだか悪いことをした気持ちになった。
私は「なんかごめんね?」と言って、項垂れた背中をトントンしてみる。
すると──。
「リズ」
起き上がったユアンに背中の手を取られ、掴まれたまま見つめられる。
力強く真剣な顔で見つめられれば、目を逸らすことも出来ない。
「ユ、ユアン?」
何事かと驚く私に、ユアンは口を開く。
「俺が好きなのは昔から──リズだけだ」
「…………………………え!?」
今……なんて言った!?
ユアンが……ユアンが……。
「私を……好き!?」
「リズ。約束は覚えてる?」
「な、な、ななな」
私はパニックを起こしていた。
私を好きって、なんで!?
ユアンは何を言っているの!?
テンパる私の腕を引き、ユアンは私を自分の方へ引き寄せる。
「俺はすごい魔術師になると言った。すごい魔術師になって、リズをずっと守ると」
「な、な、なにを」
パニックの私の頭に、幼き頃のユアンが甦る。
魔術学園の入学前のことだった。
『僕、必ずスゴい魔術師になるよ!そうしたら、リズをずっと守るからね』
確かにそう言っていた。
あれから10年。
ユアンは本当にすごい魔術師になった。
ユアンは私の目をじっと見つめる。
「約束通り、俺はすごい魔術師になったよ」
私は言葉にならず、コクコクと頷いた。
なら、とユアンは言う。
「俺と結婚してくれる?」
「けっっ、こっっ!?」
けけけけけけ、結婚んんんん!?
なんで!?
ユアンは何言ってるの!?
私は赤くなったり、青くなったり大忙しだ。
ユアンは攻略対象で、私はモブキャラで。
あと数年もすればユアンは主人公と出会うかもしれなくて。
あと数年で私は傷物の行き遅れ令嬢になるはずで。
……ユアンはそんな事何も知らないんだ。
私は少し冷静になった。
これから運命の人が待ってることも、私が傷物なことも、ユアンが知っているはずがない。
だったら私がユアンの為に出来ることは1つ。
私はガバッとベンチから立ち上がる。
そして勢い良く頭を下げた。
「私はユアンと結婚できません!ごめんなさい!!」
それだけ言うと、ユアンの顔を見ずにお城に向かって走り出す。
まさかのユアンにプロポーズされるという奇跡。
大好きなあの顔で、あの声で、私を好きだと言った。
それなのに。
私はキッと前を睨み、心の中で叫んだ。
私は……私は……
モブなんじゃい、バッキャローーーーーー!!
そのまま舞踏会場には戻らず馬車乗り場に直行する。
ユアンのローブを羽織ったままな事に気がついたのは、すでにお城を出た後だった───。
執筆中のものをタブで保存しながら書いていましたら……書き上げ寸前で真っ白に。
書き直しで更新遅れてしまいました(;´Д`A
これからちゃんと保存します故、どうぞお許しを……!!