2.10 初対面
水族館に行った翌日。恵美は研究所でのトレーニングがあった。いつも通りやっていたつもりだが、研究所のトレーナーに「元気ないね? 大丈夫?」と心配された。「大丈夫にゃ」と答えたものの、確かに元気ではなかった。気掛かりなことがあったからだ。
研究所から帰る途中、恵美は泉公園に再びよった。噴水の前まで来て、前回の決闘について思い出す。あのとき、ちゃんと攻撃できていれば。そんな風に考えてしまう。
噴水を縁取るレンガに座る恵美。水面に映る自分の顔は、四音のように物憂げだった。
「大丈夫か?」
恵美は目を上げる。声を掛けてきた相手を見て、驚く。綺羅愛莉だった。
「そんなに驚かなくてもいいだろう」
愛莉は苦笑した。
「ごめんなさいにゃ」
恵美はまごつく。愛莉のことは知っていたが、初対面だった。恵美にとって、愛莉は雲の上の存在であり、そんな愛莉を前にして、どんな反応をすればよいかわからなかった。
「ここ、座ってもいい?」
「ええ。どうぞ」
愛莉は恵美の隣に座った。恵美は緊張したが、愛莉から流れる甘い匂いで、幾分か、緊張が和らいだ。
「で、あなたは何か悩み事でもあるのか?」
「あ、はい」
「良かったら、聞くよ?」
「いえ、そんな。愛莉さんにお話しするようなことではありませんよ」
「いいから。話してごらん。意外と、知らない人に話した方が、すっきりするものだよ」
恵美は戸惑いながら愛莉を見た。愛莉の柔和な顔つきには、姉のような安心感があって、しっかりと話を聞いてくれそうだ。それに、愛莉さんなら真面目に聞いてくれる。話に聞く綺羅愛莉とは、そういう女だった。だから恵美は、少しためらいながらも、愛莉に話すことにした。
「私は今、Cランクなんですけど、もっと上に行きたいと思っていて、ある人に指導をお願いしているんですにゃ。それで、その人は、ちゃんと私のことを考えて、トレーニングとか対人戦の戦い方とか、色々考えてくれるんですけど、私は、その人の期待に応えられないような気がして、その、悩んでいるんですにゃ」
「なるほど。どうして、応えられないと思うんだ?」
「その人には、私もよくわからないんですけど、他にも指導している子がいて、その子は、ちゃんと指示通りに対人戦を戦ったことで、相手に勝利したんですけど、私は、その人の求める戦い方がちゃんとできなくて、負けてしまったので……」
「それで、応えられないと?」
恵美は頷く。
「そうか。それは難しい問題だな」愛莉は思案顔で腕を組み、恵美と一緒になって考える。「その人に指導をお願いするようになって、どれくらいになるんだ?」
「多分、三週間くらいですにゃ」
「三週間!?」
愛莉は呆れたように肩をすくめる。その様子に、恵美は首を縮める。
「すみませんにゃ」
「三週間は短いぞ。それで結果なんて、簡単に出ないさ」
「でも、もう一人の子は、多分、二日とかそんなもんで、応えることができましたにゃ」
「そういう人もいるだろう。だが、あなたが、そういう人だとは限らない。つまり、他人ができているからと言って、焦る必要はないんだ」
「……そういうものなんですかね?」
「そういうものさ。私だって、そうだったよ。初めて剣を始めた頃は、同期の中でも一番下手だった。でも、それで腐らないで地道に続けていったら、三年ぐらい経ってから、徐々に剣というものがわかってきて、それで、今のような、Sランクに相応しい剣術を習得することができたんだ」
「そうだったんですか」
実は昨日、修介も似たようなことを言っていた。修介も最初から強かったわけではないらしい。ネオつくばに来たばかりのときは、吐きそうなほど厳しいトレーニングを毎日行っていたとか。辞めたいと思ったこともあるらしいが、それでも頑張って続けていった結果、次第にトレーニングが苦ではなくなって、そして、完璧な勝率を誇る超能力者にまで成長したとか。
あれは修介だからこそ、と思っていたが、そうではないようだ。Sランクの人たちは、そういった経験があったからこそ、輝かしい実績を手にしたようだ。
「でも」と恵美は目を伏せる。「私には時間がないにゃ。今から少しでも成績を上げておかないと、いけない理由があるんですにゃ」
「その理由について、あなたに指導している人は知っているの?」
「はい」
「それに合わせた計画とかは立ててくれないの?」
「立ててくれますにゃ」
「そっか。なら、もうその人の指示を信じるしかないんじゃないか? 私だったら、そうする。あなたはその人のことを信頼しているの?」
「はい」
「なら、なおさらだね。そうだ。そのとき大事なのは、ちゃんと自分の気持ちも伝えることじゃないかな。ただ、相手の言うことを一方的に聞くだけでは成長できないと、私はよくコーチに言われた」
意見がある場合は遠慮せずに言って欲しい。俺はそうしてきた。と修介は言っていた。これもまた、修介だけの特別ではないようだ。
「……そうですね」恵美は微笑む。「愛莉さんに相談して良かったですにゃ!」
「だろ?」愛莉は微笑みかえす。「私の言った通り、相談はしてみるものだ」
そのとき、恵美のスマホが鳴った。恵美はスマホを取り出して確認する。『明日はどうする?』という修介からのメッセージだった。
恵美は『ちゃんとやるにゃ!』とメッセージを返す。そこには先ほどまでの憂いはなかった。
恵美はスマホをスリープモードにする。その際、真っ暗になった画面に、スマホを後ろから覗き込む愛莉の顔が映り、恵美は「にゃっ!」と驚いて振り返る。
「あ、ああ。すまない」愛莉は少し動揺して言う。「ただ、『山神』という文字が見えたんで、つい」
恵美は眉根をよせて、言った。
「どうして、山神君の名前が見えたからって、覗き込むんですにゃ?」
「山神『君』? ということは、そいつは男ということだ。そして、もしかしてだけど、その山神という男は、山神修介のことか?」
「そうですにゃ……」
恵美は不審の色をさらに濃くした。
「そうか。あの山神か……」
愛莉は遠い目で空を仰ぎ見た。恵美はそんな愛莉から、不穏な空気を感じとった。うまく言い表すことはできないが、今すぐ愛莉から離れた方がいいと思った。
だから恵美は荷物を持って、立ち上がった。
「あの、愛莉さん。ありがとうございますにゃ」
「なぁ、あなたの名前を教えてくれないか?」
「……田中恵美ですけど」
「そうか。恵美さんか。すまない恵美さん」
ばちっと恵美の体に電流が走った。
「かっ、はっ……」
恵美の視界が揺らぎ、体に力が入らなくなって、立っていられなくなった。倒れそうになる恵美を愛莉が支えた。そして耳元で囁く。
「恵美さんには怨みはないが、あの男にはあるんだ」
その言葉を最後に、恵美の意識は遠のいた。




