3 降格した男
Aランクへの降格が正式に決定した日。修介は嬉々とした表情で『ヤナギ研究所』へ向かった。「憑き物が落ちた」という言葉の意味を知った日である。帰りに焼肉でも食べようかな、と呑気なことを考えながら、研究所の門を通った。
研究所に入る。どんよりと重苦しい空気。この研究室に所属するユースの超能力者で、真治以外にも、下位ランクに降格した者がいたらしい。冷めた目で迎えられ、さすがの修介も笑みを消す。
「山神ぃぃぃ! てめぇ、何だ、あの最後の仕事ぶりは!」
職員の一人が掴みかかろうとしてきた。が、他の職員が、取り押さえる。抑えられながらも、職員は叫ぶ。
「お前、自分が何したのか、わかってんのか! お前のせいで、この研究室は評価が落ちたんだぞ!」
はぁ? と修介は声が出そうになる。勝手に人に期待を押し付けて、それで結果が出なかったからキレるとか、責任ある大人のすべきことじゃねぇだろ! とキレそうになった。
しかしその怒りをぐっと堪える。世話になった場所だ。これ以上、汚すわけにはいかないと思った。
修介は申し訳なさそうに一礼し、職員の前から去った。後ろで叫ぶ声が聞こえたが、無視した。
柳所長の部屋の扉をノックする。
「どうぞ」の声があって、「失礼します」と修介は扉を開けた。
修介は、おずおずと柳の机の前まで進み、向き合った。柳は、白髪を撫でつけた濃い顔つきの男で、思っていたよりも穏やかな表情を浮かべていた。
「降格が決まったようだね」
「はい。申し訳ありません」
「本気で思ってる?」
柳は笑顔のままだった。しかしその言葉の裏に、棘があるような気がして、修介は返事をするのに、時間が掛かった。
「……はい」
「ふぅん。そうなんだ」
早く帰ろうと思った。柳のおかげで、ここまで来ることができたのだが、修介は柳のことが昔から苦手だった。
「すみません。こんな、恩を仇で返すような結果になってしまって」
「まぁ、結果が出てしまったのなら、仕方ない。ただ、一つだけ聞かせて欲しい。君は、どうして今回の結果を選んだんだい?」
柳の目を見る。下手な嘘は通用しない目つきだった。本当のことを言った方がいいだろう。修介は覚悟を決めて言った。
「普通の男の子になりたかったからです」
「そうなんだ」
「……すみません。こんな理由で」
「いや、いいんだ。よくある話さ」
柳が立ち上がり、修介は身構える。柳は修介に背中を見せ、後ろのブラインドの隙間をいじった。
帰っていいのだろうか?
修介が困っていると、柳は言った。
「山神君は、私と初めて会ったときのことを覚えているか?」
「はい。小学校3年のとき、地元の小学校で」
「そうだ。超能力者発掘プロジェクトの一環で、私は地方の小学校巡りをしていたんだ。正直、僕はそのプロジェクトに懐疑的でね。というのも、君たちのような標準人類では、どんなに頑張っても、優秀な超能力者にはなれないと思っていたからだ」
柳は振り返って微笑む。
「おっと、今のは差別的な意図があったわけじゃない。そういうものだったんだ。超能力者育成技術というのは」
「はい。わかってます」
柳はブラインドの方へ向き直った。
「だから、君を見たときは、驚いた。できるだけ、自分の気持ちと言うやつは、正確に言語化したいと思う私が、言語化できないほどの衝撃を受けたんだ。何と言えばいいか、今もまだ、悩んでいるんだけど、『恐怖』が一番感情的には近いかな」
「恐怖? 俺にですか?」
「ああ。私自身不思議だったよ。何でこんな子供に? ってね。それで、君のことが気になって、ここまで一緒にやってきた」
修介の胸に、ちくりと痛みが走る。
「山神君は、私の想像を超える逸材だったよ。標準人類では優秀な超能力者になれないという私の考えが変わったのだから。でも、残念だと思う部分もある。何だと思う?」
嫌な質問をするなぁと思った。答えたくないが、修介は渋い顔で口を開く。
「逃げたことですか?」
「いいや、初めて君を見たときに、どうして君のことをあんな風に思ったのか、よくわからないんだ」
「え? そんなことですか?」
「そんなこと?」柳が振り返り、その迫力に修介は首を縮める。「私はこれが、新たな発見をする上で重要なことなんじゃないかな、と思っているんだ」
「新たな発見?」
「そうだ。実はね、この話を職員にしたときに、私と同じような感情を抱いた職員がいたんだ。それも、多くの職員が、君を初めて見たとき、恐怖に近い感情を抱いたと言っていた」
「え? そうなんですか?」
「うん。それで、鬼君にも聞いたんだよ。君と初めて会ったとき、君のことをどんな風に思ったかって。そしたら鬼君は、ぶるっと来た、と言っていた。あの鬼君がだ」
「鬼さんが?」
鬼とは、3年連続Sランク1位の猛者だ。
「だから、つまり、何を言いたいかというと、もしかしたら私は、君の能力について勘違いしていたのかもしれない」
「勘違い?」
「そうだ。もしかしたら、君の能力は『闘う者』ではないのかもしれない」
「別の能力ってことですか?」
「うむ」
「具体的に、これってあるんですか?」
「わからない。が、何となく予想しているものはある」
「何ですか?」
柳は答えなかった。椅子に座り、机の上にDVDを置いた。
「君は、映画は好きか?」
「まぁ、人並みには」
「そうか。なら、これらの映画を観てみるといい。これらの映画の中に、君の能力に関する秘密があるんじゃないかな、と私は見ている」
修介は机の上のDVDに目を落とした。俗に言うパニック映画やエイリアン映画ばかりが並べられていた。
どういうことだ?
修介は首を傾げる。
「このDVDは持って行って構わない。君が、今後、どのような人生を送るつもりかはわからないが、このDVDを見て、学んだことが活かされる可能性がある」
「……なるほど」
そうは思えないが、取りあえず、DVDをまとめ、修介は鞄にしまった。
「それじゃあ、山神君。今までお疲れさまでした。新天地でも頑張ってください」
「はい。ありがとうございます。今まで本当にお世話になりました」
修介はこれまでの感謝の念を込め、深々と頭を下げた。
部屋を出て、出口に向かいながら修介は思った。想像していたよりもマイルドな別れだった。もっと殺伐としたものになると思っていたのに。
一抹の寂しさを抱えながらも、修介は振り返ることなく、研究所に別れを告げた。
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「本当に良かったんですか? 彼と契約を打ち切って」
ブラインドの隙間から修介を眺める柳に、秘書であるハトエは言った。
「彼がそれを望んでいたからね」
「でも、少々強引なやり方をすれば、まだ更新できたのでは? 所内にも彼を残すべきだという声はありましたし」
「強引なやり方とは?」
「……情に訴えるとか?」
柳は苦笑して振り返った。
「面白い方法だが、彼に通用するのかな? それに、私自身、彼との契約を打ち切るという選択は間違っていなかったと思っているけどね」
「どうしてですか? 彼の能力を誰よりも高く評価していたのは、所長では?」
「だからこそだ。彼の能力は、ここを離れることで、より磨かれると私は考える」
「うちの研究所よりも優秀な研究所があるということですか?」
「そういうことじゃない。何も、能力について学ぶ場所は、研究所だけじゃないって話さ」
ハトエは眉根をよせる。
「なぁに。君も、ここで色々な超能力者に触れていけば、僕の言うことがわかるようになるさ」
柳は、再びブラインドの隙間から外を眺めた。修介の姿は無くなっていた。
「私を楽しませてくれよ、山神君」
柳は満足したようにブラインドから手を放した。