2.2 下校途中
修介がジムのカレンダーを眺めていると、タオルで汗を拭いながら、恵美が隣に立った。
「どうしたの?」
「時間がないな、と思って。何だかんだ、4月ももう終わってしまうな」
「そうだにゃ」
恵美の契約条件の話を聞き、復興が順調だったこともあって、修介は予定よりも早くネオつくばに帰ってきた。しかしそれでも、残された時間は少ない。
修介は悩ましそうに眉根をよせる。
「七月までに昇格圏か……」
「四月中に昇格圏に入らなくてもいいんでしょ?」
「まぁ、そうなんだけどさ。ただ、相手に与える印象的なことを考えると、早い段階から昇格の可能性が高い方が好ましいんだよなぁ。田中さんの当初の予定では、七月までに暫定何位になる予定だった?」
「20代の後半くらいから30の前半にゃ」
「俺もそれくらいの方がいいと思ってたんだけど、それだと、契約が難しいんだよな」
うーむ、と唸る修介を見て、恵美の頬がゆるむ。
「何?」
「私のために真剣に考えてくれて、嬉しいにゃと思って」
「べつに、田中さんのためじゃないけど」
「ふーん。じゃあ、誰のためにゃ?」
修介は答えに窮し、しっしと手で払った。
恵美は笑い、筋トレに戻った。
筋トレが終わってから、二人は制服に着替え、昇降口へ向かった。気難しい顔で、これからの計画について考えていた修介の前に、ある少女が現れる。その少女を見て、修介の眉間のしわはより深くなった。
「やっ、修ちゃん。お姉ちゃんだよ!」
そう言って、伊奈子は微笑む。
修介はため息を吐いた。
「もう少し、実家でゆっくりすべきだったかな」
「なら、ぼくが挨拶に行くだけだよ。修ちゃんの姉ですって」
修介は眉間の皺を揉んだ。想像するだけでうんざりする。
「で、何ですか?」
「ん?」
「ん? どうかしたんですか?」
伊奈子の批判的な視線に、修介は惑う。
「……意地悪」
「だから、何がですか?」
「いつもは、そんな喋り方をしないじゃないか!」
「あぁ、なるほど」
昨日まで、相手が誰であろうとタメ口である氷花と行動していた。慣れているから、修介はとくに気にしなかったが、氷花のタメ口に激怒した老人がいたし、不快感を示す人も少なからずいた。そのため修介は、考えを改め、相手がクレイジーでも、一応の敬意は払うことにしたのだ。それに、前からハトエに色々言われていたし。
修介は、ニヤリと笑う。敬語には思わぬ効果があるようだ。
「やっぱり、先輩には敬意をもって接する必要があると思ったので」
「先輩じゃない! お姉ちゃんだ!」
「いえ、先輩です」
「むぅ」伊奈子は恵美を見た。「恵美はどう思う? ぼくは修ちゃんのお姉ちゃんなんだから、わざわざ畏まる必要はないよな?」
「うん。その必要はないにゃ」
修介は違和感を覚え、恵美に目を向けた。
恵美は不思議そうに小首を傾げる。
「田中さん。田中さんは、心先輩のこと、どう思ってるんだ?」
「え? ママにゃ」
修介はハッとして、伊奈子を睨む。伊奈子は「にしし」と白い歯をのぞかせた。
「修ちゃんが意地悪するなら、お姉ちゃんも意地悪してやる!」
「て、てめぇ……」
「ふふんっ! 修ちゃんは相変わらず嘘を吐くのが上手だけど、今なら、何を考えているかわかるよ」
修介は怒りを発現しそうになった。が、ぐっと堪え、引きつった笑みを浮かべる。
「いやだなぁ。先輩もずいぶんと人が悪い」
「むっ」伊奈子は不機嫌そうに眉をひそめた。「まだ、意地悪を続けるのか」
「それで? 先輩は俺に何の用ですか?」
「……警告だ」
「警告?」
「修ちゃんは、最近恵美といつも一緒にいるけど、ちゃんとお姉ちゃんとも遊ぶように。せっかく、同じ高校になったのに」
「……なるほど。でも、先輩もご多忙の身でしょ?」
「修ちゃんのためなら、いくらでも時間を作るよ!」
「いえ、結構です」
伊奈子に睨まれる。しかし修介は、拳を握りながらも、友好的な表情で伊奈子を見返した。
「ふぅん、なるほど。修ちゃんも強情だなぁ。でもこれは、警告なんだよ。無視したら、ひどい目に遭うんだ」
「例えば?」
伊奈子は恵美に微笑みかける。
「恵美は、ママと遊びたいよね?」
「うん」
「なら、修ちゃん抜きで、二人で遊びに行こうか?」
恵美は修介を一瞥し、戸惑いながらも頷いた。
そんな恵美を見て、伊奈子はドヤ顔で修介に視線を戻す。が、修介の顔を見て、唇を噛む。修介が、ニコニコしたまま表情を崩さないからだ。
「いいのか! 修ちゃん抜きで遊んじゃうぞ!」
「いいんじゃないですか」
「ぼくは本気だからな」
「どうぞ」
「もぅ、修ちゃんのわからずや!」
伊奈子は怒声を飛ばすと、踵を返し、二人の前から去った。プンプンという擬音が似合う背中を眺め、修介はため息をもらす。
「あ、あの山神君」
「何?」
「ママは大事にした方がいいにゃ」
修介は、恵美の額にデコピンをした。
「い、いたっ。何するにゃ」
「俺が前に渡したお守り持ってる?」
「持ってるけど……」
「貸して」
恵美は困惑した表情で、ブレザーからお守りを取り出し、修介に渡した。
修介はお守りの袋を開け、中を確認した。機械はしっかりと作動していた。つまり、この機械では、恵美の能力を妨害できなくなったということだ。
「あの、山神君?」
修介は袋を閉じ、恵美にお守りを返した。
「取りあえず、それ、まだ持ってて。魔除けの効果は薄くなってるけど」
「う、うん」恵美はお守りをしまう。「それで? どうして、デコピンしたのにゃ」
「虫がついてた」
「嘘にゃ! 仮にそうだとしても、人の額で潰すにゃ!」
「すまん、すまん」
修介は苦笑し、伊奈子が消えた廊下の方へ目を向ける。
伊奈子の態度は好きじゃないけど、能力が成長していること自体は嬉しく思った。彼女も現状に満足するだけのクレイジーではないようだ。
「まぁ、厄介なことには変わりないんだけど」
「何のことにゃ?」
「……田中さんが超えるべき目標のことだ」
恵美は眉をよせる。
「相変わらず、山神君はよくわからないことを言うにゃ」
修介は笑ってごまかした。




