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5話

 音が聞こえる。霞がかったような意識が微睡から浮上していく。半覚醒故にまだ通常運転でない思考の端っこで、アラームが鳴っているのだとぼんやりと理解する。

 重たい瞼を片方持ち上げると、視界にショッキングピンクが飛び込んでくる。やはり、アラームの音であった。


 伸ばした右手がペチンとスマホの画面を叩く。まるで張り手のようになってしまった。

 そのまま布団の上を引きずるようにしてスマホを手繰り寄せると、画面を覗き込みつつ人差し指でトットットットッ、と連続でタップし続ける。


 悪は去った。目に耳に煩いアラームを黙らせると、満足げに瞼を閉じる。私は急速潜航で微睡の底深くまで沈んでいった。……五分後、またアラームが鳴った。




 ――9月1日、全ての学生の嘆きが集約された忌むべき日。13日の金曜日などより、よっぽどおぞましい日だ。

 私は制服を身にまとい、気鬱さを隠すことなく家を出た。そんな私の気分に反して、空は青々と晴れ渡っている。ちゅんちゅんと黄緑色に鳴く雀が羽ばたいていた。


 電車を乗り継ぎ学校の最寄駅で降りる。改札を出て、学校へと向かう通学路上には、ちらほらと同じ高校の制服を着た学生たちが足取り重く歩いている。

 気持ちはよく分かる。学校に辿り着きたくないという一心だ。故に牛歩戦法で、少しでも休み明けの初登校を遅らせようという魂胆だろう。勿論、無駄な抵抗ではあったが。


(ああ、校門が見えてきた。さようなら、夏休み。また来年に……おっ)


 しなやかな細長い足を機敏に動かして、私のすぐ横を追い抜いて行く女子がいる。横並びになった一瞬、その華やかな横顔が視界に入る。目が覚めるような――そう、休み明けの気怠さを吹き飛ばすような、麗しいかんばせだ。


 今のはD組の児島、児島花火だ。クラスは違うが、目立つ生徒なのでよく知っている。

 整った小顔に、長く艶やかな黒髪、高身長で均整のとれた体はモデルのようだ。目立たない筈がない。何せ、学年一、二を争う美少女だもの。

 その上、才色兼備の言葉を地で行く有能な女子でもある。


 ……と言えば、大層お勉強ができるようだが。多分、成績は私とそう変わるまい。彼女の“才”は別のとこにある。

 児島花火は優秀なピアニストである……らしい。国内に限定すれば、同年代に敵なし。出場したコンクールでは常にトップに立つ不敗の女王だと聞いた。

 以前全校集会で、日本なんたらコンクールで金賞を取ったと表彰されていたはずだ。


 天は二物を与えず、なんて言葉があるけれど、この言葉を考えた人の周りには、よっぽど一芸のみに秀でた人間ばかりいたのかしら?

 現実には、理不尽なまでの不平等さで多くのモノを与えられた、天に愛されたかのような人たちがいる。児島花火は、そんな人間の一人であった。


(カモシカのような足だなあ……カモシカなんて見たことないけど)


 ふと気になってスマホを操作する。検索すると、すぐに望む画像が表示された。画面上にカモシカの写真がずらーっと並ぶ。


(――? んん? これは、細長くて、綺麗、のか?)


 私はしきりに首を傾げながら校門をくぐった。



※※※※



 昼休み、私は弁当を食べ終わると中庭に降り立つ。そこにあるベンチの一つに腰かけるとスマホを取り出した。

 最近では空いた時間ができると、小まめにスマホで『絵師になろう』をチェックするようになった。

 感想が付いているか、アクセスは伸びているか。ネットの反応はどうだろうか、と。


 私、『彩』は夏休みの終盤に思わぬ人気を博した。その急変化に、恐怖に近い驚きを覚えたものだったが……。今はもう、あの時の動揺もすっかり収まり、むしろ喜びの方が勝っている。ただ……。


 スマホの画面表示が切り替わる。目を引く赤い感想通知にどきりとする。一瞬息を飲みこんだ。ゆっくりと赤字をタップする。


 ――『青にかかる色とりどりのグラデーションが素敵すぎです!!』


 感想を読み終わると、ほっと胸を撫で下ろした。


 私の絵に注目が集まることは嬉しい。それも、私の絵を、私の見る世界を肯定してくれる感想が付くのなら尚のこと。

 ただ、注目が集まったことでプレッシャーをも覚えるようになった。


 何か一つ拙い絵を描いてしまったらどうなるのだろう? いつか、いつか、それまでの賛辞が嘘のように、ネットでの反応が反転してしまうのではないか?

 そんな強迫観念に囚われたりもする。


 ふーと、息を吐き出す。ネガティブに傾き出した思考をストップした。

 スマホを操作すると、一枚のイラストを表示する。先ほどの感想が付いていた、最新の投稿イラストだ。


 ベンチに深く腰掛けると、背もたれに体を預ける。スマホを持つ手を持ち上げて、頭上より少し高い位置にかざすようにした。

 目を細める。まじまじと斜め下から自分が手掛けたイラストを検分する。


「青にかかる色とりどりのグラデーションが素敵……か」


 ここらで一番大きなアミューズメントプールを描いた絵だ。実際に行ったのは夏休みの中頃だが、どうも納得のいく色使いができずに、完成が遅れたイラストである。

 イラストの焦点は流れるプール。身を任せる人々が楽しげな色とりどりの声を上げている。バックにウォータースライダーと、どこまでも澄んだ青空に白い入道雲。


(この景色は、他の人も綺麗だと思うんだ……私と同じように)


 そんなことを思いながらぼーっとスマホを眺めていると、ふっと影が差す。


「おっ、これって、『彩』の最新のイラストだよね」


 その声に弾かれた様に振り向くと、私の背後に立つ女子の顔を仰ぎ見る。


「っと、……めんごめんご、急に声を掛けて驚かせちゃったね」


 苦笑しながら謝ったのは、今朝校門前でも見かけた児島花火だった。


 ドっ、ドっと、心臓が激しく鼓動する。


(……私の慌てようは、急に声を掛けられたから。そう彼女は判断した、のよね?)


 慌てて振り向いた本当の理由はもちろん別にあったが……。その理由が彼女に気付かれることはない、だろう。

 冷静にそう考えて、気持ちを落ち着かせようと努める。


「佐伯さんも『彩』の絵をチェックしてるんだね」

「……“も”ってことは、児島さんも?」

「うん。まっ、不思議ではないか。『彩』のイラストは夏休みの終わりくらいに一気に人気出たし。大方佐伯さんも、それで『彩』のことを知った口でしょ?」

「う、うん、そうだよ。綺麗な絵を描く人がいるなーって。児島さんもやっぱり、私と同じように?」


 私の問いかけに児島さんは、どうしてかよくぞ聞いてくれました、と言わんばかりの誇らしげな顔を浮かべる。


「ちっち、何を隠そう、私は『彩』が有名になる前からのフォロワーなんだよ。古参フォロワー、にわかではなくてよ」


 などとのたまうと、ドヤ顔を浮かべる。


(あっ、知ってる。これめんどくさいやつだ。人気ミュージシャンのインディーズ時代からの追っかけを誇る類と同じやつ)


「へー、そうなんだー」


 私は半ば気の抜けた返事をする。が、児島さんは全くに気にしていない。


「そうなのだよ。夏休み初め頃から、積極的に感想を付けてたんだー」


 夏休み初め頃から? ……あの頃から積極的に感想を付けていたユーザーは数名に限られる。

 彼女は、どのユーザーだろう? ええと、あの頃からのユーザーというと……『アイス』さんに『唄重』さんに、それから……あっ!


「そうか! 『玉屋』さんだ……!」


 児島“花火”、花火だから玉屋、何とも分かりやすい連想だ。

 ピンとくるユーザーを思いついた余り、私はそれを口にしたのだが……。

 ユーザー名を言い当てられたであろう児島さんは片眉を持ち上げる。どことなく怪訝そうな表情を浮かべた。


(し、しまった。いや、でも大丈夫……)


 私は自らの失敗をカバーするために言葉を重ねる。


「私、感想欄で他のユーザーが付けた感想をよく読んだりするの。それで、昔の感想でよく『玉屋』ってユーザー名を見かけたと思って。児島さんの下の名前、花火でしょ? それでもしかしたらって……」

「なーるー。そっか、安着なユーザー名だから、そりゃ分かるか」


 児島さんが納得顔になる。


「あっ、やっぱりそうなんだ。本当に『玉屋』さん、児島さんはよく感想付けてるよね。例えば……」


 上手く誤魔化し切らないと、そんな思いから私の口は滑らかになる。次から次に豆腐のような白色の声が吐き出される。


「甲子園の絵に、『暑そうっすね。私はクーラーの効いた部屋で過ごすのが好きです』なんて、余り絵に関係ない感想書いたり、天体観測の絵に『流れ星がない! ぬぁぁぜだぁぁああ!!』って書いたり、『彩』の過去絵の感想も見ていってたら、面白い感想が色々付けてるのを見かけて……」

「ふふーん、センスあふれるコメントでしょう?」


 いや、困ったコメントだよ。感想返しに苦労させられた。いや、でもとても役に立った書き込みもあったな。


「あと、スコッパー.Net!のことをいち早く『彩』に伝えていたのが、児島さんだったね。『彩』も疑問が晴れてすっきりしたんじゃないかな」

「…………」

「ん? どうしたの、児島さん?」


 再び怪訝そうな、いや、不審そうな表情を浮かべる児島さん。えっと、どう……して……?


「……どうして、私が『彩』に送ったメッセの内容を知ってるの?」

「あっ……」


 そうだ……あれは、いつもの感想でなくて、第三者では見られないメッセでのやり取りだった。

 致命的な失敗に、さーっと自分の顔から血の気が引いていくのが分かる。


「佐伯さんの下の名前って、確か綾だよね? うん、香川さんたちが、綾、綾っていつも呼んでるもの。そっか、綾、あや、『彩』か……っと!」


 私は半ば無意識の内に児島さんの服の袖を掴んでいた。


「お願い! 誰にも言わないで!」


 身を乗り出すようにしてそう叫ぶ。


「……うーん、取り敢えず袖を放してもらっていい?」


 児島さんが小首を傾げながらそう言った。


「あっ、ごめん……」


 私は掴んでいた袖から手を外す。そうして、恐る恐る児島さんの顔を窺った。


「よく分からないけれど、佐伯さんは自分が『彩』だとバレたくない、と」


 私は無言で頷く。


「そう。いいよ、別に……」

「本当!?」

「うん、ホント。でも……」

「――? でも……?」

「その代り、私の言うことも聞いて欲しいなー」


 そんなことを言って、児島さんはわざとらしいくらいニッコリと笑う。

 私は嫌な予感がした。


(えっ、もしかして、これって脅しとかそういう……?)


 戦々恐々となる。彼女が何を言ってくるのか? 固唾を飲んで次の言葉を待つ。


「ねえ、私が黙っている代わりに、私の絵を描いてよ」

「えっ?」

「あなたに、私の絵を描いて欲しいの」


 ――『あなたに』という言葉に合わせて、児島さんは私を指差す。そうして言葉を言い切ると、今度は花開くような艶やかな笑みを浮かべたのだった。


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