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2話

 さて、やってきました電気街。私は馴染みのない場所に目を奪われる。

 行きかう人々の雑踏。各店舗の軒先からは、アニメやゲーム、その他諸々の音が響いてくる。

 その騒々しさに、街全体が淡く色づいている。赤、藍、橙、茶、黄、緑、紫……。ああ、何て所だろう。

 氾濫したいろの波に、少し酔ってしまいそうだ。


「綾、大丈夫?」

「うん。少し酔っただけ。……お姉の方こそ、大丈夫?」


 少し見上げた先にある姉の顔は、死地に赴く兵士の様であった。


「だ、だいじょうびぃ」


 顔面蒼白。震える声は、陶器――白磁のような乳白色。うん、大丈夫じゃなさそうだ。


(……なるべく、お姉の財布に負担掛けないようにしないと、ね)


 私は決意を新たにし、姉と二人、目に煩い電気街へと踏み込んでいった。

 事前に調べていた大型店舗の中に入ると、その広さ、品ぞろえの多さに驚かされる。

 ともかく、目的の商品が売られている場所を特定しなければならない。私たちは、エスカレーター傍の案内板を見上げる。


「ええと……多分5階、かなあ?」

「多分、そうね」


 私たちは頷き合うと、エスカレーターに乗る。


「しかしすごいところねえ、この街は。生メイドさん、初めて見たわ」

「うん。メイドカフェの店員さんが、路上で看板持って宣伝してたね」

「スカートとか、すごい短かったし。世の男はあんなのが皆好きなのかしら?」

「どうだろ? 皆が皆ってわけでもないんじゃない?」

「でも、確実に需要があるわけでしょ? じゃないと、店潰れちゃうし。……私も大学でメイド服着たら彼氏できるかしら?」

「……それは止めて」


 エスカレーターで昇っている間、そんな下らない雑談を交わす。そう、他愛の無い雑談、のはず。……姉の発言が本気だとは思いたくない。


 そうこうしている内に、5階に到着する。天井から吊るされている案内看板を頼りに歩いていくと、目的の陳列棚は簡単に見つかった。


(えっと、ペンタブ……うん、うーん? 価格に差があるなあ。何が違うんだろう? ……取り敢えず店員さんにでも聞いてって、お姉!?)


 血走った眼をした姉は、ぱっと見た中で一番高い商品に手を伸ばす。お値段は二十万円で御座います。


「ちょっと、ちょっと! お姉、値段見てないの?」


 じろりと、血走った目がこちらに視線をくれる。


「見てるわよ、失礼ね。安物買いの銭失いって、言葉を知らない? 下手なものを買ったら、結局買い直す羽目になるの」


 いや、そうかもしれないけれど。だからって、こんなに高いものは流石に……。


「それでも極端すぎない? 牛刀で鶏を割くって言葉もあるよ」

「いいの! 綾の絵はすごいんだから、身の丈に合わないってことはないはずよ」


 そう言って、姉は買い物かごに、お高いペンタブを入れてしまう。


「次は……ソフトか。分からないな。取り敢えず、一番高いのを……」

「店員さーーん!!」


 姉のこれ以上の暴挙を阻止すべく、大声で店員を呼ぶ。


「はいはい、どうされました?」


 眼鏡をかけたお兄さんが、小走りで近づいてきた。


「一番いいのを頼む」

「違うから!」


 並んだソフトを指差す姉の手を叩き落とす。パチンと音が鳴る。弾けるような黄色が散った。

 痛がる姉を放置して、私は店員のお兄さんに向き直る。


「えっと、新しくデジタル絵を始めようと思って。オススメを教えてもらってもいいですか?」

「承知しました。どのような用途で使われますか?」

「あー、用途は……」


 店員のお兄さんと相談しながら、自分の目的にあったソフトを選ぶ。ついでに、ペンタブも選び直した。

 パソコン自体は、既に家にあるデスクトップのパソコンを使うので、購入する必要はない。

 最後に、デジタル絵入門、などといった類の書籍を何冊か購入する。


 全部で締めて、約十万円なり。……姉の暴挙を阻止せんとしても、ずいぶんと高くついてしまった。それも、姉は姉で安物を買うのを断固阻止したからだ。

 店員のお兄さんが、私たちの攻防に苦笑していたのが、思春期の精神に厳しかった。それで姉にかなり押し込まれてしまったのだ。それにしても……大学生になれば、羞恥心が消え失せるのだろうか?


 そんなこんなで、電気街での買い物を終えたのだった。





「ふっ、燃え尽きたぜ。私も、私の財布もな……」

「…………」


 掛ける言葉もないとは、このことか。

 放心したように電車のシートに座る姉の顔は、蒼白を通り越して、土気色だ。財布の中身も、焼畑農業の後のように、不毛の焦土と化した。


「まあ、いっか……」


 生気を取り戻した姉の瞳が、私の顔を映す。


「綾が久しぶりに、わくわくした顔をしているし」


 優し気に微笑みながら姉がそんなことを言う。その声音は、闇夜にぼんやりと浮かび上がる、温かな灯りのような黄色であった。


(わくわく? 私は今、姉のことを心配してるのに? ……ううん、違う)


 言われて初めて、自覚する。そうだ。姉のことを心配しているのも本当。高い買い物をさせて申し訳なくも思ってる。

 だけど、その奥からひょっこり顔を覗かせる、そわそわしたむず痒さはきっと――。


「ッ~~!」


 私は上着の胸元を、ぎゅっと握り締める。


「……ごめん。それから、ありがとう、お姉」

「どういたしまして~」


 軽い調子で応える姉は、にへらと、気の抜けるような笑みを浮かべたのだった。


 それからは、他愛無い話を姉とかわしながら家路についたのだと思う。でも、逸る気持ちから、何を話したのか覚えていない。

 自宅の最寄駅に着く。駅を出ると、家へと真っ直ぐ歩く。歩調は心なしか、早足だ。


 私たちの住む家は、駅近3分のマンション、その8階だ。マンションの下まで着くと、逸る衝動がもう収まらない。

 エレベーターを待つのがじれったく、ゆっくりと昇るのももどかしい。

 8階に到着するや、小走りで806号室へ。玄関を開けると、靴を乱雑に脱ぎ捨てて、自分の部屋に向かう。

 バン! と、ドアを開けた時には、全身が熱に魘されているかのようだった。


(――描く。描こう! 新たな可能性に満ちた絵を)


 まるで、全力疾走した後のように心音が高鳴る。一度落ち着くべく、はぁーーと、大きく息を吐く。

 そうして、ゆっくりとした歩調で、部屋に備え付けられたクローゼットの扉を開いた。

 ここは、無為に積み重ねられたキャンバスの墓場だ。

 その中から、一つ拾い上げる。その絵は、私の住むマンションのベランダから見下ろした構図。夕暮れに沈む町並み。響く、夕焼け小焼けのメロディ。――茜色と、群青色に染まる世界。


 私がこれまで描いてきた中で、自信作の一つ。

 まずは、デジタル絵の練習がてら、習作として過去に描いた絵を描いてみよう。そう思ったのだ。

 ……デジタルでこの作品を描けば。それを投稿すれば。死蔵したこの作品も、今一度息を吹き返すのだろうか?

 私は、そっとキャンバスを抱き締める。


(――描こう。描くんだ)


 私を気遣ってくれた姉の想いに応えるため。私が生み出しては、墓場に積み上げてきた作品たちのため。そして何より、自分自身のために。


(描こう。描こう。そうだ、私の世界を描き切るんだ!)



 生まれてこの方、覚えたことのない程の情熱が沸き起こった。


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