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1話

 日曜の朝、涼しげな風が吹く河川敷に、一人の少女が立っている。

 休日のまだ早い時間ということもあって、人気はほとんどない。偶に、早朝からジョキングをするような健康志向の人が通り過ぎていくだけだ。


 そんな少し寂しい河川敷で、少女は木製のイーゼルを組み立てる。そこに純白のキャンバスを架けた。そうしてから、何も描かれてないキャンバス越しに、川の流れに目を向ける。


 ここ数日雨も降らなかったからだろう。川の流れは緩やかだ。それでも早朝の静寂さから、耳を澄ませば水の流れる音が微かに聞こえてくる。


 少女は筆を取ると、無地のキャンバスの上に最初の色を乗せる。

 それは、翠色が混じった深い青色だ。都会の川だけあって、透き通るような水色とはいかない。それでも、朝日を反射して輝く水面は美しく映える。

 続いて乗せられた色は白。光が反射する水面を表現する。その手つき、色使いはこなれたもので、素人が見れば、ほうと、感嘆の吐息を漏らしたかもしれない。


 筆が水入れの中に浸けられる。白色を落すと、少女は次なる色をパレットから掬い取った。そのままキャンバスに描かれた水面の青に、新たなる色を重ねる。

 それは何とも不可解な色使いであった。川の流れに沿うように、薄く淡く紫色がさらさらと重ねられたのだ。


 少女はキャンバスから筆を離し、水面を見やる。

 丁度その時、一羽の水鳥がトプンと、水の中に潜り込む。潜り込んだ地点を中心に、同心円状の波紋が水面に浮かび上がった。

 そんな水面から視線を切ると、キャンバスの上に先程見た光景を描き加えていく。

 水面に浮かぶ波紋。その上に、なんと黄色が跳ねた。


 一通り水面の様子を描き終えると、次いで土手の様子を描いていく。

 青々とした芝生、その奥の灰色の堤防、そして川を跨ぐ鉄橋を緻密に描いていく。

 その鉄橋の上を走り抜けていくオレンジ色のボディの電車。

 その電車も描き終えると、少女はまたもや不可解な色をパレットから掬い取って見せた。迷い無い手つきで、さっと筆を引く。

 まるで電車と並走するように、赤銅色が奔り抜けた。


 そこまで描き切って、一歩キャンバスから遠ざかる少女。そうして自らが描いた絵を見詰める。やがて、満足気に頷いた。


 彼女には納得のいく絵の仕上がりであったらしい。だが、余人が見れば、首を傾げたかもしれない。

 描かれた絵が拙いというわけではない。むしろ、十代の少女が描いた絵としては、十分に過ぎる出来栄えだ。

 ただ、所々に疑問を覚えずにはいられない、そんな不思議な色が散見された。

 これは、彼女が芸術家としての個性を発露しようと、特殊な色使いに挑戦した。などと、いうわけではない。

 それならば、まだ理解が容易い。しかし、違うのだ。


 少女は彼女の目が映した色を、ただ正確にキャンバスに写し出した。それだけに過ぎないのだ。

 そう、その目には、彼女だけに見える色が映る。


 少女――佐伯 綾の目を通して見る世界。それは、余人には決して理解できぬ、彼女だけの世界。

 音が、カラフルに色付いた世界なのであった。



****



 ちくたく、ちくたく、教室の壁時計が、楽しげな碧い色彩を奏でる。時刻は、11時30分を指し示していた。

 現在は、物理の授業中である。つまり私にとって、もっとも忌避すべき時間割であった。

 ……別に、物理という科目が苦手なのではない。忌避する理由は、もっと別のところにある。


 ちらりと、教壇の方に一瞥をくれる。教壇に立つのは、白衣を着た中年教師、物理を担当する海老名先生だ。

 その口からは、喉を潰したようなトドメ色の声が吐き出される。


(もう、やだなあ……)


 私はふいと、視線を横に逸らす。

 逸らした視線の先、開け放たれた窓からは、光の粒子のような心地の良い風がキラキラと入ってきている。

 ぶあっと、一瞬だけ小麦色の風が強く吹き抜けると、カーテンがゆらゆらと揺れた。


 窓際の席に座る私は、カーテンの隙間からグラウンドを見下ろす。暫くぼんやりと眺めていると、不意にキンと甲高い音が、赤い光が閃いた。私は少し目を細める。


(……あれは、C組の男子かな? 体育の授業はソフトボールかあ)


 察するに先程の光は、バットでボールを打った音であったらしい。

 外野手が後方に全力で走りながら、ボールを追いかけていた。どうやら、かなりの大飛球であったと見える。


 だからかと、私は納得する。

 あれほど強い色を持った音も珍しい。それほど、豪快な打撃だったのだろう。

 などと、分析してみせたが……。それを口にすれば、クラスメイト達は怪訝な顔を見せるに違いない。


(だって……この色は、私だけが見ている色だもの)


 ――共感覚、私だけが見ている世界は、そう呼ばれるものらしい。

 稀に私のような、共感覚という特殊な知覚を持つものが生まれるそうな。

 その特徴は、視覚、聴覚、味覚、触角、嗅覚といった五感が、未分化なまま結合された状態を有していること。

 故に、ある刺激に対して、通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚が生じる。

 などと言えば、小難し過ぎる説明だけど……。


 簡単かつ具体的に言えば、文字に色を感じたり、色に音を感じたり、形に味を感じたり、などといった、特殊な知覚を有する人。

 それが、いわゆる、共感覚者と呼ばれる人たちだ。

 私の場合は、音に色を感じる。共感覚の中で、色聴と分類される感覚だ。


 この共感覚、ネットかじりの知識によれば、作家、美術家、作曲家など、過去の著名人の中にも、この手の感覚の持主が多くいたらしい。

 ならば、共感覚とは芸術方面における一種の才能のようなもの。そう思う人もいるかもしれない。

 例えば、一部の音楽家が有する絶対音感のように。


 だけど、私はそうは思わない。

 私もまた、絵を描いているけれど……。別に絵の才能があるから描いているわけじゃない。

 絵を描く理由は、私の有する共感覚故の悩みが密接に関係している。

 

(絵を描く理由……この想いを何て言えばいいのだろう?)


 ……それはきっと、一種の飢えだ。渇きだ。

 私たちは、自分の世界を他者と分かち合いたいという欲求に飢えている。


 それは例えば、面白いテレビ番組を見た翌日に、クラスで同じ番組を見た人を探し、感想を共有したいと思う。その手の欲求と似通っている。

 それは、誰しもが当たり前に持つ欲求ではないだろうか?


 でも、私たちは自分の世界を他者と共有できない。

 だからせめて、文章にしたり、絵を描いたり、音楽を奏でたり、そういった芸術方面で自分の世界を表現しようともがく。

 そして、そんな共感覚者の中から偶々、その道で大成した人が現れた。

 著名な芸術家の中に共感覚者が多数いるのはきっと、そういうことなのだと思う。


 私もだからこそ、絵を描くことを選んだ。

 キャンバスの上に、私が見る世界を写し取ろうと思ったのだ。

 そうすることで、自分が美しいと思った世界の姿を、他の人に伝えられる。綺麗だねって、感想を分かち合える。

 そんな細やかな共感だけを願って。


 でも、繰り返すが、共感覚は決して才能ではない。だから、私の絵を見た人が私の望む反応を見せるかというと、それは……。


(そんな簡単じゃ……ない)


 私はその願いに関わらず、身内を除けば誰にも自分の絵を見せたことがなかった。


(……これ以上考えてはダメ。気分が滅入っちゃうわ)


 一度頭を振る。心中に滲み出した苦いものを誤魔化すために。

 私は思考を中断して、黒板に書かれた文字を機械的に板書することに努めたのだった。




 今日全ての授業が終わった。ホームルームも終わった途端、俄かに活気づく教室。部屋の中が雑多な色に溢れる。

 部活や、放課後にどこそこに遊びに行こう、といったこの後の予定から、単なる雑談まで、生徒たちが一斉に会話を始めたからだ。


 私はそれらの色を尻目に、何人かの仲の良いクラスメメイトと二、三言葉を交わすと、早々に鞄を肩に下げて教室を出た。

 帰宅部なのでこのまま真っ直ぐに家に帰るだけ。……入学当初、美術部に入部するという考えが頭に過ったが、結局勇気が出ずに入部はしなかった。


 教室から廊下に、階段を降りて一階の靴箱に。下履きに履き替えると、正面入り口から外へ出た。

 空を仰ぐ。澄んだ青さだ。梅雨も完全に明けて、数日が経った。もうじき、本格的な夏が来る。それを感じさせる、抜けるような晴天だった。

 そんな空の青の中を飛行機が一機、すーっと横切っていく。航路には白い飛行機雲と、少し重たい橙色が残された。


 暫し空の色を楽しむと、視線を切って地上に目を向ける。駅に向かって歩き出した。学校の最寄り駅まで、徒歩三分くらい。あっという間である。

 私はポケットからスマホを取り出すと、時間を確認する。そうして脳内の時刻表と照らし合わせた。

 記憶違いでなければ、小走りなら次の電車にギリギリで間に合う筈である。


 なので、ダッと地面を蹴ると、タッタッタっと、小走りで進む。靴が黒灰色のアスファルトに触れる端から、紫色が跳ね上がる。

 暫く進み、駅のホームが視界に入ると共に、電車がやってくるのが目に入る。私は少し足の回転を速めて改札口へ、定期券を入れてホームに出る階段を駆け上がる。

 どうにかこうにか、黄色い発車のベルが鳴る電車に滑り込んだ。


 ふう、とそこで軽く息を吐く。


 電車通学は高校に上がってからが初めてだ。最初こそ、慣れない通学に戸惑いもあったけれど、もう七月になる。流石に慣れてきたところだ。


(まっ、朝の通勤ラッシュ、満員電車はうんざりですけどー)


 そこは諦めるしかないのだろうと、割り切れてはいる。これも一種の慣れだ。少なくとも、入学したばかりの頃のような衝撃だけは受けなくなった。

 尤も、つい先日まで、夏の満員電車はどうなるものかと、密かに戦々恐々としていたものだったけれど……。

 実際に体験してみると、車内はクーラーが効いていて、意外と耐えられる。むしろ、車外の方が辛いくらいだ。


 そうは言っても、決して快適ではないけれど。でもまあ、よく汗をかいている肥満男性の傍さえ避ければ、何とかなるものだ。

 多少の不快感は、最早目をつむるしかないのだろう。


 しかし、それも朝の話。帰りの電車は席に座れないまでも、人口密度は高くない。クーラーのお陰もあって、文句なしに快適だ。

 そしてそんな余裕から、帰りの電車では色々と嬉しい発見もあるものだ。


 電車という密閉空間に、多くの人が収容された環境。

 人が集まれば、それだけいろが溢れる。


 人の話す声音。イヤホンから漏れだす音楽。吊り革を握る音。電車の振動音に、ブレーキ音。揺れる車体の中、踏ん張る靴底の摩擦音などなど。

 時には、電車という環境ならではの珍しいいろを見ることも少なくない。


 ふっ、と視線が吸い寄せられる。

 上品そうな紅茶色。その発生源は、優先座席に座る二人の老婦人であった。

 片方の女性が控え目な、されど軽やかな笑い声を上げている。どうも、その音であったようだ。

 私の表情にも自然と微笑みが浮かぶ。


 ――昔、家族から心配されたことがある。

 私だけが見る特別な色。それが、私にとって不快なものではないのかと。


 勿論、全てが全て、綺麗な音ばかりではない。でも、音を見るのは、私にとって余りに自然なことで。

 それを特別不快だとは思わない。


 むしろ、今の老婦人の笑い声のように、心地よく感じることも多々ある。だから家族の心配は杞憂というものだった。

 私は私で、この共感覚と折り合いを付けて、日々過ごせている。


 だから、憂いは一つだけ。私の世界が誰とも繋がっていないこと。でもそれも、絵を描くことで解消するはずだった。


(そうよ。そのために描き始めた筈なのに……)


『なあにそれー、へんなのー』

『ほんとだぁ、あやちゃんが、へんなおえかきしてるー』

『おかしー。おにわは、そんないろしてないよお』

『へんなのー』『へんなのー』『あやちゃんって、へんなこー』


 私はぎゅっと、吊り革を強く握り締める。脳裏に、不意にあの日の言葉が再生されてしまったから。

 私が人に絵を見せられない理由。それは大袈裟な言い方かもしれないが、過去のトラウマが原因なのであった。




 四十分ほど電車に揺られ、それから歩くこと約五分。家に帰り着いた。

 自室の扉を開けると真っ先に目に入ったのは、部屋の中央に立てられたイーゼル。そこに架けられたキャンバス。

 この前の休日に描いた河川敷の絵だ。私は描いたばかりの絵は暫く片付けず、こうして目に入る所に置くのが常であった。


 何度となく眺めては、ここはこうした方が良かった。ここはどうしてか気に入らない。何故だろう? などと、納得のいくまで振り返るのである。

 

 今日も今日とて、暫し絵と睨めっこする。

 気になるのは、電車と共に奔り抜ける赤銅色――鉄橋を抜ける電車が立てる音。騒々しく鈍く赤く疾走する音だ。

 どうしてだか、ここが気に入らない。ただ、何が気に入らないかが分からない。


(疾走する音を上手く表現できてない? なら、もっと疾走感を出すにはどうすればいいの?)


 むーと、唸りながら目を細める。二秒、三秒、私は首を左右に振るう。


 キャンバスから目を離すと、着ている制服に手を掛ける。

 まずブレザーを脱ぐと、ハンガーに架けた。しゅるしゅるとリボンタイを解き、ストンとスカートを落とす。最後にカッターシャツを脱ぐ。


(衣擦れの音は、シアンブルーね。糸のように細やかで、すっすっと消えていく。悪くない色だわ)


 制服を脱ぎ終わると、部屋着を身に纏っていく。その途中で、ガチャリとノックも無しに扉が開かれた。

 視線を向けると、姉の桜子がいた。外出先から帰ったところなのだろう。中々、小洒落た外行き用の服を着ている。

 姉は私の三つ年上。今年高校に上がった私と同じように、大学へと上がった。高校生と大学生ではやはり違いがある。ずいぶんと、そう、垢抜けた印象になった。


「綾、前に貸した……おっ、それがこの前の日曜日に描いてきた絵?」


 姉は部屋の中央に立てられた絵を指して、そんなことを尋ねる。


「うん」

「へー、どれどれ……。ほほーう、上手く描けているね」


 姉は髪をかき上げながらキャンバスを覗き込むと、そんなことを口にする。


「そう? ……色使いはどう?」


 キャンバスを覗き込む姉を横目でチラリと見ると、素っ気なさを装いながら尋ねる。


「うん? そうね……。紫がかった川の色が、不思議な色合いだけど綺麗ね。なんていうか……幻想的な雰囲気を醸し出している、かな?」


 またそれかと、私は内心溜息を吐く。姉の感想ダントツ一位、幻想的を頂きました。

 私は姉に向き直る。


「いつもそう言ってない? 他には?」


 私の不満気な問い掛けに、姉は肩を竦める。


「芸術の、げの字も解さない、そんな私に何を求めているのよ? それに同じ人間にばかり感想を聞いていたら、そりゃ、同じような答えが返ってくるでしょ」


 私は口を噤む。確かに姉の言う通りだからだ。


「ねえ、私や父さん母さん以外、誰かに絵を見せてみない? 見せられそうな友達は、高校にいないの?」

「…………」


 絵を他人に見せる。自分の見ている色を、キャンバスを介して他人に伝えたい。その想いからいくと、それこそが自然な流れだろう。

 でも……。怖い、怖いのだ。人に絵を見せることが。


 幼少期のあの出来事が、未だに尾を引いている。影を落としている。つまるところ、私にはトラウマがあった。


 あれは、私が幼稚園に通っていた時。自分の見ている色が、特別であるという事実にまだ無自覚であった頃。

 皆でお絵かきをしたのだ。そして当然の如く、私が描いた絵は文字通り異色なものとなった。

 それを見た園児たちは、幼さ故の残虐さを以て私の絵を貶したのだった。


 人は異端であることを厭う。周囲と違うことを隠そうとする。自己防衛のために。

 だけど、そんな処世術も知らぬ園児であった私は、自らの身を守る術を持たなかったのだ。


 幸い保母さんの助けも有り、それが苛めと呼べるものまで発展することはなかった。

 それでも私の心に深い影を落とすには、十分に過ぎた。


 以来、私は身内を除いて、他人に自分の絵を見せたことはない。

 人と自分の見ているものを共有したいという欲求。人に自分の絵を見せるのが怖いという恐怖。

 この相反する感情の狭間で、私は長い間足踏みしている。

 その間、虚しいまでに積み上がっていくキャンバスの山。私は、ただ、ただ、そんな無為な行為を繰り返している。

 

 このままじゃいけない。そんなことは分かっている。でも、どうしても、一歩踏み出す為の勇気が足りない。

 ああ、だからこそ欲しい。一歩を踏み出す勇気が、そのためのきっかけが。それさえあれば……!


「やっぱり、人に絵を見せるのはまだ怖い?」


 押し黙ってしまった私に、姉は気遣わし気に尋ねてきた。私はこくりと、素直に頷く。


「そっか。うーん……。実は、一つ提案があるのだけど……」

「提案?」

「そう。あのね……綾、ネット上にイラストを投稿してみない?」

「ネット?」


 思いがけぬ言葉に、つい眉を顰めてしまう。


「うん。ほら、『絵師になろう』だっけ? あれなら匿名性も高いし、リアルの友人に見せるよりハードルが低いと思うの」


 ……ネット、か。どうなのだろう? 偏見かもしれないが、ネットというと攻撃的なイメージがある。


(また、心無い言葉を投げつけられたりして……いや、でも……)


 もしそうなったら、そっとパソコンの電源を落としてやればいい。そして、二度とイラストを投稿したサイトを開かない。

 全てをなかったことにはできないけれど、きっと傷つくけれど。それでも、私生活に悪影響は与えない。

確かに、学校の友人に見せるよりは、ハードルが低いように思われた。


(きっと、このハードルさえ飛べないと、私は二度と一歩を踏み出せない。何故だかそんな気がする。だったら! ……って、ちょっと待って)


 私は姉の提案に、大きな欠陥を見つける。それも、二つもだ。


「ネットってことは、デジタル絵だよね? 私、アナログな絵しか描いたことない」


 そう、それが一つ目の問題点。


「うん? 無問題、無問題。そりゃ、最初は戸惑うだろうけど、こんなに絵が描けるんだから、すぐ慣れるわよ」


 なんとも簡単に言ってくれる。では、二つ目の問題点を口にしよう。


「それに、私全然お金を持ってない」


 思わぬ反論だったのか、姉の目が点になる。そして、暫しの沈黙を経て天を仰いだ。


「おう……なんてこったい」


 画材の多くは消耗品だ。絵を描き続けていれば、お小遣いは湯水のごとく流れていく。つまり、私は万年金欠状態であった。

 そんな私の懐事情で、どうしてデジタルを描くために必要な機材一式を購入することができるだろうか?


「も、無問題だ、妹よ。お、お姉ちゃんに任せなさい」

「え? いや、大丈夫じゃないよね?」


 私は、引き攣った笑みを浮かべた姉の顔を見る。


「お、お姉ちゃん舐めるな。無駄に貯まったバイト代があるし。あるし……」


 姉の口から出る声、その色は、今にも溶け消えそうな雪の白さ。明らかな虚勢であった。

 いやいや、駄目でしょう、これは。気遣いはありがたいけど……。


「そんな顔しない! そりゃ、正直厳しいけど。でも、可愛い妹のためさ! どんとこい!」

「でも……」

「でもも、すもももない! 大丈夫、将来返してもらうし。出世払いで、利息付でね」

「……本当にいいの?」

「おうともさ。その代わり出世払いは、リアル百倍返しでお願いね!」


 姉がぐっと、親指を立ててみせる。……随分と暴利だな、姉よ。

 私は苦笑を浮かべると頷いた。


「ありがとう、お姉」


 私の言葉に、姉は花開いたような笑みを浮かべたのだった。


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